第20話 雑踏にて

 日が昇った街は、夜の内にまたも増殖した混沌を抱えたまま、その姿を幾分かさらけ出している。


 街中央と違い舗装されていない路地の泥道。その泥水が滴る地面に後をつけながら、屋台を引いた雑穀粥屋の親父が声を張り上げる。前を通りがかったぼろ服の小僧が、つんのめって怒鳴りつけられていた。

 早朝では喪に伏すように閉じられている、一杯飲み屋のボロ屋街。その前ではやはりくたびれた格好の浮浪者らしき老人が、酒焼けした赤ら顔で高いびきを歌っている。

 そして建物の壁裏には、朝日を避けるように立つ数人程の女。胸元が開けたデザイン、煤けた色合いの婦人服、そして不景気が擬人化したような顔つき――つまり、昨日の内に客を捕まえ損ねた夜の蝶、夜鷹、街婦、いわゆる春を売ることを商売とする女性達。


 アシュリー市、貴族や市民、商人のいる中央構成区より外にある俗に言われる貧民街、皮肉でも込められたのか通称『希望街』と言われる場所のメインストリート。

 埃混じりの空気漂う雑踏の中、身を屈ませた人影がいた。

 身長はさほど高くはない。つばの狭いハンチング帽、カーキ色がはえる体格に対して大きい男物のコート。服装は背広、そして左腕に腕章――幻覚避けと嘘を見抜く効果があると民間伝承で伝えられる針葉樹、オプドの葉の章紋。

 『ノイギムン&リドグニー社会広報情報発信社』、N&R社の社紋。


――黒目、黒髪、……恐らくは東方の出身か。


 帽子に隠された髪の色は金髪、後ろ首に金髪が伸びている様子から、長い髪をひとまとめにして服の後ろに隠しているようだ。


 ――顔は悪くないな、童顔というか、年下っぽいというか。服装もまあ特に汚くはないし、食事のマナーも極端に悪くはない。……しかしこの季節にシャツとズボンだけなのはちょっと寒くない?


 雪のような白き肌に、長く伸びる鼻梁、整った輪郭。常に好奇心に輝く大きな瞳は、二十二才という年齢以上に彼女・・に若い印象を持たせる。


 ――ぐずぐずしてもしょうがない、アイツに決めるか。とにかくまずは、


 意を決し、歩み出す。

 目指すは雑踏の向こう、朝食をメインに出す屋台街。その簡易テーブルと椅子に腰掛ける青年。

 細身の長身、穏やかな雰囲気の彼――カゲイ・ソウジのもとへ、

 男装の記者、エクセル・ドーハは足を進ませる。



 エクセル・ドーハは新米記者だ。

 というより未だ新米記者だ、といった方が正しい。

 念願のN&R社の社会広報誌、新聞記者として任についたのが一年半前。、憧れの先輩新聞記者ロエルゴ・ブーンの元で見習いをした期間、半年。

 意気揚々と独り立ちして記者をやってみれば、彼女はまったく記事を書けなかった。

 記事自体を書くことには問題は無い。むしろ他の記者仲間から代筆を請け負っていたぐらいだ。

 問題はより根本、即ち、事件記事の情報収集能力が彼女にはほとんど無かった。

 やる気はあった。だが記者の情報収集は聞き込みが主だ、駆け引きや鼻薬、根回しや顔の広さが物をいう。それには記者自体にいわゆる「舐められない器」というやつが必要になる。

 女、田舎貴族出身のお嬢様、親の口添えで入社した若造のエクセルには、あまりに不利だった。


「まずは情報を集める手駒を造れ」


 腕のある記者は皆、浮浪者や行商人など有力な裏情報の探り役を持っている。

 尊敬するロエルゴからの、見習い時代に受けた金言を思い出し、手駒を作るべく街の雑踏に目を凝らしていたというわけだ。

――実際にはそれ以前にストリートチルドレンに情報収集を頼んでみたところ、見事に駄賃だけ取られてしらばっくれられたのだが。


「――なぁ、お前、仕事をやってみないか?」


 ふすまや胚芽など混ぜ物の多いパンをかじり、ポトフというわりには肉のかけらさえ見当たらないスープをすする青年へ、静かに話かける。

 まずは足元を見られてはいけない。そのためにも自らの年相応な点を見られないようにしなくては。

 言葉に対し、青年は無言だ。黙って乾いたパンを咀嚼する。一口分づつ千切る、マナー通りの食べ方。


「……あ、えーと、あの」


 いきなりけつまづく。だがここで引いてはまず足元を見られるだろう。


「――仕事だぞ、金が欲しくないのか? おい、別にイヤなら……」


 ゴクリと、飲み込む音が聞こえた。

 黒の双眼が、彼女を捉える。


「――それが、あなたの願いですか?」


 彼女は初めて、虚無の声を聞いた。

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