応援コメント

自分の力で」への応援コメント

  • 今まで何気なく通り過ぎていたことわざが、このページのおかげでストンと降りてきました。
    自分が幸せであればこそ、他人を幸せにしようとも思えるもの。自分を救うために動くことは大事ですね。

    作者からの返信

    黒須さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡

    自分自身を救おうという意思を持った人は救われる。本当にその通りで、不思議な勇気をくれる言葉だと感じます。もういろいろ諦めて放り出してしまいたい時もあるのですが、本当にそうした時にやはり最も苦しむのは自分自身なんですよね。
    全部投げ出してしまう前に、きっと何か別の方法がある。俯きそうになる心を振り切って顔を上げられたらと、強く思います。

  • ブーツ、冬に重宝しますね。こどものころ、好きだった紫のブーツを思い出します。まさに「脱ぎ履きも歩くも楽し」でした。それを履くと喜んで歩けた良い思い出です。母が「好きな靴をひとつ買ってあげる」と言い、私が選んだのが紫の『ハナエモリ』……後程「実は泣けた(T_T)」と言われてしまいました。知らずに母の財布を泣かせていたようで、申し訳ない思い出のひとつでもあります。

    「いくら天に願っても、自分自身で立ち上がる気のない者は救われることがない」……神頼みしているだけでは何も変わらないのかもしれませんね。ブーツを楽しんでいたころの気持ちで、休み休みでもいいから、歩き続けたいものです。

    作者からの返信

    ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡

    紫の『ハナエモリ』のブーツ……幼い頃からハイセンスな女の子だったのですね♡そして、「それはダメよ」とはねつけないお母様の愛情深さ(*´꒳`*)私だったら娘に「それはNG」とかあっさり言い放つかもしれず……^^;(笑)とても温かく、素敵な思い出ですね(*´∇`*)✨

    自分ですべきことをしないまま、ただ願うだけというのは、「祈り」が「逃げ」にしかなっていない、ということですよね。祈るという気持ちが大切なこともありますが、結局はその望みを叶えるため自分自身が真剣に努力するからこそ願いは叶うのだと思うのです。
    「休み休み」、まさにそういう程よい緩やかさがなければ、長い距離を歩き続けることはできませんね。

    編集済
  • 『天は自ら助くる者を助く』
    心に響く諺ですね。

    どんなに苦しい状況でも、自分が行動を起こさなければ現状は好転しない。
    行動を起こしても、変わらないかもしれないけれど、行動を起こさないよりも価値はあると思います。
    (^ー^)

    作者からの返信

    そうですね。
    自分を救おうという気持ちがなければ、何も変わってはいかない。他人任せのままで望むものが目の前にやってくることは、恐らくないのだと思います。

  • 中七の「楽し」の部分が、積極的に自立しようとする子供のイメージを湧き立たせますね。何をするにも「自分で」という芽生え。それを伸ばそうと試みる親の気持ち。どちらもが、この句から伝わってきます☆

    ――『母に見せるは 自信のドヤ顔』

    ママ、どう? って、ママからしたら「何がどうなの?」と突っ込みを入れたくなるような母子の無言の会話が聞こえてきそうです☆

    作者からの返信

    愛宕さん、楽しいコメントをありがとうございます!(*^^*)♡

    本当に、子供は「ママ、見てー!」って言いますよね(*^^*)自分ができたことを見てほしい。褒められ、認められる喜びを味わいたい。まだ幼い子供でも、そういう大切な欲求は既に育っているんですね。
    それをしっかりとキャッチし、達成感を充分に与えてやる。それが親、特に母親の仕事かもしれませんね( ^ω^ )

    とっても楽しい歌になりましたね♡私も最近、ぶっちゃけて明るく楽しい作品を書いてみるのも時には大切かも、と思ったりしています🌸

  • 求めよ、さらば与えられん
    Ask, and it shall be given you.

    アクションを起こして頑張りたいときに座右の銘にする言葉です。

    どちらもキリスト教の教えから来ているんでしょうけれど、どちらもまずは自分の力で行動することを求めていますよね。

    厳しい自然環境と闘ってきたという民族性もあるのでしょうか。
    自然と共生しようと生きてきた日本人の根元にあるものとは違う気はしますが、時にはこのように自ら立ち上がる強さや勇気が必要なときもありますよね。

    作者からの返信

    そうですね。自分で動き出そうとしなければ何も始まらず…動き出した瞬間、必ず何らかの道が開けていく。そう言ってもいいかもしれませんね。

    執着せず、流れに任せる…日本の文化は、そんな感覚と馴染みが深いような気もしますが、時には流されずにぐっと足を踏ん張ることもきっと大切ですね(*^^*)

  • 地面を這いまわることしかできない…。
    僕は、自分をミミズに例える。
    僕が最も嫌悪感を抱く生き物。
    土の下で生きて…気まぐれに陽の下に出れば、その身を焼かれる。
    雨の日は溺れる…。

    何も望まなければ…救われる必要もない。
    どちらが幸せか…救われたいともがくこと…何も願わず望まぬこと。

    今は解らなくなってしまった。

    作者からの返信

    私も、そんなふうに思ったことがあります。

    深い森の奥で、横たわったままではいけないのか?

    クラシック音楽はお聴きになりますか?
    もしよろしければ、ベートーヴェンの『悲愴』第2楽章を是非お聴きになってみてください。(Sound Musicというアプリでたくさんの曲が無料で聴けます(*^^*))私、この曲すごく好きなんです。
    この旋律には、「そのままでいい」という穏やかさが満ちています。——むしろ「諦め」にも近い、悲しみと安らぎ。
    深い森の底で、沈んだままでいても構わない…そう言ってくれているような気がするのです。

    この曲は、ベートーヴェンが自分の難聴を自覚し始めた頃に作曲されたものだそうです。
    深い絶望の底にいた彼の思いが、そのまま形を得たものなのでしょう。
    作曲家が、聴力を奪われる…それは、神をも呪いたいほど苦しい地獄だったに違いありません。


    彼は、いつでも自殺できるように、机の引き出しに常にピストルを潜ませていたそうです。
    それでも彼は、苦しみを越えて人生の喜びを歌う傑作「交響曲第9番」を作り上げるのですが——

    深い悲しみを湛えた旋律が、心を癒してくれる……とても不思議です。

  • 今章は、心が疲弊した時にもう一度拝読したい

    力んでいた肩を、優しくなでてくれそうだから

    作者からの返信

    つきちゃん、コメントありがとう♡♡

    ん、このお話、ちょっと賛否両論なのかなあ…少し不安ではあるのです。

    努力しても、報われない時がある。
    そういう辛い気持ちを経験した人には、あまり快くない内容?…って。

    でも、自分自身を救おうと思う気持ちは、きっといつでも大切なんじゃないか…そこはやっぱり変わらないんだよね…私の中で。

  • 今回は、かなりの斜め上コメントです(笑)

    ブーツは、バイク乗りにとって季節無関係
    ショートロングの違いはあれどロード系?
    (オフ、モトクロスもかな)中型以上なら
    必須になります(革パンツ長袖ジャケも)。
    スニーカーで乗れるのはスクータだけです。

    少し趣が違いますが精神面で病んだ場合は
    動きたくても動けずに停滞する場合が多く
    原因も先天性、後天性、物理性、各種です。

    医者は(非情なので点数のため)薬漬けと
    囲い込みで西洋医学の「意志を奪う処置」
    良きにせよ悪しきにせよ社会の裏に潜伏し
    各種社会問題源であり基本は完治しません。

    七転八倒は這い上がる気力有る無しが基本

    二度目這い上がれても学ばない人間は必ず
    三度目を繰り返します。さて? 通常なら
    三度失敗すると四度目に挑戦する人は稀で
    七度も繰り返す人間がいるのか? 不明w

    何度も繰り返す系物語が好まれていますが
    なんでしょう(笑) 空想で夢物語無理です。

    失敗しない人間も基本いないはず。いつか
    取り返しのつかない失敗をすることになる。

    出来るだけ若い、幼いうちに失敗と克服を
    経験則として学んだ人間に当てはまる行動

    おそらく倍ぐらい生きてきた人間の経験則
    とくに意味もなく批判でもなく淡々と(笑)