第69話 追跡

 ▼ ▼ ▼


 血を流して崩れ落ちるメイド服の女。

 笑顔のまま、細剣レイピア状の右腕をゆっくりと手の形へと戻していく刑事。

 呆然と地面に座ったまま、その光景を見つめる。


――斬ら、れた……? なに、に? なんて、ダクト刑事、ダクト刑事が、いや、あれは……


 本当に、あのダクトなのか。


――ちがう、ちがうちがう今はそんなことは考えている場合じゃなくて!


 錯綜する思考。必死に湧き上がる混乱を押さえつける。今は、逃げなれば。


「ねぇ、エクセルちゃあん、お話ししようよぉ。ちょっとだけさあ、ちょっとだけだよぉ」


「く、こ、のっ!」


 血を流しながら、プルーフが必死にダクトの脚を組み付く。すこしでも時間を稼ぐために、普段の淑女の顔さえも捨ててあがいている。


「逃げて! 逃げて下さいお嬢様! 早く!」


「好きなお菓子とかなにかなぁ。ぬいぐるみとか好き? 勉強は何が得意だった? 子供の頃はなにになりたかったのかなあ、お嫁さん? それともやっぱり新聞記者? ねぇ教えてよぉ、いっしょに来てよぉ、お話ししよぉ。ねぇ」


「お嬢様!!」


「うるさいよ年増」


 ポキリと、鈍く軽い音。プルーフの右人差し指が、反対側へ直角に曲がっていた。


「ぐ、ああ!」


「おまえを口説いていたのはエクセルちゃんに近づくためだよぉ。勘違いしすぎぃ。だめだぞぉ年増ぁ」


 ためらいなく、今度は右中指をへし折る。


「あ、あああ!」


「おまえはこういうんだよ『助けてご主人様』『助けてお嬢様』『私を見捨てないで』『奴隷の私を助けて下さい』ほらほら早く早く。

エクセルちゃん、ちょっと話をするだけでこの奴隷も助かるんだよ? 子供の頃の好きな遊びは? 初めて好きになった人は? 絵は好きかな? 初潮が来たのはいつ? 親御さんにはどんな手紙を書いてる? おっぱいを切り取られたり、指を切り落とされたら君はどんな声をだすの? 知りたいなあ、もっともっと。だから一緒に来てよぉ」


「あ、ああ……やめて、やめてぇ!」


 悲痛な声を上げて、それでもエクセルの脚が動かない。プルーフを助けたいという意志と、目の前の異常者への恐怖がせめぎ合う。逃げ出したい、だが逃げる訳にはいかない。


「その、クソみたいな……熟成童貞丸出しの不愉快インタビューはやめてくださらないかしら……!?」


 プルーフが犬歯をむき出しにして、嗤う。次の瞬間、殺人鬼に握られていた右手が光る。ニトログリセリン生成魔術プリティ・フライ発動の光。


「おっと」


「あづっ!」


 瞬く間に変形した殺人鬼の右人差し指。即座に伸びる鉄針がメイドの肩を貫く。滴る血、光が消える=痛みによる集中力の低下による魔術拡散。怯んだ彼女の顎を、ダクトのつま先が蹴った。力無く地べたへプルーフが倒れる。


「ちーがーうでしょー? セリフが違ぁう。もっと憐れみを誘う感じ。可哀想な頭の悪いババアがほざいてる感じでいうんだよぉほら早ぁくぅ」


「やめて」


 震える声で、前で出る。毅然とした表情で殺人鬼を見据えながら、必死に怯えを押さえつけて、エクセルは立ち向かう。今プルーフを助けられるのは、自分しかいない。


「私が、ついて、いけばいいんでしょう……? だから、プルーフにはなにもしないで!」


「お、お嬢様……!」


「いいねぇ、すごくいいよぉ。怖いのを隠してるその表情がすごくいい。本当に君は素晴らしいなあ」


 

 ▽ ▽ ▽


「て、いう、ことがあってさ」


「それは……少し、遅かったようですね、プルーフさん」


「そうね、すこぉし、ね。……バカなお嬢だね。奴隷なんか見捨てて逃げてりゃいいのに。さ」 


 ソウジによって壁への張りつけを外され、両手首のナイフを引き抜かれる。テーブルへ横たえられた彼女は、エクセルが浚われるまでの経緯を語る。

 片頬を自らの血に濡らしたまま、プルーフは僅かに笑う。余裕を見せようとするも、かえって痛々しい。

 メイドの言葉を聞きながら、勇者の視線は傷口へ。

 傷の具合を見るためにそのまま服を引き裂く。露わになる豊かな胸と、引き締まった腹部、そして大量の赤。


「レディの、服を脱がすなら、もう少しいいムードの時にやるもんじゃ、ないの?」


「非常時ですので、申し訳ありません」


 生真面目に受け答えながら、厚手のメイド服を押し広げ、胸元下から下腹部近くまで走る傷口を開いて覗く。魔術は術者の観測により作用が変わる。正確かつ完全な治療のためには、まず損傷箇所を確認し修復後の状態を精密にイメージする必要がある。


――皮膚、筋肉、神経、肋骨までを切断されている……主用血管や重要内臓器官への大きな損傷はなし……ただし、


 プルーフの右手に視線を移す。人差し指と中指が通常とは反対側に曲がっていた。拷問の痕。


「やっ、たのは、ダクトだよ……顔は知ってるだろ、あのポンコツ刑事、ただの刑事じゃなかったみたいね……」


「そうですか。あの刑事が……」


 驚きもなく、ソウジが問う。ダクト、あの刑事が薬を配っていた組織とつながっていたのか。


「あいつら……一体なんなんだい?」


「まだ調べている途中ですので、詳細はなんとも。それからプルーフさん」


「な、に、?」


「時間がないので、麻酔などは無しで神経と血管、筋肉や骨の修復を行います」


「なに? ……あんた、治療魔術なんて使えるのかい……?」


「ですので、治療はかなり痛いと思いますがこれを噛んで耐えてください」


 ゆっくりと、彼女へ馬乗りになるソウジ。プルーフの鼻先へ、無表情にハンカチが差し出される。


「……あんたみたいなクソサディスト野郎ってなぜか女にモテるもんなのよねぇ。なぜかしら」


 呆れと、諦めの表情と共に、ハンカチを噛み締めた瞬間、ソウジの魔術が発動する。


「ぐ、がああああああっっ!」


 魔術燐光の淡い蒼の光。幾何学的な魔術紋様が現実を改変する情報としてプルーフの体内に注がれる。

 神経細胞が増殖する、骨が生える、筋肉が分裂する。今まで体感したこのない種類の痛覚。

 耐えようとしても、体が跳ね上がるのを防ぐことができない。激痛から逃れようと動く体は、ソウジが馬乗りになって抑えつけている。


「あ、あああああっっ!」


 獣のように吠える。滝のように流れる汗、やがて厚手のスカートを股間から黄色い液体が濡らしていく。


「あとは皮膚だけです。もう終わります……お疲れ様でした。できればこの後病院で検査を受けるべきですね」


 プルーフから降りながら、ソウジが声をかける。引き裂かれたメイド服から覗く裸身には、血が彩られていても傷跡はない。大きく呼吸をしながら、彼女はまだかろうじて気絶していない。


「服は、切り裂くわ、漏らさせるわ、とんでもない鬼畜だね……かっこ、悪い、から、今のうち、言っておくけど、さ、……『人殺したやつはなんとなくわかる』っ話、アレ、嘘なんだよね。カマかけてみたっていうか」


「そうですか。僕は信じてしまいましたよ」


「二年もあのダクトのクソヤロウをやつ見抜けなかったんだから、笑い話にもなりゃしない……あの男はずいぶんあんたにこだわってるみたいだよ。アタシを生かしてメッセージ代わりに置いとく程度には、ね」


 プルーフは殺されていてもおかしくはなかった。しかし負傷の程度から見るに、ソウジがここにくることを予測して死にかける程度の重傷にわざと抑えられていた。

 あの殺人鬼ストレンジ・フルーツ殺人鬼カゲイ・ソウジへと会いたがっている。


「それはそれは」


 ゆっくりと、彼女の折れた右手を勇者が握る。魔力の蒼い燐光が灯る。


「僕も彼とお話がしたかったんですよ。エクセルさんも助けねばなりませんし、良い機会ですね」


 手が離される。完全に治ったプルーフの右手があった。


「助けに、行くのかい」


 ただ一人で、あの得体の知れない集団に挑むというのか、この青年は。

 だが不思議と、必ずそれをやり遂げるような気もする。

 底が見えない、どこから来たのかも、何を思っているのかも、プルーフにはカゲイ・ソウジを理解できない。

 だが、彼は嘘をつかない。何一つ嘘を言わなかった。信じる理由は、それだけでいい。


「ええ、生きていてくれねば困ります。僕はまだ、エクセルさんの願いを叶えていないのですから」



 ▽ ▽ ▽


「動くな、止ま」


 疾走からスピードを落とさずに跳躍。警告の言葉、その途中でヘルムに膝蹴りを叩き込む。鋼鉄が歪み、屈強な鎧姿の兵士が派手な音を立てて石畳に倒れた。


「貴様!」


 傍らにもう一人の鎧姿。一瞥すらせず、魔力を宿した不壊の剣を振るう。鈍い音を立てて、騎士が壁に叩きつけられた。

 相手が行動不能になったかを確認もせず、勇者は――カゲイ・ソウジは疾走を続ける。街中を、騎士や一般市民、それらが混沌を描くその真っ只中を、阻むもの全てを叩きふせながら走り続ける。

 エクセルがさらわれて何処へ連れて行かれたか、そのある程度の方向の目星・・・・・はすでにつけている。ならばそこにいくまでに、ついでにやっておくことがある。

 眼前に建物。レンガ作りのアシュリー氏では一般的な店舗用の建造物。

 魔術の光が手に集う。解き放つ熱衝撃波、熱波進撃術式ア・シャーを放つ。轟音と共に破片を撒き散らして壁に大穴が空く。

 跳躍、煙の中へ体を飛び込ませた。

 ガラス辺を踏みしめて建物内部へ侵入する。即座に光学特化視覚強化術式ワン・アイド・モスを発動。煙に潜む存在を見逃さぬよう注視。


「おっと」


 瞬間、首筋への斬撃を掲げた剣で受け止める。背後に気配、無造作に放った背面打ちバックブローが、女の顔を無残に叩き潰す。崩れ落ちる体。


「やはり当たりですか――どうもこんにちわ」


 階段から駆け下りてくる人影。みためは普通の街人。しかし手には魔術の光。

 カゲイ・ソウジはただ目的なくアシュリー市中央区でエクセルの世話をしていただけではない。すでにこの中央区において、組織らしき人間が出入りする建物を数カ所抑えていた。

 エクセルを救出しようとすれば、確実にそこから人員が出てくるだろう。ならば、追跡途中で排除していく。

 最も手っ取り早い、方法で。


「それでは」


 ソウジの周囲に、光の文字が浮かび上がる。圧縮された物理的干渉力を持つ超情報。嵐のように荒れ狂い、星の動きのように精密な力。

 それは、ソウジの持つ中で最も大量殺人に特化した魔術。


「皆さん、さようなら」

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