第28話 希望街

「……どーすんだよ、これ」


 朝というにはやや過ぎた、昼というにはまだ早い時間帯。

 エクセル・ドーハは一軒の宿屋の前に立ちすくんでいた。

 外区、希望街。雑多な造りの建物、ストリートチルドレンの一団がうろつき、日雇いが座り込み、怪しげな路地裏の入り口が並ぶ。

 その中にあるやや傾いた造りの小さい宿屋。一際ボロい建物「イプス・インズ」

 その入り口前で、エクセルは動きを止めていた。



 看板には一泊と休憩の料金。先ほど、労働者風の男と街婦風の女が連れ立って出てきた。

 つまり、ここは、


「連れ込み宿ってやつだよね……」



 ▽ ▽ ▽


「……いつまでこんなことをするつもりなんだ」


 灰色の部屋の中で、椅子に腰掛けた青年は血を吐くように呟いた。


 濁った瞳、荒れた黒髪、抉られた感情が浮かぶ顔。

 罪悪に悶え、無惨に涙し、残虐に恐怖する。己が諸行に苦しみ懊悩するその姿は、あの虚無に満ちた姿とは余りに対極な、矮小で、弱く、優しく、人間らしい。

 彼は「彼」の中で、そうあるように作られていたからだ。人らしく在るように、人の反応をパターン化して作られたシミュレーション上の人格に過ぎない。

 それでもなお、そしてそうであるからこそ、彼は苦しむ。


「なぜそこまでして殺し続ける……? なぜ『僕』は殺す事をためらわない、ためらうことができないんだ」


「カゲイ・ソウジはこの世全てに価値が有ると考えている――だがそれは全て同じ価値だ。そこに差異はない」


 青年に答える声、傍らに現れる戦士、携えるは長剣。


「価値同士には差があるから優先性が生じるんだ。誰だって海の向こうの顔さえ知らぬ百人より、顔見知りの一人を助ける。

だがヤツには全てが同じなんだ。盗賊と少女の命も、善と悪も、光も闇も、そして自分すらも全て同じ価値だ。

ただ自らに科した誓約と守るべき約束がその上にあるだけだ」


 オウタの背後より現れる更に小柄な人影。


「そう、だからソウジは誓約に従って私を救って、私を殺した」


 赤毛の長髪、奴隷だった少女ミトスが現れる。


「そして今も、誓約に従いながら平等な価値観に元に殺し続けている」


 その後ろにはリレア・ペルミドの姿。


「儂を殺したのは、確か願い出た自殺の幇助を承諾した時だったな」


 白髪の老紳士が声を出す。中年の女性がいる。ミトスより幼い子供や、老齢の女性、医師のような格好の男。

 気がつけば、ソウジの周りを沢山の人々が囲い込んでいた。

 性別も格好も年齢も違う、彼らの共通点はただ一つ、この世界と元いた世界でカゲイ・ソウジに殺されたという一点のみ。


 カゲイ・ソウジの脳は、殺し続けた人々の情報を記録し続けていた。この中にいるのは、疑似人格を構成できるほど人格情報を収集出来た極一部の人間たち、その仮想疑似人格。


「そしてお前は、そうやって学習し続けた人間らしい行動パターンを組まれた『感情を有するカゲイ・ソウジ』の仮想疑似人格。

俺達の死体の上に、お前という疑似人格が生まれた」


 人々の中心へいる青年へオウタが言葉を投げかける。


「だからそうやって、人間らしく苦しむことがお前の仕事なんだ。お前の反応から、カゲイ・ソウジは人間の考え方や行動を理解し、先読みしようとしている」


 絶望の表情のままに、青年はオウタを見上げた。

 傷つくことが、悲しむことが、青年の存在意義だった。罪を確認し続けることだけが青年の出来る全てだった。


 かつて、人の原罪を自らの苦痛と死により清算した聖者のように、彼は生け贄の山羊だ。虚無者の罪悪を一身に受ける、優しい矮小な只の人。

 それが定められた彼の役割。


「いつ終わるんだ……こんなことをいつまで繰り返すつもりなんだ!」


 青年の絶望に、オウタは答える。


「終わり、か。世界全ての人間を殺し続け、この頭蓋の牢獄に収集しきるまでか、あるいは」


 オウタの視線が遠くなる。この灰色の壁ではなく、遙か彼方を見ていた。


「因果地平の果て、何者もいない遠き果ての地まで走り抜ければ」


 誰もいなければ、彼に願う者はいない。もし触れえる者無き、遠き空の明星となれれば。


「……さあ、もう終わりの時間だ。地獄に浸る時間から、地獄を作る時間だ」


 言葉と共に、世界が崩れた。絶望が終わり、絶望が始まる。

 


 ▽ ▽ ▽



 不規則にドアを叩く音、軋む古ドアの音と共に、老女の声が響く。


「ちょっと、ソウジ、起きてるの? お客さんよ! 女の子のお客さん!」


 覚醒する意識、ソウジは上半身を上げる。

 見渡す部屋は、すすけた壁、埃だらけの天井、申し訳程度の窓、そして壁にかかる軍用の黒コート。

 階段裏のスペースを活用した一室。ベッドを置けばほとんど隙間が無いという実に無駄のない設計。


「……ああ、はい、おはようございますイプスさん、今行きますので」


 力無く、ソウジはイプス・インズ主人のラウム・イプスへ返事を返した。




 ▽ ▽ ▽


「……ソウジ、なんでよりによって泊まってるのがここなのよ?」


「代金が格安で、おまけに朝食がつくからですよ」


 イプス・インズのロビー、というよりは玄関前といったスペースでソウジとエクセルが並ぶ。

 身長差にややソウジを見上げながら、エクセルはソウジの顔をしげしげと観察。


 ――安いから連れ込み宿に泊まるって……よく見れば結構いい顔してるし、まさか男娼やってるとかじゃないよね?


 良からぬ予想が胸に浮かぶ。とかく雑多なこの街では、彼女の故郷の田舎などでは想像もつかぬ趣味と夜の商売がある。そしてそれらがもっとも手っ取り早く稼ぎ易い方法だ。

 先日の報告から二日。今日は商人街の方を調査してみようかと思いたち、ついでにソウジも連れてこようと前持って聞き出した常宿の住所へやってきたのだ。

 せいぜい労働者向けの安宿かと思ってみれば、街婦などいわゆる春を売る職業の人間が仕事場にする宿に泊まっているとは流石に思わなかった。


「……あんた、ここどういう宿だかわかってる? 基本一人で泊まる所じゃないのよ」


「いやそれは知ってるんですが、どうにも安かったもので。……夜が少々うるさい位ですから、昼間寝るようにすれば特に問題は」


「う、うるさいって」


 一体何がうるさいのか、流石に箱入り娘だったエクセルでも想像がつく。


「……ソウジ、あの、少しぐらいなら報酬に色付けるからさ、もうちょっとまともな所にしよう」


「……? いえ、エクセルさん、僕としては別に雨露さえしのげれば特に問題は」


「あたしが! ここを訪ねにくいの!」


 大声で叫ぶ。やはりこの青年とはどうにもかみ合いにくい。


「おやソウジ、なんだい、女の子騙くらかしてんのかい?」


 女の声が響く、階段を下りる人影。

 引き締まった長身に纏うはくすんだドレス、胸元がやたら開いたデザイン。


「あんたぐらいの色男なら女騙すのは簡単だろうけどさ、子供騙すのはちょっといただけないねぇ」


 カラカラと笑う二十代後半程の女性、あせ気味の金髪にさっぱりとした風貌の美人だ。きっぷのいい性格が顔に表れている。


「おはようございます、エリザさん。こちらの人は別に騙している対象ではないんですが」


「だ、誰が子供だ! あたしは社会人! 新聞記者だぞ新聞記者!」


 抗議の声を上げ、女――エリザに向けて記者の腕章を向けるエクセル。


「新聞記者……? ああ、あんたかい、ロエルゴ・ブーンにくっついてた記者見習いの小娘。ロエルゴが外区に聞き込みに来た時に後ろにいたのを見たよ。今は一人前になったんだ?」


「だ、誰が小娘だ……」


「エクセルさん、こちらはエリザさんです。この宿はエリザさんに紹介してもらったんですよ。エリザさんの職業は……」


 ソウジの言葉をエリザが遮る。


「ま、女が裸一貫で出来る最古の職業ってやつさ、お嬢ちゃん?」


 女の片手にはいつの間にか紙巻き煙草が挟まっている。慣れた手つきでマッチを壁でこすり発火、煙草に火をつける。


「エリザさん、こちらは僕の雇い主のエクセルさんです」


 ソウジの紹介、相変わらず子供扱いされたままの新聞記者に浮かぶ不満な表情。


「へぇ、雇い主ねぇ、あたしゃてっきりこの宿を寝床にしてたソウジが女の子連れ込んでとうとう正しい使い方をするのかと思ってたよ」


 正しい使い方。言葉の意味を理解すると同時にエクセルの顔が朱に染まる。こういう場所で男と女がいれば、普通は周りにどう思われるのか、エクセルは気づいた。


「は、早く出るぞソウジ! こんなとこ長居できるか!」


「待って下さいエクセルさん、僕まだコート着てないで……」


 いそいそと出口へ向かう二人を、エリザは笑いながら見送った。



 ▽ ▽ ▽


「今までの調査をまとめるとだな、ダクト」


 白を基調とした会議室。そのスペースが余り気味な中央に置かれた机と椅子、人影が二人。

 ウェイルーが滑らかな指で資料を捲る。今日は珍しく眼鏡をつけていた。デザインは細いフレームの銀縁、彼女によく似合っていた。


「先に見た三件以外で調査出来た現場は三件のみ。それ以外の現場はすでに片付けられていた。

その三件でもやはり血痕の違いが二パターンに分けられる」


 さすがにいつまでも現場をそのままにはできない。ある程度の時間が経過すれば、資料や証拠を取り片付けなければならない。


「つまり現在は事件を1、一撃型。2、複数撃型。3、混在型。にカテゴライズ出来る。特筆すべき点は混在型は現在一件、ペルニド一家殺害事件からしか確認できないこと」


 方法が混じっているのは、ペルニド一家のみだった。他はみなキレイに別れている。


「なぜ一件だけ方法を混ぜた……? 私達にはまだ気づいていない犯行の条件があるということか?」


 明確に犯人像を絞り込むことがウェイルーにはまだできない。ミキシングがいる予感がある、だがまだ確信がない。何かがぼやけている。


「とりあえず今日は商人街を回って、午後は検死官にでも会ってみるか。ダクト……おい、聞いてるのかダクト?」


 机に突っ伏す若い男、新米刑事のダクトはそのままの体制で声を上げた。


「……昨日は深夜まで片付けられた現場跡回るの付き合ったじゃないですか、『何かないか』とウェイルー捜査官がいうもんだから必死に探しても何もないし、もう疲れましたよ。

大体、今日はウェイルー捜査官が来いっていうから来ましたけど、ほんとはこの日は僕非番なんですよ?」


 恨みがましい視線を向けるダクト。だがウェイルーは彼に笑顔を返した。

 まるで心を溶かすような、爽やかな優しい微笑。


「で、それが?」


「――え、あ、あの、ちょ……?」


 言葉を失う青年に、ウェイルーは優しく言葉を続ける。


「ダクト、肉屋は肉を売るから肉屋、酒屋は酒を売るから酒屋だ。

――つまり、警察は事件を解決するから警察なんだ。

義務を果たすから権利がある。

義務を果たさず権利を要求するのはただの豚だ。ダクト、お前は人間か、豚か?」


 笑ったままの表情で美女が尋ねる。一枚の絵のように眩しい姿だ、話す言葉以外は。


「……僕は、人間です」


 呻くように、ダクトは全てを諦めた。

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