第53話 ゼントリー

――これは、


 ソウジの目から見て、すでにもう男は手遅れだった。

 横たわるコート姿。胴の大半が赤に染まる。

 出血が多い。重要器官への損傷。加えて脳への酸素供給が絶たれた時間が長い=現在でも進行中。

 構造が複雑かつ、脳細胞は分裂しないという特性上、単純な細胞分裂を促進する回復魔術では崩壊していく脳組織構造を再生することは出来ない。

 

――とにかく、まずは止血だ。


 シャツを引きちぎり、傷口に手を当てる。心臓付近、脇腹の二カ所。刺したと思われる刃先は肋骨に阻まれ完全には心臓を破壊できていない。僅かに見えた光る点=骨に当たり折れた刃先の欠片。

 回復魔法で血管を繋ぎつつ傷口を塞ぐ。奪うよりも遥かに命を救うことは難しい。


――やはり、無理か。


 出血が多すぎる。そして勇者に造血魔術の心得はなく、なにより男の脳はすでに手遅れになっているだろう。


――まあ、ここまでかな。


 早々と、ソウジは判断を下す。この行動は勇者として無力な人間を救うための行動である。そこにはソウジ個人の信念も執着もない。奪うことと救うことに難易度の差はあっても、彼にとって意味の差はない。


「う、あ、」


 呻きながら男が手をあげようとする。震える手に染み付いた自身の血が、粘り着く。

 弱々しく左手でソウジの袖を掴みながら、消え入りそうな声を囁く。


「……ア、リシ、ア」


――誰だ?


 女性の名前らしいが、今のソウジには判断出来ない。だが、袖を掴む左手には、渾身の力が込められていた。

 見開いた目が、ソウジを見つめる。やがて瞳孔が拡大。脳機能の急速な停止。拡散していく意識=それがゼントリー・ダナの死。

 それでも、左手がソウジの袖を話さない。固く握りしめたまま、開くことがない。

 もうできることがないことを悟り、立ち上がろうとしたソウジが、無造作にゼントリーの左手を開かせようと手首を掴み、


――なんだ、これ? 


 ふと気づいた。ゼントリーのコートの左袖。やたら分厚い。なにかが入っている手応え。


「これは」



 ▽ ▽ ▽


「どこだ!」


 路地を走り抜け、ウェイルーが血走った視線を巡らせる。軍服の所々に焦げがあった=爆発する傀儡を力業で仕留めた証拠。


「そ、捜査官! 待って……」


 遥か後ろで聞こえる刑事の声。ウェイルーの疾走についていけない。構わず走りを止めない。


――魔術形成のワイヤーが拡散していった方向はこちら側のはず……この近くにミキシングがいた可能性が高い!


 路地裏へ曲がる。寸前に音波探索魔術を発動。視覚ではカバーできない壁の向こう側を状況を確認しながら、怪物の元へ急ぐ。

 途中で二体の死体を発見。ひとりは顔面に無残な致命傷。もうひとりは焼けただれている。惨殺の痕跡。

 ミキシングが、近い。


――いた!


 壁の向こう側、しゃがみ込む人間がいることを音波探索魔術が探知。ウェイルーの脳内へ視覚イメージとして伝える。周囲にはバラバラの死体と思わしきエコー。さらにすぐ近くに心音の止まった人間がひとり倒れている。


――確実は判断はまだ無理か、……だが、


 躊躇はない。銀光ライラを起動状態へ。空気を重く震わせる異音をまとい、曲がり角に飛び込む。

 

 視界から壁が途切れる瞬間、薄暗い路地が見える。しゃがみ込む黒髪の青年。無表情な、整っているがどこにでもいそうな横顔。

 忌まわしき化け物の横顔。


「――ミキシィィィィィィングッッ!!」


 絶叫と共に、ウェイルーは|刃(怒り)を解き放つ。

 左腕が一瞬で変形。五筋の銀光がソウジを包囲するように伸びる。響き渡る高周波振動の異音は、彼女の殺意の叫び。


「――壁よ、防げ」


 静かな呟き。ソウジの周りで一瞬の内に光が走り、消える=超速の魔術発動と発動終了の証。

 周囲の石畳と壁の建材が変形。ドーム状にソウジを包む。


「無駄だ!」


 ウェイルーの言葉通り、銀光がやすやすと壁を貫き通す。

 しかし、


「ちぃ!」


 手応えがない。殺したという感覚がない。突き刺した銀光を操作し、壁を切り裂いていく。

 土煙が上がる中、壁の向こうには倒れていた男以外いない。背後に壁はなく、遥か向こうの空に踊る人影。

 煌めく細い光、鋼糸を建物に引っ掛けて移動している。風を切り、体を踊らせながら、細い体がどんどん小さくなっていく。


――この距離ではライラの射程外か……


 ミキシングを見上げながら、ウェイルーは左腕を元の形に戻す。静かに視線を下ろし、傍らに倒れている男を観察した。


「この、男は……」


 見覚えのある、ヒゲの男。大量の血に濡れた胴体と、傷の無い肌。見開かれたままの、眼。


「ウェイルー捜査官! こちらにいたんで……あ、え?」


 呆けた声を出す若い男。一瞬の間の後、ウェイルーの元へ駆け出す。まさか、という驚愕と悲壮が浮かぶ表情。

 呻くように声を上げ、ダクトはウェイルーの横を通り過ぎる。

 そしてしゃがみこみ、倒れていた男へ震える手を伸ばした。

 

「止めろダクト、不用意に触れるな」


 静かなウェイルーの制止。しかしダクトには届かない。


「――あ、あ、こんな、ゼ、ゼントリー警部っ!」


 ダクトの手がかつて上司だった物体へ触れようとした刹那、青年の体が真横へと吹っ飛ぶ。建物の壁にぶつかり、小さく悲鳴を上げた。

 ウェイルーの拳に、張り飛ばされた。


「ゼントリーはもう死んでいる! 貴様も警官なら現場状況の保全を優先しろ!」


 音波探索魔術により心音の停止、目視により瞳孔の拡大を確認している。ゼントリーは死んだ。そしてゼントリーとの情報交換は不可能となった。恐らくは、会わせようとしていた証人もどこかへ連れていかれたのだろう。


「だって、だってゼントリーさんが! あんた、なんでそんな、冷静でいられるんだよ! なんで! ゼントリーさんが、死んだのに! こんなに人が死んでるのに!」


 悲鳴のようにダクトが叫ぶ。顔を手で覆い、嗚咽を上げながら、耐えきれない状況に精神が持たない。


「あんたも! この街も! みんな異常だ! 人殺しに慣れすぎてる!」


「――ダクト、正常とは所詮感覚的平均値に過ぎん。全てが狂っているなら、狂っている人間が正常だ」


――狂気に対抗できるのは、狂気しかない。


 次に紡ごうとしていた言葉を、胸の内に飲み込む。二度と言おうとしてはいけない言葉だ。狂気を仕留めるためならば、狂気へと踏み込もう。

 ただし、出きるならもう何も傷つけない狂気でありたい。やつ以外を、殺さない狂気に。



 △ △ △


――さってと、


 風を切りながら、身を踊らせる。黒鋼分断線で作ったワイヤーを建物の壁へひっかけ、巻き取りながら次の建物へまた鋼糸を引っ掛ける。切り離した鋼糸は魔力で作られた物のため、ソウジから離れれば魔力へと戻り痕跡なく消えてしまう。

 これを繰り返すことで効率よく空中を移動する。とにかく、女騎士からの射程距離からは逃げられたようだ。


――女騎士さん、妙な武器つけてたな。それに、やはりあの山の中で襲ってきた人間の一人……


 記憶が繋がる。切り落とした左腕はなかなかいい代わりが見つかったらしい。

 女騎士から情報を取れなかったが、また次はある。それに、もっといい情報・・・・・・・は手に入れた。


――良いことをすると、良いことが返ってくるというのは本当でしょうか? こんなこともあると何だか本当のような気がしますね。


 勇者は、ポケットの中の物――ゼントリーの左袖を握りながら、内心で呟いた。


――ま、偶然でしょうけど。



 

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