第60話 招待
「う、頭痛い……」
朝日が登る希望街の雑踏を歩きながら、エクセルはふらつく脚で先を急ぐ。
目的地は昨日の酒宴の場、赤鳥亭。
再訪の理由はただ一つ。
――殺人事件が起こった……!
娼婦殺し、それも凄惨な事件が起きたという一報が入ったからだ。
▼ ▼ ▼
「お嬢様は昨夜はずいぶんお酒をお楽しみだったようですねぇ」
軽い二日酔い気味のエクセルへ、赤毛に長身のメイド、プルーフが微笑みながら声をかける。手には盆。メニューはもちろん茹で玉子に丸のりんご。
「頭痛いんだからほっといてよぉ……」
コップの水をすすりながら呻くように答えた。二度と火酒は飲まないと心に誓う。
「送ってきてくれたソウジという青年は真面目そうな方ですね。希望街住みという割には大人しそうで」
「うん? まあアイツは真面目というか木訥というか……なんか田舎者っぽいよね」
「いえ真面目というのはそういう意味ではなくてですね……あの、お嬢様、特になにもあの青年からされてませんよね?」
プルーフの質問の意味が掴めず、エクセルは顔をしかめる。一体なにを指摘しようとしているのか。
「いや財布も無事だったしカメラは新聞社に置いてあるから他に盗まれるものはないから……」
「いえいえいえ、そういうのではなくてですねお嬢様」
プルーフの微笑みが、引きつって強まる。
「お嬢様、めっちゃ貞操の危機だったんですよ? 酔いつぶれて男に送られるとか」
「……え、? あーそう、だよね。危なかったよね……まあソウジのやつに限ってそんなことするとな思えないし、ほら私あいつの雇い主なんだからそんなことは」
「顔は紳士でも腹の底にはケダモノを狩っているのが男という生き物なのですよお嬢様……お嬢様に何かあれば私が旦那様からお叱りを受けてしまいます」
奴隷であるプルーフの立場は弱い。エクセルになにかあれば真っ先に責を負わされるだろう。
「わかってるから! もううかつなことはしないよ……」
「お願いしますよ? それからこれはメイドとしてではなく同じ女としてお嬢様にいっておくのですが」
「なに?」
「酔いつぶれて隙丸出しで男から一切手出しされないというのは、それはそれで女として致命的な負けっぷりですからね」
「…………」
▽ ▽ ▽
――か、勝ち負けの問題じゃないから! 無事だったことが大事だから! 純潔は結果的に守れたからセーフ!
プルーフの言葉を振り切りながら、道を急ぐ。新聞社に朝一で入った報告を確かめなければならない。
二十代後半から三十代前半。金髪の娼婦らしき女性。発見場所は希望街。被害者の特徴は全て昨日エクセルと会ったエリザと合致する。
「まさか、まさかだとは思うけど……!」
到着したのは赤鳥亭の近くの路上。すでにそこには大量の外区警官と野次馬が押しかけていた。
野次馬を押しのけながら殺害現場へ進む。
人ごみの隙間から、石畳にまき散らされた血が見えた。
「誰、なの、誰が殺されたの!?」
もがきながら声を上げる。誰が殺されたのか、それはエリザなのか。それだけは確認したかった。
「あんた、エクセルさん?」
女の声に振り向く。見覚えのある顔。たしかこの街で娼婦をしていた中年の女性の一人。記事の聞き込みをしたときに会話をした記憶がある。
「あ、ファナタ……ねぇ、なにがあったの? 誰が殺されたの?」
「娼婦が殺されたんだよ……それだけならたまにあることなんだけどね。今回は少し違った」
悲しげな声と諦めの混じる表情。娼婦が行きずりの客に殺される程度のことはこの街では珍しいことではない。
そしてその犯人が見つからないことも。
「少し……違った?」
「ナイフや首を絞めて殺されたんじゃない……全身をめちゃくちゃに潰されて死んでたんだってさ。頭だけが無事で誰だったかわかったんだけどね」
――潰されて死んでいた……中央区の商人殺人事件と同じ……!
「それは、誰なんですか? 誰が殺されたんですか?」
「あんたも話したことはあるだろ? エリザだよ。この辺じゃ長い金髪で若い娼婦はエリザしかいない……気風のいい女だったんだけどねぇ」
「――っ! そう、ですか」
エリザ。殺されたのはやはりエリザだったのか。
「娼婦は死んでも教会で葬式をやって貰えないからねぇ……またマッコイの爺様に頼まないと。ちょっと爺様のところにいってくるから」
立ち去るファナタをエクセルは呆然と見送る。
いくつもの殺人事件を見ていながら、つい昨日会っていた人間が死んだという事実に現実感がわかない。
――なんで……なんで中央区でしか起こらなかった「商人殺し」が、今度は希望街の娼婦を殺してるの……?
いや、そもそもこの殺人と商人殺しに繋がりがあると考えること自体が早すぎる。しかし思考を止められない。
――標的は薬物密売をしてる商人だけじゃなかった? エリザさんも薬物を売っていた? わからない……なぜここにきて犯人は娼婦を殺されなければいけなかったの? 本当は殺す理由なんて無い?
「おい、貴様! 名前を名乗らんか!」
響き渡る怒声に我を取り戻す。声の方向には数人の警官。
「聞こえてるだろ! 名前と職業を名乗れ! 新入りか? この街にはいつからいる!?」
警棒を持って誰かを取り囲んでいる。路上の地面に力無く座り込み、怒声を浴びせられてもうなだれたまま声も出さない青年がいる。
「聞こえてるのか貴様!」
一人が青年を掴んで無理やり立たせた。長身の割には軽いのだろう、簡単に持ち上がる。暴力に完全に無抵抗。己を外部から閉じている。
無表情なその顔に、エクセルは覚えがある。
「ソウジ!」
思わず、声が出た。
▽ ▽ ▽
「外区の警官なんてとりあえず犯人が捕まればどうでもいいとしか考えてないんだから、関わり合いになっちゃだめよ」
黙って頷くだけのソウジを見上げながら、エクセルは語りかける。荒っぽい外区警察ではぞんざいな取り調べで簡単に有罪されてしまうだろう。
すぐに警察を止めて「ソウジは昨日自分と一緒にいたのでアリバイがある」と説明。いくらかの小銭を掴ませて追い払った。
「ねえ、あたしの話聞こえてる、ソウジ……?」
うなだれるままの青年はひどく憔悴しているように見えた。このまま消えてしまいそうだ。
「――エクセルさん、僕はやらなければいけないことがあると、昨日の帰り道に話しましたよね?」
「え、ああ、そうだっけ?」
帰り道の会話。朧気程度にしか覚えていない。
「僕は、勇者にならなければいけないんですよ」
「……なにそれ」
「そうある人と約束したんですよ。『理不尽を正し、弱き者を救い、あらゆる悲劇を取り除く』そんな本物の勇者になれと」
まるでおとぎ話のような勇者。そんな人間になれるはずがない。
「それが、ソウジのやらなければいけないことなの?」
「そうなんです。でも、実際は……僕は何も救えなかった。どんな悲劇も止められない」
無表情で、感情のこもらない静かな声で、だが青年の中には確かな絶望があった。
「誰も救えない、エリザさんも、ミトスも、僕は誰も救えなくて……それでも、僕は勇者になろうとするしかない……」
ミトス、彼が救えなかった人間の一人だろうか。救いたかった人間の一人だろうか。そして救わなければならなかった人間の一人なのだろう。
記者であることにすがりつき、それさえも諦めようとするエクセルのように、おとぎ話のような勇者であろうとすることがソウジの生き方なのか。
誰かを救えない度に傷ついて、果たせぬ理想が痛みとして残る。そんな生き方は、悲しいだけだとわかっているのに、止めることが出来ない。
酷く、似ていると思った。もがくだけしか出来ない自分と、無力と絶望の中で傷つくだけのソウジが、似ていると思ってしまった。
昨日までのソウジは、どこか非人間的なまでに器用で正しい、自分とは違う人間だと思っていたのに。
「ソウジ……しっかりしてよ、今は、今のことを考えて!」
ソウジの常宿、イプス・インズは被害者の泊まっていた宿屋として現在警察が営業停止にして取り調べ中である。これではソウジは宿無しである。
その辺でうろついていてはまた警察に絡まれるのがオチだ。
「他に宿屋は……どうせこの辺は似たような娼婦向けの宿屋しかないか」
「いいですよエクセルさん、僕には構わないで下さい……泊まる場所くらいはどこかで」
「ええい! いいよもう! ソウジ! あの、あ、……あたしの家に行くよ!」
彼女の小さな手が、勇者の手を強く握った。
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