第32話 凶者、未だ会敵せず

「……な、なんですか、あれ?」


 エクセルの瞳に煙柱が写る。メインストリートの外れ、レンガ作りの建物が密集する商人区、その上空へ煙が立ち上っていく。

 魔術警報結界のかん高い警報音と、衝撃による鼓膜の痛みを気にする余裕も無く、エクセルはただ呆然と遠方の光景を見つめた。


――何、誰か魔術を使った……? あんな大きな爆発なんて……あ、


 彼女の意識によぎる、痩身の青年の横顔。

 あの方向は、ソウジが歩いていった方角だ。


「……ソ、ソウジ」


 無意識に、脚が爆発源へ向かおうとする。


「――待ちなさい」


 彼女の肩を冷たい手が掴む。制止したのは、白の牙獣。


「記者の本分は解るが、危険に近寄るのは推奨出来んな。あれは恐らく魔術による爆発だ、煙の中に魔力燐光が薄く見えた」


「あ、あの、向こうにはうちの、その、助手がいたはずで、」


 非常事態に口が上手く回らない、不安に乾いた喉が張り付き、言葉が出ない。


「……連れが向こうにいるのか、ダクト、犯人をここで見ていろ。――私は様子を見に行く」


 ウェイルーの両眼が煙を捉える。「あの先に邂逅すべき何かがいる」、そう直感がウェイルーへ囁いていた。


「わ、わかりました、ウェイルー捜査官、どうかお気をつけて」


 一瞬、ダクトも止めるべきかと逡巡したが、この上司には自分程度が止めても意味が無いことはもうわかっていた。


「では、後を頼む――」


 傘を握り締め、細身が踊る、魔術強化された肉体を駆動、地を蹴り一瞬で加速。進路は災禍の中心へ。




 ▽ ▽ ▽


――……やはりこうなるか!


 眼前に押し寄せる人波。パニックによる恐怖に憑かれた表情の人・人・人。思うように進めずウェイルーは内心で舌を打つ。

 進行方向とは真逆に突き進む人の群れ=爆発現場から逃げる群集と道でかち合ってしまい、流石に流されないようにするので精一杯だ。パニック状態であるため、生半可な制止では効きそうにない。


「『解放戦奴』のテロだ!」「逃げろ! ガス工事のミスだ、また爆発が起こるぞ!」「喧嘩だよ! 軍隊上がりの魔術士崩れの喧嘩だ!」


――……なんだ?


 避難する人間の話す内容が口々に違う。ある程度のデマは仕方ないとはいえ、こうも食い違うのはおかしい。

 情報の食い違いが発生すれば、それだけパニックの誘発と度合いも大きくなる。


――なぜだ、 誰かが意図的に情報の撹乱を行っている……?


 これでは応援である警察隊の到着も遅れるだろう。一刻も早く現場へ急がねばならない。

 建物の密集地帯、その道路には露天商も並んでいる。押し寄せる群集の密度増加に拍車をかけていく。


――跳躍で建物の屋根伝いに移動したほうが早いか?


 強化された彼女の脚力ならば、屋上を飛びながら移動することも造作もない。


――左腕、使い時か。


 傷の老兵、ロベック団長から紹介された工房作の左腕義手、その指先を動かす。担当になった技師は、年は若いが中々才能がある職人で義手には特殊な仕掛けを施して貰った。


――どこから跳びつくか……っ!?


 周囲を巡る視線、しかしウェイルーの眼球は視界の端に映った存在に目を疑った。


 道路の反対、遥か向こう側、長身に痩躯、整っているが、どこにでもいそうな顔立ち。

 ウェイルーが一生を掛けて追うと誓った狂獣がいる。


――あい、つは、……っ!


 人ごみに揉まれながら、消えてゆく青年。見えなくなってゆく標的を求め、ウェイルーがもがく。

 追い求めた仇敵が、眼前にいる。切り裂きたい衝動をこらえ、ウェイルーの瞳が渇きにギラつく。

 だが今は出来ない。今迂闊に魔術を使用して、更に混乱を招く訳にはいかない。もしこの場で戦闘になれば、巻き込む人間も出てくる。やつが本気で戦えば、何人死ぬかわかったものではない。


――見逃すしかない……っ!


 研ぎ澄ました殺意を胸中に封じる。解放の時は必ず来るはずだ、この街に来た自分の行動は正しい、そう自らに言い聞かせる。

 ミキシングとの再戦は必ずある。直感の囁きに今は縋ろう。血と肉を賭けて、斬り裂き狂い合うその時まで。



 ▽ ▽ ▽


 ウェイルーが立ち去って約二十分、呆然と見送ったエクセルにも多少は落ち着きが戻ってくる。 「待っていろ」とは言われたが、この一大事に大人しく待つのはさすがに新聞記者としてどうか、という思考も湧いてきた。


――ソウジは、やっぱりあっちに……?


 あの妙に抜けているのか、抜け目が無いのか、いまいちわからぬ男は無事なのか。やはりアイツは巻き込まれてそうな気がする、意外と変にどんくさいから――と考えた辺りで、背後に気配。


「ああ、エクセルさん。やはりここにいましたか」


 聞き覚えのある声に振り向く。声の主は、やはりあの男。


「――ソウジ」


 見慣れた長身、表情の薄い顔。しかしコートの表面は漆喰の粉や破れ痕が彩る。かなりボロくなっていた。


「すいません。ちょっと買ってもらった服を汚してしまいました。いきなり近くで爆発があったもんで……」


「ば、爆発にあったの!? 大丈夫だったの、ソウジ?」 


「服は駄目でしたが、怪我は特にありませんからご心配無く」


 いたって平坦な態度、冷静を通り過ぎてむしろ思考が読めない。


「と、とにかく一度病院で見てもらったほうがいいんじゃない?」


 表面上は平気でも、頭部などへのダメージは後になって出てくる場合もある。


「僕としては本当に大丈夫なんですが……それに今病院はこの爆発騒ぎでどこも満員でしょうし」


「はあ、それがエクセルちゃんの例の助手くん? なかなかカッコいいじゃない、こういう子が好みなの?」


 この非常時に響く脳天気な声。眉根を寄せてエクセルが反撃。


「ダクト刑事、こういう状態でアホみたいなこと言ってないで、市民を病院へ送るとか公僕らしいことして下さいよ!」


「はあ、こちらは刑事さんですか。自分はカゲイ・ソウジといいます」


 どうも今日は沸点が低いエクセル。この状況でも礼儀正しく名乗るソウジ。正直な所、どっちが助手役に見えるかわからない。


「あ、ああ、自分はダクト・マッガードといいます。こちらこそどうもよろしく……エクセルちゃん、そうはいうけどこっちはこの気を失ってる鉈男を見てなきゃいけないんだからさ」


 さっきから応援が全くこない。恐らく爆発騒ぎに回されているのだろう。ダクトが足先で忌々しそうに、寝ている鉈男の頭を小突く。


「大体この鉈男はなんでウェイルーさんを襲ったんだ……え?」


 グニャリと男の首が不自然に曲がる。弛緩した顎から、舌が垂れた。


「――え、これ、その、死んで……」


 鉈男を見て言葉を失うエクセル。 男の首の後ろ、脊椎がある部分がごっそりと肉ごと消失。抉り取った痕は、炭化して血の一滴も滲んでいない。

 

「――また、死体ですか」


 ソウジの呟きとエクセルの悲鳴は、未だ鳴り響くキャナリアの警報音にかき消された。

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