第61話 マッコイ

「お嬢様はご幼少の頃からよく動物を拾ってくるお方でした」


 燃える暖炉を背に、いつものように穏やかな笑みで、赤毛のメイドは過去を語る。


「犬や猫はもちろん、子鹿まで拾ってきましたね。飼い主を探すのはなかなかの手間でしたよ」


 微笑ましい過去を懐かしむように、目を細ませて彼女は――プルーフは立ち尽くすエクセル、とその真横に立つソウジを見つめる。

 慣れたアパートメントの一室は、冷えた空気が満ちていた。暖炉は煌々と燃え盛っているというのに。


「近くの農場の逃げ出した子牛まで拾ってきたときはもうこれはこういう運命を背負った方なのだと諦めましたよ。それでもですね、お嬢様……」


 笑顔が、消えた。


「いくらなんでも男を拾ってくることはないんじゃありませんか!」


「犬猫拾うのと同じレベルで話さないでよプルーフ!」


「一人前の記者に成ってくると街へ旅だった愛娘が、男を拾って部屋に住まわせるようなふしだらな娘になったなどと旦那様が聴いたら心臓発作起こしますよ!」


「しばらく軒下貸して住まわせるだけよ! なによふしだらって!」


「あの」


 口論を続ける二人の間でソウジが声を出す。どうにも歓迎されてないようでは仕方ない。


「やはり問題があるようなので、僕は希望街のほうに戻ります。エクセルさんお気遣いありがとうございました。女性だけの所に男が住むのは止めたほうがいいでしょう」


「ほら彼もそう言っておりますよお嬢様。希望街に住んでたわりにはなかなかわきまえている青年ではありませんか」


 プルーフの対応は変わらず冷たい。希望街にいた人間など信用するべきではないと視線が訴えている。

 プルーフの対応は正しい。田舎領主の箱入り娘に妙な虫をつけないのも彼女の役割だ。


「ソウジは黙ってて! プルーフ、ソウジが私を家に届けたのも昨日見てたでしょ! こいつはそういう怪しいやつじゃないから!」


「怪しいとか怪しくないではなく何かあってからでは遅いのですよお嬢様。私は彼をここに住まわせるには反対です。第一に部屋はどうするのですか? お嬢様は女所帯に男を住まわせるという意味を正しくご理解しておりません。他人に聞かれたら嫁入り前の娘が一体どう思われるか……犬猫を飼うのとは違うんですよ男を飼うのは!」


「だから少しだけ住まわせるだけだから……ていうか男を飼うって言い方止めてよ! 部屋は物置にしてた所があるから寝るのはそこでいいし、人にはバレないように飼えば」


「エクセルさん、なんだか犬や猫を飼うのと同じ考えになっているような」


「だからソウジは黙ってて! 飼われる立場なんだから! とにかくこれは決定! 家主権限だからね! あとお父様に知らせるのも禁止ねプルーフ!」


 大声を出して無理やり場をまとめる。とにかく勢いでこの場は押し通すしかない。


「それから、ソウジは家賃代わりに少しは家事を手伝うこと!」




 ▽ ▽ ▽



「邪魔をするぞ」


 声が古びた壁に響く。軋むドアを開け放ち人影が現れた。


「協力を願いたい。できれば強制はしなくないのでな」


 よく通る声が埃っぽく薄暗い店内に残響する。周囲の壁や棚には無数の錠前や鍵、あるいはその部品らしきものから何に使うか見当も付かない金属部品の数々が置いてある。


「今日は店じまいなんだよ。やることができたもんでな」


 即答する声。店奥より聞こえる。のっそりと顔下半分を白ヒゲで覆う巨体が姿を表した。油染みの多い茶のシャツと、煤けた皮のズボンを纏う。


「やることか。忙しいだろうがそこを曲げていただきたいな。――殺されたエリザの葬儀の用意に今は大変だろうと思うが」


 人影――白い軍服の美女、ウェイルーは鍵屋店主の肥満体の老人――マッコイに微笑みながら近づいていく。


「いやだね――ワシは忙しいといっているだろう」


 老人はウェイルーと視線を合わせることさえしない。



 希望街、娼婦エリザの殺人をウェイルーが知ったのは昼も近くなった頃だった。

 念のためにこっそりと希望街の警官のひとりに小銭を渡し、何か変わった事件があれば知らせろと枝を張っておいたのが役に立った。

 但し初動が遅れたのは少々否めない。

 希望街の警察に無理やり事件の概要を聞き出した所、やはり商人連続殺人と似た殺し方がされていると確認したまではいいが、そうなるとなぜ娼婦が殺されなければならなかったのかがわからなくなる。


――条件には商人であることは含まれなかった……?


 血痕や殺し方を見れば恐らくは一撃型の殺し方。ならば商人とこの娼婦になんらかの共通点や繋がりがあるということか。


――娼婦……客の中に商人がいた……? もしくは犯人を目撃していたか……?


 材料が不足する中での推理にはあまり意味がない。まずはエリザに関しての情報を集めたい。

 そこで希望街の住人の事情に詳しい人間は誰か、とダクトに訪ねてみた所で「マッコイの爺様」の名が上がった。


「あ、あのさぁマッコイの爺さん、ちょっとだけでいいから協力してくんないかなあ……ほらエリザって殺された娼婦のことだけ教えてくれれば良いからさあ」


 老人と女の引き締まった緊張を、気安い声がぶち壊す。ダクトはマッコイと少しばかり面識があるらしい。


「あんたがこの人にワシを教えたのか……しがない錠前屋をいじめるのはやめてくれんかね」


 ボロ椅子にどっかりと座った老人――肥満体に見えたが体躯自体もかなり大きい。白髪の長髪と生え放題の白ヒゲはまさに退廃の街に住みながらも世捨て人の空気を纏う――はタバコに火をつける。


「この辺じゃあ変なロクデナシやチンピラじゃなくて街に詳しいやつなんてマッコイの爺さんしかいないんだよ……頼むってこの人結構怖い人だからさあ、強情は止めたほうがいいって」


「ダクト、下がれ」


 ダクトの言い方で態度が強硬になるだけである。ウェイルー自ら交渉するしかないようだ。


「葬儀と言っていたが、偉神教の司祭か神父という風体には見えんな。マッコイ老?」


「司祭や神父など偉神教の認定をもらった人間以外の葬儀の取り仕切りは違法とされておるのは誰でも知っておるよ。それでワシをしょっぴくつもりかのお若いマダム?」


 老人は煙を吹きながら、視線をウェイルーの右手に向けていた。薬指に嵌められたリング。


「教会が娼婦の葬儀をやりたがらないのは私もよく知っている……あなたが代わってそういう人間のための葬儀を金も取らずに取り仕切っているという話も聞いているよ」


 不浄の職を歩むものを教会は葬儀しようとはしない。死して後の安寧と幸福を祈られることはない人々がいる。


「そうかい、最初は乞われて始めたことだがな。気がつけばワシが弔うのが当たり前になっておったよ。こんな半端ものの坊主のなり損ないにも、すがる人間はおるもんでなあ」


「聖職の経験が?」


「元は、三十年ほど前は従軍神父でな。ガキの頃は神学校にも行っとったよ。――死んでいく人間のために祈るのに耐えきれなくなって逃亡したただの腰抜けじゃよ」


 老人の目は過去を見ていた。一体何を見て、何を経験して全てを捨てることを選んだのかウェイルーにはわからない。


「鍵屋の親父が神父の真似事、この街じゃそんなもんが似合いじゃろうな。――だが、それを必要としていた人間がいたんじゃよ。生きてる間にロクな目にあわなかった娼婦や貧乏人が、死んだ後の幸福を夢見て一体何が悪い……あんたのような軍人やってる美人さんにはなかなか想像がつかんか?」


「――かつて、私には娼婦の友人がいた。私が言うのも妙な話だが、いい女というやつだったと思う。よく笑って、明るくて、ずうずうしくて、おせっかい者でな。おかげで彼女達の境遇や在り方は十分知っているよ」


「その友人は死んだんかね……」


 だった。過去系の言葉から友人がどうなったのかをマッコイは気づいていた。今まで何人もの娼婦の死を弔ってきたからこそ容易に気づく。気づいてしまう。


「ああ、死んだよ。仲間の娼婦を助けようとして、男に刺されて死んだ」


「――そうかい」


 僅かな沈黙があった。人間らしく生きられない人々が人間らしく生きようとする姿を二人は見てきた。ままならない運命の中で、それでも生きようとする人の在り方の前には、薄っぺらい常識や倫理などなんも価値もない。

 悲しいという安い言葉でそれを飾りたくは無かった。この言葉にさえできない沈黙だけが、今まで見てきたものを表すことができる。


「――さて、身の上話はここまでだ。今はエリザに関する情報がとにかく欲しい。身の上でも前の晩の行動でも上客でもなんでもいい。少しでも犯人に迫る材料を得たい」

 

「それで彼女を殺した犯人が捕まるのかね? 娼婦殺しなぞこの街では件数の内半分は捕まらんぞ」


「この犯人は特殊だ。捕まるか捕まらないかは保証はできないが……少なくとも次の犠牲者を防ぐことはできるかもしれない」


 もし犯人がミキシングであるならば、確実に逮捕できる可能性は低い。奴を殺すか、奴に自分が殺されるか、恐らくはその二択しかないだろう。


「次の犠牲者、か。……いいじゃろう。だがエリザに関してのことはワシもさほど多くは知らん。流れ者ばかりじゃからのうこの街は」


 一息吐く、老人はエリザについて知っている事を語り出した。

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