第57話 愛玩

説明が必要なジョークなんざジョークじゃねぇよ!


 バットマンより/ジョーカー


 △ △ △


「だぁーからなんで毎度私は子供扱いされるかなぁっ!」


 飲み干した陶器のカップをボロい木のテーブルに叩きつけながら、エクセルは声を上げた。

 通算六杯目のシードルを飲み干し、さらにお代わりを頼む。

 近隣の村が現金収入として密造しているリンゴを使った発泡酒だ。密造酒なので税金分安く、アルコールが低くて爽やかな後味と炭酸で飲みやすい彼女好みの酒だ。


「人は見た目で大体を判断しますからね。……まあ見た目の問題だけでもないような気がするのですが」


 串焼きの肉をかじりながら物静かに返事をするソウジ。そのすねをテーブルの下のエクセルのつま先が蹴り上げた。

 焦げが激しく歯ごたえのある肉だが、味そのものは悪くない。塩とコショウが多少効きすぎである点と

なんの肉なのかよくわからない点をのぞけばの話だが。


 粗末な木材の壁と軋む床。周りでは酒杯をかかげ騒ぐ労働者、娼婦風の女、その他よくわからない職業の人々。


「あんたそんなの平気で食べてるけど、ここはなんの肉だすかわかんないんだからね? それ犬か猫かも日によって違うのよ」


 エクセルの指す肉串。メニューの張り紙には「肉の串焼き」としか書かれていなかった。

 初めてロエルゴにこの店に連れて来られたとき、うっかり犬を食わされそうになったのを彼女は思い出す。


「まあ食べれれば文句はいいませんよ。安いですし」


 変わらぬ表情のまま、青年は肉を飲み込む。




 アシュリー市外、貧民窟、希望街。その酒場である《赤鳥亭》は今夜も異様な熱気がたぎっていた。

 

 △ △ △


 晩餐を終えロエルゴ宅を出て帰路を歩く途中、急に「飲みたいから付き合え」とエクセルに連れて来られた。

 帰り際に名残惜しそうなロエルゴの妻リムシーに力いっぱいに抱きしめられ、役五分ほど情熱に満ちたホールドとキスと頬ずりを受けたエクセルは、憮然とした表情で七杯目のシードルに口をつける。肴はイワシのオイル漬けの缶詰、それに塩コショウとニンニクを加えて温めた物だ。

 さっきから抱きしめられて崩れた髪型を軽く直そうとしているらしいが、さっぱり直らないらしい。


「『私女の子も欲しかったのよ!』とか言われても困るのよ! そもそも私なんかもう成人なのに! オヤジさん、この肉どこの犬の肉なの!」


「今回は犬じゃねぇぞエクセルちゃんよぉ! 近くの村で駆除した岩猪イワジシの肉だぁ! エクセルちゃんも頼みなよぉ!」


「ほんとにぃ?」


 店主の返答に眉根を曲げて怪しむ。最初の経験からこの店では缶詰めを使った肴以外は頼まなくなっていた。


「でも以外ですね。エクセルさんがこういう店が馴染みだったとは」


「最初にロエルゴさんに連れて来られてね。こういう店でも聞き込みするから、一応顔を売っておけってさ。気楽だから好きなのよね、こういう所」


 背後から酒焼けした男の声や女の声で歌が聞こえてきた。誰かがギターを取り出し、誰かがチェロを引っ張り出す。楽器の無い人間は手拍子や指笛で奏でだした。

 やがて不揃いなリズムが始まる。バラバラな音がよじり合いながら、ふらつきながら、酔っているように歩き出していく。


「それに、こういうこともたまにはあるしね」


 歩くようなリズムはやがて一直線に走り出す。極まった一点を皮きりに、一人の女が高らかに歌い出す。


《――黄金の秋が来る 山々を赤く染めて 実りの足跡をつけながら 私の村に秋が来る》


 恐らくは、誰かの郷里の歌だろうか。太陽と山々、牧草と吹き抜ける風、兄弟と両親を想い歌う、小さな村の歌。


《――父よ この手を握っていて 母よ この手を離さないで 輝く秋の中に 私を置いていかないで》


 やがて多くの客達も歌い出した。酒に焼けた顔に浮かべる笑みに、僅かに浮かぶ懐かしさの感情。


「ソウジ、私ね、ここの歌が好きなんだ。ここでしか聞けない歌だと思う」


 このアシュリー市希望街に集うもの達は、大抵は故郷を追われた、あるいは自ら去っていったもの達ばかりだ。貧しさから故郷を捨てた人々が、酒を飲み一夜をかけて故郷の歌を優しく叫ぶ。


 楽しそうな表情と、熱気がこもる歌声の裏に、彼らの人生の悲哀がある。

 それゆえに、生きている人々がここに在ると思えた。過酷な運命の中でも、力強く生きている人々が彼女は好きだった。


 その内に立ち上がる人々が出始めた。歌声に合わせながら、あるいは歌いながらステップを刻み踊り始める。


「ソウジ、踊れる?」


「え、と、僕は」


 返答より早く、エクセルはソウジの手を握っていた。声を出すよりも早くソウジを引っ張り出す。

 酒場の中心へ歩くと、周りが歓声を上げた。


「エクセルの嬢ちゃんが踊るぞ! 初めて見たぜ!」


「なんだ! 彼氏連れてきたのか!?」


 困ったような、それでも表情無くソウジはエクセルに尋ねる。


「――えーと、エクセルさんは踊ったことはあるんですか?」


「家で社交界用のダンスは習ったわよ。……ここじゃ踊ったことないけど」


 さらに言えば、社交界に出たこともない。

 いつも盛り上がっている中で見ていただけだったから、試しに誰かと踊ってみたかっただけ――そう正直に言うにはまだエクセルの酔いは足りない。


「とりあえず私がリードするから、あんた合わせとけばいいのよ!」


 向かい合ってソウジと両手を組む。身長差で見上げなければ顔が見えない。


「お酒飲んで動くとヒドい酔い方しますよ?」


 言葉と同時にステップの一歩目。二歩目でソウジの足を踏んだ。


「……痛いです」


「……ゴメン」


 それでもめげずに三歩目、を踏み出した直後にエクセルの目の前に巨乳が飛び込む。そのまま顔が当たってバウンドした。


「……あら、あんたらこんな所で何してるの?」


 先ほど高らかに歌を熱唱していた娼婦風の女。彼女がエクセルとソウジのすぐ前に来ていた。


「あ、あんた、いや、あなたは……!」


 エクセルも見覚えがある。たしか一回会ったことがあった。


「ああ、これはどうも」


 色あせた金髪。胸元の開いた服。カラリとした気風の美女。


「エリザさん」


 かつてソウジのいた宿屋で出会った娼婦、エリザは返答代わりにエクセルとソウジを満面の笑みで同時に抱きしめた。





 △ △ △


「よぉーこらしょっと」


 部屋に入り、コートを脱ぎながら腰に付けていた剣を外す。

 もう重さにもなれたと思っていたが、やはりどうにも腰が慣れない。


「ご主人様のお帰りでーすよーっと。ほらおいでおいでぇー」


 ソファーに腰をかけながら、ネクタイを緩めた。茶を飲むためにお湯を沸かすのもどうにも面倒くさい。天井を見上げたまま声をだす。


 これがダクト・マッガードのいつもの帰宅風景だ。市内中央区の単身者用安アパートメント。もう二年、アシュリー市で刑事を続けているがさっぱり生活は変化しない。相変わらずの独身貴族だ。


 トテトテと床を叩く足音。ハッハッと荒い呼吸音。投げ出したダクトの指をペチャペチャと舐め始める。


「お、よーしよし今日もお前はいい子だねぇ。静かだし素直だし。飼い始めた時はどうなるかと思ったけど、ほんとお前を飼って良かったよ」


 この街ではストレスばかり溜まる。この二年間ではこの愛玩物だけがダクトのささくれた心の癒やしだった。


「ゼントリーさんっていう人なんだけどさあ、……あ、お前は知らないよな。会ったことないし。ほんといい人な上司だったのにさあ、死んじゃったんだよねぇ」


 頭を撫でながらとつとつと今日の出来事を語る。ペットはじっとダクトの話を聞いていてくれた。


「またウェイルーさんていうすごい美人な上司が来たんだけどさあ。これがキツい人なのなんのって。でも優秀な人なんだよなあ。憧れちゃうよなあ……まあお前は見たことないからわからないだろうけどさ。お前はいいよなあ、ここから出ないでいられてさあ」


 軽薄な口調。弛緩した心のまま、男はゆっくりと立ち上がる。


「そうだ、ご飯やらなきゃな。肉屋で切り落とし肉買っておいたからエサつくってやるよ。ほんとお前はいい生活だよ。黙っててても安心して暮らせてご飯も食えるんだから」


 ハッハッハッと息を吐いたまま、ペットはダクトを見つめていた。


「――でもお前みたいには死んでもなりたくないなあ、僕は」 

 

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