第18話 そして、凶獣は死なず 第一話 完

 落下するソウジ、その周囲が輝きを増していく。

 真下から兵士達の鉄弾が迫る。必死の迎撃行動。しかしソウジの近くで次々と溶解していく。

 輝きは炎の放つ光。その色は青白く、太陽のように夜を照らす。

 別に特別な魔術ではない。先程と同じ爆炎魔術フレアだ。一度に二百回以上・・・・・同時発動さえしていなければ。

 高密度で発動した超多重のフレアは、ソウジを小型の太陽と化していた。

 堕天する太陽の真下は、マクヤ達騎士団。


「――――うおおおおぉぉおおっっ!!」


 もはや、その絶叫が誰のものなのかわからない。わかることは、それが断末魔だということのみ。

 そして太陽は地に堕ち、人を焼く。



 ◇ ◇ ◇


――うかつだった……


 ミキシングを発見、交戦との一報を受け、ロベックは山中へ向かった。だがその場で見た惨状は、最悪の光景としか表現出来ない。

 えぐれ、焦土と化した土地、散開する肉片と死体、犠牲となった部下の遺体回収さえままならない指揮の混乱。ミキシング捜索隊の人員は三分の一は重傷、三分の二は死亡、その中にはマクヤの名前もあった。

 ロベックは即座に近隣部隊より人員を裂き、逃亡したミキシング追跡を命じた。僅かに残した自分を含む人員で、遺体回収と資料となる遺留物の捜索を行う。

 本来ならば、団長職のする仕事ではない。これは自らの犯した判断ミスの犠牲者と向き合い、ミキシングの能力と特徴を把握するためにロベック自身が己に化した責務だ。



「……ウェイルー、怪我はどうだ?」


 軍用の簡易宿舎、照明ランプが照らす室内。児童学校の教室ほどある室内へ入りながら、ロベックは声を上げた。

 壁と天井は有るが、床は土のままである簡易宿舎。その中には屍袋シュラウドに包まれた遺体が並ぶ。

 部屋の中心辺りに並べられた屍袋、その傍らに屈んでいた女が立ち上がる。

 短い金髪、碧眼の瞳、整った顔立ちと長く伸びた肢体。そして、欠損した左肘から先。

 ロベックへ振り返った彼女の顔は、普段の自信に溢れた表情が浮かばぬほど、憔悴仕切っていた。


「……問題ありません、今は沈痛薬が効いています」


 彼女の見ていた屍袋、名札には「マクヤ・ガルズ」の文字。傍らには一回り小さい屍袋があった。


「……すまなかった、ウェイルー。私の判断ミスでマクヤ達は死んだ。無理やりでも人員を大量に確保してミキシング捜索をするべきだった」


 本来、軍の長は職務上判断を誤っても、みだりに部下の前で認めるべきではない。

 「誤る上官」だと認識され、末端の部下の不信を買うほうが職務上の不利益が大きいからだ。これは後々に命令の伝達齟齬や無視につながる事態となる。

 自らが楽になるための謝罪は、結局は誰のためにもならない。人の上に立つならば、恨みや憎しみを買い、心根を理解されない生き方も必要になる、ロベックはそう学んできた。

 今回の事態は、その老兵の覚悟さえ砕いてしまった。


「――いえ、不用意にミキシングと接触した私に責任があります。団長の判断は妥当でした。あんな怪物がいるなど、誰が予測出来るものですか……」


 太陽と化した勇者の堕天。その爆心地にマクヤはいた。

 駆けつけたウェイルーが見たものは、一瞬で魔防鎧の限界以上のダメージを受け、焼死体と化した仲間達と夫の亡骸。

 今マクヤの屍袋に入っているのは、焼け残った婚約指輪から、おそらくマクヤだったろうと推測される消し炭だ。


「……マクヤとは結婚してもう三年ほどだったか」


「ええ、結婚を申し込まれたのは、私が負傷してすぐでしたから」


 かつていた戦場でウェイルーは重傷を負った。

 命は助かったが、子供は二度と望めぬ体となった。ベッドの上で呆然とする日々をおくりながら、ウェイルーの心はどこか晴ればれとしていた。

 子供を育てたいと、母になりたいと思いながら、軍人として人を殺す自分には、その資格がないと薄々は気づいていた。

 だからこれは罰だと、全てを彼女は諦めた。

 そんな彼女の病室に、マクヤは訪れる。

 同僚として付き合いはあったが、見舞いに来るほどの仲ではないはずだと訝しがる彼女へ、マクヤは不器用なつっかえ口調でなんと結婚を申し込んできた。


 「ずっと好きだった」「言うなら今しかないと思った」そんなことを口走るマクヤへ即座に花瓶の水をぶちまけて追い返す。そんなバカを三日続けて、

 それでもマクヤはウェイルーの元へ通い続けた。

 気がつけばマクヤの根気に根を上げて、

 気がつけばマクヤの不器用さに慣れていて、

 そして気がつけば、マクヤが彼女の心を支えていた。


「私は、あいつの妻でいて幸せでした。後悔はありません」


 夫の遺体は、ウェイルーが志願して回収した。マクヤだった消し炭を掴み、屍袋に包んだ感触を、彼女は一生忘れない。


「……団長、ヤツは、ミキシングは生きていると私は思います」


 勇者の死体は見つからない。自らの力でバラバラに吹き飛んだか、それともどこかに爆風で飛んだのか。


「ああ、まともに死んでくれる相手とは思えんからな。あの怪物は……」


「――生きていてくれねば困ります。私は仲間と夫、そして」


 ウェイルーの延ばされた右手が、傍らの小さい屍袋に触れる。


「このクルニスの少女の仇を討たなければいけない」


 ウェイルーの表情に、一瞬だけ母の顔が見えた。

 幾多の命が消えた夜、孤独な魂が生まれ落ちる。

 奪われ、失い、それでもなお、奮い立つ心を持つ。

 取り戻せはしない、代わりのもので心を埋められない、だからこそ、剣を握る。だからこそ、修羅を歩く。


「――ミキシングは、私が殺す」


 人は彼女の生き様を、復讐者と呼ぶ。




 ◇ ◇ ◇


――しばらくは、保つかな。


 柔らかな朝日が差す森林の中で、カゲイ・ソウジはその全身を深紅に染めていた。

 足下には岩猪の死体。つい先程狩ったばかりで、深々と入った胴部傷跡からは血液が滝のように溢れる。

 大きさは例の二体より小型――つまり、逃げた子供の方だ。それでも体長三メートルはある。


 ソウジは、爆風を利用して森へ逃げ込んだ。逃げ込んだはいいが、出血過多で思うように動けなくなっていた。

 損傷は治療魔術で治るが、造血魔術を覚えていないので失った血液を補う術が無い。

 そこへソウジの顔を覚えていたらしい岩猪の子供に襲われ、逆に仕留めて捕食している最中だ。

 血液が無い以上、材料を食べて自前の造血能力を使うしかない。

 グヂリ、と毛皮混じりの生肉を噛みちぎる。喉を鳴らし、粘つく血液を飲み干した。

 強化された身体機能なら、感染症や寄生虫の心配なく食事が出来る。

 まるで獣のような姿で、獣の肉を喰らう姿を誰が人だと思うだろうか。


――少し殺し過ぎたかな。


 あの騎士団の他に、部隊がいないとは限らない。殺すより負傷者を出したほうが、看護に人手を使う分、追加の追っ手の人数を抑えられる。

 今回学んだことは、ソウジの元いた世界と同じく彼は世界の敵となったらしいということだ。

 国境線の部隊ということは、国防の担い手。極度の警戒状態にあったということは、つまりノル国消滅の影響。

 遠からず、原因はソウジだと確定されるだろう。

 これから先、幾多の敵が現れるか、まだわからない。そして彼らは世界を守るためにソウジと戦うことになる。


――僕は世界を救えるだろうか?


 胸中の疑問に、答える者はいない。

 世界を守る者と、世界を救う勇者の戦いの結末は、生き残った方のみが知ることだ。


――僕は弱者を救えるだろうか?


 救えるだろう。それが弱者にとっての救いとはならなくても。


――僕は不条理を砕けるだろうか?


 打ち砕くだろう。不条理を一部として内包する、その守るべき世界ごと。


――ミトス、僕は君を、


 全てを浄化するように朝日が注ぐ。輝く世界は、それでも勇者には無価値に見える。

 かつて、少女に説いた「自らがなりたいものへならなくてはならない」という言葉は、けして嘘や慰めではない。

 それはソウジが、自らの生き方を決めた時に気づいた事だった。世界に否定されようと、自らの在り方を妥協しないという決意、それが奴隷であることしか知らなかった少女を人へと変えることができた力ある言葉。

 けれど、今はもうその少女はどこにもいない。


「――君を、救えなかった」


第一話 「勇者は少女を救えない」 完





 次回予告


 虚ろなる勇者は世界へ降り立ち、復讐者は産声を上げた。

 折り重なる死者の頂きで、世界を救うと勇者は呟く。血に濡れたその両手は、弱者を救うために差し出される。

 全世界の敵、それが勇者に架せられた罪の称号。


 ソウジ、お前に一体何が救えるというのか。


 灰色の街、混沌の住処で、殺人鬼は記者と出会う。

 仮初めの正義、淡い夢を追いかける記者と、勇者と、汚れた者達の死の舞踏。踊り疲れた者から、街の闇へ墜ちて消えゆく。


第二話「殺人鬼ぼくと、ワルツを」


 正義よ、ここがお前の死に場所だ。




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