第8話 兵士

 柔らかな絨毯を踏みしめ、金髪の大男が歩く。巨体を包む軍服、腰に帯剣、その眼には、研ぎ澄まされた緊張。

 ノルド地区警備部隊隊長、マクヤ・ガルズは東部軍庁の廊下を急いでいた。


――『三ヶ国共通による実行者の作戦上指定名コードネームは「撹拌する者ミキシング」に決定、なおノル国を滅ぼした者を、人と思ってはならない、しかし人の形を成していないとも考えてはならない』


 胸中で、報告会を閉めた団長の言葉が反響する。肉塊を作り出す初期の殺害方法から、コードネームが決まったそうだが、はっきり言って趣味が悪すぎると思う。


――一体、何が現れたというのだ?


 マクヤの担当する地区はノル国と隣接する国境部、つまり最も危険な場所だ。

 現在はともかく、ノル国崩壊が確認されるまで間、国境警備は特に強化されていない。

 国交が万全な普段ならば問題はなかったろうが、今あちこちの国境線では難民化した奴隷の存在に苦慮している。ノル国は周辺四カ国で最も奴隷の扱いが厳しかった。

 故に脱走し、法律上奴隷の扱いがまだ軽いこちら側に『所有』を望む事態も珍しいことではない。

  クルニス、かつて戦争により亡ぼされた国の人の子らは、人とは呼ばれず、そう呼ばれた。


――とにかく今は、奴隷の流入を抑え、国に入る人間を抑えるしかない……


 侵入を禁止しても、国境際で奴隷達は溜まる。無駄な暴動を抑えるためにも、ある程度の食料支援や希望を含ませた予定の通達は必要だ。

 現在実行者が奴隷の中に紛れ込んでいる可能性がある以上、各国とも下手な手出しは出来ない。混乱さえ上手く治まれば、難民奴隷は全て元ノル国へ戻らされるだろう。

 もし暴動が発生したならば、最悪の場合、実行者ごと奴隷を消すという作戦に入る可能性もある。そうなれば、間違いなくマクヤ達の部隊も参加しなければならない。


――それだけは勘弁してくれよ……


 いくら人と認められなくても、喋り、笑い、泣き、人の形をした物を人ではないとマクヤは思えない。


「マクヤ隊長」


 聞き慣れた、澄んだ声に振り向く。視線の先には、軍服を着た女がいた。


「……ウェイルー、なぜここに?」


 短い金髪、縁無しの伊達メガネ、細く、だが引き締まった肢体を持つ美貌の女軍人が険しい視線をマクヤに送る。

 彼女はマクヤの部隊の副隊長にして、公私に渡るパートナー――つまり妻だ。

 本来は隊長が不在なら副隊長が現場に詰めなければならないはずだがなぜここへいるのか。


「言いたいことは解る。だがまずはこれを見てほしい、できればその後、団長に直接報告したい」


 鼻先に突き出される書類の束、報告書だ。

 普段のごとく冷静な口調で、彼女は告げた。


「山中にて死体が発見された。数は五体、恐らくは山賊の類。そして」


 マクヤはその時、室内にいながらに風を感じた。


「死体は五体中、四体が挽き肉のように肉塊にされていたそうだ」


 運命に吹き荒ぶ、死の風の気配を。



  ◇◇◇


――初めてだなぁ、お湯で体洗うなんて。それに石鹸なんて高級な物も初めて使った……


 川のさざめきが聴こえる中、一糸まとわぬ姿で少女は湯の暖かみを満喫する。

 場所は山中の河原、川から石をよけて水を引いた溜まりを作り、ソウジの魔術でお湯にすることで即席の湯船にしたのだ。


――不思議だったなぁ、火も出していないのに川の水が温まるなんて……


 ソウジが水に手をつけると、すぐにお湯になった。高出力マイクロ波による水分子を振動させる魔術だが、正直ミトスにはどういう原理なのかよくわからない。


――デンシレンジデチンノゲンリって、呪文か何かかしら?


 いきなり風呂と言われた時は何をさせられるか不安でならなかった。なにせ小屋には体を洗う設備が無い以上、川の水で身を清めるしか無いのだから。

 石組みの湯船の側には、真新しい服と布が置いてある、ソウジが用意した物だ。


――あの人は、なんでこんなに優しいんだろう……


 今更な疑問が湧く。少女にとって両親以外の大人は、いつだって自分を踏みつけ、痛めつける存在でしかなかった。

 奴隷に優しくした所で、得をする人間はいない。


 不安はある、だが彼以外に頼れる者がいないのも現実。


――あたしは、あの人の物になるのかな……?


 少女の心の奥で、まだ自分が奴隷であったという事実が振り払えない。気がつけば『所有される事』を考えている。

 けれど、『この人に所有されたい』と考えるのは、彼女の人生で初めてのことだった。


 ゴ ォ ン ッ !


「――な、なにっ!?」


 突如、森の奥で爆発音。空気振動がかける。

 煙が上がる方向はソウジが向かっていった方角からだった。

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