第16話 暗鬼

――どこだ、ミキシング!


 視界を埋める水蒸気の幕。濃すぎてマーカーの発光が確認出来ない、その中で、白騎士が奇襲に備える。隠れ襲うだろう殺戮者の心臓へ、剣を突き立てねばならない。

 余分な動きは出来ない、僅かでも鎧のこすれる音を立てれば、場所を特定される。幸い外気温は低い、これなら水蒸気の煙幕もすぐに薄くなる。


《マクヤ、煙幕から奴は出たのか?》


 アウトレンジにいるマクヤへ確認。少なくとも、逃げ出そうとウェイルーのいる煙幕内から離れれば、マクヤ達後衛役の火力支援が待っている。


《いや、こちらにはいない。奴はまだお前達の近くにいる……気をつけろ、ウェイルー》


――どこだ、どこから……


 ゴ キ ッ


「ッ!」


 響く鈍い音に、思考が途切れる。


――ッな、


 音は左側から聞こえた、距離は約五メートル。この音には戦場で覚えがある、忘れられるはずがない。――人の首の骨が折れる音など。


 足音を殺し、距離を詰める。晴れていく薄もやの中に、鎧姿の仲間達の影が見えた。

 そして、眼前には奴の居所を示すマーカーの光。


――な、んだ……?


 奇妙な事態。マーカーの付着したコートは、地面に敷かれている。だがそれは脱ぎ捨てたのではない。はみ出した足、背の凹凸からはっきりと――――地面とコートの間に人が有る、横たわる人体が存在している。

 即座に剣の切っ先を引っ掛け、コートを引っ剥がした。中の人間を確認しなければならない。

 蓄光が光るコートを投げ捨てる。


「ッ! ――ヘルベイン……」


 予測通り、それは仲間だった。

 大柄な体、べっこりと凹んだ胴装甲、そしてあらぬ方向へへし折れた首。ミキシングへ一番に斬り込んだ若騎士、ヘルベインの無残な死体だった。

 集まってきた部下達はみな声が出ない。瞬く間に戦友が殺された現実を易々と飲み込む事は、鍛え上げられた兵士とてそうできることではない。


「――総員気を抜くな! 奴は近くにいる! 周囲を警戒、ヘルベインを中心に円陣を組め、全方位からの奇襲に備えろ!」


 激を飛ばすウェイルー。即座に我を取り戻した騎士達が動く。ミキシング相手に隙を見せてはならない、そうウェイルーは本能で感じ取っていた。

 部下に周囲を囲ませ、ウェイルーはヘルベインの遺体へと屈み込んだ。

 あらぬ方向を向いた頭部。開いた面帽の隙間から虚ろな目が見える。首の折り方から、後ろから抱きついて折ったのだろう。だが最も恐ろしいのはその力だ。首を防御する装甲がへしゃげ、骨ごと無理やりへし折れている。まさに人外の膂力。


――やはり奴は化け物か……


 殺し方には主義が表れる。煙幕を張ってすぐに仕留めたということは、煙幕を張る前からヘルベインへ狙いを定めていたということだ。

 ならば、ヘルベインをまず仕留めた事自体に、奴に有利に働く大きな条件があったのか。確実に一人を殺す事は確かに意味はあるだろうが。

 ミキシングは、何かを狙ってきているのか。


《……マクヤ、すまない、一人殺られた。ヘルベインだ、ミキシングはまだ見つからない》


《――そう、か》


 マクヤの声に僅かな動揺が見える。


《ウェイルー、こちらからも奴を補足できない。近くにいるはずだ、警戒を怠るな》

《ああ、わかって……》


 外へ振り向く。どう狙いがあろうと、あの怪物の息の根を止める。そうしなければならない。


「どこだ、ミキシ……」


《――――ウェイルゥゥッ!》


 マトゥックより響くマクヤの絶叫、本能がウェイルーを動かす。直感で体を右へ。


――ッ!!


 最初は衝撃、次は熱だった。雪の上に、転がる何か。

 それは剣を握ったウェイルーの左腕。純白を、今度は白騎士の紅が染める。


「……ッぐ!」


 振り返り、右剣を構える。すっぱりと切断された左二の腕先。切断面からは、桃色の筋肉が湯気を立て、骨の白が覗く。

 まだ熱を感じるだけだが、しばらく後には激痛が襲うだろう。大量出血に体が震え、目が霞む。


――や、つは……


 それでも、脚を奮い立たせる。振り返った先にいる怪物を視線で捉えた。

 ヘルベインの遺体が避けられていた。遺体の真下、地面には穴。

 そして、痩身の体がまるで墓穴から這い出す死者の如く立ち上がる。握られるは赤熱化する長剣。


 カゲイ・ソウジはそこにいた。


――ヘルベインの……


 先入観。死体の近くには殺人者はいない、マーカー付きのコートは遠ざける筈だという思い込み。


――ヘルベインの真下に隠れていただと!?


 ウォールによる掘削で穴を掘り、隠れる。その上にコート付きのヘルベインを乗せた。

 ウェイルー達の行動を、読み尽くしているが如き奇策。ウェイルー達は余りにも、戦場をアクティブな物として捉え過ぎていた。ソウジの罠は、その隙を狙っていた。


 輝く剣先が跳ね、怪物が動く。ソウジは既にヒートの魔術を模倣する事に成功していた。

 振り返ったばかりのハルバート使いの眼窩へ、剣が刺さる。骨を砕き脳を高熱で焼く。声も無く、巨体が崩れる。

 剣を引き抜き跳躍、姿が消える。次の瞬間、斧使いの真上へダイヴ。体重をかけ剣を突き出す。

 頭頂部の兜ごと、鈍い音を立てながら頭蓋が貫かれる。直立したまま、絶命する騎士。

 引き抜かれる剣、血と脳漿が蒸発する。

 騎士の体から、ソウジが着地。引き締まった体は、泥に汚れた薄いシャツを纏っていた。

 月明かりに照らし出される、自らと、そして他人の血に濡れた怪物の姿は、冷たく、そして神々しく見える。理不尽かつ不条理に満ちた残虐は、神と強者のみがふるえる権利だ。


「僕は……」


 紡がれる言葉を待たず、騎士達が動く。突き出される槍、振られる剣、振り下ろされる戦斧。しかしそれよりも、ソウジの魔術の発動が方が速い。


「……止まるわけにはいかない」


 空間に、魔術構成の光が走る。ソウジの周囲、周りを囲むように炎の壁が発生。炎過の轟音を上げ、爆発的に燃焼。瞬く間に天を貫く炎の柱と化す。


――|爆炎術式(フレア)か!


 炎に照らされながら、ウェイルーは魔法を分析する。

 フレアは魔力により気化燃料を合成、空気中に散布。着火することにより自分の周りに炎の壁を作り出す術式だ。範囲は広く、威力は高いが、射程と効果時間が極端に短い。もちろん普通はあそこまで巨大な魔術にはならない筈だ。

 だが騎士達に怯みはない。雄々しく踏み込み、炎の壁に飛び込んでいく。

 その体には着火する様子はない。装甲の表面を走る薄い光が、紅の過をはじく。

 ウェイルー達の装備する鎧は「魔防鎧」、燃焼により魔力を発生させる資源、「魔石」と装甲に刻まれた魔術刻印回路により、自動で対魔術無効化防御を発生させるイドス国独自の最新兵装だ。

 魔石が燃え尽きない限り、騎士達に魔術は通用しない。 先頭、炎を突き抜け、真っ先に到達した騎士の一人が剣を振り上げる。しかし、ソウジは微動だにしない。受ける動作も避ける仕草も無い。

 ただ、全てを受け入れるように立ち尽くす。


「――オオオッッ!!」


 叫び声と共に、剣を振り下ろす――直前に、騎士の体が真横へ爆ぜた。

 一人だけではない、他の騎士達も次々と吹っ飛ばされる。大木の幹のような足に踏まれ、内臓を吐く者。牙にすり潰され、肉塊となる者。巨大質量による衝撃、圧倒的力による蹂躙。


――あれ、は……


 ウェイルーは今目にしている光景が信じられない。部下達を踏み潰し、吹き飛ばした存在は、想定さえしていなかった相手。

 紫の体毛、束になった牙、巨大にして重厚な肉壁。そして、生命の光の無い両眼。

 それは、小屋のそばにあった死骸の岩猪。

 分厚い頭骨を誇る頭部には、淡い光の紋様が刻まれていた。


――魔術刻印……? 死骸繰術だと!!


 怪物の夜は、ここから始まる。

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