第68話 拉致


 その日は休日だった。

 普段の商店の仕事は主人の都合で無く、暇になった昼間を男はダラダラとアパートですごす。

 単身者用の簡素な部屋。粗末なベッドと脱ぎ散らした服、散乱する雑貨。

 冬に入る季節、かといって金のかかる暖房はまだつけておらず、しかたなく椅子に座り安酒スピリッツを煽るしか寒さをマシにする方法がない。

 少し赤らんだ顔で保けながら男は埃がかった天井の茶色い染みをみる。


「ああ、クソ、いきなり休みにしやがって、その分給料減るじゃねーかあいつ」


 愚痴を肴に更に酒を飲む。田舎から知り合いのつてをたどりアシュリー市にきたが、食うに精一杯で金を貯める余裕もない。ついでに女もいない。


「ああ、死ね死ね。あの主人おやじも、俺を相手にしない酒場の女も、ついでにこの街もみんな滅びろ」


 止まらない呪詛。この数年は酒を飲むといつもこうなる。


「ああ、もう俺も死ね……え、」


 ドン、という衝撃が頭上から降る。傍らの酒が入ったビンが倒れた。

 なにがあったのかわからぬうちに、天井の染みがに亀裂が入った。

 続いて天井そのものが割れる。土砂崩れのように天井を構築する漆喰や瓦礫が降る。


「う、うおおおおおおお!」


 天井を突き破り、鋼鉄の人体がテーブルに激突する。そのままテーブルと床を破壊。背中に背嚢とマントを背負った鋼を纏う人型――完全武装の騎士だ。


「う、あ、ななななっっ!」


「こちらスワロー三番スリー。着地成功。損害無し、フェイズワン続行」


 野太い声をだしながら、沈む脚を引き抜き、騎士が動き出す。男はなにがなにやらわからぬまま、呆然とする。


「参ったな、思ったより集合地点から遠い」


 ぶつぶつと呟く鎧の男。左腕手甲の内側には丸い方位磁石と、小さな地図らしきものが貼り付けられていた。


「ちょ、ちょちょ、ちょっとまてあんた!」


「ああ、悪いな、家を壊して。これも任務なのだ。許してくれよ」


 颯爽と、しかし豪快に部屋を破壊しながら騎士が部屋を出て行く。呆然としながら男は天井に空いた穴を見上げる。


「なんなんだ、これ……?」


 穴の向こうには、浮かぶ葉巻のような巨大物体。

 視線を窓に移す。曇天の空。いくつもの浮かぶ葉巻から、ワラワラと小さな人影が落下していく。比例するように街の騒ぎ声が拡大する。


「なんなんだ、なにが、起きているんだ……?」


 理解できることは、とてつもないなにかがこの街で起ころうとしているということ。それのみ。



 △ △ △


「まぁーったく、このお嬢様ときたら!」


 ナイフを片手に迫る男を、テーブルに手をついてからの回し蹴りで吹き飛ばす。古臭いメイド服、その長スカートを翻し、背後から迫るもう一人を見もせずに投げ飛ばした。


「どこからこういう怪しい殿方達に目を付けられたんですかねぇっと!」


「こんなの私知らないよ!」


 プルーフの問いかけに、涙目のエクセルが答える。

 倒れた状態から立ち上がろうとする男へ、プルーフの振り下ろした木の椅子が直撃。派手な音を立てて椅子が砕け、男は動かなくなる。


「だからあれほど女性は身の回りに気をつけねばなりませんと言ったではないですかお嬢様!」


 今度は正面から抑えつけようとする男。しかし、プルーフが軽く腕を腕を動かした瞬間、崩れるように倒れる。

 彼女の手には、ト字型の木片。かつて椅子だった破片。一瞬で男の顎を打ち貫いたのだ。


「プ、プルーフ……あんた、結構強かったの……?」


 倒れた男の後頭部に蹴りを叩き込みながら、ト字型の木片の突き出た部分を掴み構える。片手にも拾い上げたやつをもう一つ。

 トンファー。東方における攻防一体の打撃武装の技術。

 愕然とするエクセル。彼女はプルーフがぐうたらで家事の下手な、大雑把な性格のメイドであったことしか今まで知らなかった。


「そりゃあ愛娘を危険な都会にいかせるんですもの。私みたいなのを付けといたほうが安心するというものでしょう」


「それにね」


 即席のトンファーがヒュルリと風を切り軽やかに回転。背後にエクセルを守りながら、群れなす男達へ微笑むように告げる。


「殿方もお嬢様も余り知らないようですが――メイドが強いのに特に理由はないんですよ?」



△ △ △


 新聞社から我が家へ帰ったエクセル。帰宅と同時にドアをこじ開けて数人の暴漢がなだれ込んできた。

 混乱のうちに捕まるエクセル、プルーフの投げたフライパンが背後の男を直撃。

 半泣きでテーブルの後ろへ逃げ込むと同時に、メイドの大立ち回りが始まった。


――なんなの、これ? ひょっとしてこれがソウジの言っていた『危険』ってこと?


 混乱する思考にエクセルの考えは纏まらない。だが恐らく、ソウジが注意していたことはこの事態のことだ。


 「ふっ!」


 プルーフが短く息を吐く、同時に男がナイフを突き出す。トンファーで受け止めた刹那、プルーフの胸元へ添えられた片腕が光る=魔術発動の構え。


「おっと」


 即座にプルーフの蹴りが伸び男の腕を跳ね上げる。ズラされた方向、発射されるモリブデン鋼の散弾。鉄の嵐メタリカに頭上斜め上の天井がぶち破られた。

 紙一重で必殺の魔術をかわし、表情一つ変わらずにプルーフが動く。トンファーを用いた突き、男の胸板に刺さる。


「あ、それ」


 トンファーの先が光る、同時に小爆発。木片と共に煙を上げて血を吹き流し男が倒れた。


「ま、魔術まで使うのかこの奴隷!?」


 使われた魔術は転換爆縮光術式プリティ・フライ。ニトログリセリンを生成する科学系統の魔術。本来奴隷は魔術の使用を法律で禁止されている。それも正規の専門教育を受けていない者にはとても扱えないはずの科学系統の魔術。


「おやおや女の秘密に触れるのは初めてですか?」


 ドーハ家の紋章――刺青の家紋が飾られる片手でそっと口元を隠し、恥じらうように微笑む。


「――でも、淑女にはこういうものがつきものでしょう?」


 砕けたトンファーを投げつけ、前蹴り。崩れると同時に腹に膝を当て、魔術プリティ・フライを発動。上体を跳ね上げて男が吹き飛ぶ。

 


「さあお嬢様! ノロマな女は損しかしませんよ!」


 エクセルの腕を掴み、玄関へと走り出す。敵が混乱している今しかチャンスはない。

 倒れる男を蹴り上げ、エクセルを引っ張りメイドが階段を駆け上がる。外にさえ逃げ出せばなんとかなるはず。

 後を追おうとする一団に、もう片方のトンファーを投げつける。壁にぶつかった瞬間、起爆。


「きゃあああ!」


 先ほどの格闘戦よりも大きい衝撃に走りながら悲鳴を上げるエクセル。


「ほらほら走る走る! 運動不足は美容の大敵ですよ!」


 追いかける爆風と煙。転げ落ちるように階段を駆け上がり、ドアを蹴り開ける。


「……なに、これ、?」


 呆けた声をだすエクセル。ドアの外には、混乱があった。

 空を覆う葉巻型の浮かぶ機械。空から落ちる鎧姿の人影。

 見たことがない光景。街の空の所々には煙があがっている。アシュリー市を混乱と衝撃が覆う。


「やあ、エクセルちゃん、無事だったの?」


 聞き覚えのある気安い声に振り向く。にこやかな青年の笑顔。


「だ、ダクトさん、これは一体……? あの空に浮かんでいるのは……?」


 街の混乱、その中でエクセルは気づく。ボロボロの背広の青年、その後ろ側に、血だまりに沈む二人の鎧姿の人間がいることに。


「あの飛んでるやつ? あれは飛空挺っていうんだよ。飛び降りてるのは降下作戦訓練を積んだ兵士達。極秘部隊である突撃空挺部隊一号スーサイド・ワンだよ」


「そ、それは」


「それ? どっちかなぁ? こっち?」


 笑顔のまま、顎先で後ろの死体を指す。


「それともこっちかな?」


 肩口から千切れて欠損した左腕を見せた。


「な、なにが」


「なにが? 後ろは僕が殺したやつだよ。ついて来るからウザくてねぇ。この腕はウェイルー捜査官にヤられたのさ。痛覚遮断できなかったら気絶してたよ」


 青年が、一歩踏み出した。


「お嬢様っ!」


 プルーフの叫びが聞こえる、同時に押し出されて転ぶ。

 眼前に、血風が舞った。胸元を大きく血に染めて倒れるプルーフ。自分を守って、斬られた。


――な、に? なにが?


 混乱の極みに達する思考。ダクトの右腕は湾曲した細い刃へと変わっている。なんだ、あれは。


「あは」


 殺人鬼の、笑い声を聞いた。



 △ △ △


――これはやられましたね。


 爆発跡と破片が散らばる階段を歩く。木片がパキパキと踏まれて音をだした。

 かつてエクセルとプルーフが暮らしていた部屋は、もはや面影もない。

 たった数時間でこうなるとは。


――エクセルさんは僕の忠告を守らなかったようですね。


 勇者はゆっくりと歩を進める。広場からエクセルの家へ移動すると、まずドアが吹き飛んでいた。

 そこからこうして中に入ってみると、やはり中も散々な状態になっている。


――生きていてくれねば困るのですが。


 リビングへ着く。ソウジはゆっくりと壁を見上げながら息を吐く。


「ただいま、プルーフさん」


「ちょっと、おそ、かったじゃない、ソウジ……?」


 メイドが切れ切れに声を出す。

 壁に手首を突き刺され、胸元を大きく血に染めた瀕死の美女は、一枚の絵画のようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る