第78話 雷弾


 燃え盛る街と、立ち上る黒煙。吹き抜ける熱風が喉を乾かしていく。むせながら、エクセルは屋根から周囲を見渡す。アシュリー市が燃えている。かつて尊敬する師が、自分が、ソウジが、生きていたその場所が壊れていく。だが、不思議とまだ喪失を感じない。重なる非日常に感覚が鈍化しているからなのか。もう少し時間が立てば、喪失に涙する事もできるようになるのか。今この時を、生き延びられるのかさえわからないのに。

 先ほどのソウジと襲撃者の空中戦闘からは無傷で生き延びたが、これからはどうなるかわからない。


「あの、足だけで走ってくとか……なんだったのあれは……?」


 突如動き出したオースマンの下半身。全速力で走っていったが、一体なにが起きたのか。

 答えのでない現実に頭を悩ませている時、視界の端、地上の闇に何かが動くのが見えた。


「な、に?」


 闇の向こうから、蠢く何か。やがてそれがなにかわかる。半裸の女。服が破れ、髪を振り乱し、胴に穴が開いた女が臓物を引きずりながら走っていた。


「な……に……?」


 その後ろを両腕の無い焦げた男が、窒息してチアノーゼを起こした顔色の子供が、全身から血を吹き出した老人が、全身鎧の兵士が、全力で走っている。頭上の空間に時折走る銀線の光。

 恐らくは全て死体。群れなす死体が走っていた。ソウジとあの炎を吹き上げる紳士との戦い、その余波に巻き込まれた街の住民の成れの果てだろう。

 あのオースマンも、あの住民と同じように死体を操られたのか。

 

「こ、こっち向かってくるんだけど……?」


 死体であること以外の奇妙な共通点は、皆が全て何らかの鉄材をもっていること。包丁やフライパン、馬車の車輪など日常の中にある鉄製品を手に、あるいは手がなければ口に咥えて走っていた。鉄そのものである鎧を纏っている死体も多数ある。

  小さな振動がやがて大きな地響きへ。疾走する死体の群れがエクセルのいる建物へ殺到する。


「ひ、ひぃい!」


 悲鳴と共にとっさに屋根にしがみつく。死体の群れは建物を避けながら、避け切れぬ個体は建物の壁にぶつかり後続に押しつぶされて土台となり、死体を上へ押し上げる。圧力に建物が少し傾いた。

 壁を人体の群れが這い上がっていく。やがて屋根へ到達。そのまま走り出す。泣きながら伏せるエクセルの横を、おびただしい死者の群れが通り過ぎていく。


――これ、なに? なんで死体が!?


 疑問に答えるものなどもちろんいない。今できることは、死者が早く通り過ぎてくれることと、死者の重みに屋根が抜けないことを祈るだけだ。



△ △ △


 暗闇の中で、人体の砕ける鈍い音が反響する。光が入る窓から、ドアから、その空間へ死者達が押し寄せていく。

 死者達にはもちろん自我など存在しない。施された魔術によるプログラミングにより単純な行動を取っているに過ぎない。昆虫と同じようなものだ。

 広大なフロアには、歴史有る調度品が備えられていた。周囲の壁には精密画や古い写真。金属のプレートには年号と詳細な解説――アシュリー市の歴史。ここは本来はそういう場所だ。誇り、誇示し、厳かさと重ねてきた時間を表す場所。

 今その空間は、死者に埋め尽くされていく。

 フロアの中央には、天井に届きそうな巨大な球体があった。肉を裂き骨を砕く異音はそこから始まっている。

 球体は、人体によって形作られていた。死者の持つ鉄と、そして死者自身により作られた暗黒の球体。

 球体に死者が飛びつく。腕を球体に叩きつけ、頭を打ちつけて砕きながら、鉄材を沈み込ませながら死体は死体の塊へと一体化していく。死者が集まる度に、死者の球体はより大きくなっていく。

 拡大する球体が、自らを作り出した主人を待つ。



 △ △ △


――何を狙っている……?


 ミキシングを追跡しながら、イレイザーの思考には疑問が浮かぶ。

 現在、燃えるアシュリー市中央区の上空を低空で飛行。数度ほど交わした戦闘も、もはやミキシングからの攻撃は少なくなっている。

 疲労か、打つ手もなくなったか。狩りの決め手は相手の消耗とトドメのやり方。後はどう仕留めるかの問題。


――だが本当にそうか?


 イレイザーは楽観主義者ではない。確実に、ミキシングを仕留める状況と方法を常に模索し続けている。そして、ミキシングがこれで本当に追い詰められたのかも定かではない、と考える。


――やつは怪物だ……なにを狙っているのかわからん。


 思考を読めない相手は最後まで油断はできない。確実に、確定的に、奴を葬る。

 視界の端、街に蠢く何か。無数の死者が街を走る。恐らくはミキシングの死骸操術によるもの。高度を落とした自分を取り押さえさせるものだろうか。そんなものはプラズマでいくらでも焼き払えるというのに。


――いや、こいつは私を追っているのではなく、別の方向に走っているのか……?


 思考が途切れる。眼前に迫る多段炸薬砲弾術式スプートニクの砲弾。真横にプラズマジェットを展開、身をかわし回避。回避方向からも追撃の砲弾が迫る。プラズマの障壁へ防御。


「追撃がヌルくなったなミキシング!」


 上昇して頭上を取る。超高熱の散弾を雨のように降らす。高密度磁界で防御しながら飛行するミキシング、蒸発し一層される地上の蠢く死者達。


「これで邪魔は入らん!」


 急降下。白炎を纏った蹴りがふらつきながら飛ぶソウジへ刺さる。


「ごっ!」


 とっさに防御するも腕は削れ、勢いのままにソウジが吹き飛ぶ。建物の壁に激突。粉塵を巻き上げながら体が埋まる。


「まだなにか策でもあるかと思ったが、買いかぶりすぎたようだな!」


 ソウジは急いで体勢を直し、瓦礫を蹴って飛び出す。同時に空輪翼術式イー・グルスを再展開。飛び立った背後を、降ってきたプラズマの火球が炸裂する。爆発の勢いに乗ってもう一度空へ。

 消せないダメージに安定しない飛行。それでもなお、怪物は上を目指す。イレイザーのいる天へ。

 しかし、迫るミキシングを叩き落とすように、無数の火球が殺到。


「く、う、おぉ!」


 苦悶の声を上げながら、辛うじて熱量を磁界で防ぐ。落下する体。落ちる先は、とある建物の屋上。アシュリー市の時告げる巨大建築物。オルゴン時計台。

 そのままでは叩きつけられて死ぬ、あるいは行動不能になった所をイレイザーの仕留められるだろう。

 ソウジの両腕が光を上げる。歪む磁界。唸りを上げる超高熱。屋上の建材を溶かすしていく。


「――な、に?」


 イレイザーは驚愕に声を出す。展開される魔術は、超灼光輝電炎術式メイル・ボクス・アソン。イレイザーと同じプラズマを制御する術式。

 カゲイ・ソウジは、イレイザーの秘術さえコピーしていた。

 屋上の建材を溶かし、一瞬でソウジが沈む。今度はオルゴン時計台へ逃げ込むのか。


「私の炎、私だけの炎を盗むとは大したものだな――だが使いどころは逃げ道作りか。その程度の使い方徒は盗まれたかいというものがない」


 しかし、イレイザーもまたこの街を戦場にすることにおいて、建築物への調査は入念にしている。アシュリー市の建築物の中でも、プラズマの直撃に耐えうる質量と強度をもつものはあのオルゴン時計台のみ。戦闘でミキシングが盾にする可能性ももちろん考慮していた。


――それでも通常の状態ならば、全力でやれば破壊ができないということない。……通常ならばな。


 右腕と左脚を欠き、プラズマ制御能力が低下した今では建物ごとミキシングを殺すのに時間がかかりすぎる。あの怪物に時間を与えてはいけないことはイヤというほど痛感している。


「ならば、お前の空けた穴を利用させてもらおう!!」


 右腕に白炎が集う。臨界する円環を凝縮させてさらに火球を巨大化。プラズマジェットで加速。時計台屋上の穴へ目指す。

 空けた穴目掛けプラズマを叩き込む。建物自体が頑強ならば、建物内部へ熱量が入れば中は溶鉱炉へと化すだろう。これならば一撃で決着は付く。


「思ったよりは楽しめた。だが、ただそれだけだったよ、ミキシング!!」


 建物の真上へ到達。ミキシングを空けた穴を見下ろすながら、火球を振りかぶった。

 しかし、


――な、んだ……?


 屋上にぽっかりと空いた溶けた穴。その暗闇から、溢れ出す歪む虹の光輪。そして緻密な幾何学紋様を描く魔術紋様。

 禍々しい、そして美しいオーロラの光は、今この場ではイレイザー・・・・・しか視認できない光だった。

 超高圧縮された磁力、彼の人工複眼でしか見えない光。

 本能で直感する、圧倒的な恐怖と破壊。爆発する感情を制御できないまま、イレイザーはプラズマの障壁を張りながら穴へむけて火球を発射しようとした、その刹那。

 オルゴン時計台が、雷と炎を吹き上げて爆発する。

 衝撃を感じる瞬間、黒い巨大な何かが、自らへ迫る。


――あ、ご、あ……!


 痛みよりも、喪失感があった。なにかを失ったという感覚が先にあった。なにを失ったのか、まだそれを知らないというのに。

 だが、それは事実なのだ。

 巨大な衝撃に吹き飛ばされ、空中を回転するイレイザーの上半身・・・はそう思考した。彼は胸から下が存在しないことで、なにを失ったのかを即座に理解した。

 頭上でははるか上空に打ち上がった巨大な何か・・だったものがある。それはもう塊であることを保持できず、無数の肉片と鉄片へと崩れていく。

 無数の鉄材と、無数の手足と頭。あの巨大な塊は、人間の体が材料なのだ。


――し、死体を走らせていたのは……このため! これは……コイルガン、いや、レイルガンか!?


 ミキシングが時計台屋上に落ちたのは、消して偶然ではない。あの街を走り抜けていた死体は、この弾丸を作り出すためにあったもの。

 ミキシングは、あの時計台そのものをレイルガンのバレルへと変えたのだ。


――なる、ほど、これは……!


 敗北であった。火力でも戦闘技能でも上を行きながら、読み合いと手の打ち方で完全に負けた。

 完全なる敗北を受け入れながら――それでもどこか飄々と笑いながら、イレイザーは燃える街へ落下していった。



 △ △ △


 炎と雷を吹き上げて吹き飛ぶオルゴン時計台。その衝撃波の中から、人間大の繭玉のようなものが飛び出す。

 瓦礫に派手に叩きつけられながら、地面を転がり、やがて停止。しばらくの沈黙の後、繭玉の糸――鋼糸が魔術へと還り消えていく。

 その中には、血まみれのカゲイ・ソウジがいた。


――なん、とか、勝てた……のでしょうか?


 霞むソウジの目には、イレイザーは確認できない。もし仕留められなかったならば、それで自分は終わりだろう。


――なんとか、勝てたようですね。


 空を舞うイレイザーはいない。どうやら撃ち落とす程度までは出来たようだ。

 とはいえやはり無事ではない。レイルガンを再現した魔術、多重磁界レイン加速砲弾術式ボーの発動する至近距離、というか砲身の中にいたのだ。耐感電や耐衝撃に防御を固めても、全身の骨折と出欠多量はさすがに避けられなかった。


 プラズマによる壁の防御と、プラズマジェットによる機動性を両立するイレイザーに致命傷を与えるには、最低でも


・プラズマの壁では溶け落とせない大質量攻撃

・プラズマジェットでも避けきれない高速弾


 この二点が必要になる。

 しかし大質量攻撃では攻撃スピードは遅くなり、プラズマジェットでの回避や攻撃により準備動作を潰される。高速弾ではスピードを出すために小質量攻撃にするとプラズマの壁に防がれる。


 ソウジはこの二点の相反する欠点を補うために、イレイザー自らがレイルガンの砲門へ出てくるための策を考えた。


 まずはイレイザーから逃げる、と思わせながら逃走経路の死体を死骸操術で操作。弾体の構成材料となる鉄材を持ってオルゴン時計台の一階に集合。球体になるようにプログラミングをする。

 そしてイレイザーのプラズマ操作能力を落として勝率を上げる。これはオウタの剣とウェイルーの砲撃により達成することが出来た。


 後は死体の砲弾が完成する頃を計り、オルゴン時計台の屋上へ落ちる。そのままオルゴン時計台内部へプラズマにより床を溶かしながらレイルガンの推進力となる磁性発生体を魔術で複数構築し、一階の砲弾がある場所へ到達できればいい。


 欠点としてレイルガンは時計台の屋上の真上にしか放てない。イレイザーがわざわざオルゴン時計台の屋上の真上に来てくれるとは限らないが、もし、そのイレイザーがレイルガンの砲身として使用できるほど頑強なこの建物の強度を前もって下見して知っているならば、必ず空いた穴を狙うはずだ。

 プラズマ制御能力が落ちているならば、その可能性は確実に高くなる。


 カゲイ・ソウジとイレイザーの読み合いは、ソウジの勝ちに終わった。


 アシュリー市に、無数の肉片が降る。ソウジが打ち上げた即席の人体砲弾ではレイルガンの加速にマトモに耐えられるはずがない。砲門直前にいたイレイザーまでには当たることはできても、弾体を維持できるのはそこまでだ。あとは衝撃に崩壊して街へ降るしかない。


――とはいえ、これはしばらく動けませんね。


 回復をしばらく待たねばならない。瓦礫と炎の中で、力無く横たわるだけしか今はできない。


――最低限動けるようになるまで、後五分以上はかかるな。


「――ソウ、ジ、なの……?」


 聞き慣れた声の方向に、勇者は視線さえ向ける事もない。ただゆっくりと、目を閉じて小柄な人影へ返事をした。


「ええ、僕ですよ。ご無事だったんですね――エクセルさん」

 

 乱れた髪と、ふらつく足取りと、煤で汚れた頬と、そして、真実を今なお求める熱き瞳と。


 エクセル・ドーハは、今再びカゲイ・ソウジと相対する。

 

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