第58話 エリザ

「はあ、それで行き詰まってあんたらここでクダ巻いてたのかい?」


 酔いが回ったのか、やや赤らむエリザの美貌。髪をかき分け、ライムを絞った密造酒スピリッツのショットを飲み干す姿は艶やかな色気があった。


「いや、まあ、こっちも色々ほかに算段はあるんですけど…」


 ブツブツと反論にならない言葉を返すエクセル。他の算段など正直ない。

 歌が終わればエリザはエクセルのテーブルにきていた。エクセル達の許可など無視して居座り酒杯を空けている。

 気がつけば圧されているエクセル。どうも最近は気の強い美女にばかり絡まれる。


「ロエルゴのとこから聞いたよ? アンタ結構いいとこのお嬢さんらしいじゃない、ちょうどいい機会だから、いつまでもこんなところで記者ごっこしてないで田舎で見合いでもしてきなさいよ」


「それは私の決めることです! ――それに、こんなところって、ここだってそんな悪い所には思えないですよ」


「こんなところ(・・・・・・)? そりゃ中央区はなんぼかマシかもね。殺人鬼が出たり爆発が起こったりするらしいけど。――でもあんた希望街ここを見てそんなこと本気でいってんのかい?」


「ここを見てって、そりゃそうですよ…」


「はあ、あんたねぇ」


 子供に説教をするようにエリザがゆっくりと言葉を続ける。


「あんたがここで物取りやらに合わないのはロエルゴの助手だって顔が知られてるからさ。じゃなかったら中央区の良い身なりしてるようなヤツなんかみんなここじゃカモだよ。ソウジみたいな金持ってなさそうな身なりじゃなきゃね。

ここじゃあんたはお客さん。そういう扱いなの」


「そ、それは」


「店の中見てみな。アイツはここで引ったくりやってるガキ共の上がりを元締めやって巻き上げてるクズ」


 彼女の指の先には遠くのテーブル。そこには眼帯の浅黒い男。


「それであのチビ野郎は引ったくりやら盗品専門で買い取りして売りさばいてる商人。またアイツが足元みるヤツでねぇ。

そんで向こうの大男は借金取り。金になるなら赤ん坊の寝間着だって引っ剥がして持ってくからね」


 つらつらと紹介される希望街の人間達。そのどれもが犯罪に従事。


「それであそこの一人酒の優男。あれが一番の大悪党だね」


「……一体なんの悪事を?」


 若干興味が湧いてきたのかエクセルが問う。


「そりゃ娼婦のヒモさね。女の稼いだ金で呑んでるこの世で一番の極悪人よ。と、まあここにはそういうロクデナシ揃いでね。いいところだって言えるのはあんたみたいなお客さん扱いのお嬢ちゃんぐらいのもんだよ」


「そんな人の情報よく知ってますね……」


「当たり前さね。アイツらみんなあたしの客だよ。事が終わるとさっさと出てきゃいいのに無駄に身の上話してくるからウザくてねぇ。なんだったらナニの大きさからどんな性癖かまで全部教えてやってもいいわよ。あのチビは自分の尻叩かれないとナニが勃たないってやつで……」


「知りたくありません!」


 思わず条件反射で叫ぶ。エクセルの反応を楽しみながら、エリザは笑い声を上げた。


「アッハッハッ、うぶだねぇ。話しがいってもんがあるよ。ま、そんなのがゴロゴロしてるのがここってことよ。悪党しかいないような所がいいところなわけないじゃない」


「……そう、ですかねぇ」


「ン?」


 今まで無言を通していたソウジが声を上げた。エリザとエクセル。二人の視線が集まる。


「僕もここの居心地は意外と悪くないと思ってるんですよ。家賃が安いのは助かってますし」


「アンタみたいな色男だとどこでも居心地いいもんじゃないの?」


「色男、ですか自分の顔なんて大して気にしたこともないんですが――この街はきっと悪党、悪い人なら居心地のいい街なんじゃないでしょうか。エリザさんやエクセルさんは、きっと善い人だから、ここがいいところだと思えない」


「わ、私は本当にここはいいところだと……!」


 エクセルが声を荒げる。けれどもソウジの声は揺るがない。


「エクセルさんは――たぶん自分の場所を探してるんじゃないですか? 自分の場所が見つからないから、とりあえずここにいる。ここにいるしかないから、ここがいいところだと思おうとしてる。そうじゃないんですか?」


「なっ……なにを!」


 絶句する。反論しようとするが言葉がなぜか見つからない。


「あたしは、ロエルゴさんみたいな記者になりたくてこの街に…!」


「なぜですか? なぜそんなにロエルゴさんを目標にしているんですか? ロエルゴさん・・・・・・のように本当にエクセルさんはなりたいのですか?」


 言葉が突き刺さる、だがエクセルにはソウジの問いかけの意味を掴めていない。ソウジの気づいたロエルゴの真実に。


「だから、……あたしは! ロエルゴさんみたいな本当の事を追い続ける記者に、真実を確かめる人間になりたいから!」


「それがエクセルさんの本当の願いなんですね。真実を絶対に確かめることがあなたの願い」


 例えそれが、どんな真実であっても。


「――アッハッハッハッハッ!! 言ってくれんねぇソウジ。このエリザ姐さんを善人扱いとはさ。」


 重苦しい空気を吹き飛ばすような豪快な笑い声。強く生きてきた女の自信。


「そこまでいうなら、アンタどんだけ悪党なんだい? その顔生かして結婚詐欺でもしてたのかい」


 エリザの視線がソウジの顔をじっくりと眺めた。欠点がない造形。整った輪郭。まっすぐな、しかし感情の熱を感じない眼。美しいと、いえる顔立ちかもしれない。だが際だった特徴もない。


「結婚詐欺はしたことはありませんが……でも悪いことは沢山してきましたよ。残酷なこと、傷つけたこと、そんなことを本当に沢山……でも、善いこともしてきたとも思うんです。それで救われてくれた人がいるか、僕にはわからないですけど。

でもきっと、僕は悪党ですよ。善悪の観点から悪人とカテゴライズできる人間です。それだけはわかります」


 善悪の価値はわからなかった。だが善悪は理解できる。善悪を理解しながら、善悪に意味も価値も感じることはできなかった。

 勇者は空洞だった。苛立つことも変わりたいと思えることもなくただの空洞だ。

 ただ一つの欲求、自らの自意識を証明したいという欲求だけが、ソウジを動かしていた。その願いが、空洞であることを否定してくれた。


 だがもしも、空洞が空洞ではないことを証明したいだけだったとしたら。

 矛盾する願いが、勇者を動かしているとしたら。

 それは、きっとただの空洞であることよりも遥かにおぞましい。


「なーんかソウジの場合だとアリ踏み潰した回数も悪行とカウントしてそうだねぇ。ま、ガキの悪さ自慢じゃないけど、あたしだってそれなりにやってるさね。そうだね例えば」


 ゆっくりと、エリザは過去を語り出す。


「売られた娼館の主人の頭をツボでぶん殴って逃げ出したりとか」




 ▽ ▽ ▽


「う……む……」


 ロエルゴが目を覚ました場所は、ソファーの上だった。

 ソウジとエクセルが帰ったあとにそのまま晩酌を続けていたら、寝込んでしまった。これぐらいの酒量なら若い頃はどうということもなかったが、もう年を取ったということか。


「……うぅ……ああ……」


 微かにうめき声が聞こえた。ぼやけたロエルゴの意識が急速に覚醒する。


「――ケルビン!」


 壁越しに聞こえるうめき声。痛みによる発作だ。だるい体を起こし、立ち上がる。


「リムシー! おいリムシー! ケルビンが痛がってる、痛み止めを打ってやってくれ。俺じゃ酒で手元が怪しくて危ない!」


 声を上げても反応がない。息子のうめき声しか家からは聞こえなかった。不安にかられ脚を進める。妻の姿を探す。


「おいリムシー! 痛み止めを…!」


 明かりの消えたキッチンで、とうとうロエルゴは妻を見つけた。


「……リムシー」


 座り込んだまま膝を抱え動かない。辛うじて動かした顔。

 普段の明るい表情が浮かばないほど、涙と汗でドロドロに溶けている。

 傍らには、赤い紙の包みが広がり、白い粉が床に散らばる。


「リムシーっ! お前、お前……また・・! またミストを!」


 首元を掴みしゃがみこむ。声を荒げ、怒鳴る。エクセルやソウジに見せた余裕のある上司の顔ではなく、全てをかなぐり捨てたむき出しの表情。

 平手打ちを見舞う。感情にまかせた一発。鼻血を垂らしながら顔を振るリムシー。


「約束したじゃないか! あれほど、もう二度とやらないと! ケルビンのことを諦めないと、目を背けないと! 約束しただろうが!」


 叫びながら涙が落ちる。ただ悔しかった。ただ情けなかった。いままで夫婦として築いた彼女との絆は、この白い粉の前では無力なのだ。自分では彼女を守れない。愛した女を、救うことができない。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……耐えられなかったの……」


 すすり泣きながら、リムシーが呟く。自らの弱さに耐える事ができない。


「エクセルさんやソウジさんが見てて、本当に、うらやましかった……自分の意志で自分の人生を生きようとしていたから……ケルビンには、もう未来がないのに! あの子達の年まで、ケルビンは生きていけない……あの子達のように、大人になって自分の人生を歩けない! それがどうしようもなく耐えられなかった……耐えられなかったの!」


 嗚咽が激しくなる。リムシーはケルビンに『未来』がないということ。その事実から逃げたかった。


「――あ、あぁ……違う、違うんだ……そんなつもりはなかった……ただ、少し、家の空気を変えたかったんだ、お前をそんな風に傷つけるつもりはなかったんだ……本当なんだよ」


 荒ぶった感情が一気に冷える。暴力を振るった罪悪感と妻を理解できなかった後悔がロエルゴの心を突き刺す。


「ごめんなさい、私が勝手に耐えられなかっただけなの……あなたは悪くないから……私が……私が強くなかったから」


「……悪かった、リムシー。許してくれ。そしてもうこれで終わりにしよう。もうこんな薬、今度こそ終わりにしよう。ケルビンが痛がってる、痛み止めを打ってやらなきゃいけない……どんなに辛くても、俺達は親なんだ。最後までケルビンの親でいよう。それしかないんだ」


 妻を抱きしめながら、ロエルゴは祈る。例えどれほど意味のない祈りでも、彼は祈りたかった。


 後ほんの少しでもいい。ケルビンを見送れるまでの平和な時間が欲しいと。


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