第31話 虐歌、街影にて
戦闘――と、呼べるかどうかわからない一方的な捕り物を終え、ウェイルーは一人息を吐いた。
「ダクト、中央区は治安がいいというのはいったいどこのボンクラが言ったんだ? 白昼堂々に武器を振り回す不審者に絡まれるとはずいぶんフレンドリーな街だな」
「ふ、普通はこんなことはないんですって! それよりこれはやりすぎですよウェイルー捜査官」
しゃがみながら答えるダクト。側には大の字に寝転がる件の大男。両手両脚には止血帯が巻かれている。
「その薬物を使っているやつに中途半端な打撃は効かん、痛みが無いからな。腱を斬って物理的に動けなくするほうが手っ取り早い、骨を折るよりも魔術治療で治しやすいしな」
「ず、ずいぶん詳しいですね、ウェイルー捜査官……?」
訝しい視線を送るダクト。背中を向けたまま、未だに周囲を囲む野次馬の群を睨むウェイルー。この中に男を仕掛けた人間がいる可能性を、彼女はまだ捨てていない。
「昔、戦場で戦闘支援薬の実地試験を見かけたことがあってな。一般の兵士からも試験役を募集していた」
ウェイルーの脳裏をよぎる最前線での塹壕の日々。相対する敵は魔族だけではなかった。
「兵士に人数が足らず、超時間の緊張状態を強いられる兵士のストレス緩和用薬剤という触れ込みだった。実際は投与された人間が四十時間以上覚醒状態でいられる戦闘覚醒薬だがな」
戦術用魔術の撃ち合いが主となる戦場では高威力連続衝撃波による高次脳障害や、兵士への精神障害――ソウジの世界でいう『PTSD』――が問題となっていく。
軍中央部はこれらに対し専用の治療薬や治療魔術の開発により治療、または予防の対策を取るが、それら実験に置いての『副産物』の試験と開発も進めていた。
ウェイルーが戦場で目撃した戦闘支援薬もその『副産物』の一つである。
「休養を取る必要の無い兵士というのはどこの戦場でも欲しがるものだ。実際、効果は劇的だったよ」
眠らず、休まず、疲れず、止まらず、弛まず、恐れず、怯えず。
兵士として理想的なその効果は、やはり対価無しでは得られないものである。
「そんな薬、使ってたら体に悪い影響は……」
「珍しく勘がいいな、ダクト。当たりだ。効果が高ければ副作用もまた酷いものだった」
胸元のハンカチで剣の血を拭い、拾った傘の胴体に収める。
「薬物の中毒性、依存度の高さ、中毒になった兵士に重度の被害妄想や幻覚症状等の精神疾患が現れるようになり、廃人寸前の兵士を何人か作り出した後、実験は中止になった」
青ざめた表情、亡者の顔色。攻撃性が増幅され、恐怖を忘れた兵士は、やがて存在しない驚異への恐怖に憑かれていく。
「あの、ひょっとして、ウェイルー捜査官も薬品の試験役を……?」
「バカを言うな、初見でどうにもヤバい予感がしたからな。きっちり断って、私の部隊には一切近づけさせなかったよ」
危険に対するある種の動物的な直感による危機回避。この能力が彼女の命を戦場に置いて何度も救ってきた。
「さあ、一般市民の野次馬共ッ! 捕り物は終わりだ、とっとと離れてくれ、それとも応援の警察隊から職質を食らって更に時間を無駄にしたいのか!」
傘を中空へ突きつけ、ウェイルーが怒鳴る。
「勝手に帰すのはいくらなんでも不味いんじゃ……」
大股で近づき、腕をダクトの首に掛け引き寄せるウェイルー。形の良い輪郭が、冴えない若手刑事に接近する。可憐な唇が、耳元で囁く
。
「いいか、聞け。この鉈男がたまたまこの街に来た私をたまたま見つけ、被害妄想の加害者役にして襲った、と本当に思っているのか?」
必然とさえ見える偶然は確かにある。だが、大抵の必然は偶然という偽装の外皮を被っている。
「そ、それは……」
「あの薬品は重度中毒者に被害妄想等の精神疾患を起こす。これに外部からの誘導を加え、ターゲットを指定させることも可能だ。恐らくは、この男をけしかけてきた主犯がいる」
「そ、そうなんですか……だったらなおさら野次馬を帰しちゃ」
近いウェイルーとの距離に、ダクトがやや顔を赤らめる。心なしか言葉が詰まり気味だ。
「結果を見届けるまでは野次馬に混じっているだろうが、どの道は応援が来るまで大人しく待ってはいないだろ。とりあえず周りの顔は大体覚えた。……次の襲撃は必ず来る、今は泳がせるとするさ」
ウェイルーの言葉に、僅かに獰猛な喜悦が混じっている――そう、ダクトには見えた。
「さて、応援のヤツらはずいぶん遅いなダクト……」
「あ、あの、N&R新聞社なんですが、取材させて貰ってもいいですか!」
「……なんだ?」
横合いから響く声に端正な顔をしかめさせて振り向く。
そこにいたのは、小柄な男装の女性。首に掛けられているのは軍の型落ちキャメラ・マシン。
「よろしければお話だけでも……」
「おい、なんだお前学生か? 駄目だぞ書生が昼間から街で遊んでいるんじゃない……」
「私は子供じゃありませんッ! 正式な新聞記者ですッ!」
反射的に怒鳴る新聞記者=エクセル・ドーハ。腕章を見せ身分を必死にアピール。
「ああ、なんだ君、こんなところで何やってるの? ウェイルー捜査官、この娘さんはエクセル・ドーハ、ちゃんとした新聞社の人間ですよ。僕、ブーン記者の助手についてたのよく見かけてましたから」
にこやかにエクセルを紹介するダクト、しかしエクセルが彼を見る目は冷ややかだった。
「ほう、知り合いかダクト? 私はウェイルー・ガルズ。特別捜査官としてアシュリー市に赴任された者だ。女だてらに新聞記者とは珍しい、立派なものだなエクセル女史?」
延ばされる右手とどこか照れた仕草で握手を交わす新聞記者。
「いえ、まだそんな大した記事も書いてないので……女史なんて呼び方はお恥ずかしいです」
「そのエクセルちゃんも僕と同じこの街に来て二年目ぐらいでしてね。たまに警察署に話を聞きにくるんですよ。交通課の爺さん連中に孫みたく気に入られてて、来る度によくお菓子貰ってた……」
「あれは断ると気まずくなるから仕方無く貰ってたんです! 別に喜んだりはしてません! それから『ちゃん』付けは止めてください!」
更に抗議する新聞記者。叫ぶほど幼さが増してくるように見える。
「ウェイルーさん、あのダクト刑事は腕の悪いと評判のダメ刑事です! 二年前から赴任してきたのに全然手柄上げないんですよ、麻薬と小麦粉の区別もつかない無能警官です!」
「ちょっと、君なにを言ってんの!? 止めて!」
必死にエクセルを止めようとするダクト。
「ああ、無能なのは知ってる」
しかしウェイルーもさらり肯定。
「あと素行も悪いんですよ! うちの使用人が『ダクト刑事がしつこく口説いてきてウザい』って言ってました」
「そんなにしつこく口説いてないから! ちょっとだけだよ!」
「うーん、それはちょっとなぁ……あぁ、悪いがエクセル、我々の任務は少々特殊でな、取材は受け入れられな……」
瞬間、衝撃が空気を貫く。爆音に窓ガラスが大きく震え、ひびが入る。
爆発音、同時に建物の向こう側から立ち上がる煙の白塔。
――……爆発、魔術か!?
ウェイルーの思考と同時に、爆発音とは別の音が鳴り響いた。
キ イ" イ" イ" イ" イ ィ ィ ィ ィ イ" イ" イ ッ ッ …………
歪な金切り音。断末魔を想起させる、人間の危機察知本能を刺激する警告音。 紛れもなく、
▽ ▽ ▽
――これはちょっと予想外でした。
立ち上る白煙、鳴り響く
埃と壁の破片を被り白くなったコート。腰の辺りには千切れた手首が血管と神経を垂らしぶら下がっている。
男が自爆する瞬間、腕を引き千切りとっさに屋上へ跳躍した。爆風を直接浴びないで済んだ、場所が頭上の空いた路地裏だったのが幸いした。
――自爆するまでの躊躇が無さ過ぎる、それに一般市民に完璧に紛れ込んでくるなんて……明らかな専門の訓練を受けた行動だ。
裏社会の組織、といっても実際の戦闘練度が高いとは思えなかった。非合法の存在とはいえ、中心の人材はただの犯罪者であるはず。専門的な教育するための知識や手段は無い。
――ま、とりあえずはあの人から話を聞きますか。
ソウジはすでに魔術強化された視力で、路地裏を逃走する帽子の男を捉えていた。
コートを掴んだままの、千切れた男の手首を引き剥がす。眼下へと無造作に投げ捨てた。
屋根板を踏み割りながら、勇者が跳躍を開始。細い体が、街影へと消える。
▽ ▽ ▽
――なんだ、あれは、一体ッ……!?
暗い景色が高速で流れていく。魔術強化された脚力で、壁や石畳を蹴り男は加速する。
既に仲間二人が任務に殉じた。自らは情報報告のためになんとしても生き残らなければならない。
だが納得出来ないのは、あのターゲットとなった青年。次々と売人を惨殺していく正体不明の男。
ひどく無害に見えた。隙だらけのただの素人だとしか思えなかった。だがその見識は覆される。
あの時感じた恐怖は威圧や暴力によるものではない。それは違和感や嫌悪、未知への恐怖だった。
あの青年は、余りにも理解し難い人間によく似た醜悪な『何か』だ。それが一体何か、類別を付けることさえ彼にはおぞましい。
――やつを爆発で仕留められたかは半々……早く報告を、ごっッ!!
衝撃に思考が途切れる。路地裏の壁から跳弾した何かの塊に頭を打たれた。
派手に転倒、加速したエネルギーが一気に体に降りかかる。あちこちを打撲しながら地面を転がり、やがて停止。
――……な、に、が、? ひっ!
地面に転がる、自らを打った塊を注視。
それは人の生首だった。衝撃のために顔が半分潰れ、陥没した頭蓋骨に耳からは土色の脳漿が零れる女の生首。
そう、かつての仲間、黒髪の女だった物。
恐怖に言葉を失う。視界の向こう、影から現れる細い人影が見えた。
無表情な、あの青年。
「――う、うおおおおッッ!」
粘つく喉を震わせ、絶叫と共に立ち上がる。もはや負傷箇所を調べる余裕も無い。
即座に神経を集中、本能のままに攻撃魔術を解き放つ。
「八つ裂けぇぇぇッ!」
魔力解放の光、魔術構成の紋様が空間を流れ、銀色に輝く八枚の
円盤が超速の回転と共にソウジへと殺到する。魔術名、
「――磁界よ」
しかしソウジの周囲に僅かなスパークが散った瞬間、円盤は次々と勇者を逸れて壁へ突き刺さっていく。
強力な磁力による防御魔術だ。
「くっ!」
身を捻り走り出す。やはりまともに応戦するのは危険すぎる。
「――石柱よ」
ソウジから発生する魔術構成の光が壁や石畳を走る、恐らくは
即座に構成素材の石を再構築、伸びる円錐形のニードルが、男の右脚を瞬く間に貫いていた。
「ぐ、ぐあっ!」
血液を撒き散らしもがく。だが更に伸びるニードルが残る三肢を突き刺し、磔刑の如く体を釣り上げる。
人影が跳ぶ。次の瞬間には男のすぐ側へ。
有無を言わさず左手を男の脇腹へ突き立てた。
「ぐ、ぐああ、あ!」
「……ああ、やっぱり。自爆魔術の威力がやたら高いなと思ったら、体に書き込んだ魔術紋様にあらかじめ魔力を溜めておく形式だったのですね。確かにこれなら瞬間的に高い威力を発揮できますね」
勇者が一瞥する左手の中にはえぐり取った肉片。魔力の薄い輝きが灯る。
「先ほどの自爆した方も同じ箇所が光っていたのでもしかしたらと思ったんですよ。意外と勘は当たるものです」
青年の右手には、長い黒髪が絡みついていた。あの長髪を掴み鎖付きの鉄球を投げるように生首を回し投げたのだろう。
「このような状態から申し訳ないのですが、あなたに質問したいことがあるのです。どうか答えて頂けませんか?」
自爆を封じ、絶対に反抗出来ない状態から尋問を開始する。男に残された道は沈黙しかない。
「……どうも気が進まないようですね。ではこれならいかがですか」
伸ばされた手が肩に当たる。穏やかな燐光の光が灯った。
――回復、魔術だと……? 体力を回復させてどうするつもりだ?
「これは最近気づいたことなのですが、この世界の外傷治療魔術は非常に優秀です。魔術構成自体に細胞のテロメア保全とDNA情報保全機能が組み込まれています。
通常は傷をふさぐために細胞分裂を急速に促進すると、テロメア破壊による急激な老化や、遺伝子の劣化が進むのですが、治療魔術はこれらを抑える機能がきちんと盛り込まれ、いわば『理想的細胞分裂』により副作用無しに傷の治療を可能としています。
これは僕の元いた世界でも出来なかったことです。本当に素晴らしい技術ですよ」
テロメア、DNA、男には理解出来ない言葉を呟きながら、勇者は肩に手を当て続ける。
「ですが、精巧な物ほど狂いや歪みが生じるとその影響は非常に大きいものです。例えば、テロメア保全機能をそのままに、DNA保全機能をDNA破壊機能に魔術構成を書き換えれば……」
「う、なん、だ……?」
肩に芽生えた疼きに身をよじる。何かが肩に芽生えている。
「このあなたにかけている魔術は先ほどの『例えば』を実際に試した魔術です。
テロメアを保全したままDNA損傷した細胞が魔術により増え続ける、それはつまり……」
肩が赤黒く膨れ上がる。すでに頭がもう一つ生えたようだ。比例するように苦痛が増していく。
「つまり、巨大なガン細胞腫瘍が出来上がるということなんですよ」
耐えきれない激痛に声が出ない。貼り付く喉が喘ぐ。
「僕は昔、末期ガン患者の方の安楽死を手伝った経験があるんですよ。末期ガンの痛みはそれは耐え難いものだそうですね。その人も、もうモルヒネさえあまり効かなくなっている有り様でした。
……ああ、辛いのですか。あなたの感じている苦痛は、あの人と同じ苦痛なのでしょうね」
激痛にもがく男を見上げながら、勇者の言葉は静謐で、穏やかだった。
「あまり苦痛が過ぎても質問に答えられませんね。――そうだ」
両手が男の頭部を捉える。勇者と男の顔が真っ直ぐに向き合った。
「知っていますか? 人の笑顔を見ると苦痛や緊張が和らぐ効果があるそうですよ。今から僕が
口角が上がる、目尻が下がる。動き出す表情筋、勇者が表情を意識して作り出す。
カゲイ・ソウジには、表情とは無意識に行う行動ではなく、意識して肉体を操作することにより現れる有意識下の動作だ。
その表情は、優しい笑顔だった。夜空に浮かぶ朧月のような、穏やかな笑顔だった。
「――ああ、あ、ああああ"あ"ぁぁあッ!!」
それ故に男は恐怖の絶叫を上げる。理解出来ないほどの恐怖だった。
可笑しくなくとも笑う者はいる。悲しくなくとも泣く者はいる。だが、『苦痛を和らげるため』という純粋に他人のためだけの理由で、あの青年は笑った。恐らくは彼を恐怖させようとは一片も思ってはいない。
それが恐ろしくおぞましい。あれほどの残虐を成し、その上でこの勇者は何も楽しんではいないのだ。
他人の苦痛を喜ぶ『悪』でもなく、他人の苦痛を厭う『善』でもない。それらを踏み越えた、何か理解出来ない思考の元に行動する人の形をした怪物だ。
人が笑顔に苦痛や緊張を癒されるのはそれは人の笑顔だからだ。どれほど形良くても、人の形をした理解出来ない怪物の笑みは極大の恐怖に過ぎない。
「――おや、」
ソウジの笑顔が解かれる。男の変化に気づいた。
垂れる首、ピクリとも動かない。瞳孔が散大している。
緊張した筋肉により固く閉まる顎を無理やり開き、関節を外す。口内を確認。
「はぁ、これはまたアナログな……歯に毒薬ですか」
奥歯に詰め物の痕。何かを噛み砕いた痕跡。致死量の毒薬だろう。
興味を失ったように勇者が後ろを向く。やがてメインストリートへ歩き出した。
「ああ、そうだ」
急に振り返る。懐から取り出したものを男の骸へ投げつけた。
「これ、返しますね。もとはあなた方の物ですし」
勇者の脇腹を貫いたナイフは、男の頭部に突き刺さり、鈍く光っていた。
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