第71話 呼び声
闇の中で、呻き声は孤独に響き渡る。
カビ臭さと若干の汚水の臭いが籠もる、蒸し暑い部屋の中で、彼は耐えていた。
古い肘掛け椅子に全裸で座らされている。両腕は肘掛けに、両足は椅子の足に縛りつけられていた。
両手は、もう原形がない。
広げられたら五指らしき赤黒い肉。その皮は綺麗に剥がれている。手先は脂肪層が薄いために筋肉や靭帯が露出。
そしてその表面を、三十センチほどの長さの細い鉄針が隙間無く、みっしりと貫いていた。
両足も同様である。靴と靴下を脱がされ、皮と爪を剥がされて、剣山となっていた。
「――ふうううううう、ふうううううう」
目隠しと猿ぐつわをされたまま、苦痛に耐えるべく必死に呼吸をしている禿頭の男――
片耳は無い。真っ先に千切られた。呼吸するたびに、猿ぐつわの端から血泡がブクブクと音を立てる=自殺防止用に毒物を埋め込んである奥歯を抉られた。
腹部と背中の皮膚も綺麗に剥がされている。自爆用の魔力を溜め込む魔術紋様があったためだ。
「なるほど、拷問への訓練はされているようですね。非常に手間取ります」
無残、としか形容できない男の耳元へ、虚無は静かに、穏やかに囁く。
「やはり話してはもらえませんか」
男の返答は、無い。以前呼吸しながら呻くだけだ。
「ああ、困りましたねぇ。あまり時間をかけるとここも近いうちに発見されてしまうでしょうし。僕はただ、あなたに質問に答えてもらいたいだけなのですけど」
「では、あまり試したことがないのですが、別の方法を試しましょう」
勇者の呟きに、男は答えない。荒く呻くだけだ。
「大丈夫、もう先ほどのような苦痛に訴える方法ではありません。痛い思いをさせて申し訳ありませんでした、どうか安心してください」
穏やかで、静かな、まるで医師が患者へと語りかけるような声。
掲げられた指先が、魔術を発動。男の手足に刺さっているものよりも長く、より極細の鉄の針が構築されていく。
「もう苦痛はありません、――なにせ、脳に痛覚は存在しませんから」
男が放った、絶望の呻き声は、暗い地下空間を孤独に響きわたっていく。
△ △ △
エクセル・ドーハは死んだ目をしながら椅子に座っていた。
荒れた表情と、乱れた金髪。よれたコートがみすぼらしさと彼女の疲労を際だたせる。
「これで同じ証言するのは五回目ですよ」
肩を落としながら喋る彼女へ、眼前の椅子に座る人物は資料に目を通しながら返答する
「なんだ、まだ五回目か」
ウェイルー・ガルズは、彼女の健康状態などまるで興味がないという風に資料から目を離さない。
ソウジに助けられてから約丸一日が経った。逃げた先で鎧の軍人達に助けを求め、その後すぐに拘束されてから一睡もしていない。こうして延々と同じことを事情聴取され続けている。
「だから、いままで説明した通りカゲイ・ソウジは私の助手です! 殺人鬼から助けてくれたんですよ!
「そうはいうがな、エクセル女史。そのカゲイ・ソウジ、どうみても不振な点が多すぎる」
資料を見ながら、ウェイルーはエクセルに『カゲイ・ソウジ』という存在の異常性を問う。疲労困憊のエクセルに比べ。あれほどの大騒動があった後でも、彼女の美貌は変わらない。だが右頬ついた血の後が気になる。
「君の話や他人の証言から見ると、そのカゲイ・ソウジは下手をすれば王宮守護魔術師、戦略級クラスに匹敵する。そんなものが魔術学院で教育も受けずに一切無名で希望街をうろついて君の仕事を引き受けると? そんな能力があるものならまず国が離さんよ。百歩譲っても、確実に身辺情報は押さえる」
「そ、それはほら、能力はあるけど拘束されるのはイヤだから自由に生きるためにとかそんな理由で実力を」
「私はそんな安い大衆小説の話をしているつもりはない。力はあるが拘束を嫌って世の中を自由にうろついているやつなど……」
ウェイルーの表情が少し変わる。そういえばそんな生き方をしている人物が一人いた。
「……いることはいるが、そんなやつは通常何人もいない。君も見ただろう。カゲイ・ソウジが戦う姿を。あの力の異常性を」
「……はい」
アシュリー市、曇天の空で行われた、機械の大百足とカゲイ・ソウジの戦い。いや戦いというにはあまりに一方的な。
「重要参考人とされる通称『
それがカゲイ・ソウジという男だ。これが並みの魔術師や軍経験のある人間ができることかね?」
一分半も経たずに敵を叩き潰し、騎士の追跡もかわす。超人としか言いようがない。
「使用したと思われる術式には、ノル国虐殺に使用されたものと同じ種類の術式がある。かなり特殊なタイプの術式だ。毒ガス、それも一酸化炭素を作り出すという代物だよ。
カゲイ・ソウジが使う術式は確認されるだけで自己再生、化学物質生成、爆発系統、死骸操作、金属生成。これだけの多数の系統をひとりの魔術師が扱うのは本来有り得ない。あり得るとすれば、五英雄クラスの天才か、あるいは私の知り得る限り
カゲイ・ソウジはミキシングだ」
ウェイルーの眼がエクセルを見る。鋭利な視線に宿るは、冷徹なる復讐の感情。
「だ、だったらなんで私のいうことをミキシングが聞いてるんですか! そんなものがあたしに使われるわけないですよ!」
「それがわからないから、私もこうして君に聞いているんだ。……どうももう君から得られるものは無いらしい」
興味を失ったように資料文書へ目を戻しながら、ウェイルーはため息をつく。
「よろしい、君の拘束を解こう。帰ってよろしい。君の奴隷、プルーフといったかな? 彼女はこの建物内の警察病院に保護されている。証言後に昏睡したまま、まだ意識は戻らないらしいが、命に別状はない」
「は、はい。では帰らせて……あの、その資料はなにが書いてあるんですか?」
ウェイルーが読みふける文書。一体なにが書いてあるのか。非常時だが記者の好奇心が頭をもたげる。
「これかね? まあこれは……まあいい、足止めした駄賃だ見ていくかね。記事にでもするか? ただし、」
投げられた資料。印刷された光学映像が見える。
「お嬢さんにはなかなか刺激がキツいぞ」
「こ、これって、ダクト……いや、殺人鬼の!」
裸の上半身、首を切り裂かれた男の死体。見覚えのある顔に思わず声が出る。
「いや、殺人鬼ではない。
「え、顔を、盗む……?」
そういえば、あの殺人鬼は誰にでもなれるように体を改造されたと言っていた。
「ダクト・マッガードは二年前、この街に赴任した直後までは本人だったんだよ。恐らくこの街にきてその日のうちに入れ替わられたらしい。赴任した直後ならば周りも入れ替わった違和感には気づきにくいだろうからな」
「つまり、殺人鬼はこの本物を殺して今まで入れ替わって」
「いや、それは正確には正しくない。この死体は発見時に死後数時間しか経ってなかった。死んだのが二年前なら保存状態にもよるが、白骨化しててもおかしくないぞ。だがこの写真の男はどこも腐っていない」
ウェイルーの説明に眉根を寄せる。つまり、どういうことなのか。
「あの、それって、つまり」
「ああ、つい最近まで生かされていたんだよ、本物のダクト・マッガード本人は。喉と手足には少なくとも一年以上前からの傷痕があった。
首の声帯部は破壊して声がでないように、手足の腱は切断して四つん這いでしか動けないように。
人を犬のように改造して飼っていたのさ。あの殺人鬼はな」
「……!」
言葉が出ない。理解できないおぞましさと、想像することも拒否する闇の深さ。
「発見されたのはダクト・マッガードの住む部屋だ。理由は……推測だが、街から消える時に本物の死体を使って死んだことにする道具にする算段があったんだろ。その時に不自然に腐敗していては困るから、二年間生きたまま室内犬代わりに飼った、そんなところか。……後はどう考えてもこのクズの歪んだ性癖の一部としか思えんよ。つくづくあの殺人鬼の死体が発見されたのは朗報だったな」
吐き気を催す事実。自分と同じ顔をした存在に、自分の部屋で犬のように飼われる。これが、あの気安そうな顔をした青年刑事の正体。
「顔色が悪いな。兵士に送らせるか?」
「いえ、いいです……」
「そうか、ではご協力感謝するエクセル女史」
「あの……」
「なにか?」
「右頬になんか赤いのがついてますよ? 血ですか?」
「ん? ああ、つい先ほど捕まえた警察署の署長を尋問していてな。少し色々盛り上がっただけだ気にするな」
「あ、はい……」
なにがあったのか、大体はもうエクセルでも察することができるようになってきた。
「ウェイルー指揮官代理。進捗報告が入りました」
力無く出て行ったエクセルと入れ替わりで、黒髪に蜂蜜色の肌を持つ副官、アニッシュが入室する。
「まずミキシング・
ミキシング本人を発見はできませんでしたが」
「やはりか」
ウェイルーに驚きはない。やつならばこちらの動きを読み一定の場所に止まることはしないだろう。しかしこの街は封鎖されている。必ずこの街の中にいるはずだ。
「
ブッチャーは死んでいた。それもウェイルーは予測している。ミキシングがわざわざブッチャーを攫っていったということは、このブッチャーから何かを聞き出そうとしていたということだろう。
エクセルの証言から考えるに、このブッチャーはストレンジ・フルーツに指示を与えていた
「特異な点?」
「頭を、解頭されて脳をむき出しにされていました。その脳に無数の針を打ち込まれていたそうです……そういう拷問方でしょうか」
「……なるほど、脳に直接聞いたのか」
脳を直接電流で刺激して証言をさせる尋問方法を研究しているという話を聞いたことがあるが、まだ理論のみで実験段階ではないらしい。あの怪物はそれをしようとしていたのか。
「失敗して死なせたのか、吐かせて用済みになったのかは知らんが、ミキシングは情報を得たと考えたほうが良さそうだな」
「それからもう一つ、アシュリー市へ軍上層部からもうすぐ視察者が来ると」
アニッシュの言葉に美女が顔をしかめる。
「いまだミキシング捕獲はされていない。いつまた戦場になるかわからんのだぞこの街は?
どれだけ取り巻きを連れてくるか知らんが、巻き添えで死ぬ可能性を考えないのか上の連中は。
それともこちらがかしこまって派手に出迎えでもしろと?」
「いえ、出迎えも必要無く、護衛をつける必要も無いと言っています。
この視察者は一人で来るそうで、特に構うなとのこと。……というかこの人、アレですよ。五英雄です。『
「――ガランドだと……!」
▽ ▽ ▽
「……忘れてたわ」
砕けた家具と、血で汚れた壁。散乱するガラス辺とドアだった木片。
家に帰ったエクセルを出迎えたものは、以前変わらずボロボロに荒れ果てた我が家だった。
プルーフは病院。ソウジは行方不明。とりあえずはまず自分がここを片付けねばならないのだろうか。
割れた窓から夕焼けが入る。もう日も落ちてくる頃合いだ。
「疲れたからここで寝るか……いやさすがにドアもない家じゃなぁ……」
ホテルを探す手もあるが、この鎧の騎士がうろつく戒厳令下で泊めてくれる所はあるのだろうか。
「職場に泊まる…いやあんなシャワーもない所は……ウェイルーさんに頼んでしばらく警察署に止まらせてもらおうか」
思案しながら部屋をでていく。少なくとも彼女の近くのほうがまだこの街では安全ではないだろうか。
「ん?」
かつてドアがあった入り口。その足元に封筒があるのに気づく。誰か置いていったのか。
宛名にはエクセルの名前。
「これは……」
持ち上げて、言葉が止まる。裏面には、カゲイ・ソウジの名前があった。
△ △ △
――手紙、きちんとエクセルさんに届いてくれたかな。
流れる水音。温かいシャワーが、ソウジの裸身を流れていく。濡れる黒髪。細い、だが筋肉質な肉体。激闘を経ても尚、無傷に再生された白い肌。
目を閉じ、身を清めながら、カゲイ・ソウジはエクセルと、彼女との果たすべき約束を考える。
物売りの少年に駄賃と共に手紙を渡したのだが、きちんと置いてきてくれただろうか。
エクセルは、ここに来てくれるのか。
――エクセルさんとの約束を果たさないと。
シャワーの栓を止める。体から垂れる水をタオルでふき取りながら、ソウジは浴室からでていく。
裸のまま、灯りのないリビングへ歩き出した。
「どうも、シャワーを貸して頂いてありがとうございます。いままで下水道にいたもので、ちょっと臭いが気になってたんですよ」
和やかに、礼の言葉をいう。
「本当にありがとうございました。ロエルゴさん」
夕焼けの光だけが指す薄暗がりのリビング。椅子に座るロエルゴ。その四肢は、椅子に縛り付けられていた。
指先は、無数の針が埋め尽くしている。
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