第40話 夜会

――これは、


 ソウジの視線が下へ落ちる。切断された左手首が転がる。

 左腕に力を込め、出血を最小限に抑える。それでもしたたる血が床を汚した。

 吊し切りケリーストレンジ・フルーツの後ろ、新たに現れた存在。

 ガラスの二枚ゴーグル。口元に短い円筒形の機関。全身を包むレインコートから見える顔は、ソウジの世界でいうガスマスクに酷似している。

 時折、口元から排気音が聞こえた。薄暗闇の中、吐き出される粉状の何かが見える。


――奇妙だ……


 左手が切断されたことがではない。切断方法はソウジ自身の力、それと何かワイヤー状の物を引っ掛けられた事による相乗効果のカウンターだ。

 だが、もし毒ガスマスクがワイヤー状の物を操るのなら、少なくとも手元が動くはず。しかし、引っ掛けた後に引っ張る動作はあったが、引っ掛ける動作はなかった。そもそも攻撃された後なのに、ワイヤーがまだ確認出来ない。

 敵の攻撃の正体が、ソウジにはまだ理解出来ない。


「ま、出来ればゆっくり見学したいんだけど、こっちも予定が詰まってて、ね。」


 飽食者が背を向ける。優雅な足取りで、ドアをくぐる。


「それじゃあ、楽しんで。気が向いたら死んでみたら?」


 楽しげな声で、殺人鬼が消える。

 同時に、ソウジの右手に僅かな感触。刀身をがんじがらめに走る鋼線。ワイヤーが長剣を捕らえている。


――いつの間に……


 やはりワイヤー、しかも予備動作無く束縛が完了していた。とっさに剣を引こうとした刹那、物陰から別の人影が飛び出す。

 新手、そう思う間もなくソウジの至近距離まで接近。同じくレインコート、ホッケーマスクに似たデザインの仮面。

 鉄甲に包まれた両腕。放たれる拳、二発。ソウジの胴へ直撃。


「――ご、お、ふ、」


 予想以上の衝撃に体が曲がる。のど奥から湧き上がら鉄錆の匂い。大量に吐血。

 ただの拳撃ではない。振動をまとった、内臓破壊を狙う魔術『振動浸破撃術式オフスプリング』による魔術攻撃だ。


――な、なるほど、


 ワイヤーはあくまでも奇襲か足止め。ホッケーマスクの拳がメインだ。確かに拘束と切断という二工程が必要なワイヤーは即撃性に欠ける。

 右剣に更に力がかかる。ワイヤーが拘束を強め、剣自体を破壊しようとしている。武器を封じ、中距離と近距離で確実に相手を仕留めるコンビネーション。

 挟撃が、勇者へと迫る。 


 ▽ ▽ ▽



「とかく、妙な話になったものだ」


 アシュリー市、中央街ホテルの一室でウェイルーは静かに息を吐く。

 服装はバスローブ。濡れた金髪が魔術照明により鈍く輝いた。

 腰掛けるは椅子。現在ウェイルーが滞在するホテルは市内でも最高級に位置する部屋のため、机や椅子、ベッドやドアノブに至るまで細かな細工が施された高級品だ。ロベック団長の計らいらしいが、正直ウェイルーは多少の部屋の良し悪しを気にするタイプではない。

 最もルームサービスの食事が良かったのは気に入ったが。

 嘆息しながらも、机上の資料に目を通す。

 ロベックより送られたミキシングによるノル国虐殺の第二次調査報告の資料である。アシュリー市にくる寸前までに受け取っていたが、パラパラと目を通すばかりで本格的に読んでいなかった。


――三つ巴、か


 ミキシング、ウェイルー、そして第三勢力。それらがこの街で蠢いている。さらに警察へ回る妙な手。

 どうにも愉しくなってくるほどうっとおしい現状だ。


――やはり情報元が欲しいな。


 自分だけでは情報集めに限界がある。元々土地勘がないのだ。


――ダクトのヤツは当てにはできんしな……ん?


 資料の一説、『ミキシングが所持している可能性のある武器』という欄に目が止まる。


――ヤツの剣か。


 ウェイルーから見て、ミキシングの剣の腕ははっきり言って論外以下の腕前である。素人の棒振りと大して変わりはない。単純に腕力の異常な強大さと、判断スピードの高さで渡り合えているだけだ。

 更に言えば、剣のまともな持ち方さえ知らないだろう。ミキシングに殺されたらしい人間は叩き潰されているように死んでいる。刃ではなく、刀身を当てたために潰されたのだ。

 基本的に刃で効率良く斬る為には、刃筋に沿って引くか押すかの技術が必要になる。しかしミキシングは、ほぼ力による叩き割りか、刀身を当てた叩き潰しだ。

 必要がない。だから技術は学習しない。カゲイ・ソウジは元いた世界ではただ・・の殺人鬼だった。必要に応じ、最もベターな方法で殺人を達成する殺人者である。けして剣豪や軍隊経験者ではない。人を殺すだけならば、剣に精通する必要がない。


――なるほど、あれだけ異常な剣の使い方が出来た理由はこれか。


 一文を目で追う。王宮で行方が確認されてない武装がだった一つ。それは戦士長オウタの長剣。

 注釈で付けられた一文、『破片から純アダマル鋼製の長剣と判明』に注目。

 アダマル鋼とは、魔力を注ぎ込むことにより与えられた衝撃をベクトル相殺出来る鉱物だ。わかりやすくいえば、魔力を注ぎ込む限り破壊されない。

 しかし使用される魔力効率が悪く、並みの人間の魔力ならば通常より多少頑丈程度ぐらいである。使いこなせる能力がなければ、飾りのようなものだ。

 だが、それにミキシングの魔力が注ぎ込まれたならば、


――剣の技術とは効率良く人を斬る為だけにあるものではない。剣にかかる負荷を軽減して、本来消耗品である剣を長く保たせる為の技術でもある。


 ウェイルーがミキシングとの初遭遇で携帯していた六本剣は、ウェイルーの振動斬撃術式で発生する刀身への負荷を考慮してのものだ。予備を常に用意して破損に備えている。

 もしミキシングの技量と腕力で普通の剣を振ったならば一撃とて耐えることは出来ないだろう。瞬く間に刃こぼれし、曲がり、折れる。


――だがミキシングが今現在持っているのは、


 絶対に折れない、魔剣だ。


 ▽ ▽ ▽


 ワイヤーが緊張する。しかしソウジの持つ剣には一切の損傷が見られない。ガスマスクは両腕を交錯させて引っ張るが、剣が折れる様子はない。


「ああ、これ、悪いんですが、折れない剣なんですよ」


 こともなげに告げる。無造作に振った右腕、ブツリと音を立て切れるワイヤー。

 そのまま剣先を下へ。すくい上げる動きで自らの左手を刺し、ガスマスクへ投げつけた。


「なっ!」


 予想外の動きにガスマスクの動きが止まる。投げつけられた左手が、ガスマスクの喉を掴む・・・・


「ご、が、あ、」


 手の甲を走る魔術刻印。切断面より伸びる魔術構成の光。光の帯は、ソウジの左手首へ続く。


「死骸操術、――まあ、切り離された自分の体も死体、ということですからね」


「フッ!」


 ホッケーマスクが動く。瞬く間にソウジへ叩き込まれる拳弾三発。心臓、肺、肝臓、重要内臓機関へ殺到する内部破壊魔術。確実に殺す為の致死の拳。

 衝撃にソウジの体が揺れる。だが今後は吐血する様子も心臓が止まった様子もない。悠々と直立する。むしろ前よりダメージは軽そうだ。


「……しばらく前に、あなたと同じ振動を操る方と戦った経験がありましてね」


 『 振動浸破撃術式オフスプリング』は振動により内部破壊を狙う。ならば同じ周波数の振動で相殺すればただの拳打に過ぎない。ウェイルーとの戦闘を経験したソウジには、振動を操る魔術を模倣することは容易い。

 今度はソウジの刃が高周波振動術式ヴゥーンの唸りを上げる。


「それではさようなら」


 袈裟切りに振られる勇者の剣。本能的に後ろへ飛ぶホッケーマスク。しかし一拍遅い。

 ガードのために組まれた腕に刃が触れた瞬間、抉られるように肉片を飛び散らせホッケーマスクの体が両断される。高周波振動のレベルが強力過ぎるせいだ。


「お、お、お!」


 ガスマスクはなんとか左手を引き剥がし、床へ投げ捨てる。ソウジを仕留めるために渾身の一撃、ワイヤーによる首切断を試みた。

 しかしソウジが首を軽く傾げた瞬間、ワイヤーが宙を空振る。


「な、に!?」


「あ、あなたの魔術、大体見破りました」


 飄々と、事も無げに勇者が呟く。

 ガスマスクを見つめる双眸。その左目のみが、闇の中で虹色・・に光っている。

 光学特化視覚強化術式ワン・アイド・モスによる視力強化により、視覚神経を通常の二千倍の感度まで高めた。それによりソウジの視力は昆虫や一部の甲殻類のような高精度の複眼と同じ能力を会得している。

 電磁波、赤外線、マイクロ波、そして光は本来は波長が違うだけで基本は同じものである。しかし人間は視覚の制限により光しか見ることが出来ない。

 しかしソウジはこの術式により電磁波や赤外線までもを視ることが出来るようになった。

 この時点で、ガスマスクの敗北は決定した。


「あなたの撒き散らしているのは、鉄粉ですね」


 ガスマスクの円筒形部分、そこからまき散らされているのは黒粉。部屋中に充満していく。

 不自然にソウジが左足を上げた刹那、またもその場所をワイヤーが空振った。


「撒き散らした鉄粉を磁力や電磁波で誘導、相手の首や腕などに輪状に配置させ、鉄形成操作術式で瞬時に鉄粉からワイヤーを形成。後は引っ張るだけ。タネがわかるまではなかなか興味深かったです」


 ガスマスクの魔術、『黒鋼線分断術式ブラック・サバス』が鉄粉の誘導に磁力や電磁波を使用している以上、今のソウジにはどこを攻撃しようとしているか完全に見えてしまう。


「あなたの魔力では、鉄を魔力で合成するには魔力量が不足な所と、ワイヤー形成に集中が必要な所が欠点でしょうか」


 剣を床に突き立てる。右手を掲げた。目標は、哀れな襲撃者へ。


「タネがわかれば、この程度はできるわけです」


 指が鳴る。同時に網状のワイヤーがガスマスクの全身を絡め捕った。一瞬で全身が締め上げられ、声にならない叫びを上げる。締め付けるワイヤー状に、ガスマスクのガラスが割れた。


「空中に配置した魔力を質量化変換術式で鉄へ。更に形成をワイヤーの網状にしてみました。ワイヤーに形成する際についでに鉄分子の方向も揃えて、強度も上げてあります。魔力だけは豊富なもので、こういう芸当も僕なら出来るんですよ。それでは」


 ソウジの模倣、一瞬で本式を凌駕していく。広げられた指、ゆっくりと閉じる。


「あなたの魔術はとても参考になりました。ありがとうございます」


 指の動きに合わせ、ワイヤーの網が引き締る。ガスマスクの体を細かな網の目に合わせ瞬時に切断、吹き出る血と肉。

 瞬く間に、人一人がバラバラの肉片の山と化す。


「さて、」


 無人となった部屋。見渡しながらソウジが呟く。


「……逃げられましたか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る