第四節

第47話:壁を越える者たち(一)

 人には、立場というものがある。

 立場が違えば、生活も、価値観も、正義感も、心の持ち方も、いろいろなものが変わる。

 結果、立場と立場の間には、壁ができる。


 ある時、学校の先生が「相手の立場に立てば思いやれる」「相手に理解してもらえるように、自分のことを相手に伝えなさい」と言っていた。烏輪はそれを聞いて、「この人は、人との間に高い壁を感じたことがないのだろう」と内心で思っていた。

 確かにわずかな立場の差ならば、壁の高さも背伸びすれば上から覗けるほど低いものかもしれない。しかし、立場に大きな隔たりがあれば、その壁はもしかしたら巨大なダムのような高さになるやもしれない。

 たとえば、普通に友人と毎日遊んで暮らしていた者たちと、鬼と化した友人を斬り殺すような生活をしていた者たちとの間にある壁は、果てしなく高いはずだ。「相手の立場に立つ」どころか、壁の向こうを覗くこともできやしない。相手のことを察することさえ難しい。そんな状態で理解してもらおうと、自分のことを話しても詮無きことだと思う。もし、クラスメイトに「幽霊が見える」などと語ったところで、「頭が可哀想な人」と思われるのが関の山だ。


 素質のない人間は、霊能力者になれない。

 逆に、霊能力者は普通に暮らせるわけがない。

 この壁は果てしなく高く、そして壊せないほど厚いのだ。


(ボクはずっと……)


 そう思っていた。それが常識だと思っていたのに、目の前にいる普通の人間たちは、どこまで非常識なのだろうか。彼らは烏輪が壊せないと信じていた高い壁を恐ろしいほど簡単に撃ち壊しまくっている。


「前方の壁に霊体反応。排除する」


 先頭をきっていた黒服の一人の言葉で、数人が七メートルほど先の壁に向かって銃を構える。

 とたん、彼らの銃の霊力が高まる。

 合わせて、烏輪は霊視の力を高める。

 最初の内は気がつけなかったが、彼らの銃の内側には極小の霊気で作られた魔法陣やら曼荼羅がうかがえた。それらは複雑に絡み合い、まるで歯車のように一つが回り出すと次から次へと回転していた。その仕組みを調べようとしたが、複雑すぎてとてもではないがわからない。


「――ファイア!」


 先ほど黒服の合図で、ファイアと言いながらも、銃口から出るのは火ではなく圧縮された空気。そしてプラスチックのBB弾。

 それは大量に発射され、幅一・五メートル程度の廊下を一斉に走りだす。

 発射音はパラパラというような軽い音なのに、その効果はやはり絶大。霊気で描いた弾道が壁に当たると、そこに霊力の強力な爆発が発生する。

 とたん、壁に潜んでいた数体の幽鬼があぶり出されるように浮かびあがり、そしてまた浴びせられる銃弾に呻きながらも除霊されていく。

 本当に烏輪から見たら、異常なほど非常識オカルトだ。


「クリア!」


「クリア確認」


 黒服集団【流弾ストレイ・ブリット】は、周囲を警戒しながらも、歩みを進める。

 それに合わせて、烏輪もまた進み始める。

 それはまるで、戦争映画の世界にでも迷い込んだような気分だった。


 が、それにしては雰囲気と合わない要素が1つある。

 それは足跡に桃の実が転々と配置されていることだろう。


 人鬼の死体が転がり、血しぶきの染みが、誰にも理解されないアートのように壁へ模様を描く廊下。

 その中に、ぽつんと置かれた桃の実。

 その光景は、実にシュールだ。

 しかし、その桃の実があるからこそ、侵攻が楽になっていると言える。


 【流弾】のメンバーは、那由多の霊気と聖水で育った木から桃の実をもぎ、数人で手分けしてリュックへ詰めて持ってきていたのだ。もちろん、食べるためではない。陽の霊気に加えて、聖水の神氣をたっぷりと含んだ実は、道に置くだけでちょっとした魔除けとなるためだ。

 また、その魔除けを鬼が突破してきたとしても、その激しい動きは霊波となり、烏輪はもちろん、呪具のゴーグルをつけた【流弾】でも感知することができる。つまり、センサーの変わりにもなるわけだ。


 もちろん、烏輪ならば桃など置かなくとも、霊気を感知することができるし、道具などなくとも鬼と戦うこともできる。

 道具がないと、なにもできない彼らとは違う。


(でも、ボクの思っていた壁って、道具の有無程度なの? ……そんなわけ、ない……の……)


 ゆっくりそんなことを悩む余裕さえある状態で、烏輪は【流弾】と共に一階の玄関ホールまでたどりついていた。ただ、余裕と言っても、ここまでくるのに数十分はかかっている。柳を追って来た時は、一、二分程度しかかかっていなかったというのに。



 ――【迷宮化遷移ラビリントス・フェーズ】。



 確かに、それは迷宮のようだった。

 まず驚いたのが、部屋から出た廊下が、二〇〇メートル以上、まっすぐ伸びていたことだ。さらにいくつもの横道があり、それらが建物からは考えられない方向に伸びている。廊下が下り坂になっていたり、階段が天井側についていたり、窓の向こうも部屋だったり、扉を開けても壁だったりと、支離滅裂な状態だった。

 もちろん、建造物の構造から予想することも、方向感覚も何も通用しない。さらに横道からは、人鬼や幽鬼が飛びだしてくるのだから、下手なアトラクションなんて真っ青だ。たとえ、隣の部屋だとしても、辿りつけるかわかったものではないだろう。


 しかし、【流弾】たちは、この状況にも慣れたものだった。タブレット型PCの画面を見ながら、迷いなく進んでいく。なんでも予め、この建物の外、そして中にも呪術的な通信端末のようなものをこっそりと蒔いていたらしい。それを使って、道を割りだすことができるのだという。


 その技術も常識外れだが、それよりも一般人の彼らが、どうしてここまで場馴れしているのか、烏輪は不思議でならない。生まれた時から異能力者として育ち、この家業を手伝っている烏輪、そして陽光さえ、こんな状況になった事などない。経験の長いはずの那由多さえ、初体験だったわけだ。

 もし、【流弾】がいなければ、これだけの異能力者が集まっていながらも、二進にっち三進さっちもいかなくなっていたことだろう。それを重々承知していたからこそ、烏輪は遠慮してあまり口を出さずにここまでついてきていた。


 しかし、先の話から上に向かうものとばかり思っていたのに、【流弾】たちは一階玄関ホールの四方に桃を配置し、その場に待機し始めている。


「なんでここ……なの?」


 せわしく動く黒服たちに向かい、ボールを上にほうり投げるような感じで、誰ともなく烏輪は質問を投げてみた。


「私たちは、外に用があるの。だからここで、外に出る前の準備をしておかないと。あとそろそろ出てくると思うしね」


 そのボールをキャッチしてくれたのは、現場監督のように周囲を見まわす副隊長の女性――のぞみ――だった。


「でてくる?」


「それはともかく、隊長と小娘さんは、この後に上へ向かってもらいます」


「ほむ。でも、外……かなり危険」


「ええ、承知の上よ。でも、この中よりはましかもしれないわね」


 そう言った彼女の口元は、かるく笑っていた。しかし、目尻はさがり不安の色を見せている。それは、外に行く自分たちへの不安なのか、それとも中に残る烏輪たちへの不安なのか、はたまた両方なのか……。


 その答えを烏輪がだす前に、彼女は銀縁眼鏡の位置を直し、仲間を見わたして命令を告げ始める。


「ベータチームは周囲警戒。アルファチーム、作戦通り弾丸装填。形代かたしろアプリ起動。レジュームにはいらないようにしてよ。この前の誰かさんみたいね」


 そこで笑いがもれて、メンバーの1人が視線を差されて笑われる。望は真面目ながら、緊張をある程度ほぐすことも忘れないようだ。


「それから形代付箋紙の確認も忘れずに。整備完了後、ベータチームと交代」


 メンバーが四人ずつのチームになっているようで、彼女の言葉に従い、片方が周囲を警戒し、片方がマガジンに丸い弾丸をじゃらじゃらと音を鳴らしながら詰めはじめる。


 同じように九天も装備を調え始めた。先端にスパイクが着いたハンドガンを両腰につけ、左胸に光明真言曼荼羅を描いたハンドガン、右胸に風船頭を切ったハンドガン。背中には弾が三発発射する長物。それを1つずつ確認しながら手入れしている。

 さらに、体のあちらこちらに装備している苦無のようなナイフを確認。


 そのあまりの物珍しさに、烏輪は立ったまま、じっとその様子を見つめて考えこみ始める。


 これから九天以外のメンバーが入ろうとしている、邪気がたまった森には、内臓をむきだしにした亡霊を始め、妖怪とよばれる類の化け物も徘徊しているはずだ。まさしく魑魅魍魎が跳梁跋扈しているエリアと化している。ランクの低い霊能力者なら、恐れおののき慌てて逃げだすほどだろう。


 いくら装備を調えたとしても、怖くないのだろうか?

 いや。望の様子を見れば、恐れを知らない無謀な愚か者には見えない。恐れを感じていることはわかる。

 しかし、話を聞くかぎり、彼らは巻きこまれたわけではない。自ら望んで、ここに戦いに来ている。

 道具がなければ、戦うどころか、見ることもできない普通の人間。それが何故なにゆえに、こんな恐ろしい世界に足を突っこんでいるのだろう。ゲームする場所を借りるだけのために、こんな命がけのことをする必要はないはずだ。


 もし、自分に力がなければ、絶対に足を踏み入れない世界である。むしろ、大好きな兄を守るという大事な使命がなければ、今からでも離れたいぐらいだ。

 ふと思うことがある。この世界にいなければ、自分はもっと自由でいられたのかもしれないと。休日に、こんな不気味な館で血みどろの命がけバトルをする必要もなく、好きな人や友達と、楽しく遊んでいたかもしれない。


 ……そう、親友を斬り殺すこともなく……。


 大好きだった早苗を想いだす。

 しかし、彼女を終わらせた悲しみは、もうわいてこない。ああ、たぶん自分の心は、あの時に壊れてしまったのだろう。


「どうした?」


 九天の声で、烏輪はまた過去に戻っていた思考から抜けした。

 そして自分が座っている九天の顔を上方からずーっと凝視していたことに気がつく。

 無論、彼を本当に見つめていたわけではない。しかし、端から見たら見つめているように見えたはずだ。


「ほむっ!? あ、そのぉ……」


 そう考えた途端、自分でも驚くほど狼狽してしまう。違うのだと思いながら、紅潮しそうになる顔を抑える。しかし、返す言葉を懸命に探しても見つからない。なにを言ってもいいわけじみてしまう。

 そう悩んでいると、九天が先に口を開いた、


「――ったく。言いたいことがあるなら、言えるうちに言っておいた方がいいぞ。連れてこられたことに対する文句があるなら……」


「それは、ないの。ボクが来るのが最善」


「なら、なんだ?」


「ほむ。……ならば、一つ聞きたいの」


 烏輪は、すっとその場で正座して居住まいを直す。人から教えを請う時は、こうするべきだという癖がでてしまう。

 そして彼女は、真摯なまなざしで自分の中に合った疑問を素直にぶつけてみることにした。


「どうしてあなたたちは、無理してまで、こっちの世界に関わるの?」

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