第79話 イレイザー


「やあ、また会ったね……」


 溶けた左腕、引きずる脚。半壊した鎧。それでもなお、消えない闘志。それでもなお、輝く美貌の女。

 燃え盛る街の中で、敗北者達二人は、再び出会う。


「言いたいことはそれだけか」


 さ迷うウェイルーは、瓦礫の上に横たわる、上半身だけのイレイザーを見上げ、そう呟いた。


 △ △ △


 遠くに見える一際高い建物――時計台はもはや骨組みだけを残し、炎に包まれてなお屹立している。

 カゲイ・ソウジが即席で作った多重磁性反発式加速弾体発射装置――レイルガン、その発射の反動に骨組みは耐えられても外壁は耐えられるわけもない。凄まじい放電と衝撃波、そして熱量を周囲に振りまいて近くの建物は軒並み吹き飛ばされていた。


「一つ、問おう。お前はなぜミキシングに挑んだ? お前の任務が痕跡を消す後始末役なら、ミキシングを無視して任務を遂行し、後は立ち去ればそれでいいはずだ。なぜ、奴に挑む必要があった」


 溶けて原型を失った銀光ライラ。半壊した鎧、白はもう煤に焦げて色を失っている。兜は壊れたのでとうに破棄した。汗と血に濡れながら、復讐者の美貌が光る。

 引きずる脚は、それでも向こう側へ。イレイザーへ向かう。


「なぜ、か。――君は良い眼をしているな。後悔というものを抱えたことのない人間の眼だ。濁った色がない」


「答えろ」


 イレイザーの胸から下は完全に消失している。切断面から機械が覗き、火花が上がる。通常なら間違いなく即死する損傷。だがイレイザーはそれでもなお、笑う。その笑いは、いつだって己自身に向けられている。

 

「私とて、かつては目指したいものがあったのさ。今の後始末役でなくな。だがそれもとうに諦めていた。気が付けば、私の目は酷く濁っていた。今のこの複眼のほうが遥かにマシに見えるほどにね」


「お前の身の上話に興味はない」


「君はあのミキシング、あれをどう思う?」


「――やつは、殺す。必ずこの手で」


 氷の美貌に宿る、一瞬の憎悪。その表情で、イレイザーは彼女とミキシングとの因縁を計る。


「戦う理由があるんだな……まあ、身の上話は聞かないよ? そうだな……あれは、どうしようもない空洞だよ。この世界の害悪にしかならないものだ。あんなものと出会ってしまっては、あれを知ってしまっては……私のような濁ったものはもうそのままではいられなくなるよ」


 イレイザーの口調と声色に苦痛はなく、消耗も伺うことはできない。それまでと一切変わるものはない。

 ただ、その言葉からは確実に力が失われていた。


「ならば、一体何になるというんだ、お前は」


「あんなものと出会ってしまってはね、全てを清算できると思ってしまうんだよ。今までやってきた間違いも、納得のできないことも、己への絶望も、あれを殺せれば全てを帳消しにできるのではないかとね。あれを殺すことは紛れもなく世界を救うことだよ。世界を救えるのならば、それまでの己の後悔など、全て消してしまえるだろう」


「そのために、お前は挑んだのか。お前の自己満足のために、一体何百、何千の無関係な人間が戦闘に巻き込まれて死んだと思っている!」


「たしかに、私は私の理由のために街を戦場にした。だが――何千人程度の犠牲でアレを殺せるなら安いもの、君だってそのくらいは考えてるんじゃないか?」


 イレイザーの複眼は、ウェイルーの心の片隅にあった思考を見抜いている。


「市民と軍人を犠牲にすることは意味が違う!」


「意味が違う、たったそれだけだろ? ――あのミキシングと出会った私のような濁ったものは、必ずアレを殺そうとするだろう。それまでの己全てを清算できるチャンスを、英雄となれる機会を見逃せるはずがない。これからあの怪物と、血みどろの殺し合いが幾つも起こるはずだ。その度に今夜のようにあるいは今夜以上に人が死ぬ。おびただしく死ぬだろう」


 予言のようにイレイザーは言葉を紡ぐ。それは恐らく、いずれくる現実へ至る言葉。


「そしていつか君は思うだろう。今夜の地獄は、今日の地獄よりもはるかに穏やかなものだったと。――さて、余談は終わりだ。私の生存時間もせいぜいあと数分。離れていてくれることをお勧めするよ」


「お前からはまだ取りたい情報が山ほどある……簡単に死なせると思うか!」


 飛び込もうとするウェイルーを、イレイザーは笑って止めた。


「止めたほうがいい。この身体は色々改造されていてね、極秘機密扱いなんだ。だから生存活動が止まれば跡形もなく自爆するようになっている。周りの人間ごと、ね」


「そんなことをわざわざ伝える理由がない」


「理由は二つだ。君のような勇敢な美人を自爆に巻き込むような不粋はやりたくない。

それと、これをやるときは一人でゆっくりやりたいのさ」


 胸元のポケットから取り出される、半ばで折れた葉巻。


「……」


 僅かな沈黙。無言のままウェイルーは背中を向けて歩き出した。


「――お気遣いに感謝するよ、マダム」


 去りゆく彼女に礼を告げる。葉巻を胸から下の火花を上げる切断面に押し付けて着火。ゆっくりと吸い、口腔に煙を満たし、味わう。


「済まんなルーウィン。わがままを通させてもらった。後は頼む」


 燃え盛るアシュリー市に、天を貫くような細い火柱が上がった。それは墓標。散りゆく名も無き男の、一瞬の生の証。



△ △ △


 火柱を見上げ、暗闇の大河、その水面に立つ喪服の少女――コードネーム、アルパーにじゅうはちごう、改造体名「悲哀者ヴァン・シー」――本名、ルーウィンは全ての決着を知った。


――イレイザー、負けたのか……お前が……お前ほどの男が……!


 まだ信じることができない。だがあの炎柱は間違いなく生命活動停止後の機密保全機能によるもの。

 それが起こったということは、イレイザーは確実に死んだのだ。


「これが……お前のやりたかったことなのか、イレイザー……」


 力なく、少女は呟く。

 イレイザーとの付き合いはそれほど長いものではない。そしてどちらかといえば苦手な相手だったと思う。それは彼が、彼女にひどく気を使っているのがわかるからだった。

 彼女の改造された身体の事情を知っているから、彼女が街の中に一生入れない存在だと理解しているから、そしてその一生を送らねばならない彼女がまだイレイザーよりも遥かに若い子供だから。

 恐らくそう、彼は思っていたのだろう。

 その優しさが、彼女は嫌いだった。下手に人として扱われるくらいなら、最初から物として接して欲しかった。同じ人殺しなのだ、意味の無い優しさなどいらないと思った。


 そして、失ってわかる。この喪失は、心のどこかで彼の優しさに頼っていたからなのだと。


「後は任せる。お前はそう言ったよな。――ならば、わたしは後を終わらせよう!」


 ならばせめて、イレイザーの最後の言葉を遂げたいと思う。無名機関ネイムレスの任務としてではなく、今一瞬だけでもいい、ただ一人の、人として。


「タービン始動! 隠密魔術ステルス解除! 浮上開始!」


 少女の身体が水面から持ち上がる。それに連れて、大河の中に隠れていたものが顔を出していく。

 沈黙の暗闇を、静音魔術の解除により内燃機関の轟音が蹂躙する。巨大振動に水面が割れ、大きく沸き立つ。

 それは巨大な大海蛇シーサーペントの頭部。継ぎ目のない蒼塗りの金属で構築される人工の大蛇。

 六対の人工義眼と、大きく開かれる炭素コーティングされた牙が並ぶ顎。せり上がる頭からは長く伸びる首に胴体が連なり、軋む音を立てながら水面から高く持ち上がっていく。

 同時に人工大海蛇の周囲には円環の滝が真横・・に流れていく。それが大きく太く成長。カナギナ大河の大量の水を操作して蓄えているのだ。


「圧力上昇開始! 砲身バレル展開!」


 大きく開かれる大海蛇の顎。魔術の力場によ疑似砲身が魔術紋様の光と共に構築されていく。照準は、アシュリー市の中心へ。


 ルーウィン、悲哀者ヴァン・シーは水流操作の魔術が使えるギフトマンである。彼女の体はその能力を最大限にまで増幅できるように改造されている。

 彼女の改造された体の作戦用途は「都市殲滅」。

 増幅された水流操作により莫大かつ高圧の水を放水。都市に叩きつけることで、地域一体を吹き飛ばす能力を持つ。

 彼女の放つ毎秒数百トンクラスの超高圧・広域ウォータープレッシャー、魔術名流体圧殺獄術式テン・シィ・シィ

 イレイザーの点による痕跡の消滅と、ヴァン・シーの面による殲滅。炎と水の破壊者、それが彼女とイレイザーの役割だった。


「圧力臨界まであと……」


「なぁ、それ、止めないか?」


 不意に響く声に、ルーウィンの動きが止まる。視線が下側を向いた。


「それやったら、すげえ人死ぬだろ? 嬢ちゃん、だから止めようぜ。頼むから、な?」


 振動で揺れる水面。その上に古びた小舟があった。その上に立つ、人影。暗くて姿がよく見えない。声は中年の男のもの。


――こいつ、どこから来た……?


 ルーウィンは常に振動探査を発動させている。何かが近づけばすぐわかるはずだ。なぜこの距離まで気づかなかった。


――どうでもいい!


 視線を直し、再び魔術に集中する。そんなことはどうでもいい、この街を吹き飛ばせばそれで終わる。


「おーい! 聞こえてんだろ! 無視しないで! 悲しくなるから! だから止めてって! 魔術撃つの止めて! 頼むから!」


「うるさい」 


 見もせず、水流操作を実行。小舟の真下から高圧水流が飛び出し、瞬く間に船を砕く。


「うおっと!」


 飛び出す人影。そのまま水面に沈む、ことはなかった。

 そのまま、水面へ着地・・した。


――……! 水面に、立った!?


 そして走り出す、ルーウィン――大海蛇の元へ。


「ちぃ!」


 即座に追撃の水流操作。今度は人影を囲むように濁流が襲いかかる。


「変――――」


 人影の腰に、赤く宝玉の光。渦巻く超高圧の魔力の奔流。凝縮され形を持つ力の予感。


「――身」


 埋め尽くす濁流を盛大にぶち抜き、赤の光を放つ人影が高速で飛び出す。次の瞬間、巨大な衝撃が大海蛇を貫いた。圧力に巨体が後退する。


「こ、れは!」


 大海蛇ほどの質量を後退させる、常識ならば対艦砲撃クラスの魔法と考えるだろう。だがこれは違う。直感的に違うとルーウィンは確信する。人間ならば、その経験があるならば、この衝撃は何によるものがすぐに理解できる。これは。


――殴られたっ!?


 拳打。どれほどに強大であろうと、これは紛れもなく拳による打撃。砲撃クラスに匹敵する拳の一撃。


「まさか、貴様は、貴様はぁ!」


「だからいったろ、止めろってさ!」


 赤の光はすでに高速機動に入っている。水面を蹴り、ルーウィンの周囲を走っていた。

 超強力な打撃。不意に現れる存在。男の声。これらの特徴を併せ持つ、最悪の相手をルーウィンは一人しか知らない。


「貴様かぁ、 ガランド・ロクロォ!」


 少女は、五英雄が一人、人類最強と呼ばれる男の名を叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る