第72話 灯火は真実を照らす


 夕暮れのカナギナ大河。朱の光が水面に反射して煌めく。

 街から伸びる影は、大河へと伸びて流れと共に揺れている。

 大河の中にあるアシュリーには、普段の活気は無い。戒厳令下の街には、鎧の騎士がうろつき、軍用馬車が走るのみ。


 そんな街の姿を、二人は見ていた。


「ずいぶんとあの騒ぎから静かになった」


 ボートに腰掛ける背広とコート姿の紳士=焼却者イレイザー遮光眼鏡サングラスに夕暮れの光を反射させながら、美しい黄昏時の光景を眺める。


「いくのか、イレイザー」


 その横には、水面に立つ喪服。アルパーと自らを名乗る少女がいた。

 少女の問いかけに、イレイザーは薄く笑うだけだ。


あれ・・と今戦わなければならない理由は無い。なぜそれを選ぶ」


「心配するな、自分の仕事は果たすさ。その上でやってみたい。まああれとは……勝率は七割、といったところかな」


 微笑みながら、紳士は立ち上がる。


「七割……お前という男が、随分と弱気な数字を出すな」


「やつには不確定要素が多い。正面からの火力勝負なら圧倒はできるだろうが、何をやってくるのか完全には読めん相手だ。だが、倒してみたい」


 ボートがゆっくりと進み始めた。少女から距離が空く。


「私がやつにもし倒された場合は……後始末を頼むぞルーウィン」


 空間が波打つ。高密度情報である魔術紋様が男の周囲に渦巻き、空間そのものを揺らしていく。干渉力を持つ情報が、質量物体の如く空間さえ歪ませている。

 やがて紳士の周囲に、光が集う。夕暮れの穏やかな朱ではない。閃光の黄が、球形の形を成し、いくつも紳士の周りに浮く。

 そして回転を始める。回転の速度が上がるにつれ、黄色から青色へ変わっていく。そして光は、とうとう厚みのある円環の形へ。

 呼応するように、ボート下の水面が泡立ち更に陽炎が起こる。発生する大量の水蒸気=光の円環の持つ超熱量の証明。


「ルーウィンはやめろ」


「悪くはないと思うんだがな、その名前。アルパーだの、悲哀者ヴァン・シーだの、そんな呼び方よりずっといい」


 紳士の言葉と同時に、円環が足元へ集束。爆発するようにボートが破砕され、一瞬で蒸発。

 同時に、男の体が浮き上がる。


「では、いってくる」


 空に、紳士が舞い上がっていく。



 ▽ ▽ ▽


「あ、あの、ソウジ……」


 真っ暗なリビング。座らされた椅子の上でエクセルはソウジへ語りかける。眼差しには、必死さがあった。

 手紙でロエルゴの自宅へ呼び出されてはきたが、出迎えたのはソウジ本人。さっきから家主のロエルゴや妻の姿は無く、灯り一つないリビングに通された。

 ロエルゴの事を訪ねてもソウジは答えず、ただ「やっと約束を果たせる」としか言わなかった。


「ソウジは話したことあるかわからないけど、前にソウジに後を追いかけてって頼んだ女の人のこと、覚えてる?」


 カーテンが締められたらリビングに、光源は二つだけ。エクセルの手前に置かれた、そしてソウジが左手に持つロウソク。


「あの人、ウェイルーさんっていう偉い、というかちょっと怖い軍人さんでね……その、ソウジのことを、外国で酷い事件を起こした犯人だって疑ってるみたいなんだ……

でも、ありえないよね? そんなこと、だから」


 ロウソクを掲げながら、カゲイ・ソウジは無言で彼女の言葉に耳を傾ける。静かに、身じろぎ一つせず。


「だから、一緒にウェイルーさんに話しにいこう! 私もソウジはそんな人間じゃないって言うから、そうすれば、疑いも晴れるし……」


「その外国の酷い事件とは、ノル国で起こった虐殺ですか」


「……ソウジ?」


「もしその酷い事件がそれだったなら、そのウェイルーさんという軍人の方の言うとおりですよ。

僕がその虐殺を起こした人間です。だから、エクセルさんが僕を庇う必要はありませんね」


「ソウ、ジ……?」


 なにをいったのか、よくわからない。


「ねぇ、ソウジ、なにか、間違いが……」


「間違いもなにも、僕がその虐殺を起こした原因ですよ、エクセルさん。ですが、今はそんなことは後にしましょう。

少し時間がかかってしまいましたが、やっとエクセルさんとの約束が果たせるのです」


「ソウジは……私を……命がけで助けてくれた……なにか、仕方が無い理由があったんでしょ? 誰かに騙されたとか、ねぇ、ソウジ!」


「エクセルさんが生きていてくれねば、約束を果たせないではないですか」


 ソウジの言葉に、熱も感情もない。ただ淡々と、決められたことを告げるように、語る。


「仕方の無い理由? 一体どのような正当な理由があれば、エクセルさんは大量の人間を殺すことが仕方がないものであるとして、許されるとお思いになるんですか?」


「誰かを、憎くて……それを」


「憎悪? 僕は誰かに興味を持っても、憎んだことなんて一度としてありませんよ。他人にそこまでの興味は持てませんでした」


「お金や……何かが欲しかったの?」


「僕が生きていくためには、このポケットに収まる程度の物で十分ですよ。それ以上はただの重り程度にしかなりません」


「何も……何も思わないの?……沢山の人を殺したことを、ソウジは何も……エリザさんは、優しい人だったじゃない、なんで、あんな人を殺さなきゃ……そんな」


「何も。沢山の人間を殺したということは、

沢山の人間を殺したということ。

僕の中ではそう思っています。

どんな理由でも、大量の人間を殺すことが許されるわけがない。だから、それをやった理由には大して意味なんかないんです。結局は全て『許されないもの』なんですから。僕がやったのはそういうことですよ。

エリザさんは本当に優しい人でした。この街に来て、泊まる場所さえわからない僕に最初に声を書けてくれたのは彼女でしたから。

あの日、彼女が生まれた土地の話をしなければ、殺すことはなかったかもしれません。

ですが、彼女の故郷を知ってしまったなら、僕はそうするしかないんです。それしかないんですよ」


 眩むほどの虚無と、手を伸ばすことさえできない断絶があった。

 彼と共に事件を追いかけ、彼と共に死線を見た彼女は、今ようやく理解する。

 カゲイ・ソウジという、空洞を。


「ソウジ……あなたは……」


 あの夜、彼女が故郷の話をしなければ。あの夜、エクセルが深く酔うこともなく別れてしまえば。あの夜、彼女に出会わなければ。

 エリザは死ななくて済んだのかもしれない。だが、彼女の死がウェイルーの直感を呼んだ。彼女の死が、エクセルを真実へ導いた。

 死にゆく者達が、生きる者達の道となってゆく。その道を歩むものには、悔やむことは許されない。


「少し余計な話題を話しましたが、今からエクセルさんが調べていた今回この街で起きていた事件について説明させて頂きます。ですので」


「――ソウジ!」


 立ち上がろうとするエクセル。しかし体が動かない。闇の中で目を凝らすと、自らの腰と椅子の背を結びつけるワイヤーが見えた。


「なに? いつの間に!?」


「ですので、少々大人しくして頂きますね。説明が終わればすぐ解きますから御心配無く」


 もがくエクセルを尻目に、ソウジがこの事件の全貌を話し出す。


「これは肉屋ブッチャーと呼ばれていた方から『お話』をして聞き出した内容なのですが、

麻薬をこの街にバラまいていた彼ら『組織』は、かいつまんでいえば他国の軍隊のとある部隊でした。この国から北方にあるオルドラッドという国ですね」


「オルド、ラッド……」


 吊し切りケリーストレンジ・フルーツは、自分が昔ある部隊にいたと語っていた。オルドラッドの軍隊だったのか。

 オルドラッド、一応は隣国であるが、あまりこの国の話は聞いたことがない。三国では最も大きい国土を持つ雪に覆われた国だと聞くが。


「彼らの目的は、『麻薬を用いた国力低下作戦の戦略実証とテストデータ収集』。麻薬などの薬物を効率的に蔓延させて、国力を低下させる侵略戦術の確立が任務でした」


「麻薬を……戦争をするために使ったの?」


「正確には戦争をする前段階の準備のためですね。会戦前にどれだけ相手の国力を削れるか、その実験です。戦争をしなくても、国家間の関係をより優位にしたいならたしかに有効な手です」


「そんなことがこの街で……」


 街、殺人鬼、麻薬。それらの因子が集まり、秘密裏に行われる国家間侵略戦争がエクセルの前に姿を表す。


「なんで……たしかにオルドラッドの話はあまり聞かないけど、四国同盟の国同士で侵略なんて」


「オルドラッドの方針はわかりかねますが、とにかく彼ら部隊はこの二年で十分なデータと成果を出せたものとして、そろそろこのアシュリー市から撤収を図ろうとします。しかし問題が一つ」


「麻薬をバラまくのに使った商人……」


 連続殺人で殺されていった被害者達。


「正解です。商人の口を封じるために処理せねばならない。彼らも効率的活動のために、警察署に金品を送り、ほかにも多数の協力者を作ることはしていたようですが、さすがに中央区で何人もの殺人を犯すのはリスクがある。最初の何人かは殺せても、順番が後になった商人は自分と同じ売り子をしていたものが殺されていることにすぐ気づくでしょう。

逃げ出されたり外部へ話が漏れる可能性が出てくる」


 方法自体は、考えれば別にあったのかもしれない。しかし、そこにカゲイ・ソウジはやってきた。

 ノル国の国籍を持つものだけを殺す、理解できない殺人鬼が。


「僕がこの街で最初の殺人を犯したのはその時だったようです。

そこで彼らはこう考えます。『木を隠すなら森の中だ』と。

彼ら組織は僕の起こした殺人に、彼らの起こした殺人を紛れ込ませてカモフラージュさせようとしたんですよ」


 それがこの複雑な事件の発端。カゲイ・ソウジへ肉屋ブッチャーが目をつけ、利用しようとした時点で、この結末は決まっていた。


吊し切りケリーストレンジ・フルーツは、部隊を逃げ出した身体改造を施された脱走兵です。そのまま街から街へ殺人を繰り返しながら渡り歩いていた所を、この街に来てから肉屋ブッチャー達の部隊に発見され、逃亡を不問に処す事を条件に部隊へ復帰しました。

その際の命令として、彼の趣味の殺人を指令があるまで禁止されることとなります」


「殺人鬼が出なくなった二年間は、殺人を止められていたから……!」


「そういうことです。ですが、僕の模倣犯をすることを条件にその禁止が解除された、というわけです」


 二年間、殺人鬼は待ったといっていた。頼りない刑事のふりをして、顔を盗んだ相手をペットとして飼いながら、二年間を待っていた。牙と爪を研いで、血に餓えながら。


「これが……今までの事件の真実、なの?」


「いいえ、これが、すべてではありません。ここからが僕だけの説明では足りない領域になります」 


 『僕だけの説明では足りない』、 まだこの後にどのような付け足しがいるのか。


「最後に残った部分。刑事ゼントリー・ダナの殺害と、なぜエクセルさんが今まで組織に襲われなかったのか。そしてなぜ最後の最後で襲われたのか。それらの点についてですよ」


 ソウジの腕が横に降られる。指先から発生する柔らかな光の球。魔術照明が部屋の天井に登り、強烈な光がリビングを照らす。


「……っ!」


 光の下の光景に、エクセルは悲鳴さえ出せない。


 目の前にいたものは、椅子に縛り付けられ、指先にびっしりと針を突き立てられたらロエルゴ。

 椅子に力無く座る、目を開いたままの死体=その妻リムシー。

 そして二人の後ろにある車椅子には、息子のケルビンがいた。


「ここからは、ロエルゴさんのお話か必要になります」


 かつて、エクセルが何にも代え難い、宝石のような家族の絆を見た場所で、地獄が作られていく。

 誰もそれを、止めることはできない。

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