第62話 起点

美味おいっしぃー!」


 夕暮れの食卓にエクセルの歓声が上がる。コートを脱いだシャツ姿で、初めての味覚に驚嘆の表情を浮かべたままフォークの動きは速くなる。

 新聞社から戻ったエクセルを迎えたものは、ソウジの作るみたことのない種類の食事の数々だった。


「ソウジ! この一口で食べれるぷにっとしたのなに? このソースはチーズ?」


 白皿には薄い黄色のソースと小麦粉を丸めたような団子状の具。


「それはジャガイモと小麦粉で作ったニョッキです。ソースは生クリームとチーズを。本当はブルーチーズが欲しかったのですがなかったのでフレッシュチーズを使いました。見た目は少々悪くなりますが、途中で強めに黒コショウをふると味が引き締まりますよ」


「ニョッキ? なにそれ? ソウジの国の言葉?」


 傍らで出来上がった料理の大皿を持つソウジ。彼の解説を聞きながら、エクセルの舌鼓は止まらない。


「このエビを油で揚げたやつも美味しい! 香ばしいニンニクの香りと揚げたエビがすごい合う!」


 小さなフライパンには油で揚げられて音を立てるエビ。鼻をくすぐる香草とニンニクの香り。


「それはアヒージョ。大河の中洲にできた街だからでしょうか市場では川エビが安かったので前菜としてつくってみました。パンで油を拭って食べても美味しいですよ」


 手に持った深めの四角皿を下ろし、エクセルの前へ置く。


「そしてこれはメインです」


「これは……鶏の煮込み?」


 ぶつ切りになった鶏肉と栗、玉ねぎが見える。上には香草。肉の旨味を想像させる芳香にエクセルの視線が釘付けになった。


「鶏と焼き栗のオーブン煮込みです。市場で焼き栗屋があったので使ってみました。冬の定番料理といった所でしょうか」


「鶏と栗を煮込んだの……? そんな料理聞いたことない」


「焼き目をつけた鶏を野菜や栗と共にオーブンに入れて煮込んだものです。鶏や野菜の旨味が栗に染み込んでなかなかのものですよ。さあどうぞ」


 小皿に取り分けられた皿を手に取り、フォークで栗を口に運んでみる。焼き栗に鶏の旨味が合わさり確かにこれも美味い。


「台所にリンゴが大量にあったので赤ワインで砂糖煮コンポートを作ってみました。セミフレッド――生クリームと砂糖を泡立てて凍らせたものを添えて後でデザートでお出ししますから楽しみに待っていて下さい」


「デザートもあるの!?」


 もはやプルーフの作っていた食事とは比べるのもおこがましい。

 なにか家事を家賃代わりに手伝わせようと思ったが、さすがに女物の服を洗濯させるわけにもいかず、苦し紛れに食事を用意させてみたがこれほど大当たりだったとは。

 最初だからと気合いを入れたのかもしれないがそれを差し引いても嬉しい夕食だ。


「お嬢様、お待ち下さい。よくわからないやつの作ったものなど簡単に食べてはいけませんよ。私がお毒味しましょう。ほらそこのお肉の大きい所を下さいませ」


 隣に座るプルーフ――片手には赤ワインの入ったコップ――の突き出した白皿を押しのけてエクセルが声を上げる。


「プルーフも少しはこういうの作れるようになってくれないかなあ……ていうかなんでワインのんでるの!?」


「コンポートに使った安ワインが残ったのでこうして処分してあげてるんですよぉ。けして好きで飲んでいるわけではありませんが、物を無駄にしてはいけませんし」


「絶対嘘だ」


「ま、このソウジ君とやらもそれなりにできる人間のようですからね。このプルーフとしては一応は合格にしてあげてもいいでしょう」


「はあ、ありがとうございますプルーフさん」


 感情もなく礼を言うソウジ。ゆっくりと頭を下げる。


「その上から目線の自信は一体なんなの……?」


 エクセルの疑問に、赤毛クルニスのメイドは答えずにワインをあおった。



 ▽ ▽ ▽


――まず間違いなく、次の一手は「起点」となる。


 定宿としているホテルの一室で、バスローブ姿のウェイルーは思考を巡らせる。

 マッコイとの会話は大きな収穫があった。

 恐らくは、ミキシングがなぜこの街で殺人を犯しているか、その理由が掴むことができた。まだ推測の域はでないが、次のウェイルーの行動がこの事件に大きな変換点、むしろ全く新しい「起点」を起こすだろう。

 時間がない、余裕がない。そんなときほど行動は大胆かつ大きく起こすのがウェイルーのやり方である。細かい手では状況そのものを大きく変えることはできず、安易な安全策は敵に読まれやすい。

 窮地であるほどに大きな一手を打たねばならない。


――まずはエクセルを使うか。


 一手目の鍵はエクセル・ドーハ。明日には彼女に派手に働いてもらわねばならない。


――そして同時に二手目……


 立ち上がる。行き先はトランクへ。

 持ち手のスイッチと同時に蓋が跳ね上がる。

 鈍い銀の光が走る。白い塗装のバラバラにされた全身鎧が中にあった。ウェイルーの手はその下側へ。円筒形をした片手で持てる程度の大きさのケースを取り出す。

 慎重に蓋をあけて取り出した中身は、逆さになって羽を畳んだまま動かない伝書鳩だ。首には首輪。

 脚に小さな書類を入れた筒をつけると、鳩をひっくり返して首輪から極細の針を引き抜いた。

 ぴくりと鳩が動く。やがて目をあけて首を動かして周囲をせわしなく見渡す。

 軍使用戦術魔術改造型高速伝書鳩アル・ノー。飛行速度は従来の伝書鳩の三倍までに達し、さらには首輪部に差し込まれた運動中枢部に作用する針により、一定期間の仮死状態を維持できる。

 そのために比較的長期間の潜入任務にも使え短期なら細かな世話がいらない。軍における広域での情報戦術の大きな要の一つである。


――これならアシュリー市からでもロベック団長のいる地方軍庁までは2日とかからずに届く……


 ホテルの窓を開け放つ。エクセルを使った一手と、このロベック団長への手紙。どちらが欠けてもこの事件は恐らくエクセルの敗北で終わる。

 夜の街の闇。全てを飲む込む怪物の開かれた口のように見えた。だが踏み出さねばならない。その向こうに、ヤツがいる。彼女から、彼女の半分を奪ったミキシングがいる。


 放たれた白鳩が、漆黒を飛ぶ。闇を切り裂くように、翼は輝く。



 ▽ ▽ ▽


「ねぇ、あんた、どっかでコックでもしてたの?」


 エクセルの夕食――プルーフもご相伴に預かったが――が終わり、皿を洗うソウジへプルーフが話しかけた。

 安物の赤ワインだが思いのほか味が良かったのが、それともソウジの料理が気に入ったのが、昼間よりは愛想が良さそうだ。


「いいえ、コックの仕事はしたことはありませんよ」


「へぇ、素人であの腕前? 誰かに習ったりしてないの?」


 プルーフのほうを向かず、ソウジは皿を洗う。流れる水の音だけが響く。


「昔、老人の身の回りのお世話をしていたことがありましてね」


 濯がれた皿を布巾で拭く。水跡を残さないように丁寧に。


「僕自身はそれほど食事に関心がない人間だったのですが、そのご老人はまったく逆のタイプでして。『お前の食事は味気なさすぎる』と怒られましたよ」


「へぇ、それは面倒くさいのに当たったねぇ。それで覚えたのかい」


「ご老人は大量の書籍をもっていました。料理に関するものもかなりあって、その書籍類を呼んで色々覚えたんですよ。あとはご老人の厳しいリクエストの結果ですね。まあただの素人の手習いですから、エクセルさんやプルーフさんにこんなに喜んでもらえるのは恐縮ですね」


「老人介護も悪いことばかりじゃないってことね。まあそれはそれでいいとしてさ」


 静かに笑いながら、気安い雰囲気を崩さずに、メイドはソウジに問いかける。


「あんた、何人か殺してない?」


 カタン、とソウジの置いた皿が音を立てた。


「それは……」


「いや冗談とかそういうんじゃなくてさ、マジ話で」


 プルーフの視線は、まっすぐにソウジの目を見ていた。


「私、なんとなくわかるんだよね。特技っていうかわからないけど、人を殺したやつが。あんた結構殺してる? まあこのご時世戦争いったり小競り合いで人殺してるやつなんてわりといるしさ」


「……ええ、殺してますよ」


「――ふぅん、何人くらい?」


 ソウジがプルーフへ顔を向ける。なんの迷いも、後悔も、喜びも悲しみもない、感情のない表情。完璧に整った空の器。虚ろのかお


「沢山ですよ。とてもたくさんの人を殺しましたよ」


「へぇ、そうなの」


 ソウジの言葉に、どこか興味なさげにプルーフは言葉を返す。


「ま、あんたがなにやってようと正直こっちは関心ないんだけどさ。あの子エクセル、それなりに大きい家の娘なのよ。変なこと巻き込まれると私も色々面倒くさいんだよね。今の新聞記者おあそびに飽きてどっかに嫁入りするまでは無事でいてくるないと困るのよ。だからさ」


 気怠げに髪をかき分ける。手の甲に見えるドーハ家の家紋。所有物には所有物の都合というものがある。


「できれば早めに出て行ってくんない?」


「エクセルさんの事件が終わればすぐに出て行きますよ。それに、恐らく事件が終わるのにそれほど時間はかからないでしょう」


「それならいいけどさ。しかし……」


 じっくりとソウジの顔を見つめながら、プルーフはため息をつく。


「うちのお嬢様はあんたみたいな顔が好みなのかねぇ」



 ▽ ▽ ▽


「ああ、かわいい、かわいいなあ」


 懐に抱いた鳩を撫でながら、緩やかな北風が拭く屋根の上で軍用コートを纏った彼は静かに喜びの声を上げる。


「やっぱり動物ってかわいいよね。愛らしくて喋らなくて純粋で。ほんと素晴らしい」


 この白鳩は先ほどウェイルーが放った魔術改造伝書鳩だ。常にウェイルーの動向は監視されている。鳩を放ったならば、すぐに生きたまま捕らえられるように罠と人員を用意していた。

 陶器のような白い肌、弾痕に似た目らしき穴、亀裂のような造形の口。そして老若男女の区別のしにくい魔術変換のかけられたら声質の声。

 歓喜を味わうラフィンフェイス、吊し切りケリーストレンジフルーツ


「なによりこの忠実なのがいじらしいよねぇ。さてさてえーと」


 鳩の脚から取り出した書類に目を通す。内容は文章の体を成していないバラバラの文字列。


「だめだねぇ、こんなとっくに解析終わってる暗号文いつまでも使ってちゃ。今時アナグラム配列の暗号とか中身見てくれっていってるようなもんでしょ」


 ゆっくりと内容を読んでいく。


「『定時報告、アシュリー市の危険度は上昇中、一週間以内に馬車を使用して騎士団二小隊を派遣することを要求す』二小隊程度とはまた舐められたもんだねぇ。そうだろ肉屋ブッチャー?」


『黙れ。仕事の内容以外は喋るな』


 魔術無線マトゥックが鳴る。イラついた声を楽しむように彼=吊し切りケリーストレンジフルーツは笑う。


「アハハ! いいだろこうして鳩は捕まえられたんだから? それでどうする、鳩は潰しとこうかな?」


『待て、それは定時報告も兼ねた書類だな。期限日までに鳩が来なければ異常事態だと判断されて動かれる可能性がある。鳩は生かしておけ』


「良かったよ。ボクも鳩くんを殺すなんて残酷なことはしたくなかったんだ。じゃああれだね。あの手か」


 ストレンジフルーツが懐に手を入れる。取り出されたケースの中には無数の書類。


『ああ、同じ軍紋判入りの書類は用意してあるな』


「ええと、ヤバラナダト地方軍庁の軍紋判ね。あったあった。情報収集、公文章偽造と複製はうちの十八番だもんねぇ。内容は?」


『とりあえず危険度の高い状況ではないと書いてある書類を入れておけ。まず他の所からの干渉を防ぐ。残り二日もあれば、状況は全て終了できる』


「了解、了解。さぁて、鳩くん頑張ってねっと」


 解き放たれた鳩が舞う。羽ばたきは再び闇の中へ。


「あと二日ほどか……それじゃあそれまでにこの街で楽しんでいかないとなあ」

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