第63話 速報


「号外だよぉ! 号外だあ! N&R社の速報だよぉ!」


 先日、警官殺しがあったとされる中央区の裏通りでビラの束を抱えた少年が踊る。張り上げた声に引き寄せられ、アシュリー市の名も無き群衆が無数の手を伸ばした。

 市民達が少年から掴んだ一枚の紙。かなり大急ぎで刷られたらしくインクがろくに乾いていない。それを多くの人間が凝視し、困惑の表情を浮かべながら読み進める。

 読んだ人間の反応は様々だ。天を見上げたまま動かないもの、ため息をついたまま首をかしげるもの、大急ぎで走り出すもの、少年に内容の確認をしようとするもの。ただ一つ明らかなことは、紙に書かれた内容が街に大きな影響を与えるだろうということ。 

 走りだした一人が用済みとばかりに投げた号外が、風に吹かれ地面を舞う。

 それを細い指が掴む。表情の無い顔が文字を目で追った。


「なるほど」


 勇者――カゲイ・ソウジは、静かに呟いた。


「そろそろ公になる頃合いだとは思っていましたよ」



 ▼ ▼ ▼


 時間軸は号外が発せられる約二時間前。

 エクセルは新聞社にいた。

 正確には新聞社の女性用化粧室である。

 更に正確にいうと女性用化粧室、その個室内である。


――なん、で


 更に更に正確にいうと、女性用化粧室の個室で取り押さえられて口を塞がれている。


――なんでこうなるの!?


『色々わけがわからんだろうが、おとなしくしておけよ』


 骨伝導音声が彼女の頭に響く。

 更に補足をすると、取り押さえ口を抑えているのは白の女騎士、ウェイルー・ガルズだ。


 ソウジの用意した朝食はやはり素晴らしいものだった。クロックマダムに新鮮なサラダ、オニオンスープ。おかげで朝から機嫌よく出社できたと思えばまさか化粧室にウェイルーが潜んでいるとは。


「む、むぅ! ぐぅ!」


 動こうとするが身動きが取れない。軍隊仕込みの捕縛術、この体格さでは当然である。

 頭の中をでグルグルとなぜこうなったのか思案を巡らす。


――なんでこんな目に……理由なんて、ある、けど。


 尾行をつけたのがバレたのか。


『暴れるなよエクセル女史? 下手に動くと折れるぞ』


「ふ、ふうぅ……」


 観念するしかないらしい。


『いいな、そのまま話を聞け? 君に手柄を立てさせてやろう』


「は、はひ?」


 拘束を解かれ向き直る。間延びした返事。エクセルの目尻には薄く涙が浮かんでいた。


『先日話したネタ、まだ記事にしてないよな? アレをいまから号外にしてできるだけ速く街に配って欲しい』


――先日話したネタ? それって……


『文章は今から君が考えてくれ。この新聞社には輪転機もあったよな? 職人に頼んで急ぎでまずは二千枚ほど刷ってもらおう。あとは物売りの小僧にでも渡して配るように。ああ会社の屋上からバラまいてもいいな……』


「ちょ、ちょ、」


 口を塞いだ手が外れる。即座にエクセルは喋りだした。


「勝手に話進めないで下さいよ! それにあの時話したネタって、その、」


「それだよ」


 骨伝導音声ではなく、ウェイルーの生の声が囁く。


「ノル国虐殺と消滅。それを記事にして今すぐ世に広めろと言っているのさ。それも派手にな。というかなぜ今までやってなかったんだ?」


「あ、あんな内容のネタなんて編集長に言っても信じてもらえないに決まってるじゃないですか! それにあと何日かで公表されるなら急がなくても」


「まあ下っ端は信用がないのはどこの職業も同じか。急いでいるのはこちらも事情が変わったからだ。エクセル、よく聞け。殺人鬼のターゲットの条件がわかった」


「え」


 ウェイルーの言葉に固まる。あの商人どころか街婦さえ殺す殺人鬼の条件が特定できたと?


「それは、どういうことですか?」


「この連続殺人は最初は商人とその家族を標的にした殺人だと考えられていた。被害者の共通点は中央区の商人であることしかなかったからだ」


 商人だけが狙われる、それだけが条件だと思われていた。


「でも、それは違法薬物の売人をしていた商人もターゲットじゃないかって話は私とこの間しましたよね?」


「そう、だが違法薬物を販売していた商人もいれば一切痕跡がなかった商人もいる。殺された商人全てが売人だったわけではない。そして明らかに売人ではなかった街婦も殺されている」


 エリザの顔がエクセルの脳裏をよぎる。


「そ、それは、目撃されたからとか、カモフラージュで他の商人や違う人も殺していたとか? あるいは本当は条件なんかなくて行き当たりばったりに人を殺しているだけなんじゃ」


 推測にさらに推測を重ねる。事件を負うためのプロセスがより事件を複雑にしていく。


「なかなか街のお嬢さんらしからぬ恐ろしいことを言ってくれるな。だがな、そうではないんだ。行き当たりばったりでは目標が偏りすぎている。だがこう考えればうまくいく、殺人鬼は二人いる・・・・・・・・。つまり条件はそれぞれ一種類なんだ」


「ふ、二人?」


 殺人鬼は二人、ウェイルーの言葉をうまく飲み込めない。


「それは、協力者がいるとか、そうではなくて?」


「いや、恐らくは協力はしていない違う殺人条件を持つ殺人鬼が似たような殺し方でそれぞれ独立して事件を起こしているということだよ」


「あ、ああ!」


 エクセルの中で全てが繋がる。なぜ条件が絞れないのか。なぜ条件があるように見えてしまうのか。


「血痕の分布が事件現場ごとに三種にカテゴライズできる話は喫茶店で教えたと思うが、私も最初は複数の殺人鬼の可能性を少し考えていた。だが確信に変わったのはエリザの一報が入ったからだ」


 希望町で無残に死んだエリザ。彼女の死がウェイルーの直感を動かした。死者が生者の道となる。怪物を追うものを、怪物へと導く。


「彼女の事件だけが他の事件とは明らかに状況が違っていた。その殺した方だけは一撃型にカテゴライズできるものだったがね。だから私は彼女を徹底的に調べた」


 マッコイ老との情報収集は大きな収穫となった。


「それで殺人鬼が二人いると確信できる情報があったと?」


「彼女の出身国はノル国だ。正確に言えばノル国から流れてきた国籍がノル国の流民だよ」


「あ、ああ、」


 エクセルに突き刺さるような恐怖がわく。理解できてしまった、この殺人鬼は本質的に何をしようとしているのか。


「殺人鬼のうちの一人、一撃型にカテゴライズできるやつは、ノル国出身者を狙って殺している。商人か街婦かは問わないのさ。そんなものは条件じゃなかった。一撃型の血痕分布で殺されている商人は全てノル国出身者だ。アシュリー市は外国籍でも税金さえ多めに払えば超長期滞在できる商業主義都市だからな」


「つ、まり」


「そうだ。殺人鬼は確実にノル国虐殺を起こしたミキシングだよ。そしてやつの虐殺はまだ終わっていない。ノル国がまだ公に存在すると認められている内は、ノル国国籍の人間は全て消すつもりだ」


 理解できてしまった。なぜそれをしようとするかはわからない。だがなぜそれをやっていたかは理解できてしまった。

 それが恐ろしい。狂っている、果てしなく狂っている、そして機械よりも精密な怪物がこの街で蠢いている。


「……もう一人の殺人鬼の条件はわかったんですが?」


「それは君の推測が当たったよ。ミキシングと思われる一撃型の事件を今までの殺人事件から引くと、残った事件は全て売人の可能性が高い商人が犠牲者のものばかりだった。ある一件だけをのぞいてはね」


「一件だけ?」


「そう、ペルニド一家の事件だ。この一家は全員ノル国の国籍。売人だった痕跡も見つかっている。そしてこの一件だけが一撃型と複数型の両方の血痕分布が見つかっている。つまり」


「殺人鬼同士が居合わせた?」


「そういうことだろうな。あるいは行き違いになったか」


 行き違いになった。このことから考えるに二人の殺人鬼は確かに連携の類はしていないのだろう。むしろ会わないように片方が意図的に避けているようにすら感じる。


「ミキシング、ノル国虐殺犯がノル国籍法の人間を殺して回るのはわかる。いやわかるというかそういうものだと理解はできる。だがもう一人の殺人鬼、これの理由が奇妙だ。なぜ麻薬の売人、それも中央区の商人のみを狙っているかがまだわからん」


 残された謎。一体何がもう一人の殺人鬼を動かしているのか。


「殺害方法を意図的にミキシングと被らせている。つまり模倣犯コピーキャットだ。その理由も気になる。だが今からそのミキシングが動く理由を潰せば、そいつはどう動くか」


 変わらず殺し続けるのか。それとも停止することをさえも模倣するのか。


「その、本当に止まるんですか……? 国が消えたことを教えればミキシングは」


「それはわからん。だがまずやらればならぬことはこれから増える犠牲を止めること、そして状況を探ることをやめることだ」


 静かな口調の中に、はっきりとした戦意を感じる。この白騎士は予感しているのだ。事件の決着が近いことを。


「探ることを、やめる……?」


「状況はもう探らない。状況を今から動かし、自分で作り出すのさ。君と私でな」


 ▽ ▽ ▽


――なるほど。


 記事を読み終えて、片手で器用に折りたたむ。コートのポケットに無造作にしまうと、勇者は雑踏を歩き出した。もう片方の手には食材の入った紙袋。

 街に突き刺さった突然の号外。劇薬のような情報は蜘蛛の子を散らすが如く広がっていく。


――この記事が事実なら、ノル国は消滅したと国際的に認められた。つまりノル国国籍の人間はこの世に存在しなくなる。


 この街にきた理由はただの偶然だった。あてもない勇者となるための放浪、その最初に訪れた街。

 雑多な国籍や出身地の人間が坩堝となって渦巻くこの場所は、異邦人であるカゲイ・ソウジさえも飲み込んでくれる。ただ勇者となるために生きられたかもしれない。

 だがそれもある日、街の商人の一家がノル国国籍であるととある成り行きで知った時から終わってしまった。

 殺したいからではなく、殺されねばならないからでもなく、彼はただ殺すだけだ。決めたことを決めたまま、ただそのままに。


――だがそれももう終わりか。


 もう殺す理由はなくなった。ノル国国籍だった人間は元ノル国人、あるいは他国の国籍の人間として登録されるだろう。

 達成感も、何かが終わったという感覚もない。もう殺さないで済むのだという安堵も、もっと殺したいと願う欲求も、殺した者への後悔も、殺せなかった者への執着も、

 全ては空洞のままに。空洞こそが彼なのだから。


――今日の夕飯はどうしよう。エクセルさんはニョッキが気に入ったようだから、次はトマトソースでも作ろうか。メインは仔牛肉が安かったからバターを使ってコートレットでも……


 思考しながら歩を進める。場所は入り組み始めた路地裏。かつて歩いた場所。


――デザートは季節の果実にフレンチトーストでも添えようか。例えば黒ベリーのソースも作って。こんな風に・・・・・皿に流してみようか。


 思考したまま、地面に広がった黒い血の痕跡を見つめる。ゼントリーが倒れていた路地裏。捧げられた弔いの花とタバコの箱。


――彼はなぜ・・この場所で死んでいたんだろうか。


 ゼントリーは恐らくあの白騎士と待ち合わせをしていた。だが襲われたのならばなんとしても白騎士と合流を目指すはず。もしくは大急ぎでこの場を離脱するか。

 白騎士の進んでいた地点が近いことを考えれば合流を選んでいたのだろう。なんらかの情報を受け渡す必要があった。袖の中にわざわざ文章を忍ばせる時点でゼントリーは襲撃がある可能性も事前に考えていたのだ。

 警察の人間ならばある程度の戦闘もできるはずだ。だがあのとき見たゼントリーは、刺し傷以外は目立った外傷はなかった。腰の剣も抜いてはいない。つまり明確に戦闘をくぐり抜けて合流をしようとしていたわけではない。

 

 証言者という他の人間をゼントリーはあの時抱えていたはずだ。ならば証言者を守りながら逃げるのはあまりいい策ではない。白騎士と合流し証言者を共に守るのが最善の策。


 この街を知り尽くしていたとしたら、襲撃にあっても無傷で進むことができる裏道をゼントリーは知っていたのではないか?

 呼び出し場所を決める、服に情報を隠す、襲撃に備え裏道を抑えておく、それらをしていたはずの男が、やけにあっさりと殺されていく。そして証言者は消えた。


――この刑事さえも予測していなかったなんらかのアクシデントがあった?


 あるいはそれ以上に敵が上手だったか。


――いや、そもそもなぜ情報を渡すだけでこの路地裏に呼び出そうと……


 思考が途切れる。見たことがある長身に歩みが止まった。


「ああ、これはどうもたしか――ダクト刑事さん」


「え、ああ君は、エクセルちゃんところの、ええとソウジくん、だっけ?」


 どこか頼りない長身の刑事。気安い愛想の良さが威厳を更に削る。かろうじて腰に下げられた剣で威厳を最小限に確保。


「こんなところでどうしたんですか。事件の捜査ですか?」


「ちょっと、まあ、色々ね。君もこの場所で刑事が殺害された事件知ってるんだ?」


「ええ、まあ少しですが」


 知っているどころか目の前で見ている。


「……あの事件の殺された刑事は僕の直属の上司でね。なにか少しでも手がかりがあればと今更来てみたんだけどさ」


「そうですか。それは残念なことでしたね」


 義務的に悔やみの言葉を返す。こういうときはこういうべきだと学習はしてきた。


「う、うん、まあそうなんだけどさ……」


 一切の表情もリアクションもなくそんなことを言われても、さすがにダクトも反応に困る。


「あの花やタバコはダクトさんがお供えしたものですか?」


「え、いや僕は何も供えてなくてね。事件現場に余計なものおくと捜査の邪魔になるからさ。少しはなにか供えたかったけどね」


 近隣の住民が供えたものか。


「よく、タバコ吸ってた人だからちょっとは喜ぶかな。あの人によくタバコ買いに行かされたよ。

『酒とタバコは紳士の嗜み』なんていうくせにゼントリーさん銘柄にこだわりなくってさ。よく吸ってる銘柄がコロコロ変わるから間違えて買ってきて怒られたさ」


 愚痴の中に、少しだけ懐かしさが見えた。


「『僕タバコ嫌いなんです』って言っても話聞かないしさあ。酔っ払うと説教ばっかだしさあ」


 二年間、この青年とゼントリーが過ごしてきた時間は、一体どんなものだったのか。それはもうこの青年しか理解できないものだ。


「……それでも、なにも殺されることはなかったよ。こんな、冷たいところでさ」


「……ダクトさん、これ、一つ貰ってもいいですか?」


「え、それは……」


 ソウジが拾い上げたものは、ゼントリーへと供えられていた一箱のタバコ。


「別に僕のものじゃないけど、タバコ吸いたいのかい? だったら一つくらい買ってあげるから……」


「いえ、吸いたいのではなく、この箱に用があるんですよ」


「箱?」


「用が済んだら元の場所に戻しますから。それでは」


「ちょ、ちょっと」


 振り返らず、ソウジは歩き出す。一つ確かめなければならないことができてしまった。この一点から、今までの全てが繋がるかもしれない。 

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