第100話 アイネ
「いいか、楽器とは本来は木工や金属加工技術の粋を集め作られるものだ」
ハザルが、木片を軽く叩く。捨ててまた歩き出す。
「師弟により継がれる技術と、厳選された材料。さらに使い手に合わせた細やかなチューニング。そしてなにより使用者の技量。これらが揃わねば楽器とは言えない。どれか1つかけても、楽器は無意味なただの音を出すだけの道具になり下がる」
また1つ木片を取り出す。叩く。また捨てる。
「少なくとも私は自らの楽器はそういう物だと思っている。道具に拘るのは二流と抜かすやつもいるが……それは間違いだ。自らの限界というものを知っていれば、少しでも上の道具に頼ることは当たり前のこと。謙虚さというものがない者の発想だな」
「なぁ、なにやってんだアンタ……?」
森の近くの薪置き場で、ハザルとキースの二人は木材を漁っていた。
「見てわからんか。笛の材料探しだ」
「なんで薪の置き場に来てんだよ。木なんてその辺の生えてるやつじゃダメなのか?」
「やはりバカだな。楽器に使う木材は、材質もそうだが木の乾燥状態も大切とされる。厳選した木材を理想的環境下で数年寝かせるところから始めるのが当たり前なんだ」
「そこまでのもの別にいらないよ!」
「当たり前だ。誰がお前などにそこまでのものをやるか。こういう薪は乾燥のためにしばらく放置してあるものが多いからな。あとは状態が良いものをうまく見つけられれば……」
「あ」
薪の音が鳴った。ハッキリと違う音にキースが反応する。ハザルの目付きが変わった。
「ほう、音の差程度はわかるか。すくなくともお前の耳はただの穴ではないようだな」
取り出したのは輪切りにされた木材。まだ細かく刻まれていない。恐らく切り忘れて放置されたものだろう。
「これを使う。まずは表面の乾燥し過ぎた部分を削り中心部を出す」
「ど、道具をさがして来ないと……ノミとか」
「いらん」
ハザルは木材を空中にほおり投げると、バイオリンの弓を取り出す。
ハザルの背後に広がる光=幾何学紋様の魔術構成式。
高周波振動の異音で弓が唸る。
鮮やかに振るわれる神速の弓に、木材が一瞬で切断された。外部分をトリミングして中心部のみを切り出す。
大まかな長方形の形へと姿を変えた。
「さて。持っていろ」
切断を終えた木材を拾う。それをキースへ渡した。
「え……いや、これただの木材じゃ」
「今笛にしてやる」
ハザルの片手にはヴァイオリンがあった。ひたりと弓を弦にはわせる。
再びハザルの背後に魔術構成の光が灯る。それは先程よりも多重かつ複雑なものだった。
「……演奏なんて、なんで」
「黙ってみていろ」
神速の指から描き鳴らされる音色は、キースには聞こえなかった。
「……物体には共鳴固有振動波というその物質の構成を共鳴振動させ崩壊させる固有の波長がそれぞれ存在する──」
カタカタと、手に持った木材が震え出す。
「──これらは細分化すれば物体の各部分によっても細かい共鳴振動数が違うことを利用して、ピンポイントな破壊にも利用できる。ようは要らない部分と、残したい部分を精密に区別できるわけだ」
やがて木材の振動が大きくなる。キースの手の中で、木材がおがくずを吹き上げながら崩壊していく。
「うわっ!!」
ハザルの演奏が止まる。キースの手の中には大量のおがくずがあった。
「──それがお前の楽器だ、キース」
「これが……俺の」
おがくずの中に、木の横笛があった。まっすぐなフォルムと複数の穴。狂い無く精巧に造形されている。これが手ではなく魔術により遠隔から造られたものとは思えない。
「まだマウスピースの調節と音の確認、それからニスの塗装なども必要だが……お前程度にはそれくらいで良いだろう」
「そ、そうなのか……?」
それくらいの出来のもの、にはキースには見えなかった。楽器などろくに見たことはないが、手触りとその形の精緻さは次元が違うとはっきりわかる。
「所詮は私も楽器作りには素人だ。まあいい、吹いてみろ。舌を「トゥー」と動かしながらやるんだ」
恐る恐る口を付ける。ゆっくりと息を吹き込んだ。言われた通りにする。
甲高い音色が響く。これが自分の出した音かと、キースは驚いた。
「ほう、基礎的な音は出せるな。あとは音階を覚えるぞ」
「こ、こうか……?」
キースは吹き続ける。奴隷達で時おり歌われる曲をうろ覚えでやった。知っている曲はこれくらいしかなかったからだ。音階も技術もへったくれもない。
キースにはその名を聞いたことも見た事もないどこかの場所を想う歌だ。なぜその歌を歌うのかも、もう意味はわからない。
歌われるものが、かつての民族の奪われた故郷のことだと、キースにはわからない。
ただ、その曲を聴くと、自分の胸のどこかに誰かが寄り添っていてくれるようなそんな気持ちになれる。
「……音階もなってない。技術もない。酷い代物だ」
ぽつりとハザルが呟く。キースの演奏が止まる。
「無理もない。そんなものはお前は知らんのだからな。だが、お前が曲に込めているものは理解る。技術だけではない、奏でるものの情念あるいは……心というものが表現されなければ……そこに意味はない。それはただの音の羅列だ」
男の顔に、一瞬だけ険しさが消えていた。ただ純粋に、真摯にキースの音楽に向き合おうとしている表情がある。
だがそれも、いつもの苦味ばしったものにすぐに戻った。
「……いや、所詮奴隷になにを話しても無意味だな。戻るぞ。最低限は吹けるようにしてやる」
△ △ △
「い、あ、あ」
アイネは動けない。椅子に座って机に突っ伏したまま、震えながら待つしかない。
キースが帰ってくることを。あの不機嫌な顔の男が帰ってくることを。あるいは、できるだけそれが早く終わってくれることを。
「おい」
髪に手が触れる。撫でながら彼女の髪の毛の触感を楽しんでいる。
かつて、そうしていた、この男は。
アイネの中で、怖気が蘇る。あとの時と同じ、怖気が。
「ん、いぃや……!」
やがて、力をこめて髪を握りしめた。
「い、や、いやいやいやいや」
「なにがイヤなんだよ? このバカ」
嘲りと侮蔑が込められた声。何度も聞いた、声。
髪を引っ張られ無理やり立たされる。
「いやああああ──っっ!! たす、助けて、たすけて!!」
「騒ぐなよ、バカのくせに」
「ぶっ」
頬を張られる。鼻に突き抜ける痛み。鉄錆の臭い。血が垂れる。
彼女を囲む三人の粗末な服の男達は、赤毛だった。アイネと同じクルニスだ。粘つくような薄ら笑いを浮かべ、人ではなく物をみるような見下す目つきをしている。なによりも男達が喜んでいることを感じた。退屈なここの生活で、いい憂さ晴らしができるものをやっと見つけた、そんな暗い喜びを。
「こんなところにいたんだなぁ。どさくさで死んでると思ってたぜ。こんな足りない頭じゃなあ」
「ああ、良かったよ。お前が五体満足無事そうでほんと良かったわ。おかげで助かるわ。おい、弟はどうした? あのガキだよ。寝たフリが得意なあの坊主」
「また楽しもうぜ、弟にもまた見せてやればいい。今度は正面から見せてやろうよ、ははは」
釣られて二人も笑う。笑い出す。アイネは泣いていた。声さえも出せず、絶望のままに。
「アイネ」
呟くように彼女を呼ぶ声がした。
いつの間にか、アイネの髪を掴む男の横に亡霊のようにハザルが立っている。
ハザルの弓を持った右腕が、動いた。次の瞬間、鈍い音が響く。
男の腕が、関節のない場所からくの字に曲がっていた。皮膚を貫き血と骨が見える。弓から振動魔術を打ち込み、へし折ったのだ。
「が」
「姉ちゃん!!」
叫ぶキースが、椅子にへたり込むアイネを庇う。
「があああああああ!!!!!???」
腕を抑え泣き叫ぶ男。残り二人はこちらに背を向けたままのハザル相手に動けない。この男が今どんな表情をしているのか、わからない。
「ひいいいい、いでぇぇ!!」
しばらくの間、男の悲鳴だけが狭い小屋に響いていた。
「おまえら……また、また姉ちゃんのところに来たのか!!」
キースは震える姉を抱きしめながら叫んだ。諦観に狩られていた今までとは違う。はっきりとした憎悪と怒りがあった。
「あん、たは、いえ、旦那は外から来たお方だろう……?」
男たちはやっと声を絞り出す。正体のわからぬこの異邦人の逆鱗に触れたらしい。どうにかこの状況を無事にやり過ごしたい。
「あの、こいつ気に入ったんですか? 顔いいですからね。頭はアレだけど肉付きも悪くないんですよ、こう、無理やりやってもすぐに大人しくなって」
「黙れ!!!なにも言うな!」
「おまえだって寝床の下で寝たフリしてたじゃないか! 姉貴が俺らにヤラれてるのを見て見ぬふりしてたんだろ、クソガキ!」
「黙れ! 黙れええ!!!」
少年に頬に、涙があった。
沈黙の中で、ハザルは理解する。
これが、この姉弟の現実だ。これが、この場所の現実だ。
明らかにゆとりもなく秩序も薄い共同体に、アイネのような庇護者のいない弱者がいたらどうなるのか。ましてやそれが若い女性ならどうなるか。
キースがアイネを守ろうとする様子は、血縁だからというだけでは少々説明が着きにくいものだった。だが今ならはっきりと合点がいく。
キースは、何一つ自分が助けることの出来なかったアイネに必死に償おうとしているのだ。
暴力と恐怖に屈し、屈辱を受け入れた自分を許してもらいたいから。
恐らく、両親も亡くし共同体から庇護を受けられぬ最下層の立場だったこの姉弟は、同じ奴隷からこういう扱いを受けても今まで誰も助けてはくれなかったのだ。だから外れに隠れるように居を構え、姉を出来るだけ外に出さなかった。もう誰にも彼女が犯されないように。
「ごめ、ごめんなさい」
アイネは震えながら、自らの腹を抱え込む。胎児のように体を丸め、絞り出すように悲痛な声で呟く。
「おかあさん、お、おかあさん」
子供のように母を呼ぶ。アイネがいつもやる行動だと、ハザルは思った。思っていた、次の言葉までは。
「ごめんなさい……おかあさんに、なれなくて、ごめんなさい」
──!
ハザルの中で、やっと今までのアイネの行動が繋がる。墓にしがみつき泣いていたこと。自らを傷つけなければいけなくなるほどの衝動。
そして、恐らくはあの墓の下に、母親以外の彼女の家族がいたということ。
彼女の女としての全てが、とうの昔に無惨に踏みにじられていたということ。
「なんだぁ、おい、お前孕んでたのか? 誰のガキだよ。まあわかんねぇだろうが」
あざけりながらアイネを指さす男の指が、飛んだ。天井に跳ねて、床に転がる。
「あ、え……?」
放たれたハザルの弓によって、一瞬で切断された。余りの鋭さに傷口から血さえ零れない。
ひたりと弓がバイオリンの弦に当てられる。超速の演奏が発動する。
「あががああああああっっ!!!」
「いぎぎぎいいいいいいい!!!」
「おおおおおおおおっ!!」
三者三葉の絶叫を上げて昏倒する三人組。口元には泡を吹く。そのままハザルは演奏を変える。倒れた体が持ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
ハザルの身体操作魔術ならば、このように操ることなど造作もない。
「な、なんだこれぇ!?」
「足が、足が勝手に動くぅ!!」
「たす、助けてぇ!!」
「……これ以上小屋を汚すのも面倒だからな。ちょうど、ここから少しいったところに崖があった」
はじめて、ハザルが男達に振りかえる。
怒りも苛立ちもない。ただ冷たい殺意だけの眼差しだった。
「慌てることなく、ゆっくりと、歩け。崖の先までな」
後悔と恐怖をできるだけ長く感じて死んでいけ。
「いやだあああ!!」
泣き叫びもがく上半身と対称的に、しっかりとした歩行で男達が外へ向かっていく。
「なんでもするから、許してくれぇ!!」
「ほう、なんでもするか。では許してやるから死ね」
演奏を止めずハザルは答える。目の前の害虫を駆除することにしか興味は無い。
「そんなぁあ!!」
「それは少し困るので、やめていただきたいのですが、ハザルさん」
不意に長身の陰が現れた。その姿に、ハザルは覚えがあった。
「……なんの用だ。カゲイ・ソウジ?」
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