第23話 情報捜査

「……で、だ。こちらの別嬪さんがウェイルー・ガルズ特別捜査官というわけで?」


 困惑の表情を必死に隠す髭の中年警部、ゼントリーの問いかけに白ドレスの貴婦人は微笑で応えた。


「いかにも、これから世話になると思うが、協力よろしく願う」


 いかにも軍人、――というより武人らしい堂々とした佇まいは、細い彼女の体に気品と静粛を与えていた。見た目でぶち壊しだが。


「あのー、その服装はなぜ……?」


「私服だ」


 若さゆえか、ゼントリーのように困惑を隠せないダクト。彼の呟いた質問に、スッパリと彼女は答えた。実に簡潔かつ無駄が無い。


 アシュリー市中央区警察署、殺人捜査課。タバコの煙と眠気覚ましに効果のあるギヤマ茶の匂いが溢れる空気、並ぶ机上へ雑多に積まれた資料類、鋭い視線に犯罪者を狩る直感を押し隠した刑事達。

 燻された緊張感、そのただ中にいる純白の貴婦人は、なかなかにシュールな光景だった。百歩譲っても取り調べ相手といった所だろうか。


「中央都より事前報告を受けていると思うが、今回のアシュリー市内連続殺人事件、計七件――いや、今朝に二件追加で計九件か。

ノル国での虐殺事件に関与した可能性のある最重要危険人物、|作戦記号名(コードネーム)『M』の関与が疑われている。

私は特別捜査官として、『M』の捜索、もしくは抹殺行動を取るためにアシュリー市に赴任された。特別捜査官としての権限は捜査指揮権限の一部譲渡、情報の無制限取得、などだが、――まあいきなりやってきてデカい顔をされるのもそちらにはしゃくに触るだろう」


 現在、ノル国滅亡の事実は一般にはまだ公開されていない。アシュリー市の刑事達程度では不知の事実だ。

 「ノル国内で大規模な虐殺事件があった」世間での認知はまだそのぐらい、経済において混乱があるため、長く伏せることはできないだろう。


「署長への顔見せはすぐに参るとして、とりあえず先に手配をお願いしたい物があるのだが、よろしいだろうか、ゼントリー警部?」


「あ、ああ、何かね? 捜査資料類ならまとめたものが……」


 左手を伸ばす、五指を広げ、ゼントリーに見せた。


「五人、良さそうなやつを見繕って臨時の部下にしたい。あとは別行動で捜査をするから、情報交換がちょくちょくできれば……」


 要求にゼントリーの頬が引きつる。しかしウェイルーは意に介さず言葉を続けた。



 ◇◇◇


 チャリン


 チャリン


「……なあ、ソウジ?」


 チャリン


「なんですか、エクセルさん?」


 真昼の希望街、雑踏の中。泥道に砂利を踏む二人の足音と、金属片が弾む音が響く。


 チャリン


「お前はひょっとして実家が凄い富豪か何かなのか?」


 またも夜中に入った連続殺人、その記事の差し替えのため、寝不足でクマが出来た眼をソウジへ向けた。


「いいえ、少なくとも僕自身にはおよそ資産と呼べるものはありませんね」


 ひょいと、ソウジの左手から硬貨が投げられる。道の端でボロをまとい寝転ぶ、鬱蒼とした白髪と白髭の老人の傍ら、小さな空き缶へチャリンと――小気味よい音を立て、収まった。


「さっきからお前は道端に物乞いがいる度に小銭を入れているが、なぜそんなことをしている?」


「ほら、弱者を助けているんですよ、そういう約束をしているもので」


 先ほどから希望街を歩く度に、ソウジは小銭を投げていた。いったいどこで両替してきたのか、ポケットに大量の小銭を忍ばせ、片っ端から物乞いに投げている。一切表情に変化無く小銭を撒く様は、何か種を撒いているようにも見えた。


「お前の約束だか教育だかは知らないけど、この街全部の物乞いに小銭ばらまいてたら、そこそこの小金持ちぐらいの資産なら無くなるよ?」


「そこはまぁ、出来うる範囲ということで」


「……弱者を助けるとかそりゃもっともだとは思うけどさ、ああいった相手に小銭渡しても大して意味ないよ?」


 エクセルの示す視線の先、落書きとひび割れが踊る灰色の壁。

 脱力し、半ば死体と見間違うほどに投げ出された体。痩せたこけた頬と骨が浮いた腕。虚ろのみを映す両眼。死をまとう生者。口元には、茶色の紙巻き煙草から煙が上がる。

 中年と思われる男。思われるとは、その皮膚は明らかに年相応より老化しているからだ。

 ソウジにも一目でわかった、その男は薬物による中毒症状を起こしている。治療用ではない、恐らくは享楽のための常習性の強い薬物だ。


「ああなっちゃったら、小銭でもかき集めて薬――|霧(ミスト)を買っちゃうんだ……お金を渡してもそれが薬に変わるだけだ」


「……この街ではああいった薬物は合法なのですか?」


 エクセルがかぶりを振って答える。


「不法に決まってるじゃない! ……でも希望街みたいな所じゃなかなか規制できないんだよ。貧しい現実から逃げるためにミストを買う人はいなくならないし、外区の警察はほとんど見てみぬふりで、中央区警察は市民街に影響がなければ面倒くさがってタッチしないし……

ほんとは、このままじゃいけないってみんなわかってるのに」


 無関心と無知、そして貧困、それらが都市の闇を広げていく。蝕みゆく腐毒を、誰も止める術を持たない。

 人の暮らす場所は、無機物などではない。都市は生きているのだ、「腐敗」という現象はそこに「生命」という事象があるために起こるのだから。


「……たしかに、今僕が小銭を投げた所で、あの人を救うことにはならないかもしれません」


 淀みなく、指がポケットに潜る。中身を指が掴み、取り出す。


「それでも人はいつか死にます。例え一時の享楽にこの硬貨が使われようと、それが僅かな救いになるのなら、僕はためらいません。

……少なくとも今は、それ以外に中毒者を救う術が無いのですから」


 投げられた硬貨が、男の胸の上に落ちた。




 ◇◇◇



「で、エクセルさん、……あの人達にどういったご用件があるのですか?」


「……ちょっと静かにしててくれ、ソウジ」


 希望街、メインストリートの裏側。雑踏の奥、無計画に増築され、自然と入り組んだ構造となる路地裏。

 日中でさえ日の光があまり届かぬこの場所は、自然と雑多な犯罪の場の温床となる。

 エクセルとソウジは、壁際に身を隠しながら向こう側にいる二人組を観察していた。


 禿頭と顎にキズのある短髪の二人、揃いのコートに身を包む。どちらも体格が良く、筋骨逞しい。しかし両目は暗く濁り、そして鋭い。


「殺された被害者の内、数人の持ち物から|霧(ミスト)の所持が認められたの。

で、中央区で薬を手に入れるのはまず出来ないし、入手するなら外区の密売、希望街を訪れる必要がある」


「中央区では薬の密売は無いんですか?」


「中央区の警察を舐めちゃだめよ。賄賂は通じないし、怪しい奴は即取り調べされるわ。でも外区から中央区へ行く際の検問は、中央区市民なら比較的軽いから薬を持ち込めるみたいね。外区と中央区で真っ当な商売してる人間もそれなりにいるし」

 

 エクセルの取り出した手帳。使い古した革の表紙、折り曲げの多いページ。

 開かれた場所に、人名が並ぶ。その内の数カ所に赤線――恐らくは薬を所持していた証。


「警察の発表された中でもこれだけいるわ。所持が見つかってないだけで、使用 してた人間ならもっといるかもしれない……

だからあたしも一つ仮説を立てたのよ、『殺人鬼の殺人対象の条件は二種類ある』んじゃないかって」


「二種類……つまり殺人鬼は無差別に殺している訳ではないと?」


「被害者によってお金が僅かに取られてるらしいんだけど、全額取っていく訳でも無いし、金額に対して犯行が凶悪過ぎるのよ。強盗というよりは殺人のついでに盗った感じね。

恐らく犠牲者の第一条件は『商人であること』、そして第二は」


「『外区で薬を買ったこと』、ですか?」


 明らかに仮説の領域を出ない。だが犠牲者を先読みできれば状況は大きく変わる。


「そう、そう考えれば、殺人鬼が外区にいる可能性が強まる。ひょっとしたら今でもあたし達を見てるかもしれない。

どのみち、アイツらから買った人間の情報が……」


 壁越しに見る視線の先、剣呑な空気をまとう二人組――薬の密売人達に注がれる。


「取れれば、いいんだけどなぁ……」


 まず明らかに戦闘的な二人に話しかける度胸が湧かない。よしんば上手く取り付けても、非合法な仕事話、とりわけ上客の話など誰がするか。

 なにより、エクセルには何かあった際に対抗出来る手段が無い。エクセルは護身用にナイフを持っている程度だし、線の細いソウジはどうみても喧嘩が強そうな風体には見えない。


「……なあ、君、喧嘩とか得意?」


 ひょっとしたらどこぞの娯楽小説のように、弱そうな主人公が実は……という展開をうっすら期待するエクセルに、ソウジはやはり無表情に答えた。


「喧嘩ですか、僕はしたことはありませんよ」


「だよなぁ……」


 予想通りの答え、しかし落胆を隠せない。そもそもいかに喧嘩自慢といった格好ならば、最初から声などかけなかった。


「まぁとりあえず話を聞いてみませんか、エクセルさん」


「え……?」


 言葉と共に、ソウジが進む。方角は二人、薬の密売人の元へ。


「何事も話してみなければわかりませんし、ひょっとしたら危なくなるかもしれませんから、その時はかまわず逃げてください」


「おい、ちょ……」


 軽やかな足取りで近づいてゆく。エクセルの制止は間に合わない。

 険しい目線を向ける禿頭の男へ、ソウジは丁寧に言葉をかけた。


「すいません、あなた達の犯罪活動について詳しい話を聞かせてもらいたいのですが」


 ――いくらなんでもストレート過ぎるだろお前ぇ!


 胸中で叫ぶエクセル。ソウジの言葉に、僅かに微笑む禿頭の男。笑顔が意外と子供っぽく見える。

 次の瞬間、振りかぶった男の巌のような右拳が、ソウジの顔面に突き刺さった。



 『喧嘩』を感情を孕んだ暴力の衝突とするならば、カゲイ・ソウジの人生に置いて、『喧嘩』は存在しない。

 彼にはぶつけ合う感情が無く、暴力を振るう局面に置いて、一方的に殺すか、殺し合うかしか彼はしたことがないからだ。

 エクセルはまだ、ソウジの真実を知らない。

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