何もしたくない日。これしか、したくない日。もの凄く色々としたい日。
全ては心の赴くままに……といったところですかね。
なかなか思うようにはいかないものですが、自分を多く知った分だけ、赴くままのコントロールも可能となりそうですな☆
――『光の道は 思い向くまま』
雪解けのキラキラした光が作る道は、どことなく夢や未来も垣間見えますな☆
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(o^^o)♡
そうですね。なんというか、力んでばかりでいいことは絶対にないと…そんな気持ちでしょうか。
どんなに完璧目指して日々生きようとしても、自分のコンディションにも波がある。うまくいかないときは、うまくいかない。
だから、あまりてっぺんきりの自分ばかりをイメージせずにいたい。どんな自分であっても、自分自身に誠実に向き合えているならば、「頑張ってるな」と認めてやりたい。
結局、自分で自分の心を柔らかく満たす時間が、つまり「幸せ」の正体なのではないかと…そんなことを思ったりするのです(o^^o)
正しいか正しくないかはすぐに答えが出ないこともある。
何年か経って、ようやく判断がつくことだってざらです。
答えが出ないことも、そもそも答えが重要でないことも。
「自分に真剣に向き合っているかどうか」これは自分自身ですぐにわかることですね。
できるだけ悔いなく生きるためには、そちらの方が大切な気がします(^^)
作者からの返信
ひまわりちゃん、コメント嬉しいです♡♡
そうなんですよね…それが正しかったかどうかの判断って、その時々で変わったりもしますね。あれでよかった、と思える時もあれば、後悔を感じる時もあったりして。
そうやって心は定まらずにグラグラするとしても…その時に真剣だったかどうかは、はっきりしていると思うのです。
その時々で真剣に向き合った結果であれば、「それで良かった」と思ってあげてもいいのかもしれない。頑張った自分自身のために。
そんなふうに思ったりします(*^^*)
自分の存在を認めるって難しいですよね。
そうではない自分肯定型って人もいるのでしょうけど、僕は否定型です。
日差しの温かさ…それは厳しい寒さを知っているからこその、ぬくもり。
僕は…いつか、その温かさに触れたいと思います、もう一度。
作者からの返信
自分の存在。考えれば考えるほど、複雑にわからなくなっていく事柄ですね。
きっと、みんなそうですね。大抵は雨の中や、寒い中を一歩一歩とぼとぼ歩いている。
でも、どんなことも、少しずつ巡っていく。
やがてまた暖かい日差しが降り、花が咲いたり、鳥が鳴いたりする時が来る。
永遠に状況が変わらない、ということはないと思うのです。永遠なんていう物事自体、この世には存在しない。どんなことも必ず巡り、移り変わっていく。
その日差しの温かさに、また触れられます。きっと。必ず。
身近に優しい言葉をくれる人間がいる恵まれた現象は別にして
女性ランナーが「初めて自分で自分を褒めたいと思います」と
フォークソング歌手の言葉を引用して涙ながらに語るシーンが
感動を呼んで、確か流行語大賞にも選ばれていたはずですw
何もしない一日、自己を見つめ直す一日、そんな日も大切です。
作者からの返信
おっしゃる通りですね!
人は、なぜか自分を鞭打ってばかりいて、自分を褒めることをなかなかしませんよね。
自分自身を褒めるひとときがなければ、あざだらけ、傷だらけのまま走らなきゃならない。それではいつか倒れてしまう。
そうやって自分をねぎらう時間を持つことは、自分自身を癒す何よりもいい方法かもしれない、と思ったりします。
「自分に鞭打ち脇目も振らずに走らなきゃいけない」と思い込むのは、もしかしたら違うかも…なんて。馬も美味しい人参を食べなきゃいい仕事できないですもんね!(馬?笑)
正誤よりも、真剣に向き合っているかどうか。その真剣な時間の自分ごと肯定できれば、これほど素晴らしいことありませんものね(^.^)
「初雪の消えし小道に日ざし降る」
情景が浮かびます。近々、そんな雪が舞うのかもしれません。
aoiさんの「掬い上げるもの」には、たっぷりのマイナスイオンを感じます。ありがとうございます。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
自分が自分を縛る様々な束縛を、たまらなく煩わしく思うことがありますね。自分自身の思考回路から完全に解放されるというのは、恐らく不可能なのだろうと思います。
けれど、そうやって苦しむ自分も、真剣に生きようとしている自分自身なのですよね。そういう苦しみも大きく柔らかく捉えると、痛みがふっと軽くなる気がします。束縛や雑念に振り回されず、ただ自分が自分に向き合い、自分の望むようにまっすぐ歩ければそれでいいのだと思えてきます。