第2話 肉塊
「なぜ、人を殺すッ! なぜ王や姫を拷問したッ! 答えろ、勇者ッ!」
喉を枯らして叫ぶ。叫ばずにはいられない。この異常に、耐えきれない。
「あなたの年齢はいくつですか?」
――……あ?
質問が成立しない。
「あなたの年齢は、いくつですか?」
繰り返される問い。答えるべきか否か。
「……三十六だ」
「偶数、ですか」
男の目が、オウタを見る。敵意が無い、邪気も無い、ただ何も感じさせない虚無の黒目。
「ならば答えます。ですが答えるためには僕についての事を話さねばなりません」
左手が下りる。王の首が落下、床に鈍い音を立てて転がる。口内から転がる白くて細長い数本の何か。
「僕は、基本的に大抵の事は出来る人間でした。教えられた事はすぐに覚えられるし、勉強も特に苦もなくこなす、いわゆる優秀な方の部類な子供だったと思います」
男は、淡々と過去を口走る。だが彼の目に郷愁は見えない。以前変わらず、虚無しかない。
「だけど、ある時気づいたんです。僕は『これをやれ』と言われれば、それをする事ができますが、僕自身から『これをしたい』という欲求が湧かないのです」
左足が王の頭に乗った。
「昔僕を診察した医者が言うには、僕の脳には通常の人の脳と比べて器質的変化があるそうです。そのため自分からの欲求が制限されているのだと言われました。人に対する認識が極端に薄いのも、それが原因だそうです。――僕は人を背景の絵の様に感じるのですが、他の人はどのように思うのでしょうか?
誰かにやれと言われれば、どんなことでも出来るのに、僕自身がやりたいと思うことが何も無いのです」
感情も無く、話し続ける勇者。しかし左足には確実に力がこもっていく。
「僕は悩みました。これでは僕は僕の意志ではなく、誰かの意志で動く人形ではないですか?
僕の意志は、どこにあるのですか?
自らの意志を外部に示すために行動を取らねばならないのなら、行動を取れない僕は意志が無いということになる。
ならば、そう考えるこの僕の意志は一体なんなのか、行動の欲求が無くても、自己の意志を示すためにはどうすればいいのか、ずっと考えました。これが僕の持てた唯一にして最後の欲求です」
この男は、意志を持ってしまった虚無だ。何も無い、それでも意志を示そうとする、それ故に周り全てを吸い込む。
吸い込んでも、吸い込んでも、己という空洞を埋められない。空洞こそが、己自身なのだから。
「だから僕はこう考えました。『人の欲求を叶えることしかできないのなら、どう叶えるかで自分の意志を示す』と」
――……どう、叶えるか?
自らの欲求が無いなら、一体だれがこの地獄を勇者に求めたのか?
「人に頼られた時、それを叶えるか、あるいは逆を成すか、それを目の前の偶然性の二択に委ねる、そう決めました」
「――――ッなッッ!?」
耳を疑う。この勇者は何を選択した?
「僕の元いた世界で、僕を頼る人全てにその方法を用いました。
石を投げ、それが右に落ちたので求められるまま人を助け、左に落ちたら無惨に殺す。
不意に見た時間が偶数だったら求められるまま人を救い、奇数だったら奈落へ突き落とす。
その場で偶然の二択を決め、それに従い希望を叶えるか真逆を成す。
それをし続けて、気がつけば法廷で死刑判決を受けていました。最も、その日の裁判官のネクタイが赤色だったので判決には従わないことにしましたが」
最悪だ。もはや犯罪者がどうのではない、最悪の相手を召喚してしまった。
たしかにこの男に悪心は無い。だがそれ以外の全てもない。
悪意も害意も殺意も無く、ただ決められた事として人を殺す、もはや怪物ですらない。
「あなたに全てを話すのも、別に話したいからとか目的があるからとかではなくて、年齢が奇数なら話さず殺す、偶数なら話すと決めていただけのことなんです。ただ、それだけなんですよ」
粘着質な音を立て、王の首が踏み砕かれる。散らばる脳髄、眼球、骨片、髪、白い指。
――……指?
見覚えのある細い指が、口の中に詰め込まれていた。さっきも床にこぼれていたのを見た。
――姫の……指か……ッ!
「僕が最初にこの王様に言われた事は、『我ら王家に忠誠を近い、民の希望と明日を護るため戦う、それが勇者だ』という内容でした。
そして僕は『この世界の空に僅かでも雲が浮いていれば願いを聞く。雲一つ無く美しい晴天なら真逆を成す』そう決めました」
オウタは即座に理解した。なぜこの地獄を勇者が作ったのか。なぜ勇者が王族を拷問したのか。
今日の空は、余りにも透き通って、綺麗だった。
それ故に、この国は滅ぶ。
「そして空が美しかったから僕は僕のルールに従ったのです。
『民の希望と明日を護るため戦う』の逆として、国民である城の人間を勇者の力で全員殺しました。魔法による強化とは本当にすごいものですね、少々驚きましたよ。
『我ら王家に忠誠を』の逆として、王の前で姫を拷問しました。
姫の口には王の指を押し込み、向こう側で身につけた素人の医療知識で延命しながら切り刻み続けました。
王が舌を噛もうとしたので、姫の指を口に押し込み、まぶたを千切って姫が拷問されて死ぬ様子を最後まで見てもらいました。
残酷で酷いこととは思いますが、決めたことなので最後までやり遂げようと思います」
何も無い。何も無い。何も無い。狂気も悪意も善意も憐憫も慈悲も自己愛も本能も、人として必要な全てが欠けた空洞が、それでもなお意志を示すため吠えている。
そしてこの国は、この吠え狂う虚無に滅ぼされるだろう。
「――最後までやり遂げる、とは?」
「城の外の全ての国民を皆殺しにします。あなたを含めてです」
――やはり、か。
すでにもうこの地獄は、止められない。
不意に父母の顔が浮かぶ。オウタがここで死んだ後、やはり勇者に殺されるだろう。現実感の無い、しかし染み込むような絶望の中、家庭を築いていなかったのは僅かに幸いだと思った。
すでにオウタには騎士の誇りは無い。王を守れず、そして今国が滅ぶ間際でそんな物は消えていた。
だがせめて、世界に対しての禍根は断ちたいと思った。
こんな他世界などから来たものに、国どころか世界ごと滅ぼされるのだけは我慢ならない。
それがこの世界で生きてきた、騎士ではなく一人の人間としてのオウタ・イセジンの意地だ。
「勇者よ、この国を滅ぼすことがすでに定められた事ならば、滅ぼした後、貴様はどうするんだ?」
「その後は……決めてはいないな、特に願うものもいなかったし」
その先はまだまっさらなままだ。ならば、いけるはずだ。
「なら俺の願いを聞いてみないか?」
「願い? あなたの? 悪いがあなたの死は決まっています。助けることはできませんよ」
「……そんな願いじゃないさ」
自殺させる選択肢も浮かぶが、魔法により強化されている以上、正直勇者がまともに死ねる体なのかさえ怪しい。下手をすれば自殺しない可能性もあり、確実性に欠ける。
ならばこの男に全て押し付けてしまおう。何も無い空洞なら、この世界の歪みを、全て飲み込んでいけ、誰よりも純粋で呪われた勇者よ。
「本当の勇者になるのさ、あらゆる理不尽を正し、弱き者を救い、世界から悲劇を取り除く、国を救うんじゃなく、この世界で生きる人々を救う真の勇者に」
遠い昔、子供の頃に憧れていた騎士の物語。そんなものは夢物語だと、気がつけば諦めていた。
そして、なぜか今度はその夢を自分を殺そうとしている勇者に押し付けている。
自分でもわけがわからない。だがなぜかそうせずにはいられなかった。
「抽象的、過ぎるな。……だが出来るだろう、しかし偶然性からの二択で逆が出れば」
「なら案がある」
オウタが懐から取り出したのは、一枚の古い銀貨。
「コイントスで決めるのさ」
銀貨が宙を舞う。複雑に多重円回転しながら、シンプルな軌道で飛び、オウタの手へ落ちていく。
パンッと小気味よい音と共に、右手がコインを抑えた。
「お前が当てたら、逆でいい。外したらそのまま叶えろ」
この世界に来たばかりの勇者にとって、銀貨の表裏の正否などわかるわけがない。
「待ってください、どちらが裏でどちらが表なのか僕は……」
「表か、裏か」
だが、もし勇者が本質的に求めているものが『偶然性による選択』ではなく、『自らがやるべきことの具体的指針の材料』であるならば、公正な偶然性などただの飾りに過ぎない。
「僕は……」
「表か、裏かッ! 答えろよ、勇者ッ!」
目の前にある自分の役割に、
「――――表、だ」
喰らいつくだけだ、例えそれが死に至る毒であっても。
「……残念、裏だな。これでお前は国を滅ぼした後、本当の勇者をやってもらおうか?」
勇者は、すでに銀貨を確かめることさえしなかった。
「さあ、勇者。後の事が決まった以上、ちゃっちゃと話を進めよう。もっとも、俺もただで終わらせる気はないがね」
抜刀、勇者へ構える。後の憂いが消えても、やはり生きることを諦める気にはなれなかった。
「いくぞ、虚
うつろ
の勇者よ!」
叫び、踏み込む。加速と同時に流れるように、剣を振るう。
その一撃は、オウタの生涯の中で、最高の斬撃だった。
だが勇者が無造作に剣を振った瞬間、神速の両腕が爆
は
ぜる。剣が舞い、天井へ突き刺さった。赤の肉片、白の骨片が咲いた。
――あ、あ……
美しいと、思った。ただ純粋なまでの暴虐の力そのものが、余りにも美しかった。この力が国を滅ぼし、世界を救うだろう。
思考の刹那、放たれる勇者の刃がオウタの頭蓋を貫く。
オウタの意識は闇へ霧散し――――彼の意識を構成する脳組織が床にぶちまけられ、機能を終えた。
◇◇◇
国が一つ消えたという。
王制、が消えたではなく。
領土、を失ったのではなく。
国を構成する全ての人がたった一人に殺されたという。
だが消えた国の領土は周辺の国に即座に分割統治され、わずかなうちに混乱は収束していった。
どれほどの悲劇でも、世界は回り続ける。個人の悲しみや怒りなど、無視されるだけだ。
それ故に、世界の片隅に勇者が一人現れたことなどに気づくものはいなかった。
今は、まだ。
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