第89話 ドラゴン・スレイヤー
銀色の流体が、ゆるやかに空中を泳ぐ。重力を無視しながら、あたかも複数の方向に別の重力が存在するように、分裂し、流れ、広がり、集束する。虹彩を描く表面を光点が不規則に点滅。生きているのか、自動的に動く構造体なのか。あるいはそれらと類別することができない存在か。
ただ一つ言えることは、流体は敵意を抱いていた。戦闘する意志があった。
やがてそれは大きく網のように広がり、自らへ向かう存在を受け止める体制へ。
竜が狙う存在。竜を狙う存在。再戦を試みる勇者、カゲイ・ソウジを迎え撃つために。
音速で飛行する勇者は、ただ静かに竜を見つめる。その手には、長方形の金属。
ギィド・ウォーカーの願いを叶えるために、勇者は竜へ挑む。
▼ ▼ ▼
竜の外皮──
流動し自在に変化する高密度液体金属と、発生する
──これなら外皮に包まれていたほうがまだマシでしたね……
攻撃性が明らかに上がっている。しかし別に倒す必要性はない。自らを狙うのであれば、自分がここから離れてしまえば問題はないはず。
しかし、ギィドの願いはそれを否定するものだった。
「竜を……竜を引きつけてくれ」
「それがあなたの願いですか?」
「倒してくれとは言わない。だがあの竜がこっちにくるのはマズい。
「それは……どういう意味で」
勇者は、首を傾げた
「
またも予想外が起きた。
「あなたが逃げる時間を稼ぐ、ではなく?」
「違う。俺がアリッサを助ける時間をお前が稼いでくれって言ってんだよ」
ソウジを見つめる青年の表情は、険しかった。しかし、迷いはない。
「勝てるんですか、あなたが彼女を攫ったあの部隊に」
燃える山と、吹きすさぶ風。遙か頭上に、銀色の悪夢があった。
「心配してんのか? そういうタイプには見えねぇんだけどな……やれるさ。あれぐらいなら俺一人でなんとかなる。だが竜はダメだ。あれまでは相手にできねぇ。お前はどうだ、竜は相手にできても、ついでにアリッサまで助けられるか?」
「なかなか難しい質問ですね」
「まあ、そこまでやる義理なんぞお前さんにゃねぇし、知ったことかと逃げちまってもいいんだろうけどな……」
「なぜ、あなたは逃げないんですか? あなたにはその義理というものがあると?」
「義理がある、わけじゃねぇが」
脳裏をよぎる、ナレインの死に顔と最後の言葉。幾度も、幾度も見てきた思い半ばで死にゆく仲間達の記憶。
「ないわけでもねぇんだな、これが。迷惑な話だけどな」
「そう、ですか。戦う理由があるんですね」
勇者の言葉に、薄く微笑むギィド。どこか諦めた表情。なにも諦めてはいない眼。
「それが、あなたの願いならば」
「まったく、不運続きで泣けてくる。なにか良い事の一つでも欲しいさ」
投げられたコインが、宙を舞う。
「さあ、表か、裏か。あなたの幸運を試してください」
△ △ △
「アシッド、生きて確保しろといったはずだ! 誰がこんなことをしろと言った!」
止血帯をメリッサの右腕──手があったはずの手首に巻きつけながら、ローグィは部下である女──この山中でなぜかやたら露出の多い水着でいる──に怒鳴る。
赤髪、クルニスの血が伺える冷たい表情の
「う、あ、うぅ」
溶けかけた残雪濡らすアリッサの血。激痛でうめく少女に、ローグィは声を潜め語りかける。
「痛いか、痛いだろうな……今楽にしてやる。ダガー、鎮痛剤があったはずだ。止血剤も出せ」
「そらあるにはあるがだろうな、リーダー」
アンプルを手渡しながら、ロングコートの長身はため息をついた。
「作戦はアリッサの脳髄と脊椎部の無事な確保、あるいは処分による情報拡散の阻止、だったはずだろう。アシッドを攻められても困るんだろう」
「竜との遭遇に仲間二人を失う突発的危機、オマケにどうみても戦略級魔術師に匹敵するメリッサといた男。自分でいうのもなんだけど、アリッサを確保して逃げられたのは奇跡よ」
静かに、彼女は反論するメリッサと同行していた仲間二人は竜と勇者の激突に巻き込まれ死んだ。アシッドが生きているのは彼女の持つギフトがあったゆえのただの幸運だ。
「それにね、ここで死なせてやったほうがまだマシだってリーダーもわかってるでしょ? 生きて連れ帰ってもどんな改造をされるか、私らのように人間の形を保てればまだ良い方よ」
「ナレインのやつが最後に言っていた泣き言を叶えてやりたいのだろうリーダー…… あんたがそんな甘い男は思ってなかっただろうな」
打たれた鎮痛剤により、メリッサのうめき声が止む。ローグィは部下の二人の言葉に背を向けたまま答えない。少女を抱える手は、僅かに震えていた。
「あ、あの、」
か細い声で、アリッサが尋ねる。
「ナレイン、さんは、どうなった、んですか……?」
少女の問いに、男は答えない。少女の目さえ見ることはしなかった。
「教、教えて、下さい……! ナレインさんは」
盲目であるはずの、なにも見えないはずの彼女の目を見ることが男にはできなかった。無言のまま、少女に肩を貸して立たせる。
部下たちもまた、無言のままだった。
「山を降りる。竜がいるここは危険だ。歩けるか」
向こう側の山に、日の光を浴びて輝く金属流体があった。竜骸を破壊し中身である竜魂を引きずり出するとは、やはりあの青年の力は並みではないようだ。時折見える炸裂と響く轟音。未だ戦っているのか。
「お願いします、答えて下さい……ナレインさんは、あ、あぁ、」
「行くぞ。まずはアジトに一度戻ってから」
「なぁ、あんたらよぉ」
突如として、声が響く。一斉に振り向く三人。視線の先、離れた山道から飛び出す何か。
人影が着地する。中背中肉な、旅人の青年。
「一応は最初にいっとくわ。死にたくなけりゃその娘置いて消えろ」
無言でナイフを投げるアシッド。何者であるか確認さえしない。旅人の青年、ギィドが跳びすさり回避。そこへダガーが回転する牙をむき出しにして飛び込む。
「いた、だき、まう!?」
ダガーの腹部に蹴りを入れて動きを止める。距離を取りながら、ギィドの片手にはナイフ。アシッドが投げた得物。
「だよなあ。いうこと聞くわけねぇか!」
ギィドはナイフを自らの手首に当てた。ぐっと力と入れると同時にほとばしる鮮血。吹き出す血。そっと、唇を当てた。
「なっ!?」
驚愕に声を上げるローグィ。だがそれはいきなり自傷行為を行ったからではない。以前に見た光景を想起したからだ。
流れる血が振り回される腕の動きで伸びる。次の瞬間、ダガーの左腕が肘から切り落とされた。
「があぁ!!?」
宙を舞う腕を、ギィドは顎で噛み締めてキャッチ。
「うぇ、
ギィドの手には、刀があった。醜く歪む、細い片刃。鮮血色の剣。
ダガーの腕から、血液が吹き出る。今度は斧の形で固定され左手に握られる。ミイラのように乾い腕が落ちた。
「き、貴様、まさか!? 魔族!? なぜここに!?」
ローグィの予測が、当たる。
「おおう、当たり当たりのドンピシャよ」
旅人の体から光が漏れた。表面を不規則に走る紋様。人間の偽装を解除。
皮膚の色が変わる。白肌から赤銅色へ。髪の色は銀髪へ。そして、額からは一本の角。
背中が盛り上がる。隆起は二方向へ。大振りのカギ爪を持つ腕が二本生え四つ腕に。
魔族が真の姿を表した。ギィドの種族は比較的人族に近い姿とされている。
だがそれは、あくまで比較論だ。魔族の軍隊の中で、彼がいた部隊の中で
「血を操る能力……妖人種の
ローグィは魔族の種族を知っている。敵の血から武器を作り出す性質を持つ悪鬼。かつて自らが戦場で見た最悪の部隊にそれはいた。
それは魔王直轄の魔族最強の軍団。
「さあ、これで」
ゆっくりと新しく生えた本来の腕を伸ばし、真の姿になったギィドは呟く。
「全員口封じしなくちゃな……?」
それは、魔王直轄の精鋭にして強兵の群れ。朱牙部隊。
ギィド・ウォーカーが所属する部隊。
△ △ △
──さて、難題です。
触手のように広がる竜魂。捕食するアメーバのごとく勇者を囲もうとし、枝分かれする極細かつ無数のレーザーを放つ。
不可視の光線を急制動を織り交ぜた回避軌道でしのぎ、竜魂との一定距離を保つ。
隙を見て砲弾を打ち込むも、さらに強力になった重力制御で弾かれる。竜骸から解き放たれた分、重力制御の能力が上がっている。固体から流体になったことにより自由に変形する本体は、即座にソウジを包み込み全周囲レーザーをたたき込もうと動く。
──難易度が圧倒的に上がっています。
レーザーの威力は低下したが拡散して撃つようになり対応が余計難しくなった。
近づきすぎると重力制御にからめ取られそうになる。
──どうする、レーザーを防ぎ、重力制御を貫通し本体を……本体はどこなのでしょうか?
反撃のプラズマ弾。これも表面を焦がすだけだ。
そもそもこの流体にコアのような本体はあるのだろうか。どうすれば止まるのか。勇者には推測がつかない。
だが、それをしなければならない。
それがギィド・ウォーカーとの、約束だから。
──さて、使えますかね、これは。
片手に掴む、新たなる武器。長方形のひび割れた金属。切り札となるか、焼け石に水か。
勇者は、運命を剣に──ナレインの愛刀だった、鬼骸刃「選ばれしオリアンティ」に賭した。
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