第21話 三流記者、当たりを引く

 あいつの場合に限って常に最悪のケースを想定しろ。奴は必ずその少し斜め上をいく。


 冨樫義博作「レベルE」より


 △ △ △


「……何をいってるんだよ、お前は?」


 成立しない会話に眉根を寄せるエクセル。青年の黒目に彼女の顔が写る。


「違うのですか?」


「……とりあえず最後まで話聞け。――あ、店主、パンとスープな」


 注文を聞きに来た店主へ小銭を投げ、ソウジの隣に腰を下ろす。


「あたしはエクセル・ドーハ。見ての通りの新聞記者だ」


 ぐいと左腕の章紋を前に寄せ、ソウジへ見せつける。その表情には心なしか見せびらかすような優越が見えた。


「……はぁ、ここにも新聞があったのですか」


「おい、N&R社だぞ? アシュリー市の街報新聞を知らないの? 国内初の伝統ある新聞社を?」


「ええ、どうも世事には疎いものでして。新聞というものは知っているんですが」


 無表情に応える。どうも邪気は無いようなので、本当に知らないらしい。


「……まあいい、仕事というのはな、記事の情報を集めたいから協力しろということなんだ」


 運ばれてきたパンとスープを受け取り、テーブルに置く。慣れた手つきでパンを千切り、スープに浸しながら口へ運んだ。


「熱ッ! あー……ここ二週間の内に起きた、計七件の中央商人街連続殺人事件、この事件の情報が欲しい」



 生来の猫舌なため、思わず出た声に気恥ずかしさを感じつつ、本題を切り出す。


「商人街連続殺人……計七件・・・? 事件は知っていました、ですがもっと少ない件数だと思っていましたが」


 ふん、と鼻を鳴らし彼女は青年を見る。


「君は新聞を読まないのか? 情報が古いぞ、事件は昨日までで六件、そして早朝に七件になった。

 商人街、ゴドー・ペルニド及びその妻と娘が犠牲者だ……まったく、記事の差し替えは地獄だったよ」


 深夜の内に入った一報に、新聞社が大騒動になったのを思い出す。


「はあ、それで、それを記事にしたいわけで?」


「そういうこと。治安が行き届いている中央区よりは、希望街ここのほうが犯人が隠れている可能性が高い。そこを探りたいわけよ」


 中央区と外区では治安レベルが大きく違う。中央区の警察には賄賂が効かないが、外区専門の警察には賄賂が効くなど、ルール自体が異なる。


「もちろん報酬は払う、だけどそれは持ってきた情報によりけりね。それから、軽く試験する」


 懐から取り出した手帳、そこへサラサラとペンを走らせる。


「これ、なんて読む?」


「『名前を名乗れ』……僕はカゲイ・ソウジといいます」


「よし、字は読めるみたいね。新聞知らないなら読めないんじゃないかと思ったけど」


 満足そうに微笑む。


「それじゃ、何か情報を得られたらこの新聞社へ来なさいな。正しい情報なら駄賃は弾む……」


 新聞社の住所が書かれたメモ紙を渡そうと手を伸ばす。だが青年はエクセルを見つめたまま動かない。


「……それが、あなたの願いなのですか?」


「……はっ?」


 またも繰り返される問い。エクセルの微笑が止まる。青年、ソウジの真意を汲み取れない。


「え、えぇ、願いというか、まあそういう仕事の誘いということなんだけど……」


「ならば、その願いを二択に賭けさせて貰います」


 ――は? なにいってるんだ、こいつ。


 これは人選に失敗したかと、心配になってきたエクセルへソウジは懐から取り出したある物を突きつける。それは、小さな円形の金属板。


「……五十セクト銅貨?」


「五十の面を表、髭のオジサンの方を裏として……」


「その肖像は小剣帝アウゴリアだ! そんなこと知らないの?」


「どうも世事には疎いもので。仕事を手伝うかはこの硬貨を投げて裏表を当てることで決めましょう」


「なにそれ……? あたしが外したら仕事を受けないと?」


「いえ、その場合あなたの仕事の邪魔をします。徹底的にです」


 どうも本気で言っているのかさえわからない。そもそも邪魔など、この貧民街でヒマを持て余してそうなこの男に何ができるというのか。


「……何? 君、そういう変な宗教か何かか? まだ異端狩りっているらしいから不用意な発言は止めたほうがいいよ?」


「神の存在は漠然と信じていますが、特定の宗教に入った事はありません。

つまりはエクセルさん、あなたがこの二択に全てを賭けてくれるか否かということです」


「ああ、もう!」


 どうにもめんどくさくなってきた。

 若輩の自分より若く扱い易そう、見た目も小綺麗、食事マナー等も備え、言葉使いも丁寧で、字も知っている。彼女なりの条件を満たしながら、いざ話してみれば、要領を得ないとは。


――あたしは運が悪い……


 もっとも、その条件はエクセルの好みを反映しているだけで、先輩記者達の手駒選びの条件とはかなり違っているのだが。


「あー、もう知らない! コインを投げたきゃ勝手にやれ!」


「そうですか、では」


 左の親指、乗せた硬貨が跳ねる。金属の鳴る音が細く響く。

 不規則な、神でしか予測出来ない軌道で硬貨が虚空を舞う。

 やがて、見えざる重力の指に絡め取られ、落ちる。真下には、青年の腕。

 パンッと小気味良く音を立て、ソウジの右手が運命を抑えた。


「さあ、エクセルさん、あなたの運命さだめを応えて下さい」




 ◇◇◇


「あぁー! もう疲れた!」


 ドアを閉め、声を上げながら、コートを投げるように引っ掛ける。

 壁についた魔導灯の灯り、ベージュの内壁に手をつきながら、エクセルは我が家で安堵のため息を吐いた。


「プルーフ! いるんでしょ、出迎えくらいしてよ!」

 声と同時に、部屋の奥から人影がのろりのろりと近づいてくる。


「お帰りなさいませ。……お嬢様ぁ、淑女がそのように声を荒げてはいけませんよ?」


 年齢は二十七、八ほど、エクセルより長い身長、ウェーヴのかかった赤毛の長髪、シャープな輪郭に乗る厚手のメガネ。

 そして、伸びた肢体を隠す厚生地の黒メイド服。


「……プルーフ、また暖炉の前で菓子食って寝てたの? 実家の屋敷だったら、メイド長に百叩きだよ」


「あらいやですわ、お嬢様。ここは実家のお屋敷ではなくて、お嬢様の城でございますよ?」


 にこやかに笑う赤毛のメイド、プルーフの右手に隠したクッキーに気づきながら、呆れ気味にエクセルは部屋へ入った。


 ここは中央区、市民街のアパートメントの一階の一室。エクセルが借りている部屋だ。女二人で住むにはやや広い、といった程度の間取りだろうか。




 結局の所、コイン投げは、半ば投げやり気味に表を宣言したエクセルの勝ちに終わった。

 その後、やたらあっさりと情報集めを了承したソウジに別れを告げ、新聞社に戻ってみれば、待っていたのは紙面埋め用にストックされる三面記事の文章書きの仕事の山。

 ようやっと定時に終わらせて、足を引きずり家に帰ったというわけだ。


「それでまぁだ、三流記事書きの三流記者のままなんですか、お嬢様?」



「……うるさぁい」


 椅子に腰掛けながら暖炉に当たり、弛緩した表情でエクセルは返事を返す。プルーフの入れてくれたお茶を啜りながら、じんわりと全身に伝わる熱が寒気と疲労と追い出していく。今朝方ソウジに向けた顔とは完全に別人だ。


「大体、光学写真機キャメラ・マシン鍵盤文章機タイプ・ライターまで旦那様に買ってもらいながら、この体たらくですか、そろそろお遊びは止めて見合いの話を受けてみるべきではないんですか?」


「……あ、遊びじゃないよ! それに料金は建て替えてもらったから月々分割でお父様に払ってるし……」


 実質払った期間は最初の五ヶ月のみだったが。


 エクセルの実家は田舎の貴族だ。

所有する土地は大きく、地元民からの信頼も厚い、絵に書いたような大地主というやつである。

 エクセルのその末娘、父親からは特に可愛がられている存在だ。「記者になりたい」というわがままも、通してくれた。

 だが正直、エクセルも父親の考えている事と願っている事はわかっている。小娘のわがままを気が済むまで叶えてやれば、嫁にいく時に駄々をこねはしないだろうと思っていることなど。


 ――そりゃあ、あたしはただの小娘だけどさ、


 社会というものを見れば、己という器はイヤでもわかる。それでも、焦がれてしまった夢を諦められるほど、彼女はまだ疲れてはいない。


「お嬢様も諦めて無事お屋敷に戻ってくれれば、その時は私を年食った金持ちの愛人枠に紹介してくれるって旦那様と約束してるんですから、私の楽な未来のためにお屋敷に戻って下さいよう、お嬢様ぁ」


「あたしの夢をお前の未来の礎にしないでよ! ……プルーフ、金持ちの愛人じゃなくて、なんか、こう、打算抜きで自分を愛してくれる人と幸せな結婚したいなとか思わないの?」


 主人の言葉に、プルーフがやれやれと両手を上げた。その左手甲には、ドーハ家の紋章の刺青。即ち「持ち物」である証。


「まだまだお嬢様はお子様ですねぇ。私は奴隷なんですから夢を見てられないんですよ。

基本的に結婚は奴隷同士のみと決まってますしぃ、でも奴隷にはまず財産なんてありませんからねぇ。そこそこ死にそうな金持ちの後妻モドキに収まるのが一番安泰なんですよぉ。

愛でお腹は膨らまないんです。むしろしぼみます」


 プルーフは実家からエクセルの世話を焼くために付かされた使用人であり、クルニスの奴隷だ。

 ノル国に比べれば、遥かに扱いが良く、貴族の側付きならば文字や基礎マナーなどを習得できるとはいえ、やはり基本は奴隷。自由を阻害する奴隷としてのルールに縛られている。


「……ねぇ、プルーフ、あたしの新聞社さ、色々世間の話とか入ってくるんだ。

昔と違って、今は魔石を使った機械産業が増えてきてるでしょ? だんだん奴隷を使った農産業をそっちにシフトさせていかなきゃいけないって論説も増えてきてるんだ」


「はぁ、さいですか……」


 興味なさげに返事するプルーフの横顔は、薄明かりに照らされ、どこか艶やかさが増してみえた。エクセルとプルーフとの付き合いはもう十年程になる。ぶつぶつと愚痴りながら、プルーフはずっとエクセルの側にいてくれた。気がつけば、プルーフは姉のような、親友のような、掛け替えの無い家族になっていた。


「機械操作とかは複雑だし、文字を読めなきゃ工場で働くには不都合でしょ?

だったら奴隷達にそれなりの教育をこれからしていかなきゃいけない。

それならもう奴隷のままじゃなくて、いっそ普通の一般市民として奴隷階級を無くしてしまってもいいんじゃないかって意見もあるんだ。

これからその内、プルーフだって奴隷である事に縛られなくっていい世の中になるかもしれない。そのためにあたしは……」


 世の中を変えられるような記事を書きたい――エクセルがそう言葉を繋げるより早く、プルーフが口を開いた。


「お嬢様、奴隷は奴隷なりに、決まった生き方を悪くないと思う者もいるのですよ。

クルニスが奴隷とされてから二百余年、気がつけば奴隷以外の生き方なんて知らない奴ばかりです。

それをいきなり『明日からお前らは自由だぞ』と手を叩いて宣言したって、まともに喜べるやつはこの国には少ないでしょう」


 この国は、奴隷には比較的優しい。優しいが故に奴隷達は奴隷であることを甘受する。奴隷ではなかった経験が無いから、奴隷のままのほうが自分の居場所があると思ってしまう。


 暖炉の火が、プルーフのメガネに反射、その奥の瞳を覆い隠す。エクセルには、彼女の眼に写る心を読めない。


「ま、世の中が変わるならそれに付き合っていくしかないんでしょうけどねぇ。

奴隷でも市民でも弱い立場は強かにやっていくしかないんですよ。

お嬢様、夕飯の準備は整ってますけれどいかがいたしますか?」



「え、? あ、うん食べる……」


 急に切り替わる雰囲気に戸惑いながら、いつものプルーフに戻ってくれたのにほっとする。


「さあ、お嬢様召し上がれ!」


 テーブルにのっけられた銀盆、その上にはいつものメニュー。

 茹で卵、パン、リンゴ、茹で卵、茹で卵、以上。


「今日はいつもより茹で卵増やしてみましたよ!」


「……なあ、そろそろメニュー変えてくれない? いつまでこのままなの?」


「私が料理は茹で卵以外出来ないって、お嬢様昔からよく知っているでしょうが」


「……前々から思ってたけど、プルーフってほんとにメイドなの?」




 ◇◇◇



 冬の空に、星々が泳いでいた。

 瞬く煌めきは、あるものは弱く、あるもの強く、透き通る空気がよりその美しさを彩っている。

 灯りの薄いこの世界では、都市部から見上げる星空もはっきりと見える。

 ただその星の配置には、ソウジの知るいかなる星座の形も当てはまらない。

 ここは地球ではないからだ。恐らく同じ宇宙でさえないのだろう。

 同じなのは、心許ない星の灯りだけだ。

 かつて、旅人は星を頼りに旅を続けた。星に導かれ旅人は歩んできた。

 しかし、この星の光がソウジを導くことはない。



――あの星はこの世界でいう一等星というやつだろうか。


 無意識に、天井の窓から見える星空へ手を伸ばしていた。触ること叶わぬと、そんなことは知っているのに。

 いや、勇者の力ならば、届くのだろうか。その血にまみれた腕ならば。


 ――『商人街連続殺人は全七件』と言っていた……


 エクセルの言っていた言葉を思い出す。

 ソウジの足元には肉塊が転がる。もはや性別はおろか、元が何人だったかさえわからない。

 部屋一面には犠牲者の血が撒き散らされ、ソウジの体さえ染め上げている。

 月明かりが、紅がまとわりつく剣の刀身を鈍く照らした。


 ――僕がこの街で起こした殺人は全四件のはず。つまり三件、正確には昨日の分の三、五件の殺人を犯した別の誰かがこの都市にいるということ。……そして三件の被害者は、僕の殺人の条件には合っていない。


 同じ事件に統合されたということは、統合される条件が合ったということ。

 つまり、同じ殺害方法を取った可能性が高い。

 それはコピーキャット、模倣犯が蠢いているという事実を意味する。

 ソウジの視線が空から下がる。闇に染まる室内へ。


 ――僕が追わねばならない相手は、僕の真似をする誰か、ということか。


 そして、虚無は闇に溶ける。

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