編集済
これは……
御作「掬い上げるもの」のなかでも、少し系統が違うように感ずるのはわたくしだけ?
いえ、それがけして顔をしかめるとかではのうて、なんだかグサリときてしまいしたゆえ
解釈がちごうておりましたなら、お許しくださいまし、アオイちゃん
作者からの返信
つばきちゃん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
私も、そう思います。これまでの話はどれも、「自分ならどう考えるか」という考察をほぼいつもつけていたなあと。
今回の話は、「ならばどうするか」というような気持ちとは違うところにある思い……とでもいうのでしょうか。理由のない悲しさ、解決しようのない物寂しさ……そんなものを描きたかったような気がします。
そのまま、悲しむ。そういう話があってもいいのかもしれないな、なんて^^;(笑)
作品を細やかに感じ取ってくださり、とっても嬉しいです。つばきちゃん、いつもありがとうございます!(*´∇`*)✨✨
悲しみが歩けないほど、のし掛かる。
僕は立ち止まってもいいと思ってます。
僕は夏が苦手です。
何か強制力のようなものを感じる季節なのです。
自分で肩を抱きながら歩く姿は、僕の夏の姿なのかな?と思いました。
作者からの返信
桜雪さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
理由がない悲しみ。解決しようのないやり切れなさ。そういうものにのしかかられてしまう時がありますね。
立ち止まって、道端に座って。寝転がって。
そんな時は、好きなように、好きなだけ休んでもいいのかもしれません。
夏は輝く季節ですね。でも、最近私も、眩しい日差しの中に何かたまらない物寂しさを感じてしまうことがあります。桜雪さんの夏への思いとは、少し違うかもしれませんが……
誰でも、自分で自分の肩を抱きながら、心細い道をよろよろと歩いてるんじゃないかな……そんな気がします。
「——当たり前のことが、こんなにもかなしい」と感じる夏がありますね。
夏は太陽の力が眩しくて強すぎる季節で、それが別離の影を濃くするような気がします。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
光が強い分、影も濃い。まさにそうですね。
人は、ともするとその影をじっと見つめてしまう生き物なのかな、と思います。光を真っ直ぐに見つめて歩くのは、それだけの心の強さと努力が要りますね。そして、生きている悲しみを無視して歩き続けられる人など、ただのひとりもいなくて。
時に俯いて、また前を向いて。人生とはきっとそれを繰り返しながら歩くものなのでしょうね。