第88話 竜吼
吹き荒れる熱風と、超魔力の圧力。重力制御により浮かぶ巨岩の群れ。破壊の予感が山中に吹きすさぶ。
眼下には、焼け焦げた木々と登る大量の煙。そして、砕けるどころか溶解し赤熱化した地面。転がる下半身とバラバラに砕けた上半身の人体、二人分。それが現れたところには、ぽっかりとした深く暗い空洞がある。
ル ル ル ル ル ル ……
吼え声とも唸り声ともつかぬ、声なのか歌なのかさえわからぬ振動を上げ、城を凌ぐ大きさの荒々しき金属の塊が空を泳ぐ。纏うは青白きスパーク。
──こ、れが、
飛行魔術により空を飛びながら、カゲイ・ソウジはそれがなんなのかを、理解した。
「これが……」
カゲイ・ソウジの脳内にはこの世界の言語を強制的に理解できるようにした魔術加工が施されている。言語とは文化圏により作られるものであり、とある文化圏のものが、他の文化圏には発想自体が存在しないもの、または存在しない概念である場合、翻訳は出来ない。ゆえに最も近い言葉でそれを例えるしか理解できる方法はないのだ。
カゲイ・ソウジの元いた現代の世界において竜はもちろん存在しない。伝説の生き物だ。
しかし、
つまり、絵空事のような破壊と恐怖の存在。人類と究極的に断絶し倒されるべき怪物。あるいは暴力そのもの。
「これが、この世界の竜ということですか……」
幅百メートルに全長四百メートルを超える巨体。鈍く光る荒れた金属質の表層。上下に配置された点滅する眼らしき器官。辛うじてワニの頭にも見えないこともないシルエット。
ル ル ル ル ……
やがて、眼の点滅がやむ。魔術紋様の光。
ル ッ
そして、閃光。
──ッ!
光るより一瞬早く反射的にソウジは動く。直感は正しかった。約一秒後に膨大な熱量が空気を膨張させる。爆発と轟音。背後にあった山が盛大に吹き飛んだ。
「レーザーか」
回避機動を行いながら距離を取りつつ竜の観察を続行。岩盤を易々と貫通し溶解させた攻撃はあれだ。超高熱の光を線として叩き込む。対象は急激な熱により内部の水分を急激に膨張させ爆発する。水分量が極端に少ない代物ならば融解する、といったところか。
明確に、自分を狙った動き。とにかくこの竜を止めねば、アリッサを助けられない。ソウジは左ポケットを弄りながらそう思う。
山道を下る逃走の途中、ネイムレスらしき三人組と交戦した。その戦闘の最中にあの竜は現れた。岩盤を削るレーザーと熱量で三人組のうち二人が死亡。残り一人がアリッサを確保し逃げた。
『竜は強者を襲う』
竜は間違いなくカゲイ・ソウジ、自分を目標にしている。竜が自分を狙っている限り、アリッサに近づけば巻き込まれてしまう。
──どう倒す?
巨大質量。金属の塊としかいいようの無い姿。魔術による超光線攻撃。シンプルかつ隙がない。
あの巨体ではマトモな打撃など通じるか怪しい。材質を単純に鉄と同比率の物質と仮定しても質量は約十六万トン。もっと密度の高い材質としたらそれ以上。その巨体を維持し浮かばせる驚異的な重力制御魔術と合わせ、どこを攻撃していいかさえ見当がつかない。まだトカゲに近い形態のほうが脳や心臓の位置がわかる分マシだ。
竜の四つの目が再び光る。三度、その一秒後にまたも地面が爆ぜる。衝撃が三回。
回避には成功したが、巻き上がる土砂を避けるのがやっとだ。
「────ならば」
まずはあの眼らしき器官を狙う。プラズマの光、発生する推力で体を押し出し、不可視の力場による翼で空を穿つ。距離を取らせてはいけない。竜に最大まで近づいて最大火力を叩き込む。
着弾の瞬間、竜と砲弾の狭間が一瞬歪む。数発が軌道を逸れ、数発が寸前で自爆。強力な重力操作による障壁。反撃のレーザー。寸前でよけながら勇者は高度を取る。
「さらに重力の壁……イレイザーさんの時よりもこれは数段厄介な代物ですね」
砲弾の煙が消えぬ内に
ル ル ル ル ル ッ ッ
竜が哭く。やはり重力の壁にからめ取られる、寸前で砲弾が爆ぜた。
ル ッ
砲弾とともに溢れる銀の奔流。周囲に無数にばらまかれる銀色の群。極薄の
輝く銀色の群に、竜の動きがピタリと止まった。
隙を見逃さず、さらにソウジは三発を発射。またも空中で爆発する。やはり飛び散る銀の欠片。
「やはり、電磁波の類で物をみているようですね」
竜の挙動が止まったその時に、すでにソウジは竜の足元へ潜り込んでいた。竜の横っ腹──腹と呼ぶべき部分があるかはわからないが、至近距離へ一直線に飛ぶ。
ソウジはすでに
「いける」
次々とつるべ撃ちされる砲弾。硝煙と熱量を吹き上げながら、勇者は竜の岩肌へ飛ぶ。砲弾を受け止めるも竜の障壁に限界が見えた。揺らぐ空間の中心を、ソウジの掲げられた右腕が白い光を上げて射抜く。
「──そこだ」
魔力により即席で作った金属板を盾に竜の体に豪快に不時着。火花を上げて竜の外表とこすれあい金属板がひしゃげる。
転がり、無数の傷と火傷を負いながら、それでも立ち上がり勇者は走る。目の前には、広がる竜の肌があった。
跳躍と共にソウジは魔術を発動。曇天の空一面に広がる魔術紋様、圧倒する超情報。やがてそれは収束し、一つの巨大な形を成す。
勇者が竜の真上、その中心に着地する。同時に、空の上に塔が現れた。
銀色の継ぎ目の無い金属で形成された、まっすぐに伸びる高さ二十メートル半径三メートルの塔。根元は金属形成による無数のワイヤーで竜に固定されている。
竜という巨大構造体の上に、細長い塔のようなものがさらに突き刺さっていた。端から見れば馬鹿げたような光景だ。
しかしこれは、カゲイ・ソウジの繰り出す竜殺しの一撃。
「──点火」
塔の真上から炎が登る。白煙と青白い業火。
竜と塔の接する部分から、火花があがる。金属の外皮が、溶けてゆく。
ル オ オ オ オ オ オ ッ ッ ! !
竜の悲鳴が、山中に響いた。
テルミット反応と呼ばれる現象がある。
金属酸化物の粉末に金属アルミニウムとの粉末を混合し、着火すると、アルミニウムは金属酸化物を還元しながら高温を発生する。特徴はこの反応の際に膨大な熱を発生させるという点。
様々な重金属類の溶接などに使用されるこの技術は、入手しやすい材料で行えなおかつ大抵の金属を溶解させられるため重宝されている。圧力の集中により貫通力が非常に高まりやすく、テルミット反応を利用して鉄板に穴を開ける地雷も存在するほどだ。
ソウジが構築した塔は、正しくは塔ではなく内部に酸化鉄とアルミ粉末を内蔵した巨大な筒だ。
酸化鉄とアルミ粉末はさらにナノミクロン単位で粒子化されたナノテルミットと呼ばれる状態に調整してある。着火と同時に始まった反応は超速で膨大な熱量を発生させる。魔術名──
渦巻く炎の槍が、竜の分厚い装甲を貫き、内部を焼き滅ぼしていく。竜の悲鳴と、吹き上がる爆炎が重なる。もがく巨体が、山に激突。勇者は吹き飛びそうになる自らをワイヤーでつなぎ止めながら、塔の固定を続行する。
炎の槍が竜の外表を突き抜けて中心を焼くか、それともその前にソウジが力尽きるか。
大地を砕く竜の動きが、やがて止まる。燃焼を終えて崩壊すら塔。その後に、黒い穴がぽっかりと空いていた。
巨体がゆっくりと落ちる。地面をえぐり、地響きを立てて横たわる竜。
「これは、やった……か?」
確信が持てない。そもそも生物なのかすら定かではないのだ。
「脳……らしい部分に上手くヒットしたということでしょうか……?」
コンコンと外皮を叩く。やはり密度の高い金属らしい。なんの金属なのか、判別がつかない。
「チタン……モリブデン……いやどれとも違う……これは」
傷一つない金属の表皮に、ヒビが、走った。
「……!?」
本能的に飛ぶ。距離を置いた次の瞬間、竜の巨体が弾けた。
竜の中心から、盛大に食い破られるように金属の表皮が吹き飛ぶ。破片と、熱量と、そしてなお強力になった魔力のプレッシャーを振りまき、それは這い出した。
「ああ、そういうことですか」
渦巻く銀の流体。形無く宙を泳ぐ。稲妻の如き赤の閃光が走る。
不定形の、銀色の液体金属が外皮を脱ぎ捨てていた。
恐らくあれが、竜というものの本質。
「これ、第二形態ってやつでしょうか」
勇者の問いかけに、真の姿を表した竜は、
無数のレーザーをもって応えを返した。
△ △ △
「ギヤマ茶、砂糖多めで」
街のオープンカフェでウェイターに注文を下し、女は空を見上げた。赤い女だった。赤のシャツ。赤のコート。赤のズボン。全身を鮮烈な赤色に染めている。胸元に、流星を模したブローチが一つ。
「さて、やることはやってみたけれど。あとはどうしようかしら」
女は──女、というか十代後半ほどの少女は、気だるげに椅子に腰掛けながら迷った風に指を動かす。
「少し、退屈なのよねぇ。無能の尻拭いは慣れたけど、そればかりは、ねぇ」
輝くような黒髪と、陶器のような白い肌。整った輪郭と、切れ長の大きく開いた瞳。長身と引き締まった肢体。美しい容姿に、派手な赤揃いの服装はひどく似合って見えた。
「あ」
小さく、声を上げた。何かが見えたような、何かを感知したような反応。
「あー、こんなところで……誰かに反応したかなあ。誰だろ、ま、いいか」
ゆっくりと、立ち上がる。曇天の空、山々の向こう側を見つめたまま、呟く。
「──ひさしぶりに、竜狩りをしようかしら」
彼女の名は、クリィム・ブリュレ・アルゾーン。五英雄が一人、『光のクリィム』の二つ名を持つ、英雄である。
△ △ △
燃える木々と吹き飛んだ山の跡が見える向こう側。山の木々の下をギィドは座り込んでいた。
じっと、息を潜め彼を待つ。あの、わけのわからないやつを。
「やぁ、ガドさん。無事でしたか」
枝を踏み折り、人影があった。
「よぉ、ソウジ。生きてたか」
「やあ、なんとも……反撃がきつかったので一回逃げてみました」
こともなげに、頭をポリポリとかきながらソウジは呟く。左腕は欠損していた。ゆっくりと再生しているらしい。
「あれが竜というものなんですねぇ。初めてあんなものと戦ったので少々てこずっています」
「なあ、あの竜ってやっぱお前に引き寄せられてきたんかな?」
「多分、そうみたいですねぇ。巻き込んだようで申し訳ないです」
「そうかあ、申し訳ないかあ」
今いち、つかみどころがない男だとギィドは思う。だが強者なのは間違いない。竜に狙われ、互角に渡り合った一部始終をこの眼でみたのだ。
「……アリッサはどうした?」
「ああ、それがですねぇ」
ソウジは左ポケットを弄る。
「離れないようにしっかり手を握っていたのですが、さらわれてしまいました。ナレインさんに申し訳ないです」
アリッサの右手首があった。
「ガドさん、ナレインはどこに?」
「死んだよ。アリッサを守ろうとして戦って死んだ」
「……そうですか、それは残念でしたねぇガドさ」
「ギィドだ」
「え」
「ガドは偽名だ。俺のほんとの名前はギィドってんだよ」
死ぬか、生きるか。その瞬間に、嘘の名を名乗ったまま死んでいくのは、なんだかどうしてもイヤな気がした。
「ああ、そうだったんですか。全く気づかなかったですよ」
「そうかい、全然そんな顔にゃみえねぇなぁ……あのな、それでよ」
ギィドは顔を上げる。本当の名を語り、本当の心に従い、そして本当の意志の元に、覚悟を決める。
「お前の事情は聞かねぇ。聞かねぇが、そのかわり……一つ願いを聞いてくれねぇか」
ソウジの表情は変わらない。いつものように無表情に、愛想も変化もない。そう見えるはずだった。だが、どこかで、
「──それは、どんな願いなんですか? ギィドさん」
どこか嗤っているように、ギィドには見えた。
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