第25話 左腕

「ま、こんなとこだとは思っていたがな」


 白を基調とする閑散とした印象の大部屋。中心に置かれた事務机二個と椅子二個。本来ならば定員三十人である中央区警察第三会議室、そのやたらスペースを余らせた中央で、ウェイルー・ガルズは溜め息をついた。

 先ほどの貴婦人の衣装から着替え、白シャツと軍服のズボンという出で立ちだ。


「うちも年中人手不足ですから。ウェイルー捜査官の要求する人数はちょっと……」


 ダクトが座る机には重ねられたファイルが歪んだ塔となっている。背についた題名は「商人区連続殺人第二事件調査概要報告」「検死報告書」「被害者身辺調査書」、ウェイルーが追う事件の情報書類だ。


「……要求が全て通るとは正直私も思ってはいない。だがついたのがまさかお前一人とはなぁ、ダクト刑事?」


 どこか落ち着きのない、自信なさげな若い刑事を一瞥する。再びこみ上げる溜め息を堪えた。

 ウェイルーの要求は五人の臨時の部下と、専用の部屋。当てられたのは、貧乏くじを引いたダクト一人とこの滅多に使われない会議室、及びろくに整理されていない捜査資料の束。

 誰が目に見ても、ウェイルーの存在が中央区警察に煙たがられているのは明らかだ。


「ま、現状を嘆いても仕方ない。限られた条件でも、最良の結果を出すのがプロというものだ。

ダクト、事件概要の確認だ。事の発端は三週間前、商人街での一家惨殺が第一の事件か」


 慌てて手元の資料を捲る刑事、眼が必死に文字を追う。


「え、ええ、ミレー一家を全員惨殺、少量の現金を奪った事件ですね。殺害方法はほぼ全身を潰す強力な力による攻撃。その後似たような殺害方法の事件が連続、同一人物又はグループの連続殺人として認定されたわけです」


「ふむ、連続殺人に認定された条件は殺害方法だけか?」


「え、えーと……」


 さらに資料を捲る。やがてひたりとダクトの視線が定まった。


「被害者は全員商人及びその家族、そして魔術によると思われる極度の肉体強化による殺害。この二点ですね」


「肉体強化による、か。殺害現場の魔力残渣反応は全く無いと? 都市内の魔術警報も起動していないのか?」


 通常、体外へ作用する魔術を発生した場合は魔術に使用された魔力の残渣が周囲に一定時間残留する。大規模、または稚拙な魔術使いならば、より多くの魔力残渣反応が残るため、犯人や状況を示す証拠となる。しかし体力強化など体内のみに作用する魔術はこの限りではない。

 アシュリー市では市外城壁から外区、中央区を魔術警報結界キャナリアが包み込んでいる。アシュリー市内で一定レベル以上、人体を害する攻撃魔術が屋外で使用された場合、魔術反応を感知して大規模警報をならす都市安全保全機能が存在する。だが有効部分は屋外のみで、建物内で使用された場合は作用しない。


「魔力残渣無し、屋内での殺人ゆえ警報も発生しない、そのため肉体強化による殺害と推測したか。

だが肉体強化も限界がある。人体を挽き肉にするなど、軍にいる隠密活動専門の軍人でない限りはほぼ無理だが」


「そ、それ以外に推測出来る方法がありませんから……

とにかくわざわざ人を文字通り潰していくなんてこの犯人一人しかいませんよ」


 人間など急所を刺せば死ぬ。潰すという異常性の匂う殺し方は、確かに彼女の遭遇したミキシングの気配を漂わせる。


 ――だが何か妙だ。確かにこの街にミキシングはいるだろう、いるだろうが、


 不純物を感じる。違和感、ではない。明確な違う何かが混じっている、そんな直感がウェイルーには芽生えていた。


「検死結果もほぼ同一人物の可能性を指摘、か。

ダクト刑事、確か二年前にもこのアシュリー市で連続殺人があったそうだな。まだ犯人は捕まっていないはずだ」


「ああ、僕がこの街へ赴任する前にあった事件ですね。ついた犯人の通り名が『吊し斬りケリーストレンジ・フルーツ』。

でもあの事件は被害者もほぼ無差別、殺害方法も急所への一撃、今の犯人像とは全然違いますよ」


 都市の情報はウェイルーもアシュリー市に来る前にある程度は頭に入れていた。

 その中で最も注意を引く情報、二年前におきた連続通り魔吊し斬りケリー。首元を斬った犠牲者を街路樹に吊し、ナマス斬りにして晒すという残忍かつ大胆な方法を取りながら、警察の捜査を逃げ切り突如行方を眩ませた怪物の二つ名。

 ストレンジ・フルーツとは、木に吊された死体を第一発見者が「奇妙な果実」に例えたためだ。

「まぁいい、昨夜の内に更に二件発生したそうだな。まずは生の現場を見てからだ。案内してくれ、ダクト」


「あ、はい!」


 軍服の上着を持ち上げ、ドアに近づくウェイルー。いつの間にか呼び捨てにされているのにも気づかず、ダクトが駆け寄る。


「あ、あのぅ……一つ、いいですか?」


「ん? なんだ、ダクト」


「その、今はウェイルー捜査官は軍服ですけど、今朝の服は一体なんだったんですか?」


「ああ、私は軍人生活がどうにも長くてな、結婚する前は女らしい格好などついぞ無縁だった」


 懐かしそうに微笑みながら、慣れた手つきで軍服のボタン止める。


「夫から『頼むから平時は少しは女らしい格好をしてくれ』と言われてな。なんとか見よう見まねで私服を着飾るようしてみたんだが、どうも装飾過多な癖があるようだ」


 女らしい格好に興味がなかった彼女が、彼女なりに行き着いた「女らしい格好」があの貴婦人の服装だった。


「そ、そりゃぁなんとも……あ、旦那さんはなんのご職業を?」


「私と同じ軍人さ。『M』討伐の戦闘の際に殉職したがな」


 彼女の声が落ちる、一瞬の気まずさの後、ダクトは反射的に謝罪の声を上げた。

 しかしウェイルーは左手を上げダクトを制する。その眼には、仇敵への静かな怒りに溢れている。


「あの格好は死んだ夫との約束というわけだ。似合わないかもしれないが、一応は続けていこうと思うのさ。

……ダクト、本来なら私はまだ夫の死に喪くさなければならない期間だ。

だが、私は『M』に夫も、部下も、そしてこの左腕も奪われた」


 左腕の手袋を脱ぐ。その下には、黒鋼が輝く鉄の義手。

 滑らかな女性のラインを持ちながら、底冷えするような金属の光沢を放つ左腕が、失った全てを奪い取るために掲げられていた。


「だからせめて、仇ぐらいは取ってやらなければ、喪に伏すどころか、アイツの妻だったと胸を張って言える権利さえ私には無いんだ」


 悲しみさえ拒否し、復讐者は刃の上を走る。全てを終わらせた後に、その悲しみが残っているかどうかもわからないというのに。

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