第22話 国境から来た女
闇が満たす空間は、ただ全てを呑み込んでいた。
混沌と死の静寂に佇むこの瞬間が、彼にとって生きる意味を確かめる永久の喜びとなる。
指先が震えた。もちろん怯えではなく歓喜の震えだ。
足元には物言わぬ肉が横たわる。中年の男と女の喉元は、気管はおろか骨が覗くほど深く切れ目が入っていた。肉より溢れる生命の赤が、夜の商店の床を滴る。
昼間、客人と店主との喧騒に溢れていた商店。だが今は生者は彼しかいない。
――それでいい。
分かち合う者は不要だ。
共に生きる者は不要だ。
ただ、死にゆく者だけが必要だ。
それが彼の定めたルールにして本能。
肉を切り裂く感覚は、例えようの無い愉悦。吹き出す血は、生命の美しさを教えてくれる。命が消えていく光景は、言葉に表せられないほど、儚い。
喉を枯らし必死に命乞いをする姿は、汚濁の極みだ。何もわからず即死した時の呆けた表情は、どんな道化より笑いを誘う。自らを犠牲に家族を助けるよう願う様は、胸を打つほど感動的だ。
その全てを、彼は心のそこから楽しんで殺してきた。
人を殺すことはつまり、崇高で、静謐で、下品で、醜悪で、この世の人が知る全ての事象が集約される最高の『娯楽』なのだ。
――おっと、
愉悦に浸り過ぎて『仕事』を忘れそうになる。好きなように趣味をやっていたいが、そうもいかぬが人生か。
死体へ手をかざす。より損壊を大きくするためにもうひと手間加えねばならない。
――あの人は『作品』を見てくれただろうか。
頭の片隅で、顔も名前も知らぬ『同好の士』のことが浮かぶ。
真似をしているのは申し訳ないが、あの人はあの人の道を突き進んでもらいたい。
「――期待してますよ、『
◇◇◇
アシュリー市外部、薄もや漂う早朝の長距離馬車発着場には、雑多な人間が絡まり合い生命の熱気を放っていた。
本来は行商人の発着場が始まりのアシュリー市、この街には国中の布製品業者が集う。
そして金が流通する場所には自然と有象無象の人が来る。安住の土地を持たぬ、都市でしか行き場の無い者たちが。
「ゼントリー警部、そろそろらしいんですけどねぇ……」
山高帽に青コートの青年が傍らの太髭が似合う中年へ心配そうに声をかけた。
長身だが、若い顔つきがどこか頼りなく思わせる茶髪の青年、刑事のダクト・マッガーダはせわしなく周囲を見渡す。
薄もやに馬車馬の巻き上げた埃が混じり若干視界が悪い。都市部は空気が悪いので尚更喉にくる。
続々と到着する馬車群。二頭立ての小型や八頭立ての大型、細工が細かい二階建て馬車に逞しい魔術強化馬がついた高級使用までその種類は幅広く、乗る人間は千差万別だ。
「わかっておる、少々遅れるらしいと連絡はあったからな。田舎者じゃないんだ、あまりキョロキョロとするな……まったく、このまま来なければいいものを、国境の森林地帯から木こりまがいの兵隊を呼んで何が出来るというか」
太髭の中年、茶コートの刑事――ゼントリー・ダナ警部が苦味ばしった表情で呟く。
「いやぁいくらなんでもほんとに木こりなわけは……女性だって聞いた時は驚きましたけど。やっぱり熊か猪みたいな大女ですかね?
――お、あの馬車みたいですよ」
ダクトの示す先、高級馬車が軋んだ音を立て停車した。
御者頭が馬車から馬を離し馬小屋へ引っ張っていく。
屋根付きの発着場に固定された高級馬車、その扉が御者の手でゆっくりと開かれる。
身構える二人、出ずるはいかなる人材か。とりあえず樽を擬人化した姿までは想像した。性別まで入れて考えるのは精神衛生上悪いから止めた。
「……え?」
ダクトが呆けた声を上げる。
まず目に入ったのは純白だった。高い身長に細い体躯を包む純白のドレス、胸の膨らみから腰までを滑らかなラインが描く。
シミ一つない白肌を晒す露出した両肩。両腕にはドレスと同じく純白の長手袋。反対に下半身はボリュームあるスカートに覆われていた。表面にはレースや黒のリボンで装飾が施されている。
右手に軽やかに握られるはふっくらとしたシルエットを持つ黒パラソル。
頭部には季節の造花が乗る夫人帽が鎮座、短いが輝くような金髪が覗く。
そして肝心の顔、二十代後半程。細い輪郭と強い意志を感じさせる瞳。自信に溢れる柔らかな表情。女の最も美しい期間を堂々と謳歌。
明らかに、美人だった。
様々な立場こそあれ、旅姿ばかりの発着場でまるでパーティー会場からやってきた貴婦人のような格好は、正直浮くどころではない。
「……ダクト、馬車間違えたか?」
「……いえ、車体番号はあってますし、乗っている人はあのご婦人だけみたいですけど、えーと、いやまさかまさか」
固まる二人へ、場違いな夫人が手を上げる。
「――おぉい、アシュリー市中央区警察の者か!? 私は特別捜査官に任命されたウェイルー・ガルズという者だが……」
婦人の声に、二人は声も出せず、さらに固まった。
三日前、ウェイルー・ガルズは『
「ウェイルー、やれるか?」
「問題ありません、団長」
ロベックの問いかけに、ウェイルーは迷い無く応える。
ミキシングとの邂逅後、ロベックはその全ての資料を軍最上層部へ提出。ミキシングの超危険性を指摘。早急に対ミキシング用部隊編成と捜索班の展開を申請した。
結論から言えば、申請は却下された。
軍上層部ではミキシングの存在は「近隣国の特殊兵または魔導兵器ではないか?」という説が主流を占めたからだ。
同盟を組む二カ国。表面上は同盟国だが、水面下では諜報戦が繰り広げられている。ノル国消滅によりさらにそれは加速している。
恐らくは現在全ての国は「ノル国消滅は他国の手によるものではないか?」という疑心暗鬼の中にある。
単純に考えれば、ノル国消滅が暴走した個人ではなく、外部の国によるものと仮定すれば――正確にいえばより理解しやすい方ということなのだが――そちらのほうがより最悪を想定した慎重論、に見えたからだ。
この場合最も留意すべき点は、国内にノル国消滅犯人が侵入したと他国に知れることだ。
もし知れたなら、混乱に乗じた侵攻、長引いた場合にはノル国消滅犯人討伐の大義名分による武力介入が発生する可能性がある。ミキシングがもし近隣国の差し金ならば、絶対にその時にタイミングを合わせ動くだろう。
さらにはノル国難民奴隷の中にノル国消滅犯人が紛れている可能性はまだ消えていない。犯人が一人だと確実に断定出来る証拠はまだ何一つないからだ。
魔王国とは現在大急ぎで結んだ休戦条約により停戦中。突然のノル国消滅には魔王国もやはり警戒しているらしく、目立った動きがない。この時点でノル国消滅の原因が魔王国であるという可能性は薄くなった。
つまるところ、想定出来る限りの最悪を考えた場合、外側を中心に戦力を組み、国内部での脅威は出来るだけ秘密裏に始末したいという意向だという。
戦力を裂きすぎだ、全ヶ所ではなく先に潰せる場所から全力で潰して、裂く場所を最小限にしなげれば――ロベックから見れば現在の策は明らかな『愚策』である。
もちろん上層部もわかっているだろう。だがミキシングが得体の知れなさ過ぎる対象である以上、全方位的に対処するしかない。
「――ならば、自分に進言したい案があります」
ロベックの提唱した案、それがミキシングとの戦闘経験のある人員を中心に、ある程度の越権が出来る権限を持つ追跡官を任命。ミキシング捕縛、または撃破を目指すというものだ。
その白羽の矢が立ったのが、左義手の調整を終えたばかりの未亡人。ウェイルー・ガルズだったというわけだ。
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