第59話 帰り道

「あたしの生まれは貧農ばっかの村でね。食ってくのに生まれたガキを売って凌いでたのさ」


 飲み干した杯に酒が注がれる。スピリッツにエリザの顔が写っていた。


「それでとうとう残ったのがあたしと弟のやつでね。両親はどっち売るか迷ってたんだよ。なにせ弟のやつはあたしと違って要領の悪いやつだったからさ。よく村のガキ共にイジメられては助けてばっかだったし」


 表情に浮かぶ僅かな懐かしさ。貧しかった中でも、弟との記憶だけは彼女にとって特別なものだった。


「だから、親には言ったんだ。『売るならあたしのほうがいい』ってさ。女衒に女のガキ売ったほうが高く売れるし、弟じゃ大した金にならないし。だってあいつほんと頭わりーんだもん。すぐ泣くしあたしのこと呼ぶしさ。こっちはそれどころじゃないっつーのに」


 笑いながら、どこか寂しさが見える。自らを犠牲に弟を助けたことだけが、彼女の人生のただ一つの勲章なのだろう。


「そんで売られた先で娼館の店主のババアを壺でぶん殴って持ってる金ありったけうばって逃げてきたわけよ。家族の方はあたし売ってすぐに夜逃げするってわかってたしね。金返せと家族に詰め寄られることはないと思いっきりやってやったわ」


「それで、家族の方とは再会できたのですか」


 酒が回ってきたのか、少しふらついてきたエクセルに気を配りながらソウジが問う。


「ぜんぜん。どこいったかわかんないし。今更売った娘に会ったってかける言葉もないでしょ。それにこちとら読み書きもまともに習ってないからね。そんなやつは娼婦をやるしかないのさ。この仕事やりながらじゃさすがに家族には会えないわね。向こうだって会いたくもないでしょ」


 明るく笑いながら、更に杯を空かす。全てを洗い流すように、火酒が喉を通っていく。


「――そ、そんなことないですよ!」


 バン、と勢いよく叩かれるテーブル。突如として大声があがる。発生源はエクセル。


「ど、どぉしてそんなことぉいぅんですか! 家族じゃないですかぁ! 仕事なんて関係ないですよ、エリザさんに会えたら喜ぶにきまってますよぉ!」


 ろれつが怪しい。ボリュームが調整できないまま言葉を放り出す。目は完全に座っている。顔は赤みを増し、目尻に涙の粒。


「家族同士ですよ、おぉかしいですよそんなの! 会わないほうがいいとか会ったら困るとか、なんで、なんでそんな悲しいこと言うんですか! そんなに私を泣かせたいんですか! もう泣きますよ私は! 仕事でもいいことないし怖い目にばっか会うしそんな話されたらもう泣きますよ! うええええん、もおおおやだあああ!」


 やはり今まで経験はかなりのストレスだったのだろうか。

 

「エクセルさん、酔いがかなり回っているようなので今日はもうこの辺で」


「あっはっは! お嬢ちゃんアンタ泣き上戸かい! 面白いとこあるじゃないか! かわいいねぇ!」


 エクセルのグラスに火酒スピリッツを並々と注ぐ。揺れる水面が酒場の照明で輝いた。


「そんなシードルなんて子供の飲み物さね。立派な大人ならこいつをぐいっと飲んで辛いことなんざ忘れるもんさ」


「あたしもう二十歳越えてるんですよ! なんでどこいっても子供扱いなんですか! これでも飲めば大人ですか! じゃあ飲みますよ!」


「おー飲め飲め。下戸じゃどこいってもガキ扱いしかされないさ!」


「エクセルさん、それ一気に飲むのは本当に止めたほうが」


「――いぃっきまーす!」



 エクセルの記憶はここで一度途切れる。


▽ ▽ ▽


「――う、あ、あぁ、あ」


「ああ、気がつきましたか、エクセルさん?」


 冷えた空気。火照る体。揺れる平衡感覚。頭が痛い。吐く息は白く、周囲は中央区の街並み。

 視点がいつもより高い。自分がソウジに背負われているのだとようやく気づいた。


「なんで、わたし、おん、ぶ、されてる、の……?」


「完全に潰れていたので中央区まで背負ってきたんですよ。で、エクセルさんの住所どこなんですか? 送っていきますから」


「お、下ろして、私、歩けるか、ら……」


 いい年して人に背負われているのが恥ずかしい。


「無理ですよ。大人しくしていて下さい。それで住所は?」


「むー、……ニルフィド通り二十七区四番地」


「それだと道はこっちですか」


 薄い記憶をどうにか辿るが、断片的なものしか思い出せない。火酒を一気飲みした後はエリザの故郷の話――季節の祭りやらどこの国で生まれたかとかのとりとめの無い話題やエクセルの最近知り合った女軍人が威圧的で怖いなどいった愚痴を話したことぐらいしか覚えていない。


「家は一人暮らしなんですか? 家にお送りさえすれば後は自分でできますか?」


「メイ、ドがいるから、大丈夫……あんま役に立たないけど」


 いつもより高い視点は、エクセルには新鮮だった。体温を冷ます夜風が気持ちいい。誰かに背負われていることが恥ずかしくもあり、子供の頃を思い出してどこか懐かしい。


「あの、さ、ソウジ…?」


「なんですか、エクセルさん」


「あたしさ、今回の事件を記事にするのがダメになったら田舎帰ってお見合いでも受けようかなって思ってるんだよね……こう見えてもあたしの実家結構おっきい家なんだ」


 自分の記者としての能力を計れるのは、今回が限りだろうという予感がある。

 そして複雑さと残酷さを加速度的に増す事件に自分自身が耐えきれなくなっていた。

 自分がただの小娘でしかないということはよくわかっている。だが努力すれば必ず今を変えられるはずだとも思っていた。

 そんなものは、過酷な現実の前では容易く砕け散る。それもまたエクセルの知った現実。 


「そうなったら、ソウジはもう雇えない。だからさ、ソウジは……他にいく場所あるの? なかったら、その、家にこない? 下男とか執事とかやってみる?」


 言葉にはすがりつこうとする感情があった。逃げ道という選択肢へ、誰かを共に引き込もうとする。エクセルの弱さがむき出しになる。


「悪いんですが、僕には助手の仕事以外にやることがあるので実家にご厄介になることはできませんね。――大丈夫ですよ、エクセルさん、今回の事件は必ず真実にたどり着けます。僕が必ず真実まで導きますよ。そう約束したじゃないですか『事件を追うのを手伝え』と」


「……お前ってほんとたまに根拠のない自信持つよなあ。どっから出てくるんだよその自信」


「これでもかなり根拠はあるんですよ?」


「はいはい、寒いから早く家急いでよ」



 ▽ ▽ ▽


「……あーあ、酒入ってるとどうにも眠くなるねぇ」


 あくびをかみ殺しながら、深夜の希望街にエリザは立つ。別に客を取っているのではない。そもそもこんな深夜では客がいない。

 酒で少しは温まっているが、さすがに深夜の夜風は薄着の娼婦にはキツい。


「寒い中待たせるなんざ勘弁なんだけど。……そろそろくる頃合いかね」


 希望街と中央区を往復する時間がそろそろ経つ。ならば姿が見えてもいい頃だ。


「遅くなりました、すいませんエリザさん」


 言葉に振り向く。細長いシルエット。安物のコート。整っているが無表情な顔。


「美人を寒空に待たせるたぁ、とんだ色男だねぇソウジ、」


「本当に手数をかけてすいません。呼び出しに答えてもらってありがとうございます」


「べつにいいさ。で、話ってなんだい? 筆下ろしにお姉さん使いたかったなら……そうだね、アンタ金無さそうだし一回くらいならロハでもいいよ」


「呼び出しはそういうことではなくてですね……」


「あはは! ほんとそういう冗談利かなくて要領悪そうなところがアタシの弟に似てるよ。弟も生きてたらアンタみたいだったのかね。優しい男ってだけじゃ人生損するだけだよ?」


「僕はどうにも変わることができない人間ですから……弟さんだって、大人になったらきっと僕なんかよりもずっとずっとマシな人間になってますよ」


「はあ、そりゃ誰だってそうさ。芯から変われるやつなんて世の中そうそういないよ。誰だって変わったふりして生きてるだけなんだ。あのエクセルのお嬢ちゃんだって強気ぶってるけど芯はそんな強いほうじゃないだろう? だからアンタが守ってやんなよ、それがいい男の義務ってもんだろ?」


 とん、とソウジの胸をエリザの拳が叩く。


「……はい」


「相変わらず返事が素直だねぇアンタは。可愛らしいがいい年した大人がそれで大丈夫なんだか。で、あたしへの用事ってなんだい?」


「ええ、それは」


 都市の薄暗闇の中で、不意にエリザは気づいた。

 ソウジに左手に、エクセルを送っていった時には持っていなかったものがあることに。

 それは長い棒状の形。右手がゆっくりとそれを掴み引き抜いていく。

 闇の中で、閃光があった。

 それは、刀身に反射する光。

 掲げられた、抜き身の剣。血の曇りが殺意の輝きを彩る。


「僕は、エリザさんを殺さなければいけないんです」


 絶望が、希望街に落ちた。

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