第17話 死獣

 それは一瞬だった。

 ミキシングへ迫る騎士達へ、二つの肉塊が迫る。

 鳴り響く衝撃、大地の震え。紙細工のように全身甲冑が引き裂かれ、冗談のように人体をかき回し破壊する。

 開花する花のように、大輪の紅が雪の上に咲いていく。


 ――グ、 オ、 オ、 オ、 ォ、 ォ、ォ、ォ、……


 巨獣二匹、いや二体の吠え声が重なる。まるで動かない機械が、無理やり動こうとするような軋んだ叫び。

 死者を作る死が、生者達を呼んでいる。


――なん、で、なんであんなものを動かせる……!?


 本来、死骸繰術は死体に魔術回路を組んだ刻印を埋め込み操作する魔術だ。

 しかしそれにも限界はある。熟練した使い手でも一度に操作できるのは三体ほど、ましてや人体と構造が違う巨獣など操れるものではない。

 だが奴は違う。それは人であると思ってはいけない、人の姿をしていないと考えてはいけない、そして、人の域にいると想定してはいけない。

 誤れば、死が待ち受ける。

 肉壁が焦げる。炎をくぐった岩猪の体からは、所々がブスブスとくすぶり煙を上げていた。巨大な蹄を突き立て、ソウジの盾になるように二体が並び立つ。


――……なるほど、あれで小屋まで歩かせた訳か。


 狩猟において、獲物を仕留める以外に重要な点が一つある。

 それは仕留めた獲物をどうやって運搬するかだ。

 小型の動物ならともかく、巨獣などの大型は運搬に人手も手間もかかる。整備されていない山の中ならば尚更だ。

 そのため大型の獲物は通常その場で解体され、内臓などは捨て置かれる。

 だがあの獣は小屋のすぐ横にあった。あの男一人しかいないにも関わらず、にだ。


――獲物自体に歩かせたのか……


 ヘルベインに被せたマーカー付きのコートは、散開していたウェイルー達を一ヶ所へ集めるための囮。

 水蒸気による煙幕も、轟音を上げ燃えるフレアも全ては岩猪の接近を隠すための手段。

 策を弄したはずの自分達が、瞬く間に組み上げた策に乗せられていた現実。ウェイルー達は、この場所でソウジに戦いを挑む時点で既に負けていた。


――だがなっ!


 よろめく体を支え、地を踏みしめる。剣先は死獣の肉。そしてその先にいる怪物へ。振り絞るように突きつける。

散っていった部下達のためにも、ただで終わらせるつもりは無い。


《ウェイルー、生き残っている部下を連れて引け!》


 叫ぶようなマクヤの声。耳元で聞こえるはずなのに、どこか遠く聞こえる。


《マ、クヤ……私は、奴を……》


 かすれる声で応える。まだ体が動く、まだ剣を打ち込めるはずだ。


《今のままじゃ無理だ! 砲撃魔術を撃ち込む、援護するからそこを離れろ! 後は俺がやる!》


 退きたくはなかった。剣士として、騎士として、胸の奥で意地と矜持が剣を振るえと吠えている。


《ウェイルー、俺を信じろ! 退くんだ!》


 痛切なマクヤの声に、我を取り戻す。自らが最も信じる男の判断、今この場で信じなければならないのは、冷静さを欠いた己ではない、絆だ。


《……わかった、マクヤ》


 剣を納め、近場にいた倒れている味方を一人担ぐ。後ろへ跳ね、無事な部下と共に、ソウジと距離を取った。



《よくこらえてくれた、ウェイルー……》


 即座に後衛役が援護。形成魔術により作成した鉄弾をいっせいに十字射撃。唸る弾丸の群、風を斬りソウジへ殺到する。

 盾となる死骸の僕。次々と飛来する攻撃を分厚い毛皮、筋肉、骨格で受け止める。既に血抜きされた体からは、血は流れない。


《撃ち続けろ! その場に縫い止めて動かすな!》


 マクヤの号令の下、騎士達は掃射を続ける。立ち込める|硝煙(ガンスモーク)、鳴り響き続ける|発砲音(ファイアサウンド)。

 その中で、マクヤは静かに魔術構成を組み上げる。狙うは膠着させたこの状況を、文字通り吹き飛ばすための乾坤一擲の、|一撃(クリティカル)。


――構成素材生成、対象距離レベル2、貫通力レベル2、威力半径レベル1、……


 余分な威力で味方を巻き込まぬよう慎重に範囲を調整。構成を組み上げる度に、己が内なる魔力に形がついていくのがわかる。

 魔力とは生物の持つ世界に干渉する力だ。だがそれを明確な方向を持たせるためには魔術構成を魔力に乗せなければならない。

 緻密かつ高速に魔術構成を組み上げることが、魔術を使う者の才として最も求められる能力だ。


「――総員、対衝撃用意! 切り札を切る!」


 部下が防御体勢を取るのを確認。同時に魔術を虚空へ解き放つ。空間を蠢く、構成情報を表す光の文字が奔流、方向を定められた力が世界を変容させる。


 魔力が鋼材へ変換、中心を水銀で構成された大質量を持つ長い形状の砲弾を形成。さらに魔力の力場で構築した、|弾頭加速銃身(ライフリングレイル)で挟み込む。 人間大の砲弾、その数四発。照準はソウジへ。


「――発射!」


 着火の光、砲弾後部内部火薬が爆発。加速と同時にさらに爆発が発生。加速が増す。

 次々と放たれる超破壊の魔弾。刹那、巨獣の体に大穴が空く。

 一瞬のうちに着弾点を中心に巨大な爆発が発生。雷の如き轟音と空気を震わせる衝撃が叩きつけられる。

 吹き荒れる衝撃波の中、マクヤは爆発の中心を直視し続けた。

 自らの持てる中で最強の一撃。これこそが最後の切り札。

 |多段炸薬推進砲弾術式(スプートニク)、砲弾自体に推進炸薬を段を分けて仕掛け、時間差で着火、弾体を高速化させる砲撃魔術だ。

 単純に火薬で飛ばすより加速が稼げ、弾頭を大型化できるが、加速に時間がかかるのが欠点である。

 通常、三人係りで発動させる所を、単独、しかも四重発動で加速時間の短縮まで出来る技術の持ち主は、軍ではマクヤ以外数えるほどしかいない。


――やつは生きているのか……


 限界近い魔術発動の反動により、頭痛が走る。鈍る意識を抑えつけ、呼吸を整えた。

 着弾地点は地面ごとえぐれている。焦げた土、累々と転がる火の付いた肉片や脚、炭と化した臓腑。マクヤの切り札の威力を如実に物語る。これでは人体など跡形も無い。

 命中さえ、していれば。


――生きているはずがない、生きて……な、


 不意に上げた視線。夜闇の空、遥か頭上に落下する何かに眼を奪われる。


――な、んだと!?


 空中よりこちらへ落下する何か、それは人の形をしていた。自由落下により錐揉み状にダイヴする人体――それはカゲイ・ソウジの姿。


――ば、爆風を利用して真上へ飛んだのか!?



 砲弾の爆発は着弾後に行われる。全弾が岩猪へ着弾したなら、ソウジへ降りかかるのは爆発の威力だけだ。

 もちろん常人ならば死ぬ。だが岩猪の体で爆風を弱め、強化された体の強度と自動治癒を使えば死ぬことは無い。死ぬほど痛いが。


――僕を、


 遥か空、高度は約五十メートル。全てを見下ろす空中を頭から落下しながら、ソウジは地上を見つめていた。

 爆風で負った怪我は、手足への裂傷、打撲、骨折。数えればキリが無い。しかし痛みを意識する暇も無く、次々と修復されていく。

 傷口から垂れた血が、空へ撒かれる。全身で感じる風は鋭く、冷たい。


「――僕を、僕を止めないで……」


 漆黒の空で呟かれる、嘆願のような勇者の言葉を誰も聞く者はいない。

 約束を果たすため、止まるわけにはいかない。叶えると決めた、ならば叶えなければいけない。例えどれほどの犠牲を産み出そうとも。

 それが、自らの決めた世界への意思を示す方法。

 空中をソウジから伸びる光の線が埋め尽くす。魔術構成の光、それまでの魔術とは比較にならない、莫大な魔術情報。

 ソウジの魔術が今、咆哮を上げる。

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