第96話 導き
「あなたもいかがですか、旅の方。僕はカゲイ・ソウジと言います」
薄汚れた白シャツにエプロン──とかろうじて呼べるような布を腰に巻いた青年は軽く会釈をして、皿を差し出す。ハザルはそれを受け取らない。
「いらん。なにが入っているかわからんものは食いたくはない。──私はハザル・グラースコだ」
「よろしくお願いしますハザルさん。変なものは入っていませんよ。雑穀と岩猪の肉と食べられる野草を数種類、そういうものを煮込んで適度に味をつけただけのものです。もう少し材料と調味料があればもっと良い物にできたのですが」
「そういうものを『なにが入っているかわからん』というんだよ……まて、岩猪? そんなものここの貧相な奴隷共だけでよく狩れたな」
成長すれば小山ほどになる魔獣相手に、数はいても魔術もろくに使えなさそうなこの無気力奴隷達で狩れるものか?、とハザルは訝しむ。
「そうですかそれは残念です。ではまたなにか良いものが出来ればその機会に。キースさん、これはお姉さんの分にしましょう。それとこれは君の分です。」
ハザルの質問を無視し、無表情のまま青年は木皿を少年に渡した。
「待て質問に答えろ」
「ありがとう、ソウジ」
「どういたしまして、キースさん」
受け取った少年は歩き出す。他の奴隷にもよそった粥を渡し出すソウジ。周りの奴隷が集まり始める。
のそりのそりと動く奴隷達に、少女の声が呼びかけた。
「みなさん、1列になって並んでください。ソウジさんの作ってくれた食事を配りますから!」
後ろの小屋から現れた三人の人影。さほど背の高くない少女の修道女が、飯を食おうと集まる奴隷達を誘導し始める。
膝下まで伸びるシックな黒の修道服を纏いながら、その表情と声には年相応な幼さがあった。
「シスター・リバイア、走るとまた転びますよ? ……ソウジ様、私がお配りしますね」
「ああ、おねがいしますシスター・デンスクリー」
掃除の皿を受け取る背の高い修道女。年齢は二十になったばかりに見える。ベールに隠れる金髪と、泣きぼくろがある細目が特徴の女。修道服にやや収めきれない盛り上がるグラマラスな肢体。
「一人ひと皿ですよ。取り合いをしないで、あなた方がそのようなことをすれば主が悲しみますよ」
デンスクリーはおっとりとした口調で奴隷達に話しかける。優しげな笑顔と共に皿を渡した。
「はーい、体が悪い人や御年寄の分は運んであげて! みんな助け合いなさいって偉神書にも書いてあるでしょ!」
はきはきとした口調で奴隷達に指示を出す中背のシスターがいる。ベールから盛れる髪の色は青。明るさと気丈さがよく現れた表情と声。歳の頃は十代半ばほど。背の高いシスターと背の低いシスターのちょうど中間というところ。
「シスター・クリアム。お客様のようですよ。こんにちは、旅の方。たしか……ハザルさんですね?」
「うむ。旅の者、といったところだ。おかまいなく」
中背のシスター=クリアムを呼び止め、金髪に長身のデンスクリーがハザルに話しかける。ソウジとの会話を聞いていたのだろうすでに彼の名を知っている。
「おじさん、なんでわざわざこんなところ来たの? 兵士が関所止めてたでしょたしか」
やや軽い口調で尋ねる中背に青髪のシスタークリアム。ハザルはヴァイオリンケースを掲げて見せた。
「私は見ての通りの楽士だ。関所は裏道を抜けてきた」
「お、お姉様……こちらの方は……?」
知らぬ相手には警戒しているのだろうか、デンスクリーの影に隠れてハザルの様子を伺う最年少らしきシスター、リバイア。
「シスター・クリアム。シスター・リバイア。初対面の方にそのような態度を見せてはいけませんよ。なぜ、ハザル様はこのようなところに?」
二人を窘めながら、庇うようにデンスクリーは前に出る。
「少々の野暮用だよ。あなた方シスターこそなぜこんな奴隷のゴミ溜めに? 神父や司祭の方はいないのか?」
「私共は、ノル国にて起きた異変を聞き偉神教中央教会から生存者支援のために来たものです。司祭殿は同行する予定でしたが、病状が悪化したために私どもシスターだけで
「中央教会……? そんな大それた方々が奴隷を助けるためにこんなところに来たのですか?」
「奴隷の身と言えど、偉神を信じる教徒に違いはありませぬゆえ。なにもおかしいことではありません。主が慈悲を与えるものに、我らもまた慈悲を惜しまずに与えるのみです。主の恵みがあらん事を」
聖句を唱え十字を切り丸を描く動作をするデンスクリー。後ろの二人もそれに習う。
──どういういきさつかは知らんが。世間知らずのシスターが厄介な仕事を押し付けられたというところか?
司祭が急に病状が悪化したというのも本当だろうか。面倒ごとをこの田舎シスター三人に押し付けての仮病ではないかとハザルは考える。
しかしあのソウジという青年は神職には見えない。なんだあいつは?
──まあ、いい。今はどうでもいいことだ。
「主の恵みがあらん事を……それではこれで失礼するシスターの方々」
「……どちらにいかれるのですか、ハザル様?」
「さっきもいったろう、野暮用だ」
背を向けて歩き出すハザル。デンスクリーが声をかける。
「あ、今日の夜はミサがありますからもしよろしければどうぞ!」
△ △ △
「姉ちゃん、メシ持ってきたよ」
キースが足を踏み入れた小屋に人影はなかった。
住民が消え、略奪者が通り過ぎた荒れた部屋をいくらか片付けてどうにか暮らせるようにした。
その小屋で、キースは家族を住まわせている。
家族が外に出ていかないように、外に家族の存在がバレないようにしている。
「俺だよ姉ちゃん。出てきてよ」
「きー、す? キース……」
か細い、どこか幼い声。奥からおどおどとした様子で女が出てくる。しかし、年齢は十代後半ほどに見える。着ている服装はキースと同じく貧しい。髪はバラバラで整えられておらず、目元まで覆っている。
「ソウジさんがさ、またご飯作ってくれたんだ。ちょっと味見したんだけど、結構美味しいよ」
渡される木皿と木の匙。床に座り込んで姉に渡す。
「ソウジ、良い人だね。知ってるよ。私、ソウジのこと知ってる」
姉が──アイネが笑う。年相応のものを感じさせない明らかに、
「うん、ソウジさんは良い人だよね。さあ、早く食べよう」
姉の手に匙を持たせた。腹がかなり減っていたらしい。ガツガツと食べ始める。まるで、子供のように。
「姉ちゃん、腹減ってるなら俺のもあるからさ」
「だ、ダメ、キースの、これ、キースの」
差し出された皿を押しのけて、首を振る。
「いいよ。姉ちゃんが食えば」
「ご、ごめんね、あた、あたしがみんなから、いじめられるから離れたところに、す、住まなきゃいけない」
アイネがここにいて、キースたちが奴隷達の集まっている場所ではなく離れたここにいる理由。人の多いところではアイネはイヤな思いしかしないことをキースはよく知っている。
「いいよ。姉ちゃんのためだもん。謝らなくていいよ」
キースの家族はアイネしかいない。キースにしかアイネは守れない。
「ごめん」
自分に守りきれるだろうかと、キースは思う。この子供でしかない奴隷の自分に、恐らく永遠に子供の頭のままでいる姉を。
同じ奴隷だった相手にさえ、邪険にされ怒りと苛立ちのはけ口にされてしまう姉を。
「だから、いいよ、姉ちゃん」
「ここにいたか」
突如開け放たれたドア。長身に細身、苦虫を噛み潰したような顔。そして楽器のケースを持つ。
「あんたは……!」
立ち上がるキース。とっさに姉を隠すように立ち塞がる。
「まだ用は済んでいない……勝手に立ち去るな。そんなにそのエサが食いたかったのか」
「なんで、なんの用が……」
「貴様にいちいち説明する義務はない」
ハザルが進む。その伸ばされた手がキースを押しのけた。
「やめろ!姉ちゃんに触るな!」
初めて反抗するキース。ハザルは無言でキースの首元を掴み、無造作に投げる。軽い少年の体があっさり浮く。
「うあ!」
「キース! う、あ、あ」
怯えるアイネは動けない。ハザルの細い指が、アイネの前髪をそっとかき分けた。
「……」
隠されていた女の顔は、整っていた。キースの姉なのだから顔立ちも似ているわけで当たり前だろう。
「やめろ、姉ちゃんに……!?」
キースの言葉が止まる。ハザルの表情が変わっていた。
今までの陰鬱と諦観ではなく、締め付けられているような痛みと驚きが浮かぶ顔だった。
無言のままハザルは背を向ける。ドアへと歩き出す。もう用は終わったというように。
「なん、何しに来たんだよ、アンタは!?」
キースの声になにも答えぬまま、ハザルは去っていった。
△ △ △
「だからよぉ、
鎧姿の兵士が、バリケードを乗り越えてフェンスに触れる子供達をうんざりとした口調で注意した。
「えいゆー! えいゆー!」
「えいゆーいるの! みたい!」
「うるせぇな大人しくしとけ!」
赤髪の子供が群がるフェンスを、兵士は鞘を使って揺らす。振動でポロポロと落ちる子供達。
「えいゆー! ごえいゆーいるんでしょ!」
はしゃぐ奴隷の子供達に困った顔をしながら、兵士は面倒くさそうにしっしっと手を降った。
ここは元ノル国とイドス国の国境である。
国境としてかつては貿易の要だったこの場所は、現在はノル国の国民消失により完全封鎖され兵士達の監視下に置かれている。
バリケードとフェンスにより封鎖された場所からの立ち入りは禁じられており、兵士たちはここを24時間監視しているのだ。
しかし、封鎖からすでに数週間が経ちある程度の食料支援で国境際に溜まる奴隷達を抑えてはいるが向こうの奴隷達は当然やることがない。
兵士達も当然監視以外やることがない。
そうなると、当然現場の雰囲気もダレてくるものだ。
「うるせぇぞガキ。あっちいってろあっち!」
兵士の言葉は荒いが、子供たちに手荒なことをする様子はない。奴隷の大人達は兵士達を恐れ近寄らないが、好奇心の強い子供は完全武装した兵士を見たくてバリケードを超えて寄ってくるのだ。数週間を経てさすがに顔見知りになってきた以上はどうにも兵士達も手荒く対応はしたくない。
「ごえいゆー! いるのー!」
奴隷の少年が、憧れに目を輝かせ叫ぶ。奴隷の彼らでもイドス国の五英雄の名は聞いたことがあるらしい。超魔術を操る国防の要。究極の戦士達。いかにも子供が好きそうだ。
どこから盛れたのか、その1人がここにいることを知られた。
「バカ! おまえらみたいなのに五英雄を見せるわけねーだろ親のところに帰れ!」
フェンスを鞘で叩き──子供に当たらないように配慮──ながら中年の兵士が怒鳴る。
下層の兵程度のうちならこんなことは笑い話で収まるが、上に知られると面倒だ。
「ごえいゆー!」
「だから帰れと」
「誰か俺を呼んだかな?」
中年の兵士に影が差した。
「う。あ」
見上げる体躯は二メートルを超えている。太い足。太い腕。そして太い首。大柄な体を覆うは、場違いなタキシードだった。
耳元から顎まで生える豪快な髭。ブラウンの髪に鳶色の瞳。まるで岩尾のような男。
三十路半ばという年齢以上に貫禄を感じさせる。
じろりと、その眼が集まる子供達を睥睨した。
「……」
無言になる子供達。無言になる兵士達。
この男が、イドス国五英雄序列第四位。
『鉄城』のセルバンテスだ。
やがて、男は口を開いた。
「まぁたやってきたかこの悪ガキ共め!」
男の顔が、太陽のように笑った。
巨大な掌が、ゆっくりとフェンスに触れる。次々と子供たちが、男の手に触れる。これが英雄の手かと、目を丸くする。
「はっはっはっ!!」
豪快な男の笑い声が、かつて国境だった場所で響いた。
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