第11話 それが恋だとは、まだ少女は知ることができず

――やっぱり外は寒い……


 ミトスの吐く息が白い。かじかむ細い指に息を当てる。縮む血管が拡張され、血が流れる感覚を僅かに感じた。

 朝を少し過ぎた時間帯、空は薄光の曇天。すぐ後ろに見える、山小屋。

 ソウジの買ってきてくれたコートのおかげで幾分かましだが、冬の近い季節はやはり凍てつく、いや前年よりも寒いかもしれない。少女の薄い脂肪しかない体にはなおさらだ。


 肉の確保が済み、次はビタミン類を補充するために食べられる山草類を確保したいとソウジが言ってきた。ミトスなら食べられる野草の区別がつくため、ソウジと共に森へ向かうこととなった。


――あたしも、なにかソウジを手伝わないと!


 自分のすぐ前を歩く青年を見つめる。細い彼の背中は、とても大きく見えた。

 今までソウジはミトスになにかを手伝わせようとはしなかった。岩猪の解体でさえ、寄生虫と感染症を防ぐためだとミトスには指一本手伝わせてはくれない。

 動物の死体の処理には慣れているとは言っていたが、やはり量が量だ。


――あたしは、奴隷じゃなくて人間だから……!


 奴隷ならば、主人から与えられる事は当たり前だ。主人とは対等な関係ではないのだから。だが今の自分は人間だ。ソウジを少しでも助けたい、何かが出来ると証明したい、そう思う。

 そして、できればソウジと共にずっと一緒にいたかった。


「……ねぇ、ソウジ、なんであたしに優しくしてくれるの?」


 歩きながら、一番聞きたくて、だが怖くて聞けなかったことを問う。

 人でありたいと願っても、今の自分には何もないことはわかっている。何も、ソウジには返せない。


「――なぜ、そんなことを聞くのですか?」


 立ち止まりも振り返りもせず、ソウジが答える。やはり、その声に感情はない。


「だ、だって、あたし何も無いし、ただの子供だし、ソウジに助けてもらっても、何も返せないし……」


 口ごもりながら少女はうつむく。理解していても、言葉にはしたくなかったからだ。


「約束、だからです」


 痩身が止まる、呟きながらソウジが少女へ振り向く。虚無を宿す瞳に、曇天の空と、灰色の大地と、ミトスが映る。


「や、約束……?」


「約束、です。ある人と約束を交わしたからですよ。

『あらゆる理不尽を正し、弱き者を救い、世界から悲劇を取り除く、この世界で生きる人々を救う真の勇者になれ』

僕はその人とそう約束しました。

だから、僕は君を助けたんですよ。『弱者を救う』、それが勇者であるために必要なことですから」


 淡々と、語る。勇者の言葉は、吹き抜ける風よりも、冷たい。


「あ、あたしが、弱かったから……?」


「そうです。だからミトス、僕は君に何も求めてはいません。君が弱者だと思ったから、『約束』に従って助けている、ただそれだけです」


「――う、あぁ、」


 ミトスが呻く。乾く喉が鳴る。心のどこかでわかっていた、この青年は、どこか普通の人とは異質だと。

 動けない少女の前に、白の結晶がゆっくりと落ちる。一つ二つだったそれが、やがて数を増してゆく。

 例年より遥かに早い降雪。やはり今年は前年より寒いようだ。


「だからミトス、僕は君が一人で生きられるようになったら――そうですね、食料を集めて、君が文字を覚えて、冬を越せたら、その時、僕は君の元を離れてまた旅に出ます。

約束を果たし続けねばならないですから」


 感情の無い声で、ソウジが語る。愛も、執着も、慈悲も無い、彼はそういう救い手なのた。


――あ、あたしは、


 だが、少女は違う。


――あたし、は……


 少女は人間だ。諦めかけた全てを、今再び掴もうとする希望を持ってしまった人間だ。

 そして、この青年が異質であると理解してもなお、共にいたいと願ってしまった。


「……連れて、いって」


 もし少女が奴隷のままだったなら、青年のいう通りにしていただろう。

 もし少女が青年と出会った直後のままだったなら、この状況のまま救われていただろう。


「あたしも、あなたの旅に連れて行って、ソウジ!」


 だが今の少女は人だ。狂おしいほどに、哀れなほどに、熱く、そして痛々しく、ミトスは人間だ。


「……いいえ、僕の旅に君は必要ありません。同行者は要らないのです」


 少女の叫びを、勇者は拒絶する。吹きすさんでいく雪の中、それでも二人は向き合う。


「連れて行ってよ、ソウジ! 文字だって早く覚える! 役立たずにだって絶対ならない! あたしは――」


 未だ凍えた表情のままの青年へ、叫ぶ。この世の果てへ、届くように。


「ソウジと、一緒にいたい! ……もう一人はイヤだから」


 駆け抜けるミトスの声、一拍の沈黙の後、ソウジが再び口を開く。


「――ミトス、それが君の願いなのですか?」


「そうだよ、ソウジ、これがあたしの願い……」


 突如、ソウジが片手に握っていた長剣を鞘ごと地面に突き立てた。しゃがみこみ、何かを拾う。


「ミトス、ではこれで決めましょう」


 広げた右手には、小さな形の悪い小石。


「この石を真上へ投げて、僕よりも右へ逸れて落ちたら君の願いを叶えます。

左へ逸れたら、願いを逆に叶えましょう」


「……逆に?」


「君をこの場所に置き去りにします。永遠に」


「え、なんで、そんなことを……」


「これが僕だからです、ミトス。この瞬間だけ僕は僕の意志があることを世界に証明できるんです。

だからミトス、この二択に、全てを賭けますか?」


 青年の果てしない虚無を、ミトスはまだ理解できなかった。

 だが朧気にわかる。今が己の運命を信じるか否かの選択の時だと。


「……する、するよ、ソウジ」


 奴隷だった頃なら信じられなかった、だが今なら信じられる。ソウジと出会えた幸運があるなら、きっと上手くいくはずだと。


「……でも、ソウジ、やっぱり少し怖いよ。だから、目を閉じているから、ソウジがどちらに落ちたか教えて――」


 運命と、そしてソウジを少女は信じた。

 固く、目を閉じる。視界は闇に堕ちた。手を組み、祈る。


「さぁ、投げますよミトス」


 ソウジの声、ヒュッと何かを投げる音。

 やがて、何かが落ちた音が聞こえる。


「――結果が出ました、ミトス」


 そして少女は闇の中、剣が引き抜かれる音を聞いた。

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