第76話 飛翔
膨大な熱量と殺気を孕み膨張する火球。放たれるより速く、勇者が反応。ワイヤーを伸ばし、空中へ体を蹴り出す。その先は
「失望だな、見え見えだよ」
イレイザーの円環が落下、ソウジのワイヤーを焼き切る。引き寄せる先を失い、空中で無防備になった瞬間、一戸建てほどもある火球が頭上に落下。
轟音と業火。衝撃と超高熱がアスファルトや瓦礫ごと蒸発させ吹き飛ばす。空気さえ焦げて、鼻を突くオゾン層の異臭。
「ほう、まだ芸があったか」
イレイザーの前を、突風の如き影がよぎる。
空中の煙と塵を吹き上げて、不可視の翼で空を泳ぐ人影。
殺人鬼、カゲイ・ソウジ。その背には魔力による力場により形造られた空力制御のための翼があった。圧縮空気の噴出により推力を作り、力場の翼で揚力を発生させる飛行専用魔術。魔術名、
さらに追いすがる円環の炎を、力場による翼を絶妙に変形させて飛行軌道を修正し圧縮空気を噴出。次々と回避していく。
「おやおや空を飛ぶのは初めてかね? どうにもぎこちないな」
ソウジの左腕は半ばまで炭と化していた。とっさに磁界で受けながら飛行魔術を展開したが、完全に無事とはいかない。削られた胸元はようやく肉が骨を覆い始める。
単純な直線飛行ではなく、低軌道からの複雑な回避予測軌道を行わねばならない現状はいくらソウジといえど多大な脳演算リソースを裂く。それも不慣れな飛行、防御のための磁界魔術、再生魔術を同時使用している現状では尚更だ。
「……初心者には優しくして頂きたいものですが」
「残念ながら私は厳しさが人を育てるものと思っていてね」
さらにプラズマの雪が降る。磁界による防御が間に合わず、翼が曲がり肉が焦げた。ソウジが立てた
――コイルを再構成する時間、無し。よって磁界による拠点防御からの砲撃は不能……、飛行からの機動戦に切り替え……分が悪いな。しかし、それしかない。
痛みにも、不利にも勇者には恐怖も焦りもない。当たり前の現実を当たり前の現実として受け止めて思考している。自らが死ぬ瞬間さえも、彼はそう受け止めるだろう。それが彼の空洞なのだから。
――一番目の切り札、使えるか……?
攻撃回避軌道を演算。避けきれないものは磁界の魔術を防ぎ、攻撃のチャンスを掴む。
もう一度
「だから無駄だよ」
即座に電磁障壁を展開。光の壁がイレイザーとソウジを別つ。
「知ってますよ」
放たれた砲弾が障壁の
渦を巻く煙、視界が塞がる中で、
「――ふっ!」
勇者は自らの持つオウタ・イセジンの剣、その刀身に全力の膝を叩き込んだ。
△ △ △
――そうだ、
煙で視界を塞がれながら、イレイザーはプラズマの壁の向こう側を凝視する。
人工複眼により強化された彼の視力は、磁場さえも視覚化して観測できる。対プラズマ防御のために磁界を発生させるソウジの居場所は煙越しでも一応は掴めるのだ。
――少しでも視界を塞いで自分が何をするのか見せないようにしたい、お前はそう考える。きっとそうだ。
正面からの火力で圧倒できると踏んでいたイレイザーが、なぜソウジをそのまま叩き潰さないか。なぜ自らの勝率を七割と考えていたか。
――逆転の一手、それを確実に当てるために!
ソウジの持つオウタ・イセジンの剣。アダマル鋼により魔力を通せばあらゆる衝撃やダメージを相殺できる。このプラズマの壁を確実に突破して自分を仕留めるには、不壊の剣を高速で投射してくるだろう。
この剣の存在に、イレイザーは勝利の確率を二割下げた。
だが恐らく持っている不壊の剣はこの一本限り。いくつも作り出せるようでもない。ならば、その剣一本の投擲を防げば後は確実に勝てる。
――!?
虹色の輪郭=イレイザーの複眼にて視覚化された磁界が一瞬、拡大。凝縮されて螺旋の渦を巻き、束ねられる。その渦の中心は、こちらへ。
「来るな!」
障壁を四重に張りながら、身構える。恐らくあまり役には立たないだろうが、剣にある魔力を少しでも消耗させれば貫通力は落ちる。
「――コイルガンか!」
膨れ上がる磁界、渦を巻く螺旋からソウジの使う魔術に予測をつける。恐らくは磁性体が磁力に引き寄せられる原理を使用した魔術によるコイルガンで剣を弾体として加速する気だろう。
発射の瞬間、急激な衝撃に周囲の空気が震える。瞬く間に四重の障壁に穴が開く。
音速を超える弾体。とっさに体を捻りながら回避動作を行うイレイザー。紙一重で肩をわずかに切り裂きながら、破壊の弾丸が通り過ぎる。
――ば、
致死の弾丸。その回避に成功しながら、
――馬鹿な!
イレイザーの思考は
複眼の強化された動体視力により、コマ落としのように通り過ぎる弾丸の形状が見えている。
それは剣だった。正確には、魔力を通し続けるための金属ワイヤーがくくりつけられた、半分に
アダマル鋼は魔力を流すことにより不壊の特性を持つ。逆にいえば魔力を通さなければ、それは普通の剣と同じように折れる。剣を二つに折れば、弾丸も二つに増えるのだ。
剣は一振りのみ、自らの先入観がイレイザーへ牙を向く。
――しまっ、
障壁に空いた穴からソウジが見える。右手には半ばで折れた長剣。再び膨れ上がる磁界=二射目のコイルガン発射の予兆。回避中の不安定な体勢への、必殺の弾丸。
「う、おおおおおおお!」
とっさに右腕で防ぐ。叫びながら必死に身をよじった。着弾の瞬間、スローモーションで掌が砕けていくのが見える。手袋の破片。指。砕けた宝玉。埋め込まれた磁力発生のための装置の残骸。柄付きの刀身が手首から肘を破壊しながら突き進む。
二の腕を貫通。肩ごと盛大に吹き飛ばしながら、イレイザーの背後へと駆け抜けていく。
「おおおおおおお!」
絶叫しながら、空中をもがきながら踊る。血を吹き散らし、破片を燃える街にばらまきながら、苦悶の声と苦痛の表情のまま、
「おおお……! か、――勝った!」
イレイザーは笑っていた。右腕一つと引き換えに、勇者が確実に自らを殺せる唯一の手段を凌いだのだ。
プラズマジェットを盛大に噴射。空中軌道を立て直し、高度を取る。燃える夜景を見下ろしながら、方向は勇者へ。
勇者もまた仕留めることができなかった不利を悟っている。砲弾を連射しながら、飛行魔術によりイレイザーから距離を取ろうと逃げに入っている。
「はははは! 待ちたまえよ!」
砲弾をプラズマの火球で叩き落とし、追尾飛行へ。あとはいかようにもトドメをさせる退屈な狩りだ。
進行方向の眼下に魔術防盾を構える一団。六個に別れた部隊の残り五つ、その一つだ。イレイザーを確認すると同時に砲撃を開始。しかしそれもプラズマの壁が防ぐ。
「邪魔だ!」
背後の光の円環が膨張、回転軌道から襲いかかる。荒れ狂う蛇の動きで超高熱が地上を蹂躙。炎、爆発と共に鎧の破片、人体だった消し炭が盛大に舞い上がる。阿鼻叫喚の地獄。
「さあこれで、が、あ、!」
衝撃に体が軋む。錐揉み状態になりながらイレイザーの体が回る。激痛は左脚から。そしてその左脚は膝下から消し飛んでいた。分散した残りの部隊は四。進行方向は全て把握しているが、この攻撃はそのどの方向からも当てはまらない第五の方向からだ。
「この距離から!?」
砲撃、それもプラズマ障壁の間を縫う精密な代物。さっきまでの部隊とは質の違う攻撃。即座にプラズマジェットで加速する。
「そこか!」
イレイザーの視線は、遥か向こうのビル屋上にある砲台へ刺さる。
△ △ △
業火に吠える街を見下ろしながら、ビル屋上に立つ細い人影は夜空に光る白の紳士を凝視し続けている。
「着弾確認。目標左脚欠損。行動停止に至らず! 敵、こちらへ向かっています。予想再交戦時間三十二秒!」
頭部周囲に精密光学観測と弾道計測の魔術紋様による光の線を走らせながら、鎧の人影=アニッシュが叫ぶ。普段は冷静な彼女らしくなく声を荒げた。命の危機にいやでもこうなる。
「防御障壁構築と同時に次弾練成急げ! 近距離で分裂する榴弾弾頭を! 炸薬構成は燃焼速度を重視して速射できるように…」
背後の兵士達に叫ぶ。細かく指示を飛ばしながら、迎撃のための二射目を用意させようとするも、
「いや、もういいアニッシュ!」
傍らに並ぶ巨大な砲身―
そのただ中に現れたウェイルーは、アニッシュを止めた。
「各自散開! 敵と脚を止めての撃ち合いでは対抗できん、少しでも分散してダメージを抑えろ!」
警察署にいたアニッシュ達の部隊が駆けつけ、ウェイルーとの共同により精密砲撃を仕掛けることはできたが、一撃で仕留めきれなかった時点であとの取り返しはすでに効かない。ならばここは退く。
「お前達が退くまでの時間は作る!」
空の向こう、接近するイレイザーへ、茨の群れを従えてウェイルーが跳ぶ。屋上の床を踏み割り、最大跳躍。
「ふ、ふはははははは!」
視線の読めない六角結晶体の複眼。表情に狂気の笑みを浮かべながら、イレイザーが残った左腕に莫大な熱量を込める。瞬時に放たれる超巨大なプラズマの火球。
陽炎と衝撃波、嵐を振りまきながら進む破壊の渦を、さらに多重発動させて増量させた金属の茨の群でウェイルーは受け止める。部下が逃げるために己を盾として投げ出した。
「う、うおおおおおおお!」
生成された茨が溶けて、さらに茨が足される。それさえも燃え落ちる超熱量を、力技の質量精製魔術で無理やり押さえつける。限界を超え続ける魔術発動に左目の血涙に加え耳からも赤が流れる。
やがて熱量が茨を燃やし尽くす。芯となる
「ああああっっ!!」
神経を燃やされる激痛がウェイルーを襲う。獣のように叫びながら、炎を纏い美女が落ちる。炎が彩る、街の闇の中へ。
△ △ △
――状況……イレイザーは右腕と左脚を欠損。僕はプラズマ障壁を超えられる唯一の武装である剣を失った。
街を飛びながら、勇者は思考する。消し炭となった腕はようやく形を取り戻し始める。
自分は切り札を一つ失った。だが相手は何を失ったのか。
――魔術の根幹は認識……最低でも観測するための器官と認識するための脳さえあれば魔術は発動できる。
魔術の根幹は認識により現実を改変することである。極論すれば頭だけと感覚器官がマトモに動けば魔術の使用には問題が発生しない。
しかし、あのイレイザーは違う。
――彼は身体改造によって魔術を補助する機能を体に付与している。そして、彼の体は欠損を再生しようとする動きは見えない。
あの体が改造されたものならば、身体の欠損は明確な魔術能力の低下へと直結する。再生できないようならばそれを回復することも不可能。
飛行魔術の速度を上げる。後方には追尾する人影。イレイザーがソウジを追っている。
――ならば、彼の能力は確実に低下している。ならば……
思考を加速させながら、勇者は風を切る。火球を回避しながら、夜を泳ぐ。
――ならば、勝てる。
破壊者達の夜は、もうすぐ終わる。
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