第98話 サティアス

「わかりました。手分けをして探しましょう。ハザルさん、助けていただけませんか? 僕は教会のシスターに声をかけてきます」


「ソウジ! こいつは……こんなやつに頼らないでくれ! こいつのせいで!」


 すでに立ち上がっていたハザルはソウジの言葉を無視して動き出す。


「あの小屋の周りは調べたのか?」


 背を向けたままキースに質問する。


「な、なんだよ、なんでアンタが」


「答えろ」


「うるさい! お前の、お前のせいなんだぞ!」


「キースさん、小屋の周りや水辺や川の近くにはお姉さんはいなかったんですね?」


 まずはアイネが川や水辺で溺れている可能性を考える。


「水辺や川はまず探したよ。周りにも近くの川にも姉ちゃんはいなかった……」


「他にいそうな所の心当たりは?」


「あとは……姉ちゃんは外は怖がっていたから……本当は外に行きたくなかったんだと思う……それでも行くとしたら」


「行くとしたら?」


「母さんの、ところ」


 少年がうつむく。外を、他人を恐れていた姉が唯一選ぶ場所。


「……集団墓地ですね。あなたのお母さんが眠る所に」


 今朝キースがハザルと初めて出会ったあの墓地だ。


「小僧、墓地だな?」


 ハザルは駆け出した。



 △ △ △


 アイネはすぐに見つかった。墓地で石碑にしがみついて泣いていた。泣き声ですぐにわかった。


「ここにいたのか」


 近づくハザルを見て、アイネの泣き声が強まる。


「おかぁさん、おかぁさん、おかぁさん!!」


 母を求めて泣く幼子そのままの表情で、女は墓石にしがみついている。


「お前の弟が心配して探している。早く家に戻れ」


 腕を掴む。アイネの泣き声がより大きくなった。振りほどこうと動く。


「違う、私はお前の敵ではない。違うんだ」


「おかぁさん、おかぁさん!!」


「話を聞け、私は」


 ハザルの声は届かない。アイネは母を呼び続けたまま半狂乱に腕を振る。明らかに自分を制御出来ていない。そのまま墓石に頭をぶつけた。


「なにをしている!?」


 額を切って血を流すアイネ。ハザルが彼女を取り押さえる。身をよじってそれでも彼女はもがく。


「やめろ、なにをしているんだおまえは」


「やめろよ!!」


「ぬ、お!?」


 飛び込んだキースがハザルに体当たりをした。揺らぐ痩身の中年を押しのけてキースが姉に駆け寄る。


「姉ちゃん。俺だよ、わかるか? 俺だよ。もう大丈夫だから」


「ああああ!!! おかぁさん! おかぁさん!」


 絶望するように泣きわめく姉を抱き抱え、キースは必死に彼女を宥める。明らかに慣れている。

 彼女がこうなることに、キースは慣れている。


「……どういうことだ、答えろ小僧。お前の姉はなんなんだ?」


「……あんたのせいだよ!? 姉ちゃんは、怖いことや悲しいことがあるとこうなっちまうんだ。わけが分からなくなって、自分で自分を傷つけてボロボロになっちまう。あんたが、あんたが姉ちゃんを無駄に怖がせたから……!」


「アイネさんは、恐らくは何らかのパニック障害に近いものを患っているようでしてね」


 背後から声。痩身の青年が闇から姿を現す。


「知能障害と自閉と思われる症状。僕もそういう専門家ではなく確固とした知識はないのではっきりとした判断は出来ないのですが、出来ればかなり専門的なケアや体勢が必要な方だと思います。鎮静薬の組成もできるといえば出来るんですが、調節が難しいのであまりやりたくはないんです」


「……なんだ君は? 医者か?」


「いいえ、残念ながら僕は付け焼き刃の知識しかない素人ですよ。キースさんの話では彼女は過去に仲間内から酷い扱いをされたようで、他人と家の外に強い警戒心をもっているようです。特に貴方のような知らない男性には」


 カゲイ・ソウジは淡々とアイネの分析を口にする。


「私は、あれの顔を確認しただけだ」


「それさえも彼女には強いストレスなんですよ。──彼女を可愛がっていたお母さんが亡くなったことによる喪失がまだ影響しているようで、彼女とは出来れば距離を取ってゆっくりと対話していくことをオススメしますが」


 無表情に、どこか他人事のようにカゲイ・ソウジはハザルに助言を下す。


「姉ちゃん、大丈夫だから。もう落ち着いて」


 キースが抱え込むアイネの額に手を当てるソウジ。柔らかな光が灯る。額の傷が癒えていく。


「君は治療魔術まで扱えるのか?」


 ただの放浪者にしては多才すぎる。、この青年、一体なにものなのか。ハザルはカゲイ・ソウジの疑問を抱く。


「まずは傷の治療を。それから脳に影響がないか時間をおいて観ましょう」


「う、ぁあああ!!!」


 うめくアイネ。まだ動きが止まらない。


「姉ちゃん、大丈夫なんだよ、もう誰も酷いことをするやつはいない、あんなやつもう姉ちゃんに近づけさせない。だから……!」


「……仕方あるまい」


 ハザルがヴァイオリンを構えていた。


「なん、だよこんなときに!?」


 キースの怒声に、ハザルは答える。


「いいか、私の演奏一回に家を買える値段を提示するものもいる。奴隷程度には実に過ぎたものだが」


 ハザルの指が動く。指の激しさに反して緩やかな立ち上がり。絹のように柔らかな曲調。


「今回は特別だ。タダで聴かせてやる。小僧、お前の姉をしっかりと抑えていろ」


 鳴り響く調べ。だが耳を打つものではなく、肌に染み込むようにしっとりした音が空間を満たす。

 どこか、悲しみと痛みを帯びた音楽。そして優しい音色だった。

 アイネの動きが徐々に弱まる。やがてぐったりとしていく彼女を支えながら、キースは自分の激しい鼓動が収まっていくのを感じていた。


「これは……なにをしたんだ?」


 ハザルの奏でた音楽が、


「曲によって人体の活発化を司る交換神経の働きを弱め、副交換神経の働きを強めて興奮や緊張を強制的に沈めた。私の魔術はな、音楽によって他人の体をこういう風に操作できる代物だ」


 アイネの呼吸がゆっくりとしたものになっていく。やがて気を失った。


「姉ちゃん……」


「疲労によるものでしょう。とりあえずはこのまま家に連れて行きましょうキースさん」


 少年の代わりにアイネを抱えてソウジが立ち上がる。


「ハザルさん。あまり僕には音楽の善し悪しは分からないのですが、アイネさんを助けていただいてありがとうございます。素晴らしい曲でしたよ」


「……自分のまいた種に自分で始末をつけただけだ」


 アイネを背負いソウジが去ってゆく。後を追いかけるキース。


「待て小僧」


 呼び止める中年。無視をする少年。


「待て。また痺れさせられたいか?」


「……なんだよ。もう俺たちに関わるなよ!」


「サティアスという名前に覚えはないか?」


「え?」


 少年の動きが止まる。明らかに知っている反応。


「サティアスという女だ。知っているのか?」


「な、なんで知っているんだよ?」


「答えろ」


 ハザルの語気が強まる。絶対に答えさせるという気迫があった。


「……サティアスを探してここに来たのかあんたは?」


「サティアスはどこにいる? 答えろ」


「死んだよ。婆ちゃんはもうとっくに死んでる!」


「……婆、ちゃん……? お前の……祖母なのか……サティアスは?」


 ハザルに驚きの表情が浮かぶ。


「そうだよ! 会ったこともないけどな。お前が婆ちゃんのなんなのか知らないが、死人にはもう会えない! 残念だったな!」


 キースの叫びを無視し、ハザルが動き出す。キースへと歩を進めた。


「それで、お前はこれからどうする?」


「……は?」


 いきなり変わる会話についていけない。


「いや、あんたはそもそも婆ちゃんのなんなんだよ……」


「そんなことはどうでもいい。おまえはこれからどうするんだ? あの姉を抱えたままそこの小屋で隠れて一生生きていくつもりか? なにかあればパニックになって暴れる一生頭が子供なままの姉と?」


「……」


 ハザルは口にする疑問は、キースが抱える不安そのままにぴたりと一致している。

 それゆえに、答えられない。いくら考えても答えなどなかったからだ。


「おまえは奴隷のままだ。国が消えたからどうこうではない。お前が奴隷以外の生き方を知らん。それで一生あの姉を抱えていられると思うのか?」


「……」


「このままおまえは近いうちにどこかで姉を見捨てるか、共に死ぬかを選ぶことになる。小賢しい程度の頭はあるようだから、それぐらいわかるな?」


「……」


 わかっている。沈黙はイエスの現れ。いずれくる未来を黙ったまま受け入れるしかない。


「先程のアイネの錯乱も度々起こるだろう。おまえはその度に必死に追いかけるのか? 傷だらけになって止めるのか? あのソウジとかいう男だって鎮静薬の魔術は調節が難しいといっていたなあ。あれだっていつまでもここにいるかわからんというのに」


「……知ってるよそんなこと! じゃあどうすりゃいいんだよ! 誰も教えてくれないんだよそんなこと!!」


 我慢できず怒鳴りつける。結局はこの男は嬲るだけで、キースになにかしてくれるわけではない。我慢しても意味などないのだ。


「そんなわかりきったことを俺にいうためにこんなところに来たのか? だったら用は済んだろ、さっさと俺と姉ちゃんの前から消えてく」


「キース、おまえは楽器をやったことはあるか?」


「は?」


 質問の意図がわからない。


「なんでもいい。楽器をやったことはあるか?」


「草笛とか、木の笛なら作り方を習って教えられてもらったことがある。飼い主に見つかってすぐ取り上げられたけど」


「そうか。アイネを沈めたあの音楽……お前も覚えてみるか?」


「……なんだよ、人を奴隷だとバカにしてたくせに急に。だいたいそんなこと言われても俺に出来るわけが」


「先ほどの音楽は魔術による神経操作を乗せたものだ。それを何度も行って条件反射を脳回路に刻みつければ、魔術を乗せていなくても同じ曲であれば近い鎮静効果を得られる。もちろんお前自身の腕にもよるがな。教えてやる。覚えてみるか」


 ハザルの目が真っ直ぐに少年を見ていた。暗く澱んでいた男の目が、今この時だけ確かな光があった。


「なんだよ……俺にも姉ちゃんにもあんたにやれるものなんざないぞ……」


 目的は姉か。それとも別のものか。あるいは、サティアス祖母が関係あるのか。少年にはハザルの思惑はわからない。


「奴隷なんぞに見返りなど求める気は無い。お前がやるかやらないかだ。どうする?」


「……やる。ただ約束してくれ。姉ちゃんにだけはもう近寄るな」


「いい返事だ。心配するな、アイネにももう用はない。ただ、言った以上は必ず習得しろよ。私は投げ出すやつは嫌いだ。それからな」


 闇の中で、初めてハザルは薄くわらった。


「私のレッスンはかなり過酷だ。最後まで乗り切ったやつは三十人中一人しかいない。覚悟しておけ」



 △ △ △


「あら、どうしたのですかソウジ様?」


 アイネを背負ってきたソウジを見て、デンスクリーは声を上げる。彼女額には汗。説法がよほどエキサイトしていたのか。


「キースさんに頼まれて彼女を探していたんですよ。少し怪我をしていました。もう治療はしましたけどね。頭部の怪我なので少し様子を見てから家に返しましょう」


 小屋のベッドに彼女を下ろす。デンスクリー達もキースの姉の事情はある程度知っていた、


「まあそれは危なかったですね。それにしても、やはりソウジ様はお優しい。ちゃんと見つけ出して治療まで……」


「僕は弱い人を救わなければいけませんので、それをしなければいけないんですよ。あまり大したことは出来ないのが残念ですが」


「いいえ、ソウジ様は多くのもの達の役にたっております! ソウジ様の働きは主も必ず見ておられますよ」


「あのぉ、いいかなぁソウジさん」


 赤髪の老人がソウジに声をかける。


「住んでる小屋が雨漏りをするんだ。ワシには身内も居ないし、ソウジさんに修理を頼みたいんだがええかなあ」


「ええ、わかりました。明日伺いましょう」


 次は中年の女性が。


「ソウジさん、ウチの子が転んでから脚が痛いって泣くんですよ。来ていただけませんか?」


「ええわかりました。ではこの後に早速」


「ソウジさん、また食料が少なくなりそうなんだ。もう一度、なにか獣を狩ってきてくれんかね」


「ええわかりました」


 ソウジに群がるように奴隷達が現れる。口々にささいなことからソウジへ頼み事をしてきた。

 それら全てをソウジは二つ返事で返していく。


「ソウジ様、いつもそんなに仕事を受けて大丈夫なのですか?」


 デンスクリーの後ろに隠れながら、年少のシスターのリバイアが心配そうに声を出す。


「そーそーそんなに働いてたらあなた身がもたないよ? 少しは加減しないと」


 活発な少女、クリアムがソウジの傍らで語りかける。


「大丈夫ですよ。こういうことのために僕はここに来たんですから。僕はこれから三軒ほど回ってきますので、アイネさんのことを診ていてください」


 夜更けの外へ歩き出すソウジを見送り、デンスクリーは静かに祈りを捧げた。


「ソウジ様、あなたに主の祝福と導きがあらんことを……」

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