第70話 救出

「現在第一陣降下班が降下終了。降下報告を完了した三千四百六十四人の内、約九割以上が無事降下完了。八人が降下に失敗し軽傷。六人が骨折などの重傷。一人が頭から落ちて重体」


「初めてにしてはまあまあ良好か。頭から落ちた……どこにでも間の悪いやつというか運の悪いやつはいる」


「その他建物への被害報告は数え切れませんね。小破損は二十六件に……」


 アニッシュの報告を聞きながら、鉄枠と金網で強化された窓越しに街を眺める。

 ウェイルー達が乗っているのは、鉄板などで装甲化された指揮官用馬車である。簡易指揮中枢の機能も持ち、降下作戦時の地上中核ともなる役割を持つ。より重くなった車体を引っ張るため、軍用魔術強化馬の筋肉増強度も専用に上げている。

 突如、とある高い建物が小爆発の煙を上げた。ガレキが下に落ちていく。

 

「戦闘……いや、魔力燐光が無い、移動補助用の爆薬を使ったか」


 空挺突撃部隊騎士の鎧には、沼地など足場が沈む所に着地した際に脱出用のアンカーロープや、構造物に挟まれて身動きが取れなくなった場合のための脱出用小規模爆薬が設置されている。恐らくそれを使用したのだろう


「建物中破損プラス一」


 さらさらとペンを走らせて、アニッシュは淡々と報告に数を足していく。


「その他、民間人の上に落下した兵士も多数います。これも相当な被害でしょうね。現在までの報告は着地の際に怪我をさせた民間人が十五名」


「避けられん犠牲だ。……こういう言葉は犠牲になる立場の人間は言わんセリフだろうがな。

だが、やらねばならん」


 アシュリー市の街に、たなびく黒煙が刻々と増えていく。


「現在、二十カ所で我が部隊と敵勢力との小規模戦闘が継続中です。アシュリー市入口表門、同裏門、警察署、警察上層部自宅、都議会所、の占拠が完了しました。街の完全封鎖、終了。

それから……あ」


 魔術通信マトゥックから続く報告。淡々としていたアニッシュの言葉が一瞬止まる。


「ダクト、いや、ストレンジ・フルーツ追跡の連絡が消えた、か」


 ウェイルーは窓を見たまま彼女のほうを向こうともせず、報告を当てた。


「はい」


「小物と侮って対応を誤ったな」


「そのようです」


 蜂蜜色の顔色一つ変えず、アニッシュは言葉を続ける。


「ウェイルー指揮官代理。それからこれは以前から要求されていたノル国大規模虐殺行為三ヶ国合同調査班の第八次報告書、事実上の最終報告書です」


 渡された紙資料。ウェイルーが目を凝らして内容を読む。


「それからウェイルー指揮官代理が命じていたエクセル・ドーハの保護ですが……失敗しました。急行した隊員は、重傷だった彼女の奴隷クルニスを保護。奴隷のプルーフの証言から、エクセル・ドーハは敵組織に拉致された模様。なおその足取りを彼女の助手であるカゲイ・ソウジという青年が追っていると証言しています。……民間人が出張っても殺されるだけだと思うのですが」


「エクセルはこちらで確保してから動くべきだったな………カゲイ・ソウジ、たしかエクセルの助手か。なんにせよ、死体が増えるな」


 聞いたことがない名前。そういうえばエクセルに爆発現場に近い所に助手がいたとか最初に出会ったころに言っていたのを思い出す。助けに向かったようだが、これでは死ぬだけだろう。


「それから別の場所てもう一つの報告が……一体なにを……? 混乱しているの? もう少し詳しく……」


 またも入る魔術通信マトゥックの報告。要領を得ない報告に珍しくアニッシュが眉根を寄せる。


「……は? それは……」


「アニッシュ、構わんから報告しろ。今は時間が惜しい」


 虐殺行為の資料から目を離さず、ウェイルーはアニッシュの言葉を待つ。


「……ウェイルー指揮官代理。隊員からの報告です。味方のものではない魔術使用の爆発があり、吹き飛ぶ建造物の壁から一人の青年が飛び出して逃走しました」


「……それで」


 復讐者の視線は左から右へと動く。ひたすらに、報告書の文字列を追い続ける。


「その建造物の中には、多数の死体があったそうです。特徴は外傷のある死体は少なく、ほとんどが無傷のようです。ウェイルー指揮官代理、これは……」


「いたか」


 資料を、閉じる。


「ああ、そうだ。これは」


 同じだ。虐殺の報告書の内容と、今この街で起こっている事と、

 同じことが起きている。


「そいつはミキシングだ」



 ▽ ▽ ▽


 止まらない。流れる血が路上に垂れる。右肩に突き刺さったナイフが抜け落ちて転がった。

 息が切れるのも構わずに、殺到する人ごみをかき分けながら、走る。走る。走る。

 切り裂かれ血に染まる左腕が、風に渇きながらゆっくりと治っていく。鋼糸を使い建造物の屋根を伝う方法もあるが、騎士が真上から降下している今の状況で行えば、即座に発見されて囲まれるだろうから良い手ではない。路地裏のゴミ箱を踏みつけ、壁を蹴り上げて、走る。


「待て!」


 制止しようとする鎧の男を、回し蹴りで吹き飛ばす。後ろから組み付こうとするもう一人を、片手一本で受け止めて投げ飛ばした。

 カゲイ・ソウジの疾走。氾濫する街を、無理やり力技でこじ開けながら、止まらないまま走り抜ける。路地裏を曲がった、その直後。


「ぐっ」


 出会い頭に、腹部に剣が深々と突き刺さっていた。兜越しに、相手が笑っているのがわかる。「今日はツいている」、そんな所を思っていそうな表情。


「ふっ!」


 息を吐き、吹き出す血と共に刃を掴んで力を込める。振り下ろすオウタの剣。真っ二つに相手の剣が折れた。

 余裕から驚愕に変わる顔。それに無理やり腹から引き抜いた剣の先を叩きつけた。同時に、熱波進撃術式ア・シャーを発動。吹き荒れる紅蓮の衝撃。兜内部が即座に膨れ上がり、血と骨片を巻き上げて吹き飛ぶ。

 声も無く、上半身を吹き飛ばされた脚が無残に倒れる。

 溢れる血がまだ止まらない。しかし、勇者の脚もまた止まることはない。

 時間がかかれば、確実にエクセルは殺される。

 死なせるわけにはいかない。

 唇から零れる血も拭かず、ソウジは自分が次に行くべき場所を見つめる


「――まだ、約束を守れてないんですから死なれちゃ困りますよ、エクセルさん」



▽ ▽ ▽



「僕は昔、ある部隊にいたんだ」


 青年は、穏やかな表情が過去を語る。


「そこはちょっと特殊な役割の部隊でね。戦術試験部隊というもので、まあ早い話が、上のテキトーな思いつきを実際にやってみるお仕事ってことさ。だからとても酷いことばかりやらされてね」


「とてもとても酷いことなんだよ」


「どうやれば士気が上がるか。なんてテーマで、やらされたのは味方の兵士を一人……そうだね、みんなから可愛がられてるような新兵とかを選んで、敵にやられたように見せかけて殺して、目に見える場所に置くのさ。そうやれば敵を憎んで士気が上がるんじゃないか? と上のほうがいいだしてね」


「だから、やったんだ。

猿ぐつわをして、爪を剥がして、手足の肉を少しずつ少しずつ削ぎ落として。

大きな血管を避けて、重要な内蔵を避けつつ、消化管などの生存に直接影響のない部分を引きずり出してあげたりして」


「治療魔術で止血をして、気を失いそうになれば薬物を投与して、体力が限界ならば休ませて」


「できるだけ、増悪を掻き立てるように長く苦しんだ痕跡を作らなきゃいけないからね。

泣き叫ぶ彼を、僕は必死に励ましながらそれをしたんだ。

『頑張って、君の苦しみは必ず国のためになるから』ってね」


「その時、僕は気づいたんだよ。『人を美しく殺すこと』には愛が必要なんだって。苦しみと無惨にまみれた、美しい美しい死を創ることが僕のやるべきことなんだって」


「美しいものをつくるために、僕はこの世に生まれたんだって、やっと気がついたんだよ」


「見てくれよこの体。全身の骨格がスライドして伸び縮みするように、皮膚も自在に色や形状を任意に変形できるように改造してあるんだよ。関節だって増やせる。

僕をこういう風に改造したのがうちの上のほうのやつらなんだよ。潜入任務がしやすいように、誰にでも変わることができる体にしてくれたのさ」


「そのまま僕は部隊を逃げ出したんだ。だって僕は自分が生きるための意味も、そのために体も手に入れたんだから、もうそこに残ってる理由なんかなかったから。

そこから数年間は、本当に楽しかったよ。本当に、本当に楽しかった」


「でもね、この街でうっかり出会ってしまったのさ。元の古巣のやつらにね。それで仕事を手伝えば逃亡を多めにみてやるなんて言われて」


「いい加減に黙れ狂犬が」


 若干のカビ臭さが香る地下部屋で、エクセルは椅子に座らされていた。

 後ろ手を縛られ、猿ぐつわをかまされ、更に殺人鬼の独白まで耳元で聞かされるといういたれりつくせりぶりだ。ありがたくて泣けてくる。


「なにをするかと思えばペラペラと、それ以上余計な情報を喋るな」


 殺人鬼の独白を止めたのは禿頭に鷲鼻の男。ケリーからは肉屋ブッチャーと呼ばれていた。


「そいつは浮浪者にでも殺されたという風にして、川にでも浮かんでもらえばいいだけの話だ。お前の下らん趣味はもう止めろ」


 こちらはなかなか仕事熱心らしい。さすがに殺されるよりは変態の独白を聞いていたほうがマシだとエクセルは内心で呟く。

 しかし会話を聞いていると、どうもこの禿頭が殺人鬼に指示を出している側のようだ。ということはこの男が麻薬をバラまいている組織の中心的存在なのか。


「貴族のお嬢様の殺し方はもうちょっと気を使ったほうがいいなあ。ねぇドーハ家のご令嬢?」


――こいつら、あたしの実家まで調べてる!


「とにかくブッチャー、このだけは好きにさせてもらうよ。なんせ二年も待ったんだ。長い長い二年だったよ。小さな小さな幸せを探さないととても保たない二年だったんだ。つい二時間ほど前に、飼ってたペットにまで悲しいお別れをしてきたんだよ僕は」


 殺人鬼は残された右手で、器用にエクセルの猿ぐつわを解く。


「――きゃああああああああああっっ!」


「さあエクセルちゃん、僕の話はここまで、今度は君の話だ。聞かせておくれ」


「たあああすけてえええええええっっ!」


「君をよく知りたいんだよ。君の内面を、――あ、これは人格と言う意味と内臓の部分という意味の二つの意味でね。

それから、ここしっかり防音されてるからいくらでも悲鳴を上げていいよ」


「……」


 ピタリと、大声が止んだ。


「元気の良い子って好きだよぉ。ジタバタともがいてたのが首から血を吹き出してピクリとも動かなくなると、悲しくて寂しくて罪深くてとてもいい気持ちになれる」


「そうやって、人を騙して勝ち誇るしか能がないのね」


 もがくのをエクセルは止める。もがいた所で、この殺人鬼は喜ぶだけだ。

 ならば、これで殺されるなら、この男に最後にどんな一撃を与えられるか。それだけを思考する。やってやる。記者は言葉を武器にする職業だ。


「いいねぇ、そうやって僕を睨んでくる。すごくいい。とてもいいよ」


「あなたは人より頭が良いとか、優秀だとか、そう思い込みたいだけの空っぽな人間よ。そう思い込んでいないと、自分の空っぽに耐えられないんでしょ」


「いいよぉ、すごくいいよぉ。僕を憎んで罵って、もっとその見当違いなことをわめき続けてよお」


「人を騙してあざ笑う行為が、頭の良い悪いで許されるわけないでしょ。本当に頭がいいなら正攻法でやりこめてみなさいよ。誰もできないことをやるのが優秀ってことよ。誰もやらないことをやって優秀とは言わないの。そんなこと子供だって知ってるわ。あんたはそれに言い訳をつけて悦に入ってるだけじゃない」


「誰も僕を理解できないだけだよ……だからバカは嫌いなんだ」


「人が死ぬのが美しい? あたしはアンタの殺害現場の写真を何枚もみてきたけど、あんなもののどこに芸術性があるのよ。人間を生ゴミみたく撒き散らすのが芸術なら、ゴミ箱をひっくり返す酔っ払いは宮廷画家になれるわね!」


「あれは……最近のやつは『彼』のやり方を真似ていたからだ! 本来の僕のスタイルじゃない!」


 『彼』、恐らくは模倣相手とした虐殺犯ミキシングのことだ。やはりなにかこだわりがあるらしい。ならばそこに話を合わせて突く。


「そんなこと知ってるわよ! 見分けなんてすぐについたもの! あんな汚らしいもので、よく『彼』の真似をしたなんて胸を張れたものね! だからあなたは空っぽなのよ! 頭のおかしいふりをして、頭が良いふりをして、芸術家を気取って、その実、なにも本質を掴んでいない。特別に見られたくて壊れたふりをしている、ただのそこらにいる普通の犯罪者よ!」


 正直、ミキシングとこの殺人鬼の殺し方に大した差など感じたことは無かったが、それをひどく気にしているというならばいくらでもそういうことにしてやろう。


「特別になりたかったんでしょ? 普通じゃないと言われたかったんでしょ? その安っぽさが透けて見えるだけなのよアンタは!」


「ぼ、僕は……僕はああっ!」


「クックッ……ハハハハハ!」


 突如、笑い声が響く。あっけに取られるエクセル。


「ハハハハハっ! こりゃいい、スッとしたよ!」


 笑い声の主は、あの無愛想な禿頭の男、ブッチャー。いままでの苛立ち混じりな表情からは想像つかないほど、笑っている。


「言いたかったことをここまで言ってもらえるとはな! 愉快痛快だ、ハハハハハ!」


 どうやら相当、この殺人鬼にストレスが溜まっていたらしい。


「なんでお前が笑っているんだよブッチャアアアアッ!」


 苛立ちの叫び。エクセルの前にあった机が真っ二つに割れる。ケリーの腕は黒いレイピアへと変わっていた。


「仕方あるまい、ここまで気分良く言ってくれるとさすがに俺でも笑いたくなる。まったく大したお嬢さんだ」


 予想外の反応。ひょっとしたらこの禿頭の男はわりと話が通じる人間なのではなかろうか。わずかに見える突破口に、エクセルの期待が湧く。


「さて、ではさっさと殺せ。後の予定がつかえている」


――ですよねぇ……


 仕事に真面目な人間らしい、簡潔な切り替えに希望を一瞬で砕かれ、彼女は胸中で諦めを呟いた。


「言われなくても!」


 殺人鬼が動く、その次の瞬間。

 派手な爆発音と共に、地下室入り口のドアが吹き飛んだ。

 一瞬で入り込み充満する黒煙。混乱の中で、エクセルはひたすら叫び声を上げる。


「きゃああああああっっ!」


――なに、なんなのこれ!?


「エクセルさん、ここにいましたか」


 突然の浮遊感、縛られた椅子ごと持ち上げられる。聞き慣れた声に、エクセルの思考が埋め尽くされた。


――あ、ああああああ!


「ソウジ、ソウジなの!?」


 泣き出したくなる感覚をこらえながら、声の主を呼ぶ。呼び続ける。


「遅くなってごめんなさいエクセルさん」


 煙が晴れる。視界が高い。向こうには距離を取った禿頭の男、殺人鬼。

 そして眼下には、長身の青年。細面の、無表情な顔。

 椅子を肩で支えながら、青年の添えられた指がかすかに動く。直後、なにか黒い線が一瞬横切ったように、見えた。

 ぶつりと、エクセルを縛っていた手足のロープが切れる。ゆっくりと椅子が床に下ろされた。


「え、なに、今の、魔術……? あ、ソウジ、一体どうやってここがわかって……そ、そうだプルーフが!」


 多数の疑問、命が助かった実感が脳を埋め尽くし、言葉がまとまらない。


「落ち着いて下さいエクセルさん。プルーフさんは生きていますから。エクセルさんは早くここから逃げて下さい」


「プ、プルーフ……良かった、ああ、本当に、良かった……」


 力が抜けるエクセルを背中にかばいながら、ソウジは眼前にいる二人の魔人を見据える。無言のまま、二人はソウジを観察していた。


「爆破した入り口から右に曲がって階段を上れば外に出れます。外には鎧姿の軍人らしき人が沢山いますから、その人に助けを求めてください。僕が逃げるまで相手をします」


「そ、ソウジは」 


 背中を見て、気づく。彼の灰色のコートが赤黒く染まっている。ズタズタに刻まれて、無数の傷口が見えた。右肩口にはナイフが刺さっている。剣を持つ右手から、血が乾いて剥がれ落ちていく。

 戦ってきたのだ。この青年は。


「あ、ああ、あ」


 今までギリギリまでこらえていた、だがもう抑えることができない。

 傷ついてまで、自分を助けに来てくれたソウジの姿に耐えることが出来ず、彼女の両頬を熱き雫が伝っていく。 


「――ソウジ、ソウジぃ! ごめん、あたしの、あたしのせいで」


「泣かないで、エクセルさん。さあ、早く」


 動けない。迷いながら、どうすればソウジを助けられるか、必死に、懸命に考える。だが答えは出ない。


「走って」


 静かな青年の声に、エクセルは決意を込めて動く。


「絶対、絶対助けを呼んでくるから! 待ってて!」


 走り出す小さな影が、力強く叫ぶ。部屋を出て行く。


「――かぁっこいいねぇ、こういうシチュエーション、好きなタイプ?」


 茶化すようにダクト・マッガードの顔が尋ねた。


「好きとか嫌いというか、ただの合理的判断ですよ――ああ、それからそこの肉屋の人」


 傍ら、何かと通信を取ろうとするブッチャーに声をかける。


「他の基地の人員にエクセルさんを捕らえようとさせてるのか、それとも増援を願っているのかはわかりませんが、無駄ですよ。近隣一体の集合所は全て潰してからここに来ていますので」


「……ああ、そうかい。道理で通信できないはずだ」


 辛うじて表情を崩さず、ブッチャーはソウジから視線を外さずに構えた。


「一つ聞くぞ、虐殺犯ミキシング


「……ミキシング?」


「我々はお前をそう呼んでいる。ノル国虐殺犯をな。なぜこの場所がわかった、なにを材料にここを当てたんだ?」


「ああ、なるほど、僕はそう呼ばれているのですね……ここを当てた方法は極めて簡単ですよ。見ていただけです」


 盛大な羽音。入り口廊下から響く。何かがこの部屋に近づいてくる。


「彼らを使ってね」


 灰色の濁流が、部屋になだれ込んだ。暴風のような羽音に、飲み込まれる。


「鳩だと!?」


 驚愕の声を上げるブッチャー。無数の鳩が眼前を埋め尽くす。ときおり見える光の線。


「死骸操術で鳩を操って、その目からの映像を僕の視神経に黒鋼分断線術式ブラック・サバスで作った糸を使い繋いだんですよ」


 ソウジがパチンと指を鳴らすと、無数の鳩はいっせいに床へと落ちていく。そのままピクリとも動かず転がる。


「公園で襲撃された時用に追跡用の鳩を確保していたんですが、まさかエクセルさん誘拐の追跡に使えるとはね。予測は違いましたが、怪我の功名というやつでしょうか」


 待ちぼうけをする間にちまちまと餌をやって鳩を捕獲していたのが役にたった。後はエクセルの家から不自然なスピードで離れる馬車さえ追えれば、彼女がどこにいるか目星はつく。


「バカな、無数の鳩からの大量の映像を、お前の脳内だけで短時間のうちに処理しているだと!?」


「そんなに驚かないでくださいよ肉屋の人。一定のスピード以上で動く対象だけを鳩が見るように設定すれば、映像はそう多くなりませんし」


 さらりと呟く。発想も、機能も、価値観も、カゲイ・ソウジはこの世界の人間と根本が違う。異質にして異常。これこそが、勇者。


「そんなことはもうどうでもいいじゃないブッチャー。本当にどうでもいい。それよりもさ、ねぇミキシング。僕は君を理解できるよ。僕だけが理解者になれる。君の殺人への思いを、僕は知っているよ」


「あなたは……ストレンジ・フルーツとお呼びすればいいのか、それとも偽ダクトさんとでもお呼びすればいいのかいまいちわからないのですが」


「やだなあ呼び名なんて君と僕との間なら」


「正直あなたはどうでもよくなったのですよ。色々話を聞こうと思ったのですが、どうも実際の指揮はそちらのハゲアタマの方が行っているようなので、そちらと話したいと思います。

あなたにはあまり興味がありません。特に趣味には」


「そぉかい……そりゃ失望したよ!」


 殺人鬼が身をたわめる。変形する脚、伸びるブレード。


「それじゃあ……!」


 解き放たれた体。全身をバネと化した超速度の飛び込み。殺人鬼の必殺の斬りつけが、


 カゲイ・ソウジの一メートル前に激突した。


「が、はぁあっ!?」


 悲鳴を上げる殺人鬼。口から泡を吹いてもがく。体が動かない。力なく床を引っ掻くことしか出来なかった。


「濃度を高めにしましたから、なかなか劇的に効きますね」


 殺人鬼の背後には、倒れゆくブッチャーの姿。


 ▽ ▽ ▽


「この建物内の殺人がミキシングの仕業だと?」


 アニッシュが問う。ウェイルーの断定の理由がわからない。


「君はまだこの報告書を読んでいないな。ここの記述、ノル国にも大量の外傷がない死体の発見報告がある」


 ウェイルーが示す文章に目を通す。たしかに外傷がない死体の記述をある。


「外傷がない、ということは恐らくはなんらかの毒物で」


「いや」


 アニッシュの推測を遮る。


「ただの毒物ならば喉をかきむしる、吐いて毒物の排出をしようとするなどの自損的外傷が発生する。ここ報告書にはそれがない。そしてさっきの発見報告にもそれがなかったんじゃないか?」


「……今確認しましたが、たしかに自損的外傷が一切ありません。これは」


「ただの毒物ではない。それらの自損的外傷を起こす間もなく動きを止める効果がある、恐らく動きを即座に麻痺させる効果のある魔術……」


 ウェイルーの推測。もしこれが当たっているならば、ミキシングの危険性は数倍に跳ね上がる。


「高精度の毒ガスをつくる魔術だ」


 ▽ ▽ ▽


「これね、一酸化炭素を生成する魔術なんですよ」


 ゆっくりと、勇者が一歩を踏み出す。床に転がる鳩を踏み砕いた。


「一酸化炭素は、肺に入ると酸素よりも二百倍以上の結びつきやすさで酸素を運ぶ役目のあるヘモグロビンと結びつきます。つまり一酸化炭素を吸い込むと酸素を取り込むことができなくなるんですよ」


 丁寧に解説をしながら、泡を吹いて荒く息をするストレンジ・フルーツを見つめる。


「エクセルさんがいると発動できないし、なかなか出て行かないからすこし困りましたよ。

まあ出て行って貰えれば、あとはこっそり発動して一酸化炭素を増やし続けながらあなた達とゆっくり会話をすればそれで終わりということです。

この魔術、使い方をきちんと選ぶととても効率的に人を殺せて便利なんですよ。なにせ材料は空気中に無尽蔵にあるし、ノル国では助かりました」


「あ、あぶぁ、あ、ぼぉくは、ぼくは」


「一酸化炭素中毒を起こした人間は、ヘモグロビンが一酸化炭素と結びつくことで綺麗な鮮紅色になる影響で、とても健康的な桃色の死に顔になります。

そこから僕はこの魔術を終息無音殺術式ピンク・フロイドなんて名付けたんですけど……ああ、なるほど」


 覗きこんだ殺人鬼の顔は、すでにもうダクトの顔をしていなかった。

 一酸化炭素による全身の麻痺が変身を維持できなくしているのだろう。

 錆びた月のような、空虚なる眼窩。のっぺりとした起伏のない表面。亀裂のような口。

 餓えた幽鬼を思わせる、ラフィン・フェイス。


「あの夜に見たあなたの顔は、仮面ではなかった。それが、あなたの本当の顔だったのですね」


「あぁなたなら、わかってぇ、くれるぅ、はずだぁ、僕のぉ、喜びを、人を殺す、美しさをぉ」


「ごめんなさい。僕はあなたのように、誰かを殺して、喜びや意味や美しさ、楽しみや悲しみを感じたことは今まで一度として無いんですよ。人を殺して何かを感じることができるということは、一体どんなものなんでしょうか。

それを知っているということは、きっとあなたはとても人間らしいということなんでしょうね」


 虚無の勇者の足が、倒れる顔の無い男へと乗る。ゆっくりと、しかし確実に体重がかけられていく。


「待って、ぼぉくは、君を、あなたを! ああああああやめてぇやめてやめて」


「それでは、さようなら」


 一瞬の停滞。その次の瞬間、熟れて弾ける果実のように殺人鬼の頭が踏み砕かれた。

 アシュリー市を恐怖に陥れた悪魔の、呆気ない死に様。


「さて、では次は……」


 視線を移す。禿頭の男はすでにもう立ち上がっていた。口から旺吐物が零れる。


「おや、もう回復しましたか。早いですね」


「原因物質さえ特定できれば……拮抗させる方法など魔術でどうとでもなる!」


 ふらつきながらも、男の周囲から魔術紋様の光が漏れる。超高密度の戦闘魔術発動の証。


「やはり化学系に知識がある方のようですね。麻薬の製造もあなたの指示の元に行ったと思える。ぜひ、お話をしたいのですが」


「話がしたいのなら」


 部屋が崩れる。鉄骨が壁や天井を突き破り生えていく。


「俺の死体に聞くことだな、ミキシング!」


 ▽ ▽ ▽


 アシュリー市を貫く轟音が、響く。

 中央区のとある建物が倒壊。爆発と同時に曇天の空を二つの影、それと無数の金属が群れとなって飛び出していく。


「な、んだ、あれ……?」


 見上げたまま、空挺突撃部隊の騎士が疑問の声を零す。

 金属が擦れる金切り音と、空中を走る紫電を纏いながら、無数かつ大量の金属は空中にある二つの影のうちの片方――肉屋ブッチャーの足元へ集っていった。

 やがて集合する金属片は、一つの長い形を形成していく。磁力操作魔術による、高精度金属操作術。


「この作戦は失敗だろう」


 百メートルを超える金属片の長列。その先頭にブッチャーは立つ。睨みつける相手は、鋼糸を引っ掛ける動きで空中を舞うミキシング=カゲイ・ソウジ。


「だが、お前は、必ず我が祖国の障害となる。故に、お前は、お前だけは」


 金属の塊は、やがて一つの生物の形を模倣していった。ハサミのような大顎、無数に並ぶ節足、ワイヤーが伸びる触覚。

 その姿は、辺境にいるとされる凶暴な生物を模した物。疑似紅屠大百足モノ・センチピード・メガニカ


「今ここで、必ず殺す!」

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