悲しみに満ちた記憶は、時間と年月を経て幾分、暖かな色や温度を帯びるように思います。それを「きっと、とても幸せなことだ」と記されるaoiさんが素敵です❤
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
これは、私の実体験から書いた話です。
人生というのはやはり何事もなくするするとは決していかず、振り返れば今なお青ざめるような出来事もあったりするものですね。
でも、その当時は思い返すことすら苦しくて堪らなかった出来事も、ほんの少しずつ、形や色、温度を変えていく。触れられないほどに凍りついていた手触りが、気づけば微かに優しく、柔らかになる。
絶え間なく全てを変えていく「時の流れ」は、残酷であると同時に、この上なく優しいものなのかもしれませんね。
中七の「夕日」に、まだ下がりきらない温もりが残っていそうで希望が持てる句となってますね。悲しみにも温度がある……言い得て妙です。悲しくなった条件や相手によって温度はさまざま。絶対零度にならない限りは、どんなに暗さが強くなっても光を探す元気が出てきそうです。
――『実りに見立て そっと指出す』
夕日と枝の遠近法。
状況次第では、夕日が枝先についた実にも見えそうですな☆
作者からの返信
夕日の色は、温かいですね。いつまでも消えて欲しくない温もりがあります。
悲しいことが目の前で起こった直後は、闇に突き落とされた気がしても…時間が必ず、少しずつ救ってくれる。辛くて見つめることができなかった悲しさを、少しずつ、穏やかに見つめられるようになる。
時間ほど、有り難いものはありませんね。
とっても素敵な歌ですね♡(*^^*)夕日を温かな実に見立てれば、寂しさや悲しさも、実りの喜びや希望に繋がっていきますね。
立冬の句を立春に拝読するというマヌケなワタシを許してね(笑)
ものすごく共感できます。
悲しみの温度。
しばらく時間が経って「悲しみ」がそばにあることを許している。
こころに柔らかい衝撃です。まさにそのとおり。
「悲しみ」の直後は拒否していますものね。すべてを。
そんな「悲しみ」とも向き合い、消化できるところは消化し、許せるところは許し、諦めるところは諦め、でもまだ顔を前に向けられるようにどうしたらいいのかを問いながら生きていく。
そんなところなのかなぁ。
それにしてもaoiちゃんの深く優しい感性に毎回感嘆するばかりです。
どんなにか素敵なヒトなんでしょう💕
もはやバーチャルの女神さまに思えてきました。
……、生きている? ヒトですよね??(笑)
作者からの返信
今日子ちゃん、もうほんとに嬉しすぎるコメントをありがとうございます〜!(//∇//)♡
とても冷たく深い闇だったはずの悲しみが、気づくと自分のそばにそっとある。それでも自分がちゃんと生きていけることに気づく。
そんな悲しみが綺麗に流れ去っていくことは、きっとないとしても…時間がその痛みを和らげてくれる。時間が経つことの有り難さを感じますね。
えっ…ちょっと聞き違いをしたような…素敵な人?バーチャルの女神様??そっそんなまさか(゚o゚;;…思い出してください今日子ちゃん、イケメン達のジレ恋を書いてはニマニマしているひたすらフフフな女だということを!!(爆)
悲しみを癒すのは、時間か、忘却か、受け入れる割り切りか、それを上書きできる嬉しさか。
様々な形がある中で、この悲しみを経験として活かせた、というケースがあってもいいと思ったりします。
その時嫌いだった自分を好きになれる、ちょっとした尊い瞬間。
作者からの返信
本当に、そう思います。
悲しみを、自分の経験として活かすことができたら……その悲しみは、自分にとって収穫の一つだった、ということになりますね。
その悲しみに、人生の中でどんな意味を持たせるかは、結局自分自身なのだから…どうせなら、自分のプラスになる経験に変えたい。そうできたら、こんなに素晴らしいことはありませんね。
半端でなく強靭な精神力がそこには必要かもしれませんが……気持ちの持ち方として、とても大切だと思います。
悲しみに温度がある。
とても素敵な感性にまたしても脱帽です✨
深い悲しみを癒すのは時間なのだろうと思います。
悲しみに打ちひしがれている時は、何をしてもそれが薄れることはないけれど、時間が経てばどんなに深い悲しみも少しずつ受け入れられるようになる気がします。
途方もない時間がかかるかもしれないけれど……
それでも、悲しみに少しでも温かい色がついたなら、俯いていた顔も上げられそうな気がします(*^_^*)
作者からの返信
ひまわりちゃん、そう言っていただけてとっても嬉しいです!(*^^*)♡♡
本当に、その通りですね。心って、何か力を加えてある方向へ捻じ曲げることは、結局できないのだと思います。その悲しみから逃げ出したくてもがけばもがくほど追っかけてくるような…そういう時間を避けることは、誰にもできないのかもしれません。
時間だけが、その悲しみに付随した痛みを少しずつ拭ってくれる。どんな悲しみも、必ず時間が癒してくれる。
…やがて、ひんやりとした闇でしかなかった悲しみが、ごく微かに暖かい色や温度を帯びてくる。そんな気がするのです。
時間というのは、本当にありがたいものですね。
悲しみが自分の一部に変わる……。
そうなるまでには長い長い時が必要かもしれませんね。
悲しみにも色々あると思いますが、大切な家族を亡くした悲しみは、何年経っても色濃くなるばかり。
今でも共に生きているという感覚は、自分の一部に変わったといえるのかもしれません。
作者からの返信
ayaneさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさにそうですね。辛かったことが、気づけば心にそっと馴染み始めている、というような……「時薬」という言葉があるように、時間の流れというのは、悲しみを避けられない人生においてとても有り難いものでもありますね。