第97話 セルバンテス


「えいゆーだ! セルバンテス!」


「セルバンテス!」


 奴隷の子供達が口々に憧れを叫ぶ。目の前にいる大男に熱狂していた。


「お前ら、前にバリケードからこっちに来るなと言っただろう、危ないんだぞ?」


 子供達を諭しながら、どこか愉快そうに笑うタキシードの大男、セルバンテス。


「ま、前に!? 会ってたんですかこいつらと?」


 驚く部下の兵士に鼻の頭を掻きながらセルバンテスが答える。


「ちょいと仮宿舎を出た時にな。まったくこれだから子供は困るんだ。なあ悪ガキ!」


 セルバンテスは軽く金網を揺すり乗り越えようした子供を落とす。


「入るなよ。こっちも手荒くはしたくないんだ」


 フェンスを超えた奴隷には大人や子供問わずに殺傷命令が下されている。


「だってこっちなにもないもん!」


「お父さんもお母さんもなにしていいか分からないって!」


「だからってこっちに来るなよ。良い子にしてるんだ。……そうだなぁ」


 子供達の退屈はセルバンテスもわかる。


「おい! そこの輸送班!」


 セルバンテスが後ろを向いて歩き出す。その先には荷馬車から補給物資を下ろす兵士たちがいた。


「それ全部食料だろ?」


「え、あ、はい」


「荷降ろしも重いだろう、どれ手伝ってやろうか?」


「い。いえ五英雄にこんなことをさせるなんて」


「いいからいいから」


 部下の言葉を無視して、大型馬車の後ろに。

 目の前には一辺が3mほどの木製の大型コンテナ。中には恐らく長期間持つように加工された軍用食料が入っている。


「それ」


 軽い言葉と共に簡単にコンテナを持ち上げる。ミシミシと音を立てる満載のコンテナ。本来ならば肉体強化された兵士でも器具を使い数人がかりで下ろす代物である。

 英雄の力技に歓声を上げる奴隷の子供達。反比例して周囲の兵士たちは心配そうな顔をする。


「ほれ」


 お手玉のようにコンテナを空中に投げてキャッチ。衝撃にセルバンテスの足元が少しめり込む。大男には変わらぬ笑顔。またも子供達が声を上げてはしゃぐ。

 英雄の膂力でふざけながら、大男は急に白々しい声を上げた。


「おっと、おっとっと!」


 コンテナをキャッチし損ねて、慌ててはね上げて。


「おっと! 手が滑ってしまった!」


 豪快に、コンテナを国境側へ大きく投げつけた。 

 放物線を描くコンテナは子供達の遥か頭上を超えて、バリケードの向こう側へ。ちょうど誰もいないところへ。まさに常識外の力。

 派手な音と地響きを立ててコンテナが衝突し、弾ける。中から散らばる兵士用の食料。


「おおっと! 手が滑ってしまったぞう! たしか国境から向こう側へは命令で我々は立ち入り禁止だからなあ! 回収できないし放置するしかないなあこれは!」


 棒読みのセリフで叫ぶセルバンテス。それを呆然と眺める子供達。


「ということは! あの食料はどうされても仕方ないなあ!」


 隣の兵士に語りかける。引きつった表情で答える兵士。


「え、ええ、そうですね」


「というわけだ。悪ガキ共。たしか甘いものもなにかあったと思うんだがなあ、あのコンテナには」


 顎髭を撫でながらすっとぼけたことを言う大男。しばしの間。やがて顔を見合わせた子供達は、歓声を上げてコンテナへ走り出していった。


「取り合いして喧嘩するんじゃないぞ!」


 子供たちへ声をかけながら、大男はまたも笑う。


「そういうわけだ。報告書書いといてくれ。適当に、俺のせいにしておけばいい。あと追加の食料も申請頼む……たしか倉庫にはまだ食料の余裕があったよな?」


「は、はい!」


 輸送班の一人が、必要書類を書くために宿舎へ駆けていった。



 △ △ △


「セルバンテス殿。今後責を問われますぞ?」


 仮宿舎の裏、椅子に腰掛ける大男の前には中年の男がいた。この部隊の副総長である男、ムダールだ。


「食料コンテナ一つ二つで追われる立場でもないさ。五英雄なんでな、俺は。それに食料を与えて大人しくさせておけばそれが一番安泰だろ」


 大男、セルバンテスが腰掛ける椅子は奇妙なものだった。まず体に見合ってかなり大きい。しかも複数の車輪付きの分厚い土台がある。明らかに移動を前提とした大椅子。素材も木ではなく複数の部品が複雑に組み合わさったもの。デザインもインテリアというよりは、拷問椅子のように武骨かつ冷たい。

 そして最も大きな問題点は椅子ではなく。


「それではありません。……上層部からの奴隷への抹殺命令はすでに下されて四日が経過おります。なぜまだあなたは実行の命令を兵士達にしないのですか?」


「それがなぁ、気が乗らないし天気も悪い。それから腹痛と歯痛に風邪気味で調子が悪いんだ。ひょっとしたらガンかもしれない。もしそうなら君は俺のために泣いてくれるかな?」


「もちろんよ、かわいい人」


 セルバンテスの膝の上に金髪の美女がいた。セルバンテスのタキシードのと同じく戦場に似合わない扇情的なドレス。セルバンテスの足元にしなだれかかる美女二名。

 明らかに軍規がどうのという格好ではない。


 飄々と、部下の追求に軽口を叩きながら大男は戯れを続ける。


「ふざけないでいただきたい。すでに奴隷達への食糧支援は断ち切られ、上層部は不安材料ごと奴隷を消す判断をしました。あなたも兵士ならばどうか従っていただきたい」


「奴隷達の中にまだ他の『勇者』がいるかもしれないという懸念か。ノル国消失からもう数ヶ月だ。そんなものがいるならもっと他でとうに騒ぎを起こしているだろう。アシュリーやノルバク山の竜の件のようにな」


 ノル国虐殺の調査結果。アシュリー市でのネイムレスと勇者の死闘。竜と勇者、クリィムの激闘。突如現れた勇者の情報は衝撃を持って軍上層部や五英雄達に伝えられている。

 今上層司令部が恐れているものは、勇者カゲイソウジの読めない動向と、同じような勇者がまた現れるかもしれないという不安。


「我々に求められているものは、事実の推測ではなく命令の実行ですセルバンテス殿。……兵達には不満を持つものもおります。なぜ自分達が、たかが奴隷のために数ヶ月も家を離れここに居なければいけないのか。そう思っている者も少なくありません」


「だから奴隷は皆殺しにしてさっさと帰ろう、か? 本当に件の勇者に匹敵するものがあの中にいるというならここにいる戦力で対抗できるかはわからないぞ?」


「そのためにあなたがここに配備されたんでしょう五英雄セルバンテス殿?」


 ムダールは追求を止めない。セルバンテスを何としても動かすつもりだ。


「そうだな。本当にそんなものがいるというなら止められてでも喜んで戦ってやるさ……が、今のところそんなものは確認されていない。ただの腹を空かせた奴隷達がいるだけだ。そんなものを殺すのが楽しいか?」


「楽しいか楽しくないかなど今は語っていません、兵士として命令を実行するかです」


「残念だな。俺は楽しいか楽しくないかにしか興味がないダメ軍人なのさ。つまらない命令とやらも実行を命じる気はない。ハズレの上官に当たったと思って諦めてくれ」


「五英雄だからといって増長がすぎますな……!」


 にべもない。ムダールの言葉などでこの巨大な質量の男は動かせないのだ。


「まぁな。五英雄だからな」


 セルバンテスは、薄ら笑いで動じない。


「あの五英雄筆頭のロクロォ・ガランド卿に書簡を送った件は聞いておりますよ。……ふざけて引き伸ばしているのはガランド卿からの中止要請を待っているからですか?」


「まぁな。脳味噌が筋肉だと揶揄される俺でも、持ってる人脈ぐらいは使うさ……あんたんところの二男、産まれたんだってな。俺のわがままで立ち会わせてやれんかった。すまん」


 ムダールの追求が厳しい理由もセルバンテスにはよくわかっていた。ムダールはセルバンテスの補佐を行う副官である。ただでさえ緩み気味の部下の士気を考えれば家庭の事情で一時帰郷など申し出せる立場ではない。


「……仕事です。私情を挟む気はありません」


「だがな、こうも考えてくれ。あの奴隷の中に、あんたの長男くらいの年齢のやつだっていただろ?」


「……私の息子は、奴隷なんかじゃない」


ムダールが呟き、場を離れる。奴隷に対し侮蔑の感情を持つ者はけして珍しくはない。初めて見せる複雑な表情でセルバンテスはそれを見送った。


 △ △ △


「おーお、ムダールのおっさんが出てったぜ。あの歩き方は相当怒ってるな」


 木陰の中で座り込んでいた兵士が双眼鏡を覗き込みながら呟く。

 周囲には複数の兵士達。作戦中の緊張感は無い。


「そりゃそうだろ。あの五英雄だか……セルバンテスは奴隷を始末する気は無いしな。こりゃ帰れるのは何時になるか」


「ムダールのおっさんが、セルバンテスが奴隷の始末する命令を止めてるからだって教えてくれたけどさぁ、教えてもらっても俺らどうすりゃいいんだか」


「そんなこたぁあれだよ。ようは動かすのは俺たち次第ってことさ」


「俺たちって、なにがだよバルビッシュ?」


 バルビッシュと呼ばれた若い兵士──彼らの中で一際大きい体格。頬の大きな傷。リーダー格らしい振る舞いの男──は笑う。


「わかんねぇかなぁお前ら。ちったあ考えようぜ、あの奴隷ゴミ共じゃねぇんだからさ」


 特に若い兵士達の一部はすでにこの国境際にいることに退屈を覚えていた。セルバンテスを支持する兵士も多いが、「早く終わらせたい」とストレスを溜めるものもたしかに多い。

 この若い兵士たちは「セルバンテスを支持するわけでもなく作戦を早く終わらせたい。そして、奴隷を蔑む傾向がある」もの達だ。

 そしてムダールは、隠れて彼らに内情を教えていた。


「ようは、俺たちが先んじてその『上の命名』にそって動けばなし崩しになるってことさ」


 彼らのようなもの達の『暴発』を期待して。


 △ △ △


「主は我らを祝福したもう。主は我らを救いたもう。主は我らに寄り添いたもう」


 朗々と唱えられる聖句。崩れかけた教会で金髪のシスター、デンスクリーは偉神書の聖句を読み上げる。

 眼前には奴隷達がいた。座る椅子がないものは床に腰掛け、デンスクリーの言葉に耳を傾ける。


「我ら苦難の道を行き、死の谷を歩む。主を信じ主を讃えよ。父母を愛するように主を愛し、兄弟を想うように主を想う」


 伝統式の建築により、かつては荘厳だった教会は、天井の大穴と破壊された壁や装飾により今は見る影もない。教会の権威は完全に破壊されていた。

 されど、シスター達はその上でミサを行った。

 本来はミサは司祭職が指揮を執るものであり修道女にその権限はない。それでもデンスクリーはミサを行う事にした。

 崩壊し無惨を晒す教会は荒廃していく奴隷達の心そのものであるとし、今再び良き人の心の依代となるためにこの宗教儀式が必要なのだとデンスクリーは主張したからだ。


「汝、平穏の中にあれ。汝、信仰の中にあれ。汝、責務の中にあれ」


 朗々と響くデンスクリーの声=彼女の拡声魔術により教会の中に響き渡る。


「主のご意志があなたを導きますように。星の光があなたと共にありますように」


 言葉と共に穴が空いた教会の天井が、暗闇に塗りつぶされ満点の星空へと変わった。流星の雨が降る。同時に鳴り響く荘厳なパイプオルガンの音色=賛美歌。

 光り輝く美しい光景。宗教への回帰心が再び立ち上がる奴隷達に、熱狂を誘い込む。祈りの姿勢のまま失神するもの。興奮に立ち上がるもの。

 これらは、クリアムとリバイアの映像魔術と音響魔術による『演出』である。


「汝の死が、すべて主のためにありますように。──祈りを」


 奴隷達は、声を張り上げて賛美歌を歌い始める。

 


 

 △ △ △


「やあここにいましたか。こんばんは、良い夜ですね」


 夜の丘の上で、カゲイ・ソウジはハザルに挨拶をした。

 薄暗闇の中で、ハザルは立ちすくむ彼を一瞥もしない。枯れ草の上に座り込み煙草を吸いながら、孤独を噛み締めていた。


「ああ、こんばんは──夜に良いも悪いもないと思うがね」


 ハザルが見下ろすは、丘の下。街の中央で光と音が盛大に盛れる廃教会だった。


「なにを見ているのですか?」


「バカ共が騒いでるところを見物してるだけさ。苦しいときに他人にすがってもろくな目にあわん」


「神様って人では無いのでは?」


「人だろ。結局は他人が作ったものであって、人にすがりついているのと同じさ。本当に神というなら……人間なんぞに興味は持たんだろ」


「そういうものですか」


「ミサに出る気は無いようだが、君はそういうものを信じてるのか? 奴隷達を助けにきたというが、そういう宗教心からではないのか」


「なにか特定の宗教は信じてはいませんけど、神様というものはいるんじゃないかと思うんですよ」


「ほう、君は神はいると?」


「正確に言えば。居てくれたらいいなと思うんですよ。だって、こんな僕でも生きていていいと許してくれるなら、それはきっと──とても優しい神様なんだと思いますから」


 大量殺人鬼カゲイ・ソウジは、罪深いとされる自らが存在していることが神の人への愛の証拠になるのかもしれないと考えている。

 もし人の罪を許さない神がいるのならば、彼を許しはしないだろう。

 今ここに彼が生きているということは、神は不在なのか、あるいは神の人への愛は彼にさえ注がれているものなのか。

 虚無にその答えを教えるものはいない。


「──君の過去に興味はないが、神が優しいとは私は思えんな。今日も神の残酷さに触れてきたところだ」


 ハザルの顔にまた痛みが浮かぶ。忘れられない、忘れたいはずの痛み。


「そ、ソウジ! 助けて!」


 二人の間に声が響く。振り返る二人。


「おやキースさん、どうしましたか?」


「ね、姉ちゃんがいないんだ! 見つからない!」


 無言で、ハザルは立ち上がった。


 

 

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