最近はバーチャルなお墓も登場したりで、墓地独特の風を受けて死者と語らうというのも消えつつあるのかなぁと感じるこの頃です。ある意味、余計に「恐れを抱く場所」ではなくなってきているという表れでもありますが (^_^;)
ーー『救われるのは 我の心か』
死者の御霊が救われていると思いがちな墓ですが、参拝する事で生きている側の心が救われているんだなと感じます☆
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(o^^o)♡
墓地と怖れ…死はやはり誰にとっても恐ろしいものですね。けれど、その恐ろしさというのは、死に至る苦しみや心身の痛み、という部分が恐怖を煽るのではないか…と思ったりします。その区切りを超えた先は、きっとひたすら穏やかな静けさなのではないか…と。
「参拝する事で生きている側の心が救われている」…まさに仰る通りだと思います。墓地を訪れ、新鮮な花と水を供える。線香の香りに包まれながら、静かに手を合わせる。心の中のさまざまな雑音や思い煩いが、すっと鎮まる気がします。
どんなに年齢を経ても、私たちは先祖達に心を支えられて生きているのですね。
これまた以前の話になりますが、スロベニアに住む友人を頼って旅行した時に、ミロゴイ墓地という所に連れて行ってもらいました。
人気のない静かな公園のようで、背の高い木々が穏やかな木漏れ日をつくり、静かに佇む墓標を優しく見守っているような、とても穏やかで明るくて心の休まる場所でした。
日本の墓地ってどうしても湿って薄暗いイメージがついちゃってますけれど、そこに魂が眠っていることは古今東西同じですよね。
いつかは自分も眠る場所。
そこに眠る人と心の対話をするような気持ちで向き合いたいですね。
作者からの返信
外国の墓地は、何か庭園のような穏やかさや明るさがありますね。
死者と生者をあまりくっきりと分け隔てていないような…そんなおおらかな雰囲気を感じたりします。
最近、自分がお参りに行く墓地にも、そんな穏やかさを感じるようになりました。それまでは、ひまわりちゃんがおっしゃるような、薄暗さや心細さみたいなものがあったのですが…
父が、昨年、亡くなりました。
大切な人の、静かで穏やかな最期を見送ったからなのかもしれません……
……あらら、また涙が……(笑)
あおいさんお疲れさまです♪
実は俺、19年と9カ月、大きな石材店の施工総括をしてました♪
簡単に言えば、墓地でお墓を建てたり、ビルの外壁や床に板石を貼ったりするんです。
要はドカチンですね。
夏は炎天下の中、若い子でも毎日熱中症にかかって平気で倒れるし、冬は氷点下の極寒の中、雪かきしながらかじかむ手で、重い重い石碑を運んで据え付ける仕事です。
石碑をスポンジで拭くと、拭いたそばからみるみる凍っていくんですよ?びっくりするくらい辛い仕事です。
大体3人ひとチームで動くんですが、うちは7チームあったので、総監督としては毎日毎日トラブルの連続。毎日誰かがケガしたり、倒れたりもぉぉ大変でした。
石の加工は中国の福建省や、黒竜江省が主体なので、本場中国人の技術者を研修生として常時6人雇っていて、その中国人技術者に、ノミの使い方や加工技術を学んで、石材加工の技能士章も取得しました。
辞めた今では、親戚や友人のお墓を市場の十分の一ほどの値段で建ててあげたりしてます。
と、そこまでが前フリです。本題はここから。笑
まぁ20年も色んな墓地で色んなお墓を建てて来ましたんで、それなりに色んな体験をしましたよ。
ウチは3日で一件ってノルマで、しかも残業制度があったので、投光器使って、山奥の墓地だろうと霊園の中だろうと、建てて終わるまでは会社に戻れないんです。
早くあがれて20時、一番遅い時で夜中の3時くらいまでは墓地で過ごすんです。
ほんと、いろいろありました…
怖いでしょうから書きませんけどね。笑
でもでも、
そんな過酷でしんどくてヘルニアを三段がまえで引きずってでも、ウチの若い子たちは毎日墓地に向かい、施主のおじいちゃんやおばあちゃんに笑顔で元気に挨拶して、一生懸命お墓を建てるんです。
約20年の間で辞めた子は、ヘルニアの悪化で歩けなくなる寸前で辞めてったたった3人だけなんです。
なんでだか分かりますか?
みんな、最後の家だって分かってるからなんです。
ひとの終の住処。
俺たち施工者は、お骨を手にするんです。
家族親族が大事に大切に持ってこられた遺骨を預かって、70キロほどある重い水鉢を横によけて、おじいちゃんやおばあちゃんの代わりにお墓に納骨してあげるんですね。
お墓の建て替えの時でもそう。
俺らは素手でお骨を拾います。
真っ白なサラシにひと欠片も残さない様に拾いあげてから、お墓を建て替えます。
誰ひとりとして、手袋したり、バッチいもんを触るような事はしません。
これが、仏徳、仏縁だとみんな分かっているんです。
みんな、献身と尊敬を持って、自分のしている事の徳の深さを分かってるから、誰も辞めようとしないんです。
長くなって本当にすみません。
あおいさんの素敵なお考え読んだら、嬉しくなって書いちゃいました。
あおいさんもちゃんと解ってる側のひとなんだなぁって。
ごめんなさい。お邪魔しましたー。
作者からの返信
finfenさん、深く心に響く素敵なコメントを、ありがとうございます!(*^^*)
そうなんですね…職歴約20年。もうその道のプロの域ですよね。
実際にそのような仕事に携わったり、墓地に立たないと気づかない感覚かも知れないですね。恐れより、安らかという言葉の方が相応しい、ということに。
昨年、父が亡くなりました。
大切な人がこの世を去る悲しみや、深い祈りを捧げることの静けさ…そのようなものを、しみじみと感じた時間でした。
こういうことから、墓地というものへの感覚が、以前よりも大きく改まったのかも知れません。
深夜、本当に眠っている最中にすっと逝ってしまった父ですが…最期まで穏やかだった父が、そんな安らかさをも教えてくれた気がしています。
すみません…あー、泣きそうです…(笑)
素敵なコメント、本当にありがとうございました!(o^^o)
こういう風に考えたことは無かった…。
僕の夢にでてくる墓地は虫が這いずる湿った異空間。
それは僕を引きずり込むように誘う入口の様な場所。
僕は墓参りをしない。
死者に思いを馳せない。
僕の願いは『死』
でも…僕の『死』は清々しい場所には辿り着かない。
死して不快な場所こそ僕に相応しい。
きっと、生き様で捉える景色は色を変えるのだろう。
作者からの返信
「死」は、「無」ではないかと…私は思うのです。
きっと、無になるまでは、必死にもがきながら生きるだけ…なのかもしれません。誰でも、例外なく。
自分の死に美しいイメージを抱ける人も、きっといない…私は、そう思います。
生きることも、死ぬことも、決して美しくはなくて…
結局、私達は生まれてから死(=無)まで、泥の中を這うようなものなのでは…?
そう考えるならば…やはり、「無」が、一番穏やか…なのかもしれません。
「無」には、きっと快適か不快かという区別すらない。
……私は、そう思いたいです。
墓地に「得体のしれない何か」を感じたり見たり
昔ばなしの影響や教訓や己の恥じ入る気持ちとか
「自分の不甲斐なさ」自らの先祖や英霊に対する
敬う感情とは真逆のネガティブ発想だと思います。
悪いと批判するわけではありませんが「夜の墓場」
運動会をしている妖怪たちの歌が原因かなと(笑)
※鳥取境港の偉大なる先人が悪いわけでなくw
作者からの返信
うっちーさん、コメントありがとうございます!♪
私もそう思います。昔話などが始まりなのでしょうね。人の魂が安らかに眠れずにいる、という前提でスタートするところがなんとも言えず哀しい。
電気も何も一切なかった昔は、闇の恐怖感が強烈だったのかもしれませんね。
妖怪。ユーモラスでどこか憎めない妖怪たちは、妙な親しみがわきますね(o^^o)
自分の両親や親しい人を亡くすと、墓地に対する感じ方も変わりますね。
亡き人と穏やかに語れる場所。
心落ち着く場所です。
作者からの返信
本当にそうですね。
静かな日差しが降り注ぐ場所。穏やかに見守られているように感じる場所。
生きていることは、やはり戦い。そんな気がしますね。