第10話 灯り

『この最低の世界を創ったのは、

形而上学的な超越力じゃない。

子供を殺したのは神じゃないし、

その死体を犬に喰わせたのも運命なんかじゃない

俺たち人間だ 人間の仕業だ』


(ウォッチメンより/ロールシャッハ)


 △ △ △


 凍てつく夜は、静かで、だが少女には暖かかった。


――ソウジは、なんで優しくしてくれるんだろう……


 暖炉に火は無い。だがソウジの気温調節魔術により、小屋の中は暖かいままだ。

 天井に浮かぶ照明光球は、昼間と同じ明るさをもたらす。

 ベッドに横たわり、毛布を被る少女の前では、ソウジが古びた椅子に座り静かに本を読んでいた。

 長身痩躯、優しげな風貌を持つ青年が、じっと本を読む様子はなかなか絵になる風景だった。


「ミトス、十代では十分な高タンパク質の食事と睡眠が成長に不可欠です。早く寝ることを勧めます」

 振り替えらず、ソウジが呟く。晩餐はソウジの穫ってきた岩猪イワシシの心臓のソテーと穀物粥だった。

 普通なら何十人係りで採る岩猪をたった一人で狩猟、しかも巨大な二頭を小屋のすぐ前まで運んできたのだ。巨体をどう運んできたのか疑問だが、ソウジは「歩いてもらった」としか言わない。


「……ソウジ、何を読んでいるの?」


「この小屋に置き去りにしてあった『教主書』という本です。この国の国教を伝えるための本のようですね。初めて読みました、なかなか興味深い」


「え、ひょっとして……ソウジは偉神教を知らないの?」


「ええ、存じません。ミトスは知っているのですか?」


「知ってるも何も、みんな生まれたころから偉神教だよ……知らないほうがおかしいくらい」


 やはり奇妙な青年だ。周辺国で国教とされる宗教も知らないとは。


「なにかとこの世の事には疎いもので…… ミトス、ここの記述の解釈について教えてもらってもいいですか? 文章がわかりずらくて」


「え、あ、う……」


 口ごもる、少女はソウジから視線を逸らした。


「……その、あたし、文字読めなく、て、あの、」


 奴隷に勉学は必要ない、それがノル国の方針だった。

 偉神教の教えを受ける時でさえ、司祭の読み上げる教主書を耳で聞くしかない。

 

「……そうですか、では」


 ソウジが振り向く。引き締まった長い腕をミトスへ向けた。


「――僕から文字を習ってみますか? これから生きていくために必要になるでしょう」


 ソウジにはこの世界への召喚時に、自動的に脳内へ共用言語と文字情報を学習させる魔術が使用されている。その恩恵により言語の学習を必要としない。


「……い、いいの?」


 思わず、聞き直す。それだけ奴隷だったミトスにとって、文字は近寄りがたいものだった。


「ええ、構いませんよ」


 穏やかに、やはり表情は変わらずソウジは答える。


「……うん、習う! あたし文字を覚えたい!」


 細い肢体を弾ませ、少女がベッドから飛び起きる。裸足のまま、無邪気に笑いながらソウジへ駆け寄っていく。


 自分が奴隷でなくなっていくのを少女は感じていく。その感覚は、嬉しくて、少し怖い。

 だがソウジとならばそれも乗り越えられる、ミトスはそう思った。



  ◇◇◇


「各員、作戦内容は伝えた通りだ! これより十時間後、ホロアナ山林地帯の探索を開始する。

作戦開始まで、体を休めろ! 散開!」


 号令と共に、屈強な兵士達がぞろぞろと散っていく。

 レンガ作りの兵隊詰所、その灰色の壁に囲まれた集会室。つい先程まで、今作戦における目的、「山賊を殲滅した人間の探索」について説明を行っていたマクヤは深く息をついた。

 去り行く兵士達の広い背中を見送りながら、ウェイルーが声をかける。


「……マクヤ、まだ気にかかるか」


「気にかかるも、俺が隠し事が苦手なのはお前がよく知ってるだろ……」


 小声で返す。今の兵達には現在追おうとしている相手が「ミキシング」であるとは伝えていない。

 というより、ノル国滅亡の原因とされるミキシングの存在自体を教えていない。調査団の内容は、秘匿事項として末端には教えられない、隊長格止まりだ。


「危険がある任務に、部下への情報を隠すのは……正直気に食わん」


「そう気にやむな、総括提督の案では団長止まりの所を、ロベック団長の直訴でなんとか隊長格まで情報の開示ができたんだ。

ここらで私らが耐えねばならん」


「――だが!」


 語気が荒くなる。見せつけられた映像資料の数々、刻みつけられた虚無に感情がざわつく。


「落ち着けマクヤ、……そう取り乱すと可愛く見えるぞ?」


「な、うるさいぞウェイルー!」


 マクヤのほうが年上だが、どうも日常ではウェイルーの手玉に取られる。ロベックは夫婦ならそれぐらいの関係でちょうどいいと笑っていたが。

 クスクスと笑いながら、彼女は言葉を続ける。


「いずれにせよ、私達は私達のやれることをやらねばならんさ。それに」


 彼女の顔は、母のかおになる。


「私達はまだ、自分の子供になる子に会っちゃいないんだぞ?」

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