第65話 着装

 ホテルの一室、解き放たれた大型の黒いトランクケース――大人ひとりは余裕で入る大きさ。その内部には、白い輝きを放つ新式の魔導鎧――魔石の装備量を増やしつつ、正面装甲を厚く、側面と関節部分をより薄くし動きやすさと防御の両立を向上。その姿は製作の際に参考とされた剣の国バシリィ特有の魔導装備である鬼骸刃ソリッド・スケルトンにより近づいている――が収納状態で鎮座。

 装着者である彼女――ウェイルー専用であるために左腕の部分は無い

 鎧の下に着込む体のラインがはっきりと出るインナースーツ姿――金属繊維を中に編み込んでいるためこれ自体も防御性能がある――のウェイルーは魔導鎧の右腕を持ち上げ、ゆっくりと装着していく。

 他人の手を借りずに装着と脱着ができるのも新式の特徴だ。


――ミキシングへの一手は打った。次に二手目。この街にいる『部隊』への一手。


 この街に薬を撒き、自らに牙を向き、そしてなお真実を隠そうとする集団。

 これらをウェイルーは『組織』でもなく、『集団』でもなく、『部隊』であるとウェイルーは確信している。

 部隊、戦争に置ける兵士の単位。この街にいるのは、紛れもなく軍事的訓練を受けた『敵』だ。


――もはやこれは捜査ではない。『戦争』だ。


 兵士としての直感が告げる。状況はもはや『日常』ではない。『戦争』という非日常が無言で街を覆っている。

 誰も気づかず、誰も対応できない見えない戦争だ。それも一方的な侵略。

 だが、それを誰の目にも見える形へと変えることはできる。

 ウェイルーが行うのは、そのための一手。


――そして、もう一手。やるべきことが一つ。



▽ ▽ ▽


「な、何か言いなさいよ!」


 細い手がソウジの襟首を掴む。体格差のために少しぶら下がるような状態。

 怒りのままに力を込めるとますますぶら下がっているようになる。


「……」


 青年は無言のまま、いつもの無表情のままエクセルを見下ろしていた。


「手帳を貸してくれなんて急にいうからなにかと思ったら……ロエルゴさんに売るためだったなんて……!」


 高ぶる感情を押さえきれず、声がうわずる。涙が出そうになる感覚を必死に抑えて、ソウジを攻める。

『もう飽きたんだよ、子守は』

 ソウジの吐き捨てた言葉が頭の中でいまだに反響していく。ソウジと出会い、長い時間が経たというわけではないが、同じ家に住まわせようと思える程度には信頼があったと思っていた。

 同じ事件を追いかける、仲間のような感覚があったはずだと思いたかった。

 だがそんなものは、自分の勘違いでしかない。


「いいですか、エクセルさん」


「今更そんな口調で!」


 普段と変わらないまま喋るソウジの声が、余計怒りをかきたてる。


「これから」


「黙って!」


 とっさにソウジの頬を叩く。パンっ、と軽い音がした。


「あ、あんたが、こんなことするから…! だから」


 感情的に暴力を振るってしまった罪悪感が頭を少し冷やした。


「だから」


「……」


 無言のまま、ソウジの両手がエクセルの両腕を掴む。振りほどく暇もないまま、体を壁に無理やり押し付けられた。


「え、あ……? や、やめなさい! 大声出すわよ!」


 一瞬わけがわからずに呆ける。しかしすぐに我を取り戻し抵抗するが、腕は動かない。


――動け、ない……


 今更のように思い出す。細面でも、穏やかに見えても、暴力性が皆無に見えても、従順になっていてくれても、カゲイ・ソウジは「男」であり「女」の自分とは違う種類の生物であると。

 そしてついさっきまで、彼は自らを偽り自分を騙していた「男」なのだ。


――や、ばくない、この状況……?


 急激に恐怖が湧いてくる。側で手伝っていてくれたカゲイ・ソウジは、彼女を騙すために演技をしていた。ならばエクセルは本当のカゲイ・ソウジをまだ知らないということ。

 この青年の、本当の顔を、彼女は未だ知らない。


「あ、あぁ」


 声が出なくなる。恐怖は簡単に自由を奪うことを彼女は今初めて知った。

 男は腹の中にケダモノを飼っている、メイドの言葉はやはり正しかったのか。

 ゆっくりとソウジの顔が近づく。とっさに顔を背け、目を閉じる。


――助けて、助けて助けて助けて!


「――エクセルさん」


 耳元で穏やかに囁く声。


「……え?」


「時間がないので詳しい説明はできません。僕はすぐにここを離れますが、エクセルさんはできるだけ普段と変わらずに過ごしてください」


「えっと、あの」


「それから、ロエルゴさんがあなたに質問しにくると思いますが」


「ねぇ、ちょっと」


「何を聞かれてもわからない、知らないと答えてください。絶対にそう答えてください。でないとエクセルさんが危険です。それでは」


 掴んでいた手が離れる。解放されたエクセルがよろけ、たたらを踏みながら向き直ると、すでにソウジは背を向けて歩き出していた。


「ねぇ、ちょっと、あんた!」


 エクセルの呼びかけにも無言で、長身は離れていく。


「ムダノッポ! 仏頂面! バカ!」


 またも再燃する怒りで罵倒。肩で怒らせながら考えつく限りの悪口を叫ぶ。なぜか頭の中で「手を出されないのも、それはそれで女として致命的な負けっぷり」というメイドの言葉が反響する。


――ま、負けてない! 勝ったから! 守ったから勝ちだから!


「エクセル、なにしてんだお前?」


 背後から中年の声、振り向けば恩師――今は商売敵の顔。

 ロエルゴを見て、エクセルは露骨に顔をしかめた。


「その顔は……ソウジのやつがなにやったか知ったか」


「なにをやったどころじゃありませんよ!」


「まあこういう騙し騙されも含めて記者って商売でな。……で、エクセル、お前はどこまで商人街の事件を知ってる?」


「……っ!」


 ソウジの言葉通り、ロエルゴの質問がきた。


「……」


「どこまでだ。答えろよエクセル」


 無言。どう答えるべきか。ソウジは知らないふりをしろといった。わからないと答えろといった。

 現状としてはウェイルーとの速報騒ぎで事件の裏をある程度はわかっているが、明確な真犯人はまだわからない。

 それはロエルゴの持っている自分の手帳にも同じことを記されているだろう。ならばロエルゴは自分からなにかを引き出そうとしているか。


『でないとエクセルさんが危険です』


 ソウジの言葉。知っていると答えるとなにが起こるというのか。


「なぁ、知らないんだろ?」


「……っ」


 判断をつけられず、無言を貫くエクセルへ、ロエルゴの言葉が刺さる。


「事件の材料は集めても、事件の概要はまだ掴んでいない、そうだろ? それ以上じゃないんだな?」


 どこか、懇願するようなものがこもる恩師の言葉。それがエクセルにはどうしてもイヤだった。

 子供扱いされている、相手にさえされず、何も知らない哀れなお嬢さんと思われている。


「知ってますよ。全部」


「……エクセル、それは」


「全部ですよ! 今すぐ記事にできるくらいね! ソウジが渡した以上の情報くらい、ほかにもまだありますから!」


 反抗心が渦を巻く、吹き荒れる感情で口が勝手に動いた。


「エクセル、本当なのか……」


「嘘か本当かなんて記事を書けばわかるでしょう、私は用がありますから、これで」


 振り向いて歩き出す。なにもかもがイヤになってきた。裏切ったソウジも、自分をいまだ甘く見るロエルゴも、そして何者にもなれないままの子供扱いされる自分も。


「エクセル!」


 恩師の呼び声は届かない。エクセルは苛立ちのままに、外へと飛び出した。


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