第95話 告死者

「なにがつまらんだ!」


 怒鳴りつける中年の男。それでもハザルは微動だにしない。

 静かに、退屈そうに息を吐く。


「私ももう四十も近くなるが、世にはことごとくつまらぬ物事しかない。退屈な仕事に、退屈な人間。そして目の前には退屈なブタがいる。直喩で言葉に出るのも仕方ないだろう?」


 感情のこもっていない声。依然として無価値なもの、あるいはゴミを見る目。


「だ、誰がブタだ! とにかくお前は父を殺した! ブタ箱に入るのはお前のほうだ!」


「ほう、そのためのこの犬共警察官達の群れか?」


 肩をすくめる燕尾服ハザル。無言で抜剣を開始する警察官達。事前の警告はしないようだ。

 明らかに、ハザルを殺す構え。


「お前の『告死者』の二つ名は安楽死を行うからついたそうだな! そうやって弱気になった人間から財産をだまし取ってきたのだろう! それも今日で終わりだ!」


「喋るブタは珍しいと思い少しばかり自由に喋らせてやったが、所詮はブタだな。鳴き声以上の内容はないようだ。財産の譲渡は正式な書面にて交わした契約である。お前に口を挟む権利は無い。屋敷も土地もすでに売買取引は終わって現金化される予定だ」


 懐から取り出した封筒を見せつける。


「ふぅむ、しかし地元の警察には動かぬようにすでに根回しをしたと依頼人は言っていたのだがな。どうやらそのブタ息子に署長が言いくるめられたか? 所詮は田舎の警察、金を握らせればどうとでもなるか」


「うるさい! とっととその封筒をこっちによこ」


「これが欲しいのか。ほれ」


「は!?」


 高く放り投げられた封筒。ハザル以外全員の視線が追いかける。

 その僅か一秒に見たぬ瞬間に、すでに演奏者は動きを終えていた。

 鳴り響く、ヴァイオリンの音。神速の指。


「ぐ」「が」「あ」「な」


 ドタンと派手な音を立てて屈強な男達が倒れていく。警官の群れがうめきながら崩れ落ちる。泡を噴くもの。眼球をビクビクと動かしながら痙攣するもの。

 ただ一人立ち尽くすは、ブタ扱いされた富豪の息子。


「な、なに、なにをした!?」


「私はただ奏でただけだ。私の音楽をね」


 左手に構えたヴァイオリンを顎で挟み、静かに弓を落としてハザルは語る。


「人間の感覚器は優れたものだ。だが優れすぎるがゆえに、感覚器からの情報から内部の人間の行動に影響を与える事例も存在する」


 光や音。あるいは匂い。外を観測するための感覚器が、内面に変化を起こす。

 単調な音が続けば催眠状態を起こしやすくなり、強い光は思考を奪う。人間の行動や内面は外側からの『観測』に大きく影響受けるのだ。

 それはいわば、『外』側から人間を操作できるという技術の発端となる。


「私は、その効果を魔術を用いた音楽により発現させる才能があったものでね。今のは人間の運動中枢を麻痺させる音楽を奏でたのだよ。これが魔術に対して抗性が低い人間にはてきめんに効く。まあお前の周りにだけは音の方向性を操作して聞こえないようにしてやったがね」


 やはりつまらなさげに告げる。実に興味がないとでも言うように。


 ハザルの特殊性は魔術により制御される高精度音楽による他者の精密な生体操作だ。バイオリニストとしての非凡な腕とこの能力によりハザルには多数のパトロンがいる。

 ハザルの演奏は生体操作により感覚そのものを調整できる。例えば先ほどの富豪にやったように末期ガンの激痛も和らげながら苦痛なく安楽死させることも可能だ。


「さて、私は血を見ることや野蛮なことが嫌いでね。この犬共は一時間もすれば何事もなく治るだろう。ただ、お前には少し別のことをしようと思う」


 優雅に弓を構えた。男は青ざめて、へたり込む。


「や、やめてくれ! 死にたくない! 金、金か!? 金が欲しいのか!? だったら……」


「やれやれ、親の財産の三分の二を食い尽くしておいて言いたいことはそれだけか? その凡俗以下では道理で病状が末期になっていたお前の父親も最後は見捨てて財産を私に譲るわけだ。『バカに使い潰されるよりかは、芸術に使われたほうが良い』と私の楽器代に使えと言っていたよ」


「い、いや、いやだぁ!」


 逃げ出そうとする男。それよりハザルの演奏のほうが早い。うめき越えを立てて倒れ込む。


「さて、長話はここまでだ。せっかくだから私の演奏を聴いていくがいい。光栄に思え。音の方向性を絞りお前だけに聞こえるようにしたお前のためだけの私の演奏だよ。この曲は……人間の神経系にとある方向性をもって強く作用するタイプでな。それはつまり」


 弓が、弦に触れた。


「痛みだよ。それも慢性の尿管結石以上のな。では楽しみたまえ、247秒間だ、気絶したらたたき起こしてまた最初から聴かせてやる」


 地獄のような絶叫が、屋敷に響いた。


 △ △ △


「さて」


 転がる男はピクリともしない。涙と吐瀉物を撒き散らし、白目を向いて気絶している。口には血と歯の欠片。食いしばりすぎて折れたのだ。呼吸からわずかに生きていることはわかる。


「ブタに無駄な時間を使ってしまった。これから野暮用があるというのに、全く私の優しさには自分でも嫌気が刺してくる」


 ヴァイオリンをケースに収め、床に付す男達を踏みにじりながらハザルが行く。


「ノル国……いや、元ノル国行きの馬車はどこからかでているだだろうか……?」


 △ △ △


 少年は、朝靄の中をとぼとぼと歩いていた。

 年齢は十代前半。年の割には痩せている。目にはどこか光がなく、諦めが浮かぶ表情=奴隷によくある特長。靴は履いていない。硬くなった足の裏で泥の道を歩く。

 行き先は墓地。奴隷用の共同墓場。

 個人の墓石などもちろんなく、ただ簡素な埋葬と、死者の名を無数に刻んだ岩があるだけ。

 この国では、奴隷の扱いはこんなものだった。墓に埋葬されるだけまだいいほうだ。下手をすれば猟犬の餌にされることもある。

 奴隷は人ではなく、ただの消耗品。それがこの国の人間の考えだった。奴隷の少年──キースもまたそれを常識として受け入れていた。生まれてきてからそうなのだ。ほかに何を常識とする方法もない。


 だがある日、自分達を飼っているもの達が消えた。


 支配者が消えたノル国に訪れたのは、残された奴隷達の混乱だった。

 あるものは何をすればいいかわからず、あるものは略奪と暴力を行い、あるものは国外へ逃げ出そうとした。

 支配者を失い、統率と管理が崩壊すればまず起こるのは暴動と食糧の不足。

 キースのいる地は国境に近く、イドス国をはじめとした外国軍の干渉といくらかの食糧支援があったため比較的混乱は早期に収まった。中央の王都側はいまだ混乱の中だろう。


 農場奴隷だった少年は、自分がなにをすればいいのかわからなかった。大人たちも、少年の姉も、突如として与えられた自由に困惑し、その自由の意味を理解できなかった。


 自由を得た少年は、まずは朝から夕まで重労働をしていた頃にはできなかったことである母に会いにいった。一輪の野の花を持って。


 墓地に眠る母の元へ。


──誰だ、あれは?


 墓地には、場違いなものがいた。

 整えられていない白髪。おろしたてらしい紺の燕尾服。長身で痩せぎすの男。

 その男が、岩の前でヴァイオリンを弾こうとしていた。左手に構え、顎で抑え、右手の弓を添える。

 明らかに、奴隷ではない。そもそもこんな男を奴隷の少年は見たことがなかった。

 ゆっくりと、演奏を開始しようとした瞬間、男が呟く。


「……ふむ、そこにいるのは誰だ?」


 弓が動いた、その次の瞬間。キースは昏倒した。



 △ △ △


「奴隷のガキか。親や仲間はどこにいる?」


 まだ体に痺れが残る少年を無理やり立たせ、男──ハザルと名乗った──は詰問を開始した。


「い、う、あ、あんたはなんでこんな所に……」


「質問に答えろ。それから奴隷の分際なら敬語を使え」


「あぐっ!」


 ピシリと少年の頬を弓が打った。軽く当たっただけなのに、骨に響く。

 やたら高圧的でイヤな雰囲気の男だった。常にイラついているようだ。

 もっとも、この国の国民が奴隷に接するときは大体このようなものだったから、少年も特に疑問には思わない。


「親、はいません……姉がいます。逃げてきたみんなとは、近くにあるキャンプで暮らしてて」


「どこだ。案内しろ」


「……」


 この男を連れてきてもいいものか。一瞬少年は思考する。なにかよからぬことをするつもりか。


「案内しろと、言っている。奴隷風情が私に同じことを二度いわせるな」


 諦める。奴隷は所詮奴隷なのだ。そう少年は自らに言い聞かせた。


 △ △ △


「ここがキャンプか。ふん、いかにも野良奴隷の住処といった風情だ」


 無理やり立てた掘っ建て小屋や屋根だけの場所に奴隷達がひしめきあっていた。ただ座り込むもの。怒鳴りあうもの。みながみな、自分がなにをしていいのかわからない。

 人口密度の高さゆえの生活臭の強さにハンカチで口元を抑えながら、ハザルが混雑を練り歩く。ただでさえ場違いな服装に、威圧感の塊だ。自然と道が開く。


「不潔と猥雑と無気力。主人がおらねば駄馬以下だな。お前もそんなところか」


 全てを見下す視線。ハザルは不愉快の表情のまま奴隷達の有り様を見ていた。


「……真ん中に、小屋がある。中央教会から支援しにきたシスター様達が寝泊まりしてるんだ」


「ふん、この駄馬以下に支援とは慈悲深いことだ。資源の無駄としか思えんがな」


 簡素な小屋の前に大鍋があった。支援食糧を調理し、配るために作られたものだ。

 その大鍋を木じゃくでかき混ぜる人物がいる。 


「あの男はなんだ? 奴隷ではないだろ、服装から神父でもない」


「あの人は……なんか俺達を助けに来たっていう、その、なんか変な人だよ。悪い人じゃないと思うけど」


「……なんだその変人は?」


 長身痩躯、ボロコートの青年が雑穀粥の味を見た。こちらにくる二人を見て、静かに語りかける。


「やぁ、こんにちわ、キースさん。それから知らない方。お腹は空いていませんか?」


 青年は──カゲイ・ソウジは木皿に粥を盛り付けた。



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