第56話 ブーン家

「あ、あのさ、ソウジ……?」


 仕事帰りの人間で溢れる雑踏の中、家へと案内するロエルゴの後に続くソウジに、エクセルがおずおずと声をかける。表情には心配と不安が浮かぶ。


「なんですか、エクセルさん?」


 ソウジは振り返らない。返答しながらも、ロエルゴを追う。


「ロエルゴさんには十才の息子さんいるんだ。ケルビンっていう子なんだけど、その、……病気なんだ」


「病気?」


「うん、かなり病状が悪くて……今はほとんど意識がないことのほうが多い。でも、調子の良いときは話したりもできたりするし」


「……なんの病気なんですか?」


「内臓の疾患らしくてね、三才ぐらいのころからほとんど寝たきりなんだ。あ、でもけして移ったりする病気じゃないから! 心配はしないで! だから」


 説明に必死さが宿る。病気の知識が不足している人間は珍しくはない。病気であるというだけで、感染を恐れ極端に遠ざけようとする人間はいままでいくらでも見てきた。

 この穏やかなソウジも、ひょっとしたらそんな行動を取るかもしれない。そんな心配がエクセルの胸中を支配する。


「ええ、わかりました。ケルビンさんですね。大丈夫です。けして病気の件で失礼なことはしませんよ」


 こともなげに返した返答。いつも通りの無感情な口調。だがエクセルは胸をなで下ろす。

 ソウジは「しない」といったことは絶対にしない。そんな人間だという奇妙な信頼があった。飾り気はない、だが嘘もつかない。一種ユーモラスなほどに、純粋だと思う。

 それがカゲイ・ソウジに対してのエクセルの印象。


「あ、ああ、わかってくれたらそれでいいか、ら! わ! ちょ!」


 人ごみに小柄な体が押され、エクセルがはぐれそうになる。雑踏に飲み込まれそうな彼女の手を、細く白い手がしっかりと掴んだ。


「大丈夫ですか? エクセルさん」


 エクセルをそばに引き寄せながら、勇者が呟く。雑踏に押される彼女を回した腕で守りながら、視線はロエルゴの背中を捉えている。


――い、以外と大胆だなコイツ……ていうか、近い!


 声に出さずともエクセルの顔が僅かに赤らむ。ソウジに他意があるのかないのかイマイチわからないが、今はこうするのが安全か。



 ▽ ▽ ▽


 招かれたブーンの家では、リムシーが出迎えてくれた。

 どうやらエクセル達を晩餐に呼ぼうとしたのはブーンの急な思いつきらしく、二人を見て少し慌てていたようだがすぐにイヤな顔もせず嬉しそうに了承して夕飯の準備に取りかかった。


「ここがロエルゴさんのお宅ですか」


 部屋を見渡してソウジが呟いた。家は中央区の一般市民の多い居住区、その中の平凡な一軒家だった。

 中古らしいやや古い外見とは裏腹に、家の中のテーブルのレースやカーテンなどの小物には細かな刺繍が施された物が使われておりよく手入れされている。恐らくは全てリムシーの作った物。

 さほど裕福でもなく、だが貧しくもない。極々平凡な中にリムシーの暖かい気遣いと優しい人間性が表れた家だった。彼女は、本当に家族のために何かをすることが好きなのだ。


「さあ、ケルビン。お客さんに挨拶だ」


 奥からロエルゴの声が聞こえる。やがて軋んだ音を立てながら、車椅子が運ばれてきた。


 少年の目は虚ろだった。生気のない瞳と、寝間着に隠れていてもわかる痩せた身体。日に当たらないために白い肌と、力なく垂れる肢体。

 胸の規則正しいわずかな動きで少年が辛うじて生きているのがわかる。

 はっきりとした意識は、無いだろう。

 逞しい肉体を持つロエルゴが後ろに立つと、少年の枯れた様子がより際立って見えた。


「こんにちはケルビン。ひさしぶり」


 エクセルは笑顔で少年の手を取る。少しでも自分という存在を少年に伝えようとしていた。

 笑いかけ、言葉を送り、手の温かさを伝える。必ず少年に届くはずだと、そう強く信じている。


「今日は調子は良いのケルビン? こっちのノッポはソウジっていうの。ほら、ソウジ」


 ソウジに声をかける。延ばされた長い手が、エクセルから受け取った少年の手をゆっくりと、そしてしっかりと掴んだ。


「初めましてケルビンさん。カゲイ・ソウジです」


 虚無が、少年へ囁く。



 ▽ ▽ ▽


「ケルビンにはちょっと驚いたか、ソウジ?」


 急いでこしらえたらしい、というわりにはなかなかの量のリムシーの料理を食べ終えロエルゴが尋ねる。

 ケルビンは挨拶を済ませると、ロエルゴによって部屋に戻されていった。リムシーは台所へ


「いえ、事前にエクセルさんに教えて貰いましたから動揺はしていません」


 食後のギヤマ茶を啜りながらソウジが答えた。やはり無表情のまま、視線は薄赤い色のカップを見ている。


「……そうか、すまんなエクセル。ソウジ、君はなかなか落ち着いた人間のようだから、大丈夫だろうとは思っていたがな」


「あ、あの、」


 エクセルが不安を払うように声を出す。表情には最悪を想像している痕跡が見える。


「ケルビン、ちょっと前より体調良さそうでしたよね? あれなら、きっと病気も段々良くなって……」


 最悪を否定したいから、最悪を遠ざけようとする。人間的な、極めて人間的な弱さ。人が人であるゆえに、弱さが人であることを保証する。


「エクセル、ケルビンは、もう、――長くは持たないだろう」


 手を組み、祈るような格好でロエルゴは答える。

 弱さが人らしさであるというならば、現実を受け入れる強さもまた人の光であるはずならば。


「かかりつけの医者もそういっている。俺もどこか、そういう予感がある。余り時間はないだろう。……最後まで、親としてやれることはやっておきたい所だが、な」


 弱さを抱きながら、強くあろうとする姿に、人の価値があるはずだ。


「ま、家にきて早々に他人の事情など聴かされても面食らうか? 俺がソウジくらいの頃なんぞ、自分が人の親になるなんて考えたこともなかったからな」


 またいつもの軽い口調に戻る。ソウジを見つめる目には、若かりし頃の自分自身が写っていた。


「ロエルゴさんは若い時から記者をしていたんですか?」


「ん? なんだ、普段は『我関せず』な顔してるおまえさんでもやっぱり人の事には興味が湧くか?」


「そうですか? 僕はいつでも人間というものに興味を抱いていますけど」


「そうかい、まあそりゃいいことだ。ま、俺は若い頃は――まあ今のソウジと同じくらいの頃はほとんどゴロツキみたいなもんでね。ちょっと読み書きに不自由しないのと、少しばかり文章を書く才能があったぐらいさ」


 裕福な出身ではない。中央区よりは、希望街のような所で生まれ育った。


「食いつめた若造は大体軍隊に行くものさ。俺は読み書きが出来たから、軍の内報作りに行かされたのさ。そこで記者みたいなことをやってた」


 従軍記者、あるいはそれに近い仕事だ。軍の広報として命じられた内容の記事を書く。


「軍の仕事だからな。内情がいかに腐ってようと、命じられた通りに記事を書くのが俺の仕事だった。やれ魔族を退散させただの、清く正しい軍人が国を守ってますよだのと書いてたわけさ」


 無意識に手が胸元へ動く。煙草の箱をだしたあたりで、ピタリと手が止まった。


「おっと、ケルビンがいるから家じゃ吸わないと前から決めてたんだがな。どうも習慣でまた出しちまう」


 バツが悪そうに箱をしまい、苦笑いで誤魔化した。


「とにかくそういう汚いものはそれなりに見てきてな。兵役期間も終わって、軍を止めて新聞記者でもやろうかって辺りで、ガキが出来たんだ。

リムシーとは酒場のウェイトレスと客の関係で知り合った。しばらくつき合ってたら子供が出来たっていきなり言われてな、慌てて籍だけいれたんだよ。

で、その時の子供がケルビン」


 二人とも若く無鉄砲だった。どこか投げ遣りな、それでいて漠然と自分達の未来を信じていた。

 それが若さだと思っていた。


「その時の新聞記者なんてもんはな、あんまり良いイメージの職業じゃなかったのさ。とにかく人の嫌がることを根ほり葉ほり調べて回って、話半分でも記事にして売っちまうロクデナシかなにかぐらいにしか思われてなかったんだ。今から七年ぐらい前、エクセルと初めて知り合った時も、かなり厄介者扱いされたからな」


「そ、それはもう昔の話ですよ! 私だってあの頃は子供でロエルゴさんのこともよく知らなかったし……!」


 黙って聞いていたエクセルが、突如として向いた矛先に反論する。


「あの頃、と言っても今でも大して見た目が変わらんもんなんだがなあ……とにかく、ロクな職業じゃなかったのさ、新聞記者というやつはな。手に入れたネタで強請ゆすり紛いをやったやつもいたからな」


「ロエルゴさんもそのようなことを?」


 ソウジのストレートな質問に、ロエルゴが軽く笑う。


「そういう仕事なら、俺もそういうことをやればいい。最初はそう考えていたんだがな。

ケルビンが病気がちなのがわかってから、考え方がちょっと変わってきた」


「変わった?」


「ああ、『俺の息子はこの世の中でちゃんと生きていけるだろうか?』ってな。俺も親バカになったもんだよ」


 守るものが出来て、人は変わる。どれほどの無力であろうとも、もう無力ではいられなくなる。


「いい年だからな。世の中の汚さやわけのわからなさなんてイヤというほど知ってた。でもその中にケルビンを送り出さなければいけないと思った時、自分が親として何をするべきなのか、生まれて初めて本気で考えたんだよ」


 言葉には熱があった。心を決めたその時から、冷めない熱が宿っていた。


「世の中がどんなに腐ってても、それを作ったのは結局の所は俺ら大人だからな。それをケルビンに背負わせるのは、その、親のやることじゃない気がした」


「だからあなたは、不正を正す記事を書き始めた?」


「ああ、我ながら親バカな理由かもしれないがな。でもケルビンが安心して生きていける世の中にしたかったんだ。別に俺一人だったら、こんなことは思わなかったろうさ、だがケルビンが生まれてから、そうしければいけない、そう思ったんだ」


 正義でもなく、怒りでもなく。虚栄でもなく、欲望でもなく。

 ただ息子を愛していた。息子が笑って生きていけるようになってほしいと思った。

 残酷な世界を変えるのは、そんなシンプルな動機だけで良かった。

 守るものが出来た時、人は無力ではいられなくなる。無力だからという諦めを投げ捨てて戦うことができる。


「ソウジ、おまえさんはまだ自分の本当にやりたいことが見つかってないんじゃないか?」


 ロエルゴが勇者へ語りかける。いつも無表情なこの青年に、かつての無軌道だった自分のような空洞があるとロエルゴは感じていた。


「……やるべきことは、あります。ですが、自分でやりたいと思えたことは、まだありません」


 埋められない空洞は、何も生み出してはくれない。進むべき道も、戦うべき何かも、守るべき存在も、なにも示してはくれない。


「俺もそうだった。そんな風に生きていて、ある日突然に自分が何をするべきか気づいた。だからおまえさんも、きっと自分がなにをするべきか、いつかわかる時がくるさ。わかった時にそれをすればいい。

その時が遅すぎることなんて、そんなことはないさ」


「……はい」


 男の言葉に、勇者は頷いた。

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