分析するアスリートへの応援コメント
とにかく楽しく走りたい。
これは同感ですね。
でも実際は長距離走のように息切れしたり、苦しくなることもありますが、『継続は力なり』という言葉通り、途中で休憩しても、やはり続けることが大事かな……と思います。
(^ー^)
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさにそうですね。継続は力なり……簡単に放り出してしまうことが平気になってしまうと、結局目指すものには決して手が届かないんじゃないかという気がします。
長く続けるためには、走ることのどこかに「楽しさ」を感じ続ける。そうじゃなければ、長く走ってなどいられないでしょうし……自分自身が楽しめない作品は、きっと読み手の心にも響かない。そんな気がして書いた話です。
特別な香りへの応援コメント
aoiさんにとって「柚子」は五感を幸福的に呼び起こす特別な果実ですね。
私も「白菜の白と柚子の黄色」の合わさった漬物が好きです。
舌にも目にも、とても美味しいですよね❤
深更の止め処ない思の葉に感謝だなんて! 勿体無い御言葉をありがとうございます。
夜中に口が滑ってしまい、失礼しました💦 内側を知って良かったのか悪かったのか。知らなければ自費出版の誘いに乗っていたであろう私……などと感懐しております。
闇を知ったのに、ガソリンを入れてアクセルを踏むことを止める気持ちにはなれず、かかるエンジンがあることが幸せなのかもしれないと、aoiさんの最新エッセイを再読して思いました! 感慨深いです。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡お返事が少し遅れてごめんなさい!(>_<)
外側のごく一面的なことしか知らないというのは、結構危険なものですね。裏側では何がどんな風に動いてるのか何も知らず、ただ「多くの人に読まれたい、目に触れる場所に作品を出したい」という強い欲求に振り回されてしまう。自分の追いかける理想のようなものと現実は全く違うのだ、ということは、本当は書き手は皆知っていなければならないことなんじゃないかという気がしますね。
何かに振り回されそうで自分が揺らぐ時には、「自分自身の探す何かを追いかけるためにアクセルを踏むのだ」と、それを見失うことなく意識し続けるしかないのだろうな……そんな気持ちでいます。
分析するアスリートへの応援コメント
人生は長距離走者のように走りたいものですね。短距離走の刹那的快感にも憧れますし、短距離には短距離の良さがあるのでしょうが。
私も分析が好きです(๑•̀ •́)و✧ それは自分の心に向き合う時間が好きということかもしれません。たぶん、その分析が出来なくなってしまったら、本当に大事なものを見失い、失墜するのだと思います。私は、まだカクヨム登録一年ですが、創作自体は同人誌なども含め長く携わっています(^^ゞ 出版社で校正のアルバイトをしたことがあり、そのときの経験から、書籍化や受賞が必ずしも勝ち組のゴールとは到底、思えません。
結局、純粋に書くこと、苦痛に思わずに書くことを楽しめるのが幸福だと思い、カクヨムにやってきました。
そして、自分の書いたものを様々な観点で読んでくださる御方に出逢えて、幸福を感じます。aoiさんに出逢えたこと、とても幸福に思っています。ありがとうございます。長々すみませんでしたm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、たくさんの大切な思いをコメントに込めてくださり、ありがとうございます!✨✨
出版社でお仕事をされたご経験がおありなのですね。実際の現場を知っているというのは、外側からは決して窺い知ることのできない様々な現実も目の当たりにされた、ということですよね。その貴重なご経験から生まれ出るお言葉は、ずしりとリアルに胸に響きます。
アマチュアの書き手は、ともすれば受賞や書籍化が大目標になってしまいがちですので……カクヨムにいらっしゃったひいなさんのお気持ちを明かしていただけて、私も今回綴った自分自身の「書くこと」への向き合い方に自信が持てたような気がしています。
ひいなさん、いつも深く温かな思いの篭ったコメントを届けてくださり、ありがとうございます。私こそつくづく幸せ者でございます。心より、深く感謝申し上げます!m(_ _)m💐✨
野良猫と幸せへの応援コメント
猫をずっと観察していると、幸せそうだと本当に思います。それは「自分自身に満たされる」故の「心穏やかで幸せ」が見えるからですね。
「自分の存在そのものが、自分を安らがせてくれる」のは最強のポジティヴだと思います(^^♪
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
自分自身の存在に安らぐ。まさに最強ですね。猫を見ていて癒されるのは、彼らが自分自身そのものの思考や現状に思い悩んで苦しまない、そんな屈託無い佇まいを醸し出しているからなのかもしれません。見ていてとてつもなく自己中だったり間抜けだったり、思考回路がさっぱりわからない動きをしては「へへっ」というような気楽な空気を出している。そんな彼らが人間にとってはたまらなく可愛く、また羨ましく見えるのでしょうね。
かたちのないものへの応援コメント
「ぎらぎら」より「キラキラ」が好きな私。そう言えば一年を通じて「秋」が一番好きでした。aoiさんの『かたちのないもの』を拝読して、一人合点いたしました!
「本当に心を満たしてくれるものには、形がない。大切にしようと努力すれば、必ず自分を包み、幸福感で満たしてくれる」……金言です。目に見えない幸せがありますから。物質的恩恵とは異なる裕福のカタチですね。
書きたいことは、生きている限り変化しますね。私も、そのときそのときに合うものを書きたいです。それは時代という「とき」に合わせると言うよりは、自分の心の「とき」に合わせて……眉間に皺が寄らないように気を付けたいものです!
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そうですね。物質的に豊かなことが幸せかと言えば、決してそうではないと思うのです。心地よいものや人との関わりが身の周りにあるならば、巨万の富や大邸宅などはあってもなくてもいいのだろうと。そして、身の周りのそれらのものを愛おしむ気持ちがあって初めて、温かなものは常に自分のそばに存在してくれるという気がします(*^^*)
書くこととの付き合い方も、間違うと自分自身を疲弊させ、心が荒むばかりというような状況が起こる場合があるな、という気がします。せっかくの楽しみが、それでは勿体ないですね。人間の心身には、波があるもの。自分自身の波に自然に任せて初めて、長く付き合える楽しみになるのだろうと思います(*^^*)
川面と記憶への応援コメント
「目の前にあるうちは、それがどんな輝きを持つものか気づかないのだが——遠ざかれば遠ざかる程、愛おしいきらめきを強くする」……この気持ちが秋の川面と自分の記憶に重なる感覚、分かるように思います。遠ざかるものほど光るのですね。記憶の中の褪せない光です。
「盲目の方は、その分聴覚が非常に敏感」だと、私も聴いたことがあります。視覚を補おうとして他の感覚が発達するのでしょうね。
それから環境の変化についても、aoiさんと同じことを感じています。地球環境の急激な変化がもたらす風景の変容。温暖化や思いもよらぬウィルス蔓延など、一寸先は闇と感じてしまう御時世ですね。aoiさんが約4年にわたり書き続けておられるエッセイ、今、読ませていただいている文章が2016年のものなのだと思いますと、aoiさんの「褪せない文章力」に益々敬意を払います。これからも長く続けてくださいね❤
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
遠くなるほど、ちょっとした汚れや暗い部分が削ぎ落とされるような……大切な思い出って、そういう風に心の中で優しい輝きを増していく気がするのです。冷たく暗い記憶も、やはり僅かずつ風化して……心に刺さる棘が少しずつ減っていくような。
時間とは、限りなく優しいものでもありますね。
褪せない文章力……嬉しいお言葉を、ありがとうございます(*^^*)✨
ただ、エッセイに書きたいことは少しずつ変化しているのかな、何かそんな気もして。あまり眉間に皺が寄りすぎないよう、ふわりと穏やかで何気ない「日々の些細ななことを掬い上げる」その気持ちだけは忘れずにいきたいな、と思います。
耳で見る闇への応援コメント
「音が色や形を持ち始める」……分かるような気がします。瞳を閉じることで感じられる何かが、ありますよね。それは広さであり、奥行きなのかもしれません。音の伝道を「銀の弧を描くように」と表現された句、とても好きです。そして「虫時雨」という秋の季語、環境の変化と共に味わいにくいものになるのかも、と考えると切ないですね。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
盲目の方は、その分聴覚が非常に敏感だそうですね。目を奪われると、耳がそれをカバーするように必死に情報を集めようと動き出す。目を瞑ると、それがよくわかります。
そして、環境の変化により、これまであった穏やかで美しいものが急速に失われていくこともまた悲しく、恐ろしいことですね。このエッセイは4年ほど書き続けていますが、書きはじめた頃の気候と今を比べると、何だか随分変わってきてしまっているような……例えば、梅雨はもっと静かで、秋の紅葉はもっと色鮮やかで……このわずかな期間の間でもそう感じるほど、地球環境は急激に変化している。これから何が失われ、どんな脅威が襲い掛かるのか……それを思うと、大きな不安を感じずにはいられません。
夏の果への応援コメント
共に陽を捥(も)いで別れる夏の果……なんて趣の深い句(T_T) 力強さの裏の寂寥が伝わります。
朝晩、本当に涼しくなり、「夏の果(はて)」を感じられる季節さえ、遠ざかるように思われますね。
「一緒に空へ手を伸ばし、輝く太陽を捥いだ記憶は、心に焼き付いて鮮やかに残る」……夏とは、輝く果実のような季節なのかもしれません。永遠に味わっていられない束の間の儚い季節です。だからこそ宝物のように煌めくのでしょうか。
ノートにメッセージを頂き、本当に有難うございましたm(__)m そこはかとない晩夏の芳香のする絵に感じられ、素敵でした。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
この句をそのように感じていただけて嬉しいです!✨夏の果ても遠ざかる。まさにそうですね。夏は、四季の中でひときわ明るく輝き、命の力に満ち溢れた季節。だからこそ、その輝きはほんの一瞬に思われ、過ぎ去ってしまうことがこんなにも寂しいのでしょうね。
喜んでいただけて良かったです!「そこはかとない晩夏の芳香」……本当にそうですね。熱の冷めていく物陰の涼しさと甘い花の香り、微かな気怠さ……そういうものを感じさせる、美しい絵ですね。
林檎と愛への応援コメント
確かに林檎は愛を連想させてくれます。不思議です。
そして林檎を両掌に持って似合うのは「美しい人」という勝手なイメージを持っています(^^ゞ
おじいちゃまは誰のために林檎を求められたのでしょうね。奥様かな、かつての恋人かな、と色々思ってしまいます(^.^)
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
林檎のあの美しい紅色や艶やかさは、やはり特別なオーラを持っている気がしますね。確かに、美しい人の掌にとてもよく似合う……♡♡(笑)
彼は、見かけは本当にごく普通の一般的中高年男性、というイメージの方でした。すらっと長身でダンディなロマンスグレーだったりするとまた想像が華やかになるかもしれず……✨(笑)
でも、そういうごく普通のおじさまが昔の恋人のために美しい林檎を買い求める、というのもまたむちゃくちゃ萌えますね(*´꒳`*)♡(性癖が独特!^^;笑)
星の営みへの応援コメント
「叩きつけ砕けるための野分かな」
暴力的な台風の性格が如実に伝わるようでした。
自然災害の脅威の中に生き続ける人間の強さが見えます。叩き付けられても砕かれても、希望を捨てない人間の強さ。抗えない巨大な力の許で、ともすると弱くも見える人間が、実は強靭であることに気付きます。破壊からの再生……復興の歴史を繰り返してきた人間の強さです。
ところで、「絶対」や「普通」は誰基準なの?と、私も思います。
「今ここにいる自分に自分自身が満足できるならば、そしてその時々に目指す幸せに向かって努力できているならば、それこそが幸せ」……素晴らしいです。ぶれることのないaoiさんの哲学を拝読しました。
「可愛い子には旅をさせよ」だったのですね! ポジティヴで良かったです。
「自分自身から湧き出る濁らない想い」を大切にしたいと、aoiさんのお言葉を拝読して思いました。いつもありがとうございます。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
地球という星や、その上で絶え間なく活動する自然環境は、人間のために存在しているものではないのですよね。自然現象は、人間の体内の機能が活動するのと同様、単に地球という星の生理現象のようなもので。ひょっとすると、人間がCO2を大量発生させてるのは、地球ががっつり喫煙しているようなものなのかもしれないですね(笑)
そういう地球の生理現象が、いつまでも人間を守ってくれる優しいものでいてくれるかどうかは……
そういう中でも、生きる。どうにかして、命を守る手立てを考え、何とかしてその手段を生み出していく。人間はそれができる生物ですね。
雑念というのが、まっすぐ歩きたいと思う時に最も邪魔ですね。何が雑念で、何を本当に手にしたいのか。何を握りしめて日々を歩きたいか。そういうものをちゃんと見極めて歩きたいな、と思います。
自分は何とも不器用で融通のきかない人間だと呆れたりもするのですが、そういう自分でいることが結局一番心地いいんですよね(笑)
絶対と相対への応援コメント
楽しい1時間は1分間に感じ、苦しい1分間は1時間に感じる。アインシュタインの「相対性」をaoiさんが分かり易く提示してくださったことが思いだされます。「絶対」に縛られる人生は損ですね。
「自分自身は、確実で絶対的な「自己」というものを持ち得ない存在」で、流動的なものですよね。人は皆、年月の経過や環境によって変わっていくもの。気持ちも満ちたり引いたりするもの。それを嘆くより空を見上げて、秋空の美しさに気付く自分で居たいものです。
ノートを拝見して、そちらに書こうか迷ったのですが、『純情赤ずきんとイケメン狼が手を繋ぐ可能性について考える話』は、公募に出されるのでしょうか? 愛情に愛情を返す、あたたかい物語でしたから、多くの方に読んで欲しいと思います。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
「絶対」ってなんだろうな、と思いますね。一体誰基準なの?と(笑)「絶対」とか、「普通」とか。無限と言えるほど多様な人や状況が存在するこの世の中で、あまりにも画一的で偏ったレベル付けをしようとする言葉の意味がよくわからない、と思うことが多くなりました。
結局、今の自分しかないんですよね。今ここにいる自分に自分自身が満足できるならば、そしてその時々に目指す幸せに向かって努力できているならば、それこそが幸せだろうと……シンプルにそう思います。
可愛い子には旅をさせよ、というような言葉を思い浮かべつつ、自作もまた一箇所に閉じ込めずに旅をさせてみようかな、と(*^^*)(笑)
ガリガリと競い合ったりする気持ちも大事ですが、やはり物語には自分自身から湧き出る濁らない想いを注ぎたい。純粋にそう願う先にしか、真に充実した作品は生まれないかもしれない。最近ふとそんなことを思います。
そして、雑念に追い立てられるような心では、きっと楽しく書き続けることができなくなってしまう。それは何よりも避けたいことだと、改めて感じたりするのです。
AIと創造への応援コメント
夏の果。
今年は夏だけではなく、一年を通して何もできなかった気がしますね。(>_< )
AIの進化は期待しますが、創作物に関しては同感ですね。
SF小説や映画みたいに、そのうちAIも感情を持つようになるのでしょうか。
AIが人間と共存する未来を想像すると怖いような気もします。^^;
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
何の行事もイベントもできない、というのは、これほどに季節感を奪ってしまうものなのですね。この味気なさを黙って耐えるしかないのが本当に悲しいです。
AIの進歩がプラスの点だけをもたらしてくれるならばいいのですが、どうやらそれだけではなさそうな話も聞かれるようになり、漠然と、かつ大きな不安も感じますね。
将来的に、今ある仕事の約8割はAIに取って代わられてしまうだろうという授業を息子が学校で受け、その話を聞いて改めて青ざめました。それはつまり、今後働き口の見つからない人が一層増加する、ということですよね……8割って、怖い……💦
自分たちの開発したAIに、じわじわと首を絞められる。何か底知れない恐怖を感じます´д` ;
大人の舌への応援コメント
味覚は不思議なほどに変わっていくものですよね。心太と麦酒……子供には味の良さが、よく分からないと思います。私も、ひたすら酸っぱくて苦いと感じていました。トマトとわさびも、そうでした。それは『はっきりと答えることができない「旨さ」』です。いつのまにか舌が大人になっていたのですね(^^ゞ
そして……二回目だから躊躇うのですよね。もし私が彼の方の立場だったら……しばらく、そっとしておいてほしいと願うかもしれません。ほとぼりが冷めるまで、という言葉がありますから。私も今は静かに待ちたいと思います。そして、もう一度、彼の方から関係を繋げたいという御意志を示されることがあれば応じたいと、そのように気持ちを整えました。aoiさんとお話させて頂けたから、思い至った答えです。ありがとうございましたm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
大人になるに連れ、どうしても変化していく部分と、結局子供時代から変わらない部分がありますよね。味覚は大きく変わっていくものの一つである気がします。昔はこってりした料理や生クリームたっぷりなケーキがたまらなく美味しかったのですけどね。今はもうあっさり&辛口一択です(笑)
どんなことにも、必ず波がありますよね。気持ちが離れる時、やがてまた近づく時。今回は、自然な波の動きに任せて……自発的にまたここで過ごしたいと欲してくださることが、結局彼の方にとっても一番良いことなのかもしれない、と思ったりします。
平和の陰にへの応援コメント
「終戦記念日」は秋の季語なのですね! 夏の印象しかありませんでした。
平和の陰に凄惨な歴史があったことを絵空事のようにしか思えない世代が増えてしまうと、平和は崩れてしまうでしょう。戦争はカッコイイものではなく、文化を、心を、壊すものです。闇の奥から目を逸らさずに居たいですし、繰り返してはいけないものだと、つくづく思いました。
ところで、aoiさんは猫舌ではないのですね❤ 私も一瞬で飲み干したい! 冷めるのを待っていてバスを乗り過ごしたことがありますので(笑)
彼の方へ、以前、aoiさんが語り掛けられた近況ノートは泣けてしまいました。aoiさんは「掬い上げる」文章を書くことの出来る御方ですね。あのとき、一緒に祈らせて頂けたことは私にとって救いでしたし、彼の方も嬉しかったに違いありません。かつて私もノートで呼び掛けたことがありますが、戻られたので消してしまいました。二回目の呼び掛けをすることに躊躇います……まさに私も「果たして本当に喜んでもらえる言葉が選べるかどうか、それも不安で……思いがぐらぐらと揺れ、苦しい状況」なのです。長々すみません(>_<) 今、aoiさんのエッセイを拝読することで心が落ち着きます。ありがとうございますm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
人間同士で殺し合う。人々の大勢暮らす場所に無差別に爆弾を落とし合う。改めて考えればまさに狂気の沙汰だと思うのです。人間はどれだけ愚かなことを行ってきたのか。私たちはその悲惨な事実を埋もらせてしまうことなく、何としても後世に引き継いでいかなければならないのだと思います。
もしも私がサイトを去った立場だとしたら……呼びかけてもらい、引き止められていると感じた時に、果たしてどう思うか。繰り返し引き止められることに煩わしさを感じてしまう場合もあるのではないか。……そんなことをあれこれと考えると、私もひいなさん同様、何度も呼びかける行動にためらいを感じるのです。
何か行動に表せたら、とは思うものの……今回は、彼の方がもしここへ自ら戻ってきてくださるならば……そんな気持ちで、静かにその時を待とうかと、少しずつそんなふうに思い始めています。
こうして作品にお立ち寄りくださることが、私にとっても大きな支えであり、いつも明るい力をいただいております。心より、深く感謝申し上げますm(_ _)m✨✨
say itへの応援コメント
「秋暑し」は秋の季語でありつつ、夏の残暑を表わす言葉……季節の連環を感じます。少し前までの残暑が次第にやわらぎ、心地よさを感じる季節になりました。暑い時季の冷えた部屋の換気は、まさに「缶詰のように閉じ込められた圧迫感」を窓の隙間から逃すようで、生温い安堵に浸されますね。
"say it"を聴いてみました。気怠い夜にぴったりです。
そしてaoiさんは夏でもホット・コーヒーを召し上がるのですね(^^♪ カフェでコーヒーが冷めるまでの時間を気怠く過ごすのが好きな私です。猫舌なので、ありえなく気怠い時間が長いのですが、脳を程良く休ませる時間ということで(^^ゞ
私もaoiさんのようなスタンスで居れば、此処で長く楽しめるかもしれませんね❤ 「楽しい砂場に遊びに来ているような、そんな気持ち」……そう在りたいです! 仲間が去る寂しさを味わったり、悩んでいる仲間が居るのに連載を続けることに得体の知れない罪悪感を持ったりしています。しかし、それらはすべて人生のタイミング。
私はカクヨムを始めて、もうすぐ一年です。その一年が、aoiさんの活動時期と重なり、同じフィールドで言葉を交わし合える奇蹟のようなタイミングに、深く深く感謝しています。私、aoiさんと少し似ているかもしれません。「書きたい」という欲求が消える日=「読みたい」という欲求も消える日で、すなわち此処に居る意味の無くなる日なのだと思います。その欲求が、いつまで続くのか分かりませんが、続く限り、砂場に遊ぶように楽しく活動したいです(^.^) 今後とも宜しくお願い致しますm(__)m
aoiさんのお言葉は光を与えてくださいます。たくさんの良いパワーを頂いております。感謝です❤
そして、彼の方への想い、aoiさんと一緒に今一度、願わせてください♡♡
作者からの返信
ひいなさん、嬉しいお言葉のぎゅっと詰まったコメントを、ありがとうございます!(*´꒳`*)✨
"Say it"、いいですよね!ジャズは、心身の緊張をふっと緩め、リラックスさせてくれる不思議な力を持つ音楽だと感じます。「まあいいじゃないか、ゆっくりくつろごう」と囁きかけてくるような。かっちりと型にはまらない奏者ごとの魅力的なアドリブが、そういう気持ちにさせてくれるのかもしれませんね。
コーヒーは、熱々を一瞬で飲み干してしまうタイプです^^;コーヒーに関してはじっくりゆったり味わうという感覚が乏しく、改善したいところなのですが……(笑)
そうですね。書きたい、と思う気持ちが消えてしまったら、私にとってここにいることは俄かに辛いものになってしまうだろうと、そういう気がします。書けない寂しさを抱えながら、楽しく書いている人を眺め続けることはおそらく無理で……「書く」という世界からすっぱり脱出してしまいたくなるかもしれません。
そういう時のことはあまり考えたくないですけどね^^;💦
書きたい気持ちのある間は、思う存分ここで楽しませていただきたいと思っています。こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いします!(*´∇`*)✨
私の身勝手な独り言が、ひいなさんにそのように受け止めていただけていることを、心から嬉しく思います。私のような者の呟きが、誰かの役に立てている。これほど幸せなことはありません。
彼の方へ、近況ノートででも何か呼びかけられたらと、何度もそう思うのですが……果たして本当に喜んでもらえる言葉が選べるかどうか、それも不安で……思いがぐらぐらと揺れ、苦しい状況です(>_<)
風の季節への応援コメント
順不同に拝読しまして、未読の部分がありました。
本日は『風の季節』に、お邪魔しております。
「夏が太陽の季節ならば、秋は風の季節」ですね。
「日も熱も風に吹かれて秋立てり」……味わい深い句です。
過ぎた夏を振り返る心が、柔らかくなる気がしました。おひとりまたおひとりと去られるごとに、自分も去る風に乗りたいような気持ちになることがあったのです。でも、aoiさんと分かち合える想いがあって此処に留まり、気持ちを落ち着けることができた部分が大きかったので、感謝しております。ありがとうございます。去られた御方のご無事を祈るばかりです。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
未読の話へお立ち寄りくださり、ありがとうございます♡もう朝夕はすっかり秋の気配、昼間もじりじりと過酷な暑さは通り過ぎたような……穏やかな風が肌を撫でる心地よい季節ですね。
私の中では、何かに耐えつつここにいるという感覚があまりなく、楽しい砂場に遊びに来ているような、そんな気持ちで過ごしているから、逆に何となく居続けているのかもしれません。一緒に楽しい時を過ごした大切な仲間が去ってしまう寂しさは、容易には埋めがたいものがありますが……(´;ω;`)
そういう自分自身も、もしも「書きたい」という欲求がある日消えてしまったとしたら、その時はここを去ろうとするのかもしれない。時々そんなことをふっと思います。
そんな私ですが、ひいなさんにとって何らかのお役に立てているのであれば、とても嬉しいです(*´꒳`*)✨私もひいなさんとこうして様々な思いをやりとりする時間がとても楽しく、たくさんの幸せを味わわせていただいています。心より、感謝申し上げます!(*´∇`*)♡♡
また、どこかで彼の方とお会いできたら。強く強く、そう願っています。
永遠への応援コメント
愛と天の『永遠』を信じられるような気がいたします。
存在は消えても想いは残る……でしょうか。
再び或る哀しい喪失がありましたことに、遅ればせながら思い至りました。
aoiさんの素敵な発見に、途切れぬ永遠の想いを感じたしだいです。
最新話を読ませて頂けて救われました。ありがとうございました。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
存在は消えても、想いは残る。まさにそれを思い浮かべながらこれを書きました。
その想いが永遠かどうかは、結局本人たちの心が決めることであり……二人がそう強く信じるならば、きっとそこには永遠があるのだろうと。その真偽を明らかに証明することなど、いくら科学が進歩しても恐らく不可能なのですから。というか、そこまで理詰めで暴かなくて良い、と思ったりもするのです。
そうですね……何一つ、力になれなかったことを、深く悔やむばかりです……
心穏やかに過ごされていますようにと、ただそればかりを思います。
贅沢への応援コメント
最近ではデザイナーズマンションとか、立派で見栄えのいいマンションがもてはやされて、古い団地は目立たなくなりましたね。
でも、昔の団地は狭いなりに住む人の快適さを考えた造りになっていたと思います。
小窓は、心地よい風が入るから快適ですよね。
見栄えの良さもいいけど、住む人の心地よさに、もっと目線を向けてほしいと思います。
作者からの返信
Youlifeさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさに仰る通りですね。心が安らぐ空間、というのは、お洒落で現代的な空間とは何か相容れないような気がします。隙なく整った刺々しさは、外で嫌という程感じてきているわけですから……住む場所、疲れを癒す場所までキリッとかっこよく身構えている必要は必ずしもないんじゃないかと、ふとそんなことを思いますね。
秘密の箱への応援コメント
家族が出来てから、秘密の箱は年々減ってきてますね。自分のためのスペースが減ってきてるし、他の家族に知られたくない、と自制心が働いてしまうんですよね。。
でも、誰にも知られたくない自分だけの箱、歳をとってもいつまでもそっと大切にしていきたいと思います。
作者からの返信
秘密の箱、知られたくないと思ってしまいますよね。でも、自分の箱は見えない場所へ隠しながら、うっかり見えてしまった他人の箱はここぞとばかり指差して攻撃する。人間のそういう部分に疑問を感じたりするのですよね……
誰もが間違いなく持っており、その中身は絶対に誰にも見せたくないのだから、他人の箱についてもその中身を暴こうとしない。誰もがそういう箱を持つことを、誰もが黙って認める。そういう空気がもっとあってもいいんじゃないかな、なんて。
摩擦、抵抗への応援コメント
コロナ流行し出してから、マスクが手放せなくなり、結果として相手の表情を読み取りにくくなりました。人によっては、相手の嫌な表情を見なくていいと思うだろうし、相手の表情が見えず何考えてるかわからない、とも思うかもしれません。
それまでの人生で人間関係が辛かった人は、相手の表情や感情に左右される位なら、引きこもる生き方が心地よいと思うかもしれません。でも、いつの日か、どこかで何かしらの形で繋がりを持ちたい!と思うようになるかもしれません。きっかけはネットかもしれませんが、それはその人にとって大きな一歩だと思います。
作者からの返信
Youlifeさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
コロナの影響で、人の接触は極力避けるべき、外へ出なくても過ごせるならばできるだけ外出せずに、という方向へ社会が急速に移行していますね。マスクをするのは常識になり、相手の表情が見えないこともやむなし。それを寂しく思う人、好都合と思う人、人それぞれなのだろうと思います。
けれど、やはり人との接触は煩わしい部分を持ちつつも暖かく、それがあって初めて生きている温もりのようなものを実感できるんじゃないか、と思ったりするのです。どんな形でもいいから、誰かと暖かな繋がりを保つ。一人きりの薄暗い世界にだけは閉じこもらずにいたい。そんなことを思います。
笑いへの応援コメント
『笑い』その人の人間性や知性、言葉のセンスが思った以上に現れる。
深いですね。
そう思います。
(最近では否定しないツッコミが面白いですね。
~とは言い切れない、みたいな。雑談でした。ww)
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
笑いは、必ずしも良い意味を持つとは限らない。嘲笑になる場合が充分にある……そこが難しいところだという気がしますね。誰も傷つかない配慮の行き届いた、真に幸せな気持ちを生む笑いは尊いと、改めてそう思います。
そういう意味でも、否定しないツッコミは攻撃性のない独特の優しさがありますね。私も大好きです(*^^*)(笑)
8分間の夏への応援コメント
「夏は切れ目なくひとつに繋がって、息つく暇もなく駆け抜けていってしまう季節」だと、つくづく感じております。気が付けば、もう9月ですね。
以前「8分間の夏」を読ませて頂いた季節が冬でした。四季折々に合わせて再読しますと、新たな味わいに充たされます。やはり『掬い上げるもの』が好きです。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
この話を2度お読みくださったのですね!ありがとうございます(*´꒳`*)私も久々に読み返してみました。本当にそうだなあ、なんて頷いてみたり……(笑)
自分の書いたものを、忘れかけた頃に読んでみるのも楽しいものだ……そんなことを最近感じています。
このエッセイにたくさんの☆と、細やかで奥深いレビューをくださり、ありがとうございます!本作をひいなさんにこのように味わっていただけることが、身にに染みて嬉しく、幸せに思います。
心より、深く感謝申し上げます!(*´∇`*)💐✨✨
編集済
泣かないへの応援コメント
大人になると、涙は見せられない!という思いが年々強くなってしまいます。
部下持ったり、家族が出来たりすると尚更ですね。
涙を見せたら弱味を見せることになる、という思いがあるからでしょうが、泣きたい気持ちを抑えつけるうちに、悲しくてもフシギと涙が流れなくなってしまった気がします。
けど、最近映画をみて感動すると、不思議と涙が溢れてくるようになりました。見ているうちに張り詰めた気分が解放されて、素直になれるからでしょうか?
作者からの返信
Youlifeさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そうですね。大人になるに従い、涙など簡単に見せるものではない、というような不思議な強迫観念が身についてしまう気がします。脆く挫けた姿を見せてはいけない……そういう心理が働くのでしょうね。
けれど、泣くことは心を明るく前向きにしてくれる大事なプロセス、と知ってからは、涙を流すのも必要なことだと感じるようになりました。
何かに感動して涙を流す。不幸や敗北で流す涙とは違い、罪悪感を持たずに流せる尊い涙ですね。その後は、心に潤いが戻ってくるような……心理面に大きくプラスに働いてくれる気がしますね(*^^*)✨
つまみ食いへの応援コメント
野菜の天ぷら、美味しいですよね。
幼少期に母が作るサツマイモの天ぷらを、よくつまみ食いしていたことを思いだしました。懐かしいです。
(*´▽`*)
ナスの94パーセントが水分とは知りませんでした。焼きナスも揚げナスも天ぷらも美味しいですよね。
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
揚げたての天ぷらは最高に美味しいですよね!私も母に注意されなければお皿が空っぽになるまでつまんでしまう勢いでした^^;(笑)
ナスも美味しい野菜ですね。残り6%に何とも言えない旨み成分があるのでしょうか。いくつもの魅力的な味わいの料理に変身するところが不思議ですね(*^^*)
拙い言葉への応援コメント
バカって言われて悲しいよ、本当に自分の心と向きあい、包み隠さない純粋な心があるからこそ出てくる言葉ですね。大人になって、プライドとか経験が積み重なると、それらが邪魔して認めたくなくなるんですよね(汗)。
読んでいるうちに、大事なことを思い出させてくれた気がします。
作者からの返信
まさにその通りですよね。大人になると、「自分は平気だ」という表現をどうしてもしたくなる。感情に揺さぶられる自分をなぜか隠したくなる。本気で気持ちを伝えるべきシーンはたくさんあるのに、素直に本心を出せなくなる……考えてみれば、とても厄介な癖ですね💦
それでも、相手に誠実な気持ちを真っ直ぐに届けたい時は、やはり包み隠さぬ心からの言葉が大切なのだと、そんな気がします。
何気ない時間への応援コメント
自分が今住んでる町も、近くに海があります。何もなく広がる大海原なのに、日によってその表情は微妙に違うように思います。そんな表情の変化を見逃したくなくて、カメラに収めたり、自分の目にしっかり焼き付けるようにしてます。
作者からの返信
Youlifeさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
近くに海がある、いいですよね。私も実家からは近かったのですが、現在の住まいからはあまり近いとは言えず……実家に帰省して海を訪れる度に、何とも言えない懐かしい気持ちに包まれます。
海は、時間ごと、季節ごとに表情を大きく変えていきますね。ふと惹きつけられた目の前の景色を切り取っておくと、後から必ず「取っておいて良かった」と思う時が来る。そんな気がするのです。
普通とは何かへの応援コメント
aoiさん、こんばんは。
『普通とは何か』に、お邪魔しております。
そもそも、「普通」とは何なのでしょうね。個性を奪い取ることでしょうか。そして「普通」に調律された人生は幸せなのでしょうか。
拙作の中で考えたことのあるテーマであり、今も追求していることでしたので、深く共感しました。
おとなになれば自由度が上がって生き易くなるように思うのですが、学校に行って然りとされる年代のこどもさんたちは不自由ですね。繊細な感受性をもつこどもさんたちにとって生きにくい世の中、新型ウィルスの休校がもたらした新しい学びの制度に、もしかしたら救われるこどもさんも居るかもしれませんね。
かねてからaoiさんのお優しさに感情を動かされてきました。息子さんもaoiさんと同じ種類の優美な御心を持っておられますね♡ 一緒に登校する約束、すばらしいです(๑•̀ㅂ•́)و✧
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさにその通りですね。学力や体力を一定レベルまでつけるための場所なのだということは理解できますが、日本の学校は、画一的に同じ製品を作らねばならないというようなおかしな空気に満ちていますね。「皆同じ」であることが最善であり、そうでなければいけないという誤った固定観念に縛られている気がしてなりません。意味不明な基準に拘りすぎていますし……
そういう若い時代に伸ばすべきものって、もっともっとあると思うのに、日本の教育は道を逸れないための鞭しか使わない、というか。
日本の子供の心の幸福度は、先進国38か国中37位だそうです´д` ;💦いじめなど学校教育の環境の悪さが大きな原因のようです。
息子について、なんと嬉しいお言葉を……(´;ω;`)ひいなさんの温かく細やかなコメントに、いつも救われる思いです。
心より、深く感謝申し上げます!✨✨
温かい飲み物への応援コメント
コーヒー、美味しいですよね。仕事中、そして帰ってきてからのリラックスタイムには欠かせません。
冬場であれば、喉が渇けば温かいコーヒーを飲んでいます。
ブラックも好きですが、気分をリラックスさせたいのでミルクを入れて飲むことが多いかもしれません。
コーヒータイムは、気分を解放し、嫌なことをふと忘れさせてくれる至極の時間ですね。
作者からの返信
Youlifeさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさにそうですね!私もコーヒーなしでは過ごせない人間です。うっかり切らしてしまうと微妙に禁断症状が出るので、もはや中毒気味かもしれません^^;(笑)
私も最近はミルクも甘みもしっかり目のカフェオレをよく飲むようになりました。優しい味わいに、ほっと気持ちが和らぎますね(*^^*)
気分が塞いだり落ち込んでいるような時も、コーヒー入れようかな、と思うだけでふっと心に明るさが戻ってくる。こんな不思議な力を持っているのはコーヒーだけという気がしますね✨✨
魔法の呪文への応援コメント
「ありがとう」、拙い自分の作品にコメントしてくれた皆さんに対する返事には、忘れず入れています。
普段の生活では、ちょっと照れ臭さを感じて、つい早口になったり、小声で呟くように言ってしまうこともありますが(汗)
感謝の気持ちは、いつも忘れないようにしたいです。
作者からの返信
Youlifeさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさに、皆様がお寄せくださる温かいコメントは、その一言一言が宝物ですね。私も、感謝や喜びが少しでも伝わるようなお返事を、思いを込めて楽しく書かせていただいています(*´꒳`*)✨
小さな一言でも、「ありがとう」という言葉を貰えることは、その努力が報われた安らかな幸福感をもたらしてくれますね。小さな事でも、してもらったことには「ありがとう」と感謝を伝えたい。私もいつもそんな思いで過ごしています。
今いる場所でへの応援コメント
最初から読ませて頂いておりますが、心に染みる言葉の数々、ハッとする言葉の数々に惹きつけられております。
でも、この作品を書いているのがもう4年も前なんですね。
水は自分の場所を選べないけど、その場所で輝きを見せている…
そう考えると人間ってワガママかもしれませんね。
でも、どうしても昔の自分や周りの人間と比較して、今の現状を憂いてしまうのが人間の悪い所ですよね(汗)
僕自身も、仕事をしている中で、時々自分の置かれた立場に不満を感じることがあります。でも、そんな時には、身近で光り輝く水を眺めるようにしたいですね。。
これから先も、時間を見ながら読ませていただきますm(__)m
作者からの返信
Youlifeさん、作品へお立ち寄りくださり、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
このエッセイをそのように感じていただけて、とても嬉しいです!(*´∇`*)
そうですね。書き始めてから結構経ちました。今も書きたいことが浮かんだときにぽつぽつと更新を続けています。
どんな場所にいても、まずは「今」に真摯に向き合う気持ちがないと、今後環境が変わったとしてもそこで満足を感じられるのかどうかはわからない……そんなことをふと思いつつ書いた話です。
どんな恵まれた境遇にいても「不満」を見つけ出してしまう人間の癖のようなものが、きっとあるんじゃないかと思うのです。でも、それを続けている限り、どこへ行っても自分を幸せだと感じることは難しい。
やはり、水のようにありたい。自分の今いる場所で輝く。常にそういう心持ちでいたいなと思います。
身勝手な独り言ばかりですが、よろしければまたぜひ覗いてやってくださいませ(*^^*)✨
祈る意味への応援コメント
『神』とは『自然』なのかもしれない。
時として荒れ狂う『自然』は、神の怒りやメッセージなのかもしれませんね。
人間はその自然に寄り添い、その自然に生かされ、試されているのかもしれません。
今はただ、コロナの収束を祈りたいです。
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさにその通りですね。人間はこの星に君臨する王者などではなく、この星の上で命を営ませてもらっている無力な生き物の一種に過ぎないのだと気づかなければ、この先ますます自分自身の首を締め上げていくだけだという気がします。実際、自然界という「神」が、ここ数年急速に牙を剥き始めているような恐ろしさを感じます。にも関わらず、爆走する人間の文明にブレーキはかかりませんね。
先の見えない状況の中、暗澹たる思いに包まれます。
AIと創造への応援コメント
AIに『美』は理解できないと思っています。
基準を設けなければ、判断できないでしょうから、心が動くようなナニカを感じることはできない、だから芸術には不向きなような気はします。
AIの創作物を、もてはやすのは人が上から目線で子供の頭を撫でているような気がします。
怒らない、泣かない、悩まない…そんな計算機に人を感動させる創作物など出来るわけないと思います。
作者からの返信
桜雪さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
私もそう思うのです。けれど、開発に向けた研究者の執着というのもまた恐るべきものがあるというか……「できるまで諦めない」というようなところがある気がして。
このままいけば、将来AIは人間界にどのような「悪影響」をもたらすのか。研究開発と同時にそういう予測もしていくべきではないかと、強く思ったりします。
AIと創造への応援コメント
aoiさん、こんばんは。更新ありがとうございます。今夜は最新話にお邪魔しました。
AIは便利です。でも、便利だから素晴らしいというわけではないですね。拝読しまして、創作者の脈打つ魂の鼓動を機械が消し去ってしまうような危機感が伝わりました。
人間が管理されて、世の中がディストピアに近付くような怖さも感じられました。AIと共存する世の中で、情熱や魂は人間特有のものだから、売り飛ばしたりしないで守っていきたいですね。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
現在の人間社会の進歩は、より多くの利益を上げようとする人間の探究心が様々な科学技術を向上させた結果と言えますよね。けれど、そこに大きな危険が潜んでいることに気づかないまま開発を進めてしまうケースも多いのではないかという気がします。ダイナマイトなどの発明もそうですね。研究を進めた結果、人間の社会を大きく変えてしまう力のあるものを作り出してしまう。「それは危険だ」というブレーキが事前に働かない。そして、一旦出来上がってしまうと、それはやがて必ず人間社会の中に利用されるようになってしまう。時に、善悪の線引きすらも無視しながら。
「利益」の前には、人間の「喜び」などは不要のものになってしまうのか?——そこを勘違いしては危険だという気がしてなりません。
分かり合うへの応援コメント
「分かり合う」とは「分からない」部分を許し合うこと……aoiさんのお言葉は、いつにもまして深いです。自分の意見を押し付けて「分かってよ!」と喧嘩腰になってはいけませんね。頑なな面をまろやかに磨いてこそ、寄り添っていけるのかもしれません。海斗さんと奏くんも、きっと真に「分かり合う」関係で、それぞれの未来に進んでいくのでしょうね……aoiさんの御返信を拝読しまして、レビューを書かせてもらえて良かったと思いました❤ お納めいただき有難うございましたm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
完全に理解し合うべきだ、と思い続けるのは、結局は不和の元になってしまう気がしますね。付き合い初めは、相手のことを深く知りたいと誰もが思うもの。そうして知り得た部分が自分に幸せをもたらすものならば、まずはそれで良いのではないかと……なかなか難しいことですが、何度も喧嘩を繰り返しながら、ふとそういうことに気づきます。
噛み合わない部分も含め、お互いを認め合う余裕が生まれた時に、愛情も一層深まるのかもしれませんね。
いただいたレビューを、何度もニマニマと読み返しております(*´∇`*)ありがとうございます♡♡
アンラッキーへの応援コメント
蝉の啼き声。その限られた生命が炎暑に溶ける季節ですね。一瞬で栄光の季節を駆け抜ける。蝉は幸せな短距離走者のようだと思いました。薄命ですが、不幸せではないですよね。
ところで、カクヨムのコメントも、コメント返信も、aoiさんが慎重に書いてくださっていると伝わる言葉ばかりです。本当に有難うございます。
実は私も時間をかけて書いたのに「結局全部消去した」ことがあります。レビューは更に慎重になり、書かないほうがいいのかな?と悩むことが多いのですが、おどおどと「怖がっていてはいけない!」と『アンラッキー』を拝読して気付きました。
しかしながら、このたびのレビュー、不適切でしたら取り下げますので、その際は御遠慮なくお伝えくださいm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
蝉に生まれたことを「ついてない」と思ってる蝉はいないでしょうね。自分自身を「ついてない」と思うことのない動物や昆虫たちは、それだけで限りない幸せを手にしているかもしれない、と思ったりします。
誰かへ向けて発する言葉は、どれだけ慎重になってもなりすぎることはない、という気がしますね。思いを伝えたくても、相手が傷つく意味の混じった部分は取り除かなければいけない。相手が痛みを受けるのを承知で何かを伝える、というのは、今は子供を叱るときくらいだけかもしれず……痛みを承知で交わすやりとりというのは、本当に限られたシーンだけにしたいと心から思います。
そんな恐ろしさを乗り越えて作品へくださったレビュー、本当に嬉しいです!(*´∇`*)✨助けたつもりの相手に助けられる。まさにそうですね。海斗と奏はお互いの手を温かく引き合って歩く相性なのでしょうね。今頃二人でどんな風に過ごしているんだろう……ムフフフ♡(病気だ!笑)
心より、深く感謝申し上げます!m(_ _)m💐✨
有限への応援コメント
刹那に生まる流れ星。
この部分、いいですね。
(^ー^)確かに、一瞬だから美しい。
神秘的です。
(人間は、結構ズボラで天の邪鬼で、かわいい生き物だから。)
ラスト一文に納得。
完璧な人間なんて、つまらない。ww
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
流れ星の、燃え尽きる瞬間の輝き。瞬く間に消え去る一筋の光だからこそ、人はそこに価値を感じるのかもしれませんね。
「完璧」というその意味も、善悪の区別も、どちらも何とも曖昧で不確かな判断基準だと思いますね。
どこか不完全でみっともない、情けない。そんな短所を捨てられずに必死に生きる人間は、やはりかわいい生き物なのでしょうね。
笑いへの応援コメント
「梅雨寒」は、夏の季語でありながら、季節外れの寒さを表わすのですね! 初めて知る単語でした。にらめっこって、こどものあいだしか出来ない遊びかもしれません。でも、おとなにも変顔を撮る文化があるので、それは、ひとりにらめっこですかね。
「笑い」にはガン細胞を撃退する力があると聞いたことがあります!
「笑い」は偉大なのですが使い方を間違えると人を傷付けますよね。何気なく末尾に(笑)と記すのが、相手にとって好ましかったり失礼だったり。
「その言葉が相手を傷つけないかどうかをしっかり見極めなければならない」と、カクヨムのコメント欄で、いつもいつも思うことでした。言葉も笑いも、扱いを間違わないようにしたいものです。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
笑いは病を撃退する、というのは科学的にも証明されていますよね!笑うと気持ちがスカッと明るくなるのは、ちゃんと根拠があるんですね。
ただ、笑いを作るのは、思った以上に難しく、神経を使う作業かもしれません。何ということもない冗談で笑いを取ってしまってから、誰かを不快な思いにさせなかったか、傷つけてしまわなかったか、はっと周囲を見て青ざめたり。
ただ受け止めて笑う分にはいいのですが、発言する立場になる時は充分慎重にならなければ、と思ったりします。
私も、カクヨムのコメントもまさに慎重に書いています。時間をかけて書いたけど、やはり書かない方がいいのかなこの言葉は、などと考え直して結局全部消去したり。相手に不快な思いをさせることだけは絶対に回避したいですね。
101話への応援コメント
101話に綴られた言葉のひとつひとつもいいですね。
aoiaoiさんのエッセイは共感できる部分も多く、心に沁みます。
(^ー^)肩の力がスーッと抜ける感じですね。
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そう言っていただけて、とても嬉しいです!このエッセイは、自分自身に向けて書いてきたとも言える作品です。書くことで、何よりも自分自身が励まされ、支えられる。そういう意味でこのエッセイは私にとって宝物のような作品に育ちました。
最近更新は少し滞り気味ですが、書きたい時に書きたいことを自由に書ける場所として、のんびり積み重ねていきたいと思っています(*^^*)✨
泣かないへの応援コメント
人前で涙は我慢しがちですが、泣くことでストレスを外に吐き出すことが出来ると思います。
若い時は泣くことを我慢してしまいますが、年齢を重ねるとともに、涙もろくなったな。と、感じる今日この頃です。
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
涙を我慢する……これまでの自分を振り返ると、感情の波を抑え込むのは苦手かもしれず……怒りも泣きも一旦スイッチ入ると結構激しいタイプです^^;(笑)母親は子供の前では泣かないもの、と聞かされたりしたこともありますが、子供の前でも泣きたい時はボロボロ泣きます。
そして、私も年々涙腺がゆるゆる化しており……でも、それはそれでいいことなのかもしれない、と思ったりもしています。
当たり前のことへの応援コメント
「——当たり前のことが、こんなにもかなしい」と感じる夏がありますね。
夏は太陽の力が眩しくて強すぎる季節で、それが別離の影を濃くするような気がします。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
光が強い分、影も濃い。まさにそうですね。
人は、ともするとその影をじっと見つめてしまう生き物なのかな、と思います。光を真っ直ぐに見つめて歩くのは、それだけの心の強さと努力が要りますね。そして、生きている悲しみを無視して歩き続けられる人など、ただのひとりもいなくて。
時に俯いて、また前を向いて。人生とはきっとそれを繰り返しながら歩くものなのでしょうね。
つまみ食いへの応援コメント
「つまみ食い」とは、罪悪感と共にあるからこそ美味しいのでしょうか。私は日常茶飯事、つまみ食いし過ぎているようです。先月、歯科医院にて「歯磨き上手なのに虫歯になるのは、お口の中に食べ物が滞留している時間が長いせいでしょう」と言われてしまいました。分かり易く甘美な味に吸い寄せられるような手を何とかしなければ!
ポストアポカリプスは小説で、よく用いられていますね。栄枯盛衰の世の儚さが、クリエーターを惹き付けるのかもしれません。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
なるほど……私も一度の食事量があまり多くない分、小腹が空くたびにちょいちょい軽いお菓子などを口にしている傾向があり……きっと先生から同じご指摘をいただくに違いない、と思いました^^;ヒナノさんのおしゃべりに出てきたお菓子たちがとっても美味しそうでした♡(笑)
不思議ですね。常に明るい方へ進む物語を描きたいと思う気持ちと、文明の衰退した後の世界を想像したい気持ち。矛盾している気もしますが、目の前にないものを思い描きたいという欲求はそこに共通しているのかもしれませんね。
穏やかな森への応援コメント
地球という繊細な星が、人類の発展という名目の勝手な都合により蝕まれ、異常気象が発生しているのかもしれないと思う昨今、穏やかな森は愛すべき場所ですね♡
「発生、繁栄、衰退——どんな生物も、このサイクルを逃れることはできない」ですね。永遠などなく、生者必滅。だからこそ今を愛おしめる気がします。
aoiさん、ご返信ご無理なさいませんよう。失礼しましたm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
ポストアポカリプスという言葉がありますが、人間の文明が衰退した後とはどのような世界になるのだろう、と思うことがよくあります。静けさが戻り、滴る緑と夜の闇が戻り、動物たちの鳴き声が戻ってくるのだろうか……縁起でもない!と言われてしまうと困るのですが、なんとなくうっとりとそんなことを想像したりするのです。
正しくありたいへの応援コメント
「人間の脳内の定規など、どこまでも不確かで、曖昧」ですね。不確かな自分を許すことで幸福を導く。aoiさんの哲学、素晴らしいです。
黙って拝読するはずが、ついコメントしてしまいました。返信は来月でも、再来月でも構いませんので。御多忙中たいへん失礼しました。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
自分を無意味に厳しく取り締まるのは、結局自分を無意味に苦しみへ追い込むだけですね。
けれど、なぜか人間は勘違いをしてしまいがちで……繊細で真面目な人ほど、そういう勘違いにはまってしまいやすい気もするのです。
自分自身のためにしてやれる一番大切なことは、日々を必死に歩いている自分の努力をちゃんと認めてやることではないかな、と。粗探しをして鞭を入れるだけでは、きっとどこかで力尽きてしまうのではないかと思ったりします。
皆様からの応援コメントはいつも本当に嬉しく、大きな励みになっています!✨奥深く温かなコメントを、これからも楽しみにお待ちしております(*´∇`*)♡♡
命の在処への応援コメント
――瞳は命の色が見える場所。
そうですね。(*´∩ω・`)゚+.゚
拝読しながら、飼い猫の最期を看取った時のことを思いだしました。
瞳から命が消えていく瞬間……。
号泣しましたね。
生きるとは、その瞳に、喜びを、怒りを、悲しみを満たすこと。
心に沁みる言葉です。
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
外で飼っていた犬だったのですが、彼が空へ還る時、私も側にいました。
不思議ですね。命の火が消えると、その身体が、「生き物」から「物体」に変わってしまう。——本当に身体から「何か」が抜け出てしまったのだと。子供心に、その時はっきりと感じました。
生きている身体には、やはり「何か」が宿っている。そして瞳は、その「何か」の色や輝きが現れる場所なのだと。そう思わずにいられません。
性別の差別への応援コメント
『差別』は、いつの時代にも根強く残り、心を苦しめますね。
「世の中には、さまざまな考え方が存在する」と認めて、合わない場合は、それを表面化させず、「自分には理解し難いことだが」と、それぞれの心の奥でそっと呟けばいいのに……と、たいへん共感しました。
「自分の幸せを大切に思うのと同じ気持ちで、他人の幸せを静かに見守る」
それができる人で在りたいです。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そうですね。自分の幸せを侮辱されることほど惨めで悲しいことはなく、他人の幸せを侮辱することほど低俗で無神経な行為はない気がします。もし自分が相手の立場だったら、どう感じるのか。少し想像すれば容易に思い至ることなのに……そんな気がしてなりません。
立ち居振る舞いへの応援コメント
電車の座席で出会った、背筋のピンと伸びた和装の老婦人を思い出しました。立ち居振る舞いが綺麗な「とびきりかっこいいおばあちゃん」でした。人生が背筋に表われるのでしょうか。まずは猫背にならないよう気を付けたいです。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
年齢にかかわりなく、自意識をしっかりと維持している女性は、たまらなく魅力的ですね。豊かな生き方や考え方、心の在り方がそのまま表に滲み出す、そんな感じのする美しい老婦人に、心から憧れます(*^^*)✨
背筋、大切ですね!自分に自信を持って胸を張り、前を向く。真っ直ぐに美しい背筋を意識することで心がコントロールできる気がするほど、姿勢って大切だと思います。
秘密の箱への応援コメント
『秘密の箱』を拝読いたしまして、『こどもの領分』そのものだと思いました! 大切なものだけ仕舞っておく宝石箱のような……そんなものを持っていることを年齢と共に隠すようになるのでしょうが、心には永遠の『秘密の箱』があり、それが、おとなになりきれない『こどもの領分』で、意外に皆おとなになりきれないのかもと……とりとめもなく、まとまりもなく、すみませんでしたm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
ひいなさんのおっしゃる通りですね!子供の頃と、大人になってから。変わったなあ、と思う部分もあれば、全く変わらない部分もあって。むしろ、常に何かに怯えて青ざめていた学生時代のあの頃に比べたらもっと自由に無邪気に今を楽しめるようになった、なんて思うことも。
無味乾燥な日々を無表情に生きているよりも、『秘密の箱』に入れたい何かがあるって、とても人間らしいことじゃないかと思うのです。そして、その秘密の箱の中を教えろ、と中身を暴く権利は、きっと誰にもなくて。だって、そういう自分も必ず秘密の箱を持っているから。
生きることって、きっとそういう箱を抱えること。だから、そういう箱の存在を非難するのではなく、静かに認めるのが自然ではないかな、と思ったりします。
祈る意味への応援コメント
冬の月は冴え冴えと美しくて「祈る」という動詞が似合いますね。そして「祈る」ことは、自分に語り掛けることに近い。自問自答で明確な解を求めると言うよりは、これでいいよねと納得させるような。客観的に自分を見つめる目線、俯瞰の目線の大切さを確認できました。
季語を知ることと、aoiさんを知ることで、見えてくる光があるように思い、とても感謝しています。ありがとうございますm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そうですね。「俯瞰」という表現がとてもピタリとくる気がするのです。自分自身を、愛情を持って見下ろし、導く。そういう不思議な安らぎに浸れるのは、祈っている瞬間だけではないかという気がします。
自分の中に沸いた思いつきを自由気ままに書きつけたエッセイですが、こんな言葉たちがひいなさんの何かお役に立てているならば、とても嬉しいです!(*´∇`*)✨
摩擦、抵抗への応援コメント
「マスク」は冬の季語なのですね! 今や新型ウィルスで手放せないものになっているのは哀しいですが、肌とマスクの摩擦のように、人間関係の摩擦は生じて当然。そう思えば孤独ではないですね。
「時の流れ」が残酷に思い出を「風化」させるのではなく、ちょうど良い「手触り」に導くように、思いようで掬い上げられる心があると、気付かせていただいています。いつもありがとうございます。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
「マスク」は冬の季語なのです。実は日々目にするとても多くのものが季語になっていて、例えば「ぶらんこ」は春の季語だったり、「甘酒」は夏の季語だったり。季語を知るというのも、何か日本らしい趣を味わえてとても楽しいものですよね(*^^*)
時が経っても容易に癒えない傷。そういう計り知れない深刻な傷を抱える人も、きっといる。そうも思うのですが……でも、「時の流れがやがて必ず痛みを癒す」ということは、やはり決して疑いたくないと思うのです。
いつか必ず、少しずつ傷は癒える。光が心を照らし、温め始める時が来る。そう思いながら日々を歩くのと、「決してこの傷は癒えない」と俯くのでは、目の前の道の見え方が違うかもしれない——同じ歩くならば、明るいものを強く信じて歩いていきたいと、そう思います。
悲しみの温度への応援コメント
悲しみに満ちた記憶は、時間と年月を経て幾分、暖かな色や温度を帯びるように思います。それを「きっと、とても幸せなことだ」と記されるaoiさんが素敵です❤
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
これは、私の実体験から書いた話です。
人生というのはやはり何事もなくするするとは決していかず、振り返れば今なお青ざめるような出来事もあったりするものですね。
でも、その当時は思い返すことすら苦しくて堪らなかった出来事も、ほんの少しずつ、形や色、温度を変えていく。触れられないほどに凍りついていた手触りが、気づけば微かに優しく、柔らかになる。
絶え間なく全てを変えていく「時の流れ」は、残酷であると同時に、この上なく優しいものなのかもしれませんね。
雲を追うへの応援コメント
「雲を追う」……同調いたしました。私も何となく雲の流れるさまを見ていることがありました。「全てのものは移り変わってしまう」と感じます。諸行無常でしょうか。などと考えても仕方なく、また何かを探してダッシュするのですが!(^^)!
aoiさんの、お心尽くしの御返信、拝読しました。ありがとうございました。
楽曲も小説も人間関係も、ライトで分かりやすく楽しいものを志向するほうが楽という気もしますが、「正解」は無く、底なし沼に気を取られ過ぎず軽やかに、しかし物事の「奥行き」を見る目は養っていきたいなどと思いました←前向きな気持ちです。とりとめもなく真夜中に失礼しましたm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
どんなことも、時の流れとともに留まることなく形を変える。それはかなしいことでもあり、一方で幸せなことでもあるかもしれませんね。満ちたものを永久に止めることはできませんが、一方で痛みや苦しみを少しずつ流し去ってくれる、この上なく優しいものでもあるのかなあ、と。
コメントに熱が入ってしまうと返信が異常に長くなる傾向があり、済みません^^;(笑)確たる根拠などどこにもない、何とはなしの気まぐれなお喋りのかけらですので、どうぞ気軽に読み流してやってくださいね(*^^*)……『満ち引き』の山岸先生も「変人の言葉を真に受けちゃいけない」的なことを言っていましたが、まさにそれですね´д` ;(笑)
セックスフレンドへの応援コメント
近代、「性」がお手軽感を増したと言っては語弊があるのでしょうが、魅力的な秘密の宝石であることをやめて、あからさまになりすぎた感じはいたします。公な戯れとして認知されたから「セックスフレンド」という言葉が生まれたのでしょうね。そして「希薄で軽いものと捉える人」が賛同して、その言葉が広まるのかもしれません。
「人間同士の触れ合いの中で最も深い意味を持つ行為」とは何か……難しい命題です。世の皆様は、深く考えることすらやめて軽やかになってしまったのでしょうか。考えても答えが出ませんが「はっきりと言葉に表現できない思いの丈」で結ばれるのは深いかと。しかし、ひとつ前のコメントでaoiさんが仰るとおり「人間の感情というのは複雑で矛盾だらけ」ですから……やっぱり難しい(>_<)纏まりなく失礼しました。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)
まさに仰る通りですね。何というか現代って、表面の楽しさしか見なくなった気がします。「奥行き」のようなものがどんどん失われているみたいだなあ、と。表面には出ない、その下部にある何かを味わおうとしない。深い場所にある意味に意識を向けたり価値を見出したり、そういうことをしなくなってしまった……というような。
例えば、最近人気を集める楽曲の歌詞。昔に比べて、濃く深い意味はそこになく、ものすごく薄味だなあ……と。好まれる小説などの傾向も、もしかしたらそうなんじゃないかな?とか。
裏側や奥深くに潜むものにこそ、美味しさがぎゅっと詰まっているのに。
思考の中身が移り変われば、人間関係にも同様な傾向が現れるのでしょうね。表面的にお互いにわかりやすく楽しいならとりあえずそれでいい、と。
とは言え、深く考えた先に「正解」を探そうとすると、途端に底なし沼に嵌った気分になりますよね……自分が正解だと思っても、向き合う相手が自分と同じ思いでいるかは全く不明で。
もしかしたら、最強なのは、「信じる」ことなのかもしれません。自分自身の相手への想いと、相手の自分への想いを、疑うことなく信じる。深く寄り添い合っていることを自然に感じ合い、信じ続けていけるならば、それは決して揺らぐことのない最強の結びつきと言えるのかもしれませんね。……っていうかお返事が激長い!´д` ;(笑)
唆るへの応援コメント
「彼のひとの目の中の月もとめけり」……この句は、想像力に働きかけると言いますか、淡い艶、色気が漂う句に感じられました。
「見えるものよりも、見えない部分に唆られる」……あからさまに提示されたものより、ミステリアスに秘密を湛えたものに惹かれること、確かにあります。
「一番大切な核の部分は、ギリギリまで秘めたままに」……丸出しの言葉を使っておられたら『満ち引き』は生まれなかったでしょうから、たいへん納得です。想像力が入り込む余地のある色気を、最後まで持続された名作でした。
aoiさん、長話の続きですが(^^ゞ私も新幹線は大丈夫でした!でも、睡眠不足だったり空腹すぎたりすると微妙です♡そうそう!と、たくさん頷いてしまいました。失礼しましたm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
この句にそこはかとない艶や色気を感じていただけて、とても嬉しいです(*´∇`*)♡
剥き出しにしない密やかさ、というのは、はっきり明らかにするよりも遥かに強い興味を掻き立てられる気がしますね。見えない部分、隠された部分に強烈に惹かれる。それは、既に見えている部分が魅力に満ちているという密かな前提があるのかもしれませんが……
作品をそのように評価していただけて、これほど嬉しいことはありません!✨元々人間の感情というのは複雑で矛盾だらけで、はっきりと言葉に表現できない思いの方が遥かに多いのではないか……そんなことをふと思います。
ですよね!寝不足とかバイオリズムとか、そういう微妙な体調がダイレクトに車酔いに出ちゃいますよね。全く車酔いの経験がない人が本当に羨ましいです^^;
有限への応援コメント
aoiさん、「有限」も、また心に沁みます。
どんなに大切なものも「永遠」ではないと意識するからこそ「限りある今」が愛おしいですね。物質的恩恵を得ることが、本当に人を豊かにするのかしらと、今一度、考えてしまいました。
車酔い体質のお話の続き……バス遠足が毎年悪夢だったこと、怖いほど同じです!「閉塞感」と「行き届いた仕様」が私も苦手みたいです。楽に呼吸ができる隙間を探して、電車は敢えて扉の開閉が多い各駅停車に乗っていました。二十歳を過ぎてから和らぎましたが、未だに苦手意識が残ります……長話、本当に失礼しました。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
「限りない何か」というのは、きっと何一つ存在しませんね。それゆえ何か得難い憧れみたいなものを抱いてしまいますが、実際にそれが手に入ったらどうなるのか……そんなことをあれこれ想像しながら書いた話です。
限りがあると意識しながら生きるからこそ、今を濃くしたいと思う。そのための努力を愛おしく思う。それはきっと間違いないのだと思います。
遠出には乗り物での長時間がつきものですから、その度に地獄の苦しみを味わった子供時代は本当に苦労しましたね💦私は幸い電車系では酔わないみたいで、高校の修学旅行は京都へ新幹線を利用したためセーフだぜ……とニマニマした記憶があります(笑)
私も成長に従い乗り物酔いは治まり、最近はほぼ大丈夫っぽくなりました。体調悪いと微妙ですが^^;
こういうおしゃべり、とても好きです♪♪また長話させてくださいね(*´∇`*)♡
座り心地のいい椅子への応援コメント
aoiさん、私も観光バスの座席が苦手です。車酔い体質ですが、友人のマイカーや乗り合いバスは平気で、タクシーや観光バスなど、高級仕様が苦手……理由が分かったように思いました。
「きちんとしすぎて、逃げ場がない。
閉じ込められた息苦しさに、耐えられない」から。
「座り心地のいい椅子」に掛けているような日々を送りたいものです✩*⋆
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
ひいなさんも車酔い体質なのですね!私もです……子供の頃は本当に酷くて、小中学校時代のバス遠足はまさに毎年悪夢でした´д` ;隙のない閉塞感……酔う原因は、もしかしたら皆似通っているのかもしれませんね。
どうやら私は電気自動車も苦手らしく(笑)揺れやエンジン音が全くなく、前触れもなくすうっと空間が停止するところが死ぬほどダメでした。やっぱり「行き届いた仕様」が苦手みたいです……いつの間にか車酔いトークに(笑)
適度な隙や緩さ、大らかさ。楽に呼吸ができる自由さ。そういうものこそが、真の心地良さには欠かせない。そんな気がしますね。
泣かないへの応援コメント
涙は流すべきもの。aoiさんに教えられます。
「私達を縛る、そういう頑固な固定観念。
そんなものは、捨て去るべきだ」と、強く思います。
今更、気付きました……「掬い上げるもの」のジャンルはエッセイ!! こんなに芯の通った文学的なエッセイ、唯一無二です。短編集を拝読している気持ちでした。読ませていただき、ありがとうございますm(__)m
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
辛さや悲しみの中で涙の流れる理由に思い至った時、人間の体の仕組みの健気さが、ずしっと心に響きました。
涙を流した後、心がどこか穏やかに鎮まり、一筋光が射すような感覚が訪れるのは、多分気のせいなどではなく、本当に身体が心を必死に救おうとしているだと。
なんと嬉しいお言葉を……ありがとうございます!!(´;ω;`)✨
ふと思いついた気まぐれな呟きをぶつぶつと書き連ねている作品を、そのように評価していただけるなんて……この上ない幸せでございます。
心より、深く感謝申し上げます!(*´∇`*)💐✨
夏の裏道への応援コメント
静かな裏道が私も好きです。わざわざ静かな道を探してしまいます。それは、心癒される道を選んでいたということですね!
色々気付かされることの多い「掬い」の言葉が、此処には溢れています。
自分に合う道を歩くって大切なことですね。
作者からの返信
ひいなさん、とても嬉しいコメントをくださり、ありがとうございます!(*^^*)♡
きっとそうですね。静けさの中で感じる風や空の色、自然の色。それらの穏やかな風景を無意識にでも感じながら歩くことを、心が求めるのでしょうね(*^^*)
自分に合う道。結局それを常に探しながら歩くのが人生なのかもしれないですね。
このエッセイをそのように感じてくださり、作者としてこれ以上の幸せはありません……(´;ω;`)✨いただいたお言葉、宝物にします!✨✨
手放せないものへの応援コメント
aoiさんもトマトがお好きなのですね。私も、トマトとコーヒーとアリアと、それから綴ることが好き……aoiさんに頂いた御返信、咀嚼しています。
創作。「その先の輝くものに指が届くならばこれ以上の幸せはありませんが、その光を掴み取ることだけに死に物狂いになるのは自分の望む姿ではないな」と、私も、そう思います。創作の楽しさと難しさを味わっていることが既に、自身の望む姿なのかもしれないと、考えてしまいます。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
「飽きる」という感覚とは無関係に、自分のそばにあり続けるもの。自分で書いてますが、まさに「ツボ」なのかも知れません。きっと絶妙な相性が成立しているのでしょうね。
トマトは最高ですよね!!✨(笑)
登っていく延長線上に輝くものが待っているならばいいな、と。……自分の思いを見つめてみると、そんな感じなのかな。とても漠然としていますが。
果てしなく高いものに飛びつこうとする苦痛しかそこに存在しないのは、何か違うと。そんな気がするのです。
創作を苦しみ、楽しむ。そんな充実した時間を積み重ねた高さが自ずと光まで届くならば、最高ですね。
普通とは何かへの応援コメント
ああっ、アオイちゃんごめんなさい!
わたくしの大好きな「掬い上げるもの」の最新話に気づかず
今回も、とても含蓄のある内容でございます。
個性を活かす学校教育は、やはり難しゅうございますのでしょうねえ
一律均等に大きくする
それは養殖やビニールハウスで管理するお魚やお野菜みたい
スーパーに並ぶお魚やお野菜は一律均等でないと、むしろ売れませぬ
でも人間にそれを当てはめるのは、いかがなものでしょう
今回も心に響くお話、ありがとうございま~す!
アオイちゃん、おかあさまでしたのね♡
作者からの返信
つばきちゃん、めちゃめちゃ久々の更新にコメントをありがとうございます!(*^^*)♡
日本の学校教育は、何か大きな勘違いしてると思わずにいられないんですよね……例えば、夏服への衣替えが過ぎてから上着を着て登校したい場合は、学生証に親の許可のサインがないと不可、とか……肌寒い日に上着を着ることすら自由にできないんです。マジで刑務所でしょうか?´д` ;子供の個性を育てるとか、どれだけ上辺だけの目標を掲げているのか。むしろ学校が率先して個性を無視しているとしか思えません。上の指示に黙って従う日本人、実はこの義務教育の期間にそういう意識を叩き込まれてしまうのではないでしょうか。
……と、つばきちゃんに思わず怒りを吐き出してしまう保護者でした^^;そうなのです、娘と息子がおるのです♡(笑)
愛を生かし続ける方法への応援コメント
結婚とは、『努力と忍耐』だと誰かが言ったことを思い出しました。w
(^ー^)長い時を共にするのは、相性もありますがやはり努力も必要ですね。
老夫婦が仲良く手を繋いで歩く姿を見ると、気持ちがほっこりします。
作者からの返信
そうですね。その年齢まで長い時間を共に歩く間に、その二人の間には間違いなく大切な何かが生まれているのかもしれませんね。ただの恋心や表面的な愛情とはまた違う、もっと深い何か。
それは、想像をはるかに超えるたくさんの山や谷を一緒に越えてきたお互いへの信頼感、安心感……そのようなものなのかな?私もまだ経験不足でわからないのですが……(笑)
手を繋ぎ合う努力。それがあったからこそ歩いてこられた道のりなのでしょうね。
恋への応援コメント
恋はいつでも初舞台。
明言ですね。(その演歌はわかりませんが)
ドキドキするから恋。( ´艸`)
慣れてしまっては、恋ではないのかもしれませんね。
恋を過ぎると、愛に変化するのかな。
異性への愛情や感情が、家族としての愛情に変化していくのかも。
それもまたいい関係ですね。
作者からの返信
愛情って、恋とはまた全く違う感情ですよね。
どこか突発的な病にも似ている恋ですが、愛情はそういう特殊な何かではなく、滲み出るようにひたすらその対象に注ぐもののような気がするのです。
恋は、その相手を「自分のものにしたい」と熱望する感情ですが、愛情は「何かが欲しい」のではなく、自然と、どうしようもなく溢れてきてしまう。もしかしたら、恋という強い欲求をお互いに満たし合うことで、その先に「相手に愛を注ぎたい」という感覚が訪れるのかもしれません。
素敵な恋が、やがて深い愛に変わっていくならば、これ以上幸せなことはありませんね(*´∇`*)✨
満月の色への応援コメント
月の表面を覆う砂(レゴリス)、初めて知りました! そう言えば月は満ちても欠けても平面に見えますね。私も「満月」には温かさを想います。最近、知ったのですが、古来、太陽は男性、月は女性の象徴だったとか。昔から月には温かさと幻想が付き纏う。そんなミステリアスなものだったのかもしれません。
「自分自身の探す何かを追いかけるためにアクセルを踏むのだ」……私も、そういうアクセルを踏みたいものです。カクヨムではコンテストというものがありますね。これに参加するときの姿勢も「自分自身の探す何かを追いかける」純粋な衝動で参加できれば美しいと思います。
aoiさんの「想い」が真っ直ぐに表れる文章には癒され、憧れております✨✨ いつもありがとうございます。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
太陽は男性、月は女性。動と静、というイメージでよすね。でも、現代では、何か女性が太陽、男性が月、という言い方もまたピタリと来る気がして不思議です。女性は逞しさを持つ生き物、男性は繊細さを内包する生き物。そんな気がしてなりません。
カクヨムのコンテスト……個人的には、カクヨムコンはちょっと「?」です。第一次選考がほぼ読者選考のみ、という方法がどうもよく理解できません。☆を巡って毎回血なまぐさい戦いが巻き起こる原因になってますよね。ユーザー同士の生々しいぶつかり合いが、運営様にとっては祭りが盛り上がって良い、ということなのかどうかは謎なのですが……果たして主催側は、本当にいい作品を掘り起こそうとしてくれているのかどうか。そういう疑問を抱きながら心血を注いでカクヨムコン用の長編を書く、というのが……やっぱり「?」なんですよね^^;(笑)