第30話 血と骨
「ふむ、打たれ強そうなのは結構だな。――実に叩きがいがある」
ウェイルーは呟きと共に傘を右手で構える、体を半身の体勢へ。
男に対し体の右側面のみを向けた状態にし、傘を巨体へ突きつけた。だが右手には傘を保持する最小限の力だけを込める。
両脚へ等分に配置した重心を移動、しなやかに筋肉を駆動させ右脚へ移す。前へ飛び込むための準備だ。
「虫ィ、俺の頭から虫を取れぇぇ!」
男が叫ぶ。両鉈を闇雲に振りながら突進。定まらない視線、鈍重な足取りで、だが確実にウェイルーへ近づく。
「――……遅い」
僅かにウェイルーの体勢がたわむ。猫科を想起させる動き。
「遅すぎる――ッ!」
込めた力が解き放たれる、踏みしめた地面の反動。瞬間、ウェイルーの姿が掻き消えた。
同時に何かが爆ぜる感覚、乾いた落下音を立て、石畳へ鉈が落ちる。
空になった男の太い右手首は歪な方向へ折れ曲がっていた。折れて皮膚を突き破った尺骨が血に濡れて艶々と光る。
「――あぁ、がああ!」
男の呻きが群集へ響く。
――……スゴい、あの女の人、スゴく強い!
群集の隙間から、眼前の光景にエクセルは言葉が出ない。ただ胸中で驚くのみだ。
性別はもちろん、体格さえ圧倒的な相手を易々とあの女性は上回る。踏み込みからの傘の一撃、エクセルにはまともに視認することも出来ない超高速剣術だ。
しなやかな踏み込みからの右小手打ち、同時に男の死角への鮮やかな退避。離れた位置で見たエクセルにさえ捉えられぬということは、相対した男には消えたに等しいだろう。
しかし、
「虫が、増える! ギチギチ、ギチギチギチギチギチギチいいやがる!」
男は止まらない、残った左鉈が風切り音を立て振り回される。
――鉄心入りの傘で手首を折られても意に介さんか……痛覚の鈍化は、薬物の一種のせいか?
見た目は傘だが、骨組には太めの鋼鉄を使用したウェイルー特注の
――……痛覚の鈍化、異常な興奮状態、……この『薬』は、ひょっとして……?
ウェイルーの記憶に、『薬』によく似た存在が浮かぶ。もし
痛みによる制圧がやりにくい以上、方法は別の物を取るしかないだろう。なんとも後始末が面倒くさいが、とりあえずそれはダクトに任せようとウェイルーは考える。
「――まったく、リハビリにもならん上に手間ばかりかかる!」
再度踏み込み、男の眼前へ。だが速度は先程より遅い。
振り下ろされる左鉈、ウェイルーは避けずに傘を掲げ受けようと構える。
体格差から考えれば明らかに愚策。このままでは体重差に押し潰されるだろう。
鈍い激突音、細い婦人傘と大鉈がぶつかる。傘の骨組に、鉈がギリギリと食い込んでいく。
女が潰される、群集の誰もがそう思った刹那、唐突に血霧が舞った。
出血は巨漢の左手首から、正確に指の腱が斬られている。左鉈が地に落ちた、傘は食い込んだままだ。
ただし、柄のみが欠損している。
「――色々と、仕込んでおくものだな」
柄はウェイルーの右手に握られていた。そこからは青白く光る細い直剣が伸びる。傘内部に隠されていた仕込み剣だ。
沈むウェイルーの姿勢、目にも止まらぬ速度で振られる白刃。男のくるぶし、両アキレス腱を血線が横断。
「――頭に虫か、虫もお前の頭なんぞには住みたくなかろう」
どう、――と音を立て、巨体が倒木の様に転がった。
▽ ▽ ▽
――これはちょっと参りましたね。
見上げるは路地裏、人影は三人。帽子の男、坊主の男、そして、ソウジを刺した売り子の女。
「まだ生きているのか」
「肝臓を確実に刺した。後数秒も持たん、魔術強化を受けていても肝臓を損傷すれば持って数分だ」
冷たい女の声、既にソウジから視線を外している。
「死体の回収は……」
「放っておけ、どうせ外区の流れ者ならどこで死のうと」
――……肝臓の修復は順調、幸い刃に毒は塗ってないみたいですね、急所突きに自信があるからかな?。じゃ、いきますか。
伏せた状態から両脚を曲げ、地につける。両腕で上半身を支え、三人組を見据えた。自動修復と回復魔術の併用により、既に傷は跡形も無い。
――……よーい、
溜め込んだ力を解放するイメージ、体勢は、クラウチングスタートのポーズ。
「……ドン」
吹き飛びように、ソウジの体が空間を穿つ。しなやかな痩身を捻り、突き刺さるような一歩が距離を詰める。
振り上げた左腕を引き絞る、以前後ろを向いたままの女の頭上へ、黒髪へ叩きつけるように振り下ろす。
黒く、鈍く、抉る、そうとしか形容出来ない異音が路地裏に残響。
頭蓋骨に押し潰される形で背骨が湾曲、弾けるように肋骨が肉を突き刺し飛び出す。
圧力に耐えかねた両脚が折れる。くるぶしが横に曲がり、両膝が筋繊維を除かせながら千切れた。奔流する臓腑と血液と骨格、それらを下敷きにしながら、黒髪の首が地面へとタッチダウン。
その音は、誰もがそうとしか表現できない。人が縦に潰される音を、誰が正確に表現出来るというのか。
声さえ立てず、恐らくは何が起こったかさえ理解出来ないまま死んだ黒髪の女。その首を掴み、ソウジが男二人へ声を上げた。
「あなたたちに、聞きたい事があるのですよ」
無表情と、虚無に満ちた声。形を持った絶望が暴虐を糧に駆動する。
「うぅ、あぁ」
呻き声を上げる帽子の男、完全にソウジと目の前の惨劇に呑まれていた。
「――お前は離脱しろ! 俺が止める!」
坊主の男のほうが我を取り戻すのが早かったらしい。ソウジへ組み付きながら帽子の男へ退却を促す。
「――すまん!」
急いで路地裏へ身を翻す帽子の男、坊主はソウジの腰へ必死に食らいつく。
「お前はぁ――」
だがソウジに掴まれた腕が易々とへし折られる、勇者の膂力に対抗も対峙も出来ない。
「ここで死ねえぇぇ!」
男の体を走る幾何学紋様、魔術の発現現象による発光。
収束する力、破壊の意志が
――これ、ひょっとして、
やがて、力が解き放たれる。
――……自爆魔術、
爆発と衝撃、都市の裏を食い破るように破壊の魔術が爆ぜた。
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