第80話 英雄


 暗闇のカナギナ大河を、稲妻の如き赤の閃光が走る。閃光の後ろを水の瀑布が乱舞。男の背面を揺れるマフラー。水流操作による高圧の水柱みずばしらでは世界最強とされる英雄、ガランドの直進速度に対応できない。


「ならば、これだ!」


 人工大海蛇メタルシーサーペントの全長百メートルを超える長大な胴体、その耐圧装甲が一斉に展開。両側面に一列に並んだ射水砲塔全七十機が起動。機体内部に搭載された研磨剤と混合されて高圧放出される。夜の闇に唸りを上げる内部エアコンプレッサーの咆哮。


 暗闇を光の反射が彩る。即座に赤の光の手前が爆発した。


 超高圧の水流を二ミリの穴からマッハ五の速度で放出。それをルーウェイの水流操作で湾曲起動させて簡易のホーミング機能を持たせる。五十センチの鉄材さえも容易に切断するウォータージェットカッター。空間を埋め尽くす切断の乱舞が世界最強の男、ガランド・ロクロォに襲いかかった。


「これは危ないな、っと!」


 それでも男の口調は変わらない。殺到する水の刃を寸前で避ける、即座にかわす。水面を走り抜けながら、完全にマッハ五の攻撃を見切っている。


「舐めるな!」


 七十機のウォータージェットカッターを全て更に一斉駆動。一点に束ねてガランドへぶつける。刃どころではない、水の破城鎚だ。


「無駄だ!」


 ガランドの手前で、破城鎚が直角に曲がる。跳ね上がった水流が空で失速。遥か後方へ落ちていく。わずかに見える空間の歪み=高精度重力制御魔術の証。


――これが……世界最強の……!


 先ほどの対艦砲クラスの衝撃は、この重力制御魔術によるもの。拳から放たれる魔術による疑似重力の衝撃波――魔術名、重波撃術式ダムドだ。今度は全面に重力の障壁を張ることによりウォータージェットカッターの集中攻撃さえ防いだ。そして直前までの水の刃を避ける超人的動作。


 超破壊を生み出す異次元の魔術、超人の域にある格闘技術、そして圧倒的な戦闘経験。


 改造された魔術師である悲哀者ヴァン・シーのルーウェイといえど、彼に勝てる可能性は極めて低い。いや、存在するとさえ言えない。

 竜種以外の人類最大の脅威である魔王軍。その主戦力部隊、「朱牙部隊」と四国同盟の正面衝突が起こった第一次、第二次牙戦役での指揮将「霧のイェルニギル」を打ち倒し勝利に導いた戦績。

 アルザ地方に現れた重式古竜三体、「アルザⅠ」「アルザⅡ」「アルザⅢ」を単独で討伐。通算公式討伐竜記録三百七十八体。

 名を上げるために決闘を申し込んだバシリィ国の国剣十二騎士の七位「アラドヤン」三位「ギダイン」を討ち果たす。

 そして非公式記録として無名機関ネイムレスの上位クラス、名有りネームドマンと呼ばれる二十人のうちの六人を戦闘の末に撃破。


 これら数々の戦績を作り出し、そして今なお作り続けるガランド・ロクロォに、ルーウェイの能力では勝てるはずがない。

 今ルーウェイが生きているのは、あのガランドがまだ彼女を殺す気がないだけということに過ぎないのだ。

 明確に、手加減されている。情報を得るために生きて確保したいからか。それとも、ルーウェイが子供だからか。


――侮っているならば、その隙を狙う!


「だから止めよう! 大人しく武装解除して投降してくれ!」


 語りかけながら、直進するガランドへ、ルーウェイが乗る大海蛇の頭が動く。轟音を上げて開くあぎと。三重に並ぶ単分子コーティングの牙の群れ。


「黙れぇ!」


 戦艦の横腹さえもぶち抜く牙の一撃。閉じられていくその隙間には赤の光を発する人影。ガランドがいる。


「潰れろ!」


 噛み潰すために出力を上げる。しかし顎は動かない。いやむしろ軋んだ音を立てながらゆっくりと開かれていく。魔術燐光はない。恐らく単純な身体機能による力業。

 ガランドの右腕が牙を掴んでいた。両脚は下顎の牙を踏みしめる。左腕は中腰に力を貯める構え。拳の表面に、幾何学的紋様を描き赤の光が集う。


「――ッふッ!!」


 振るわれる左拳の鉤突き。魔術燐光の薄い光。一瞬空間がたわむ=重力魔術の発動。次の瞬間、轟音と共に大海蛇の左側上顎が大きく吹き飛ぶ。舞い散る牙、人工眼、その他部品の数々。


「ああああッッ――――!」


 悲鳴を上げる悲哀者。顎から逃れ落下するガランド。水面へ重力制御により足場を作り着地する。


「まだ抵抗するならっ!」


 言葉と共に、ガランドの周囲にまたも魔術紋様が展開。燐光が走る。右拳を水面へ叩きつけた。


 空間がたわむ。空気を揺るがす重い衝撃。胃袋がひっくり返る異様な感覚にルーウェイも混乱する。


「な、なにっ!」


 視界が上昇する。夜の大河を見下ろす視点が、更に上へ。浮いている。大海蛇の巨体、それが周囲の川の水ごと空中に数十メートル、水面から浮遊している。下向きに働く重力を上向きに働く疑似重力術式で相殺しているのだ。

 半球状の水に下半分を包まれながら、不可視の重力の手で全身を掴まれている。

 総重量千二百トン超、中型の戦艦クラスはあるはずの自分・・を周りの水ごと浮かばせるとは。桁外れの魔力。

 圧倒的力の差に言葉を無くす彼女へ、ガランドは語りかける。


「もうやめよう。君の生命と安全は必ず保証する。俺が保証させる。だからもう抵抗するな。しないでくれ。頼む」


 立ちふさがる何者も、全て打ち砕いてきた男は、少女へ頼むと言った。あらゆる障壁を、あらゆる困難を、その力でねじ伏せてきた男は、少女へ恥も驕りもなく、ただ懇願する。彼女を救うために。


「ガランド・ロクロォ……お前は」


 最強と呼ばれた男の語る言葉とは思えなかった。やろうと思えばいくらでも殺せるだろう。いくらでも叩き潰せるだろう。しかし、今は言葉による決着を試みようとしている。

 彼は優しい男なのかもしれない。だが、それは他人から見ればこの上ないサディストだ。圧倒的な力を見せながら行使せず、人の意志を本人の意志でねじ伏せさせる。ある種、究極のサディズムとも言える。

 最強と言われる人間だけに出来る、この世で最も悪意無く優しい嗜虐だ。


「――その身体も、完全にとはいかないかもしれないが、よりはずっとマトモにできるかもしれない、そんなもの・・・・・よりはずっと、だから」


 故に、人は抗う。己の魂が、燃えるままに。


「そんなもの、か。――そんなものだと……!」


 タービン音が高まる。上昇する内部圧力は轟音を上げ、大海蛇の表面装甲が悲鳴を上げ、亀裂が走る。


「――! やめろ、やめるんだ!」


「そんなもの……この身体は、貴様・・が世界にバラまいたもので造られたんだぞ……貴様が元凶だろうに! どの口でそれを言う! ガランド・ロクロォ!」


 半壊した大海蛇の顎が再び開いた。金切り声を上げて、疑似砲身を形成。力場による圧力で周囲の疑似重力力場に干渉。ゆっくりと巨体が着水する。

 砲身の照準は、もう一度アシュリー市へ。


「はははは! 機体の限界を超えるまで圧縮したハイドロプレッシャーだ! 数百トンクラスの水をマッハ三以上で発射できる! お前の守ろうとした街を吹き飛ばしてやろう! 万単位で人が死ぬぞ!」


 そんなものを撃てば彼女もただでは済まない。だがもうそんなものはどうでもいい。この最強と呼ばれた男に、一生残る傷を与えられればもうそれでいい。それが自分の、生きた証となる。


「やめろ、やめてくれ! 俺は、君を、ただ……」


 男の悲痛な叫びを無視し、彼女の魔術紋様が収束していく。


「イレイザアアア! 見ているか! これがお前への弔い……」


「――――馬っ鹿野郎おおおおおッッ!」


 ガランドの絶叫。瞬時に大海蛇の巨体が沈む。展開された高重力術式により重力が十倍以上へ。重力の影響は表面積と質量に比例する。大海蛇の長い胴体は過負荷に耐えきれず途中で分断、火花を上げて尻尾が大河深くへ沈む。


「あああああ!」


 少女の苦痛に悲鳴。同時に最強の男が飛ぶ。足場となる重力の壁から超級の衝撃波が発生。大河の水が爆発。

 遥か空の月光に、赤の光が重なる。錐揉み状に体を回転。黒雲の浮かぶ空間を、膨大かつ緻密な魔術紋様が埋め尽くす。圧倒的。ただ圧倒的な、破壊のみを追求する魔術情報。

 光の軌跡を描き男の体が落下、重力術式により更に加速。生み出される衝撃波が後方の雲を盛大に吹き飛ばす。追加に慣性制御魔術も併用、インパクトの一撃の威力を増幅。右脚を突き出し、その目標は、大海蛇の胴体中央。

 それは究極の破壊。神話時代の魔槍の如く、全てを貫き砕く必殺の蹴り。超圧縮重力波発生――殲破撃術式クラッシュ


 天より降る赤の稲妻が、大海蛇の胴体を吹き飛ばす。


――あ、あぁ……


 同時に起こる爆発の中に、ルーウェイの最後の意識は飲み込まれいく。

 二度と戻らない、光の中へ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る